旭幼稚園の食育を担当する金山有美さんがご来店下さり、今回漆仕上のお椀を給食用としてお買上頂きました。 クラウンキッズ汁椀です。 茶碗と汁椀と箸は、子供たちにちゃんとしたものを使わせたいとのこと。 来年4月こども園となるため給食がスタート。その準備をされているところで、道具選びにご自分の眼を輝かせていました。 お話を伺うと「おいしくたべよう!キッズクッキング教室」を主宰する等、 熱い想いをお持ちでした。 教室で子供たちが包丁をさばいている様子をスマホの画面で見せてくれながら、幼児期に調理に取り組むことの価値を語って頂きました。 「自分のからだは自分が食べたものでできている事を子どもなりに理解します。」 NHK料理番組「ひとりでできるもん」を監修された坂本廣子さんのもとに伺うものの、すべてを鵜呑みにされない。 子供たちがひとりよがりになってもいけない。自分だったら、こうするよとご自分をもたれる自由人でした。 2018年12月20日(フェイスブック)
名古屋のワイヨットさんの商談会で目に留まったのが、オークスさんの大人の鉄板という4.5mm厚のフライパンです。 重さは2800gとなりますが、この厚さの魅力をいかにお伝えするかが問われます。 当社でも、フライパンの厚さの理を科学的に説明して参りましたが、やはり実際に使って頂くことが、一番説得力があるように感じています。 皆さんも、美味しさを目指して、厚手のフライパンを使ってみて下さい。 そこで、今回オークスさんも、クラウドファンディングを利用して、協賛者に使って頂いて感想を求めていました。 このスタイルは斬新でした。こちらの動画なども制作されていますので、参考にされて下さい。 製造直販もされているのですが、それでも、まずは、実際の重さを体感したいところだと思います。 そこにこそ実店舗の存在意義があるようにも思いました。この厚手の魅力を、業界一丸となって広げて参りたいです。 2018年12月15日(フェイスブック)
日本テレビの朝の情報番組ZIPのハテナビというコーナーで「フライパンの買い替え時期を教えて下さい」と取材の申し入れがあり、東京まで行って参りました。その撮影現場は、ユーザー宅で江戸川沿いにありました。 1時間ほどで取材が終わり、帰りがけに江戸川の堤防沿いの道をぶらぶら歩いて、寅さんで馴染みのある葛飾区柴又の帝釈天門前参道商店街を訪れました。そこの蕎麦屋さんで天婦羅蕎麦を頂き、帰りがけに「板豆もどうですか?」 その蕎麦屋さんでは、ピーナッツ菓子をご自分の店で製造されていて、それをお土産として販売もされていたのです。お店は2代目で、お子さんは高校生から1歳の子まで6人いると伺いました。「誰かが継いでくれるといいのですが〜」 売り子もしていたお母さんが、くったくなく話してくれるのです。この方からも商いの心を感じて、その板豆をお土産に買わせて頂きました。男はつらいよの映画で表出している人と人とのつながりを垣間見たようでした。 2018年12月6日(フェイスブック)
名古屋の商談会の帰りに、最近話題の円頓寺商店街をぶらぶら歩いて参りました。目に入ったのが、「喫茶まつば」というお店で、ケーキセットを頂きました。周りでは、常連さんが楽し気に会話をしていました。 実は、ここの商店街再生の仕掛人と呼ばれる建築家の市原正人さんの講演会が控えていて、下見を兼ねていました。その講演会の中で市原さんは、ご自分を「よそ者」と紹介されていました。 ちょうど、私が立ち寄った喫茶店の店主は、店を継ぐかどうか迷っていた2年前に、その市原さんたちの活動を目の当たりにしました。「外から来た人が商店街を盛り上げているのに、地元で育った自分が頑張らなければ」 今は、お父さんと奥様でカウンターに立って、丁寧にドリップした珈琲を私にも淹れてくれました。講演会の中でも、このお店を紹介していましたが、地元の人とよそ者が力を合わせたことに再生の鍵がありました。 2018年12月6日(フェイスブック)
和歌山県橋本市高野口町にある原田織物さんを訪問いたしました。 高野山への登山口である高野口は、明治時代からパイル織物の街として栄えてきました。 同じく故郷・織物の街であった蒲郡から来た織機と職人さんも活躍していました。 このパイル織物は、水拭きのみで、油汚れが綺麗にとれて当社でも評判です。 油跳ねが生じるレンジ周りには、大変重宝であり、しかも使い捨てではなく、愛着をもって長く使える。 個人的には、生活を正してくれる一品だと思います。 ところが、パイル織物の製造を支えている家内工業の工場では後継者不在の問題を抱えていました。 かたや、本社工場では、女性の皆さんが活躍していましたが、原田織物さんでは会社として結婚・子育てを応援されていました。 何世代にも継承されて来た高野口のパイル織物も、次代に継承されていくべきものでしょう。 訪問を通じて、自営工場を存立させていく努力、女性が活躍できる舞台作り、さらに小売店の企画力と販売力が問われていると感じました。 2018年11月30日(フェイスブック)
実店舗には、さまざまなお客様がご来店下さいます。 昨日、さかな屋の嫁と名乗られたお客様が、フライパンやお鍋等を購入して下さいました。 お話を伺うと、単に魚を販売されるのではなく、大きな志をお持ちでした。 魚をさばく講座はじめ、ご自身と同世代のお母さん方には離乳食講座で食育にも取り組まれる。 また、新鮮な魚を食べてもらおうと、移動車を使った販売もされていた。そんな一つ一つの活動に大変共感いたしました。 その魚屋さんがある西尾市東幡豆は三河湾沿いに電車が走る大変のどかなところです。 今回、料理道具は自分で実際に触って購入したいと実店舗まで足を運んでくれました。 じっくりと品定めをして買物を楽しんで下さいました。 本日ホームページ「さかな屋の嫁」を見つけました。 「本当に新鮮なさかなは美味しい!子どもも大人も命あるさかなに。海の環境、自然に。漁師さんに。 感謝する心を育みたいと願って活動しています!」 2018年11月20日(フェイスブック)
その会社の代表が、どんな考えをもって商売をしているのか。それをお伝えする場として、「代表者のエッセイ」を綴って参りました。 そこでのテーマの一つが「商売とは、買物とは」であり関係者の皆さんと考えて参りたいです。 最近、近くの精文館商店のビジネス書コーナーをぶらぶらしていて目に留まったのが、 「小売再生」(ダグ・スティーブンス著 ダイヤモンド社)ネット社会の先駆けである合衆国の現場からの提言であり説得力を感じました。 私は、商店街で商店を経営する両親のもとで育ち、大学を出てからは20年近くネット通販に携わって参りました。 この時期に改めて商売の在り方を問われていますが、この書を通じて共感できることが多くありました。 今回、私見を添えながら、書評に近いスタイルで、文章をまとめてみました。 それは、私なりに、商売の原点に返ることでもあり、その原点が何であるのかを考えていくことでした。 また、皆さんからの助言もお待ちしています。 2018年11月15日(フェイスブック)
当社のある豊橋駅前の広小路商店街ですが、玄関には大手書店(精文館書店)あり、地方百貨店(ほのくに百貨店)あり、老舗と呼ばれるお店も健在であり、地方商店街としては奮闘していると思います。 最近、テレビ番組で、地方に訪れて、そこの土地の人たちと触れ合う内容が増えているように感じます。それは、番組だけでのことではなく、買物の現場でも同じような要素が求められているように感じます。 特に、当社のような、日常の消耗品ではなく、耐久消費財と呼ばれる物を販売しているお店にとっては、買物は、非日常の体験が求められていて、小旅行のような感覚でご来店頂く方が多いように感じるのです。 そこの店主たちとの会話を楽しみながら買物をして、その土地ならではの食物に舌鼓を打つ。 そして、そこの土地の歴史や文化にも触れる。その点で、当社では、こちらのページでも故郷の歴史をご紹介しています。 2018年11月10日(フェイスブック)
長年当社がお世話になっている百貨店問屋が民事再生法適用を申請する状況に至ってしまいました。その歴史を振り返ると、三越などの百貨店を上得意として商売している時は業界の雄でありました。 しかし、ダイエーやイトーヨーカドー等のスーパーが台頭してくると、その販売姿勢は、しだいに変わってしまいました。百貨店で地道に育ててきた商品を、より大きなマーケットで安く売りさばく。 時代の流れではあったのかもしれませんが、時代にのるとは思慮深くあるべきです。その会社の原点とは、良い品を適正価格で販売することでした。そこには、業界全体を見つめる眼差しがありました。 そして、今日では、アマゾンという時代の寵児が登場しています。より大きなマーケットに目をくらまされてしまうことなく、何を志向しているところなのか。同志なのか。再生とは原点に帰ることです。 2018年11月1日(フェイスブック)
小売店には、単に物を流すだけではなく、売る人と買う人との関係性を深めることが問われていると思います。私が商店街で育ったからかもしれませんが、それが小売店にとって、より本質的なことだと考えています。 かたや、ネットでの販売では、その関係性のことがあまり問われず、物が流れることのみに偏りがちです。そのような商売は、多分長く続かないでしょう。そこで、その関係性を作り深めていく鍵が対話だと思います。 当社で実施してきたことの一つにコメント大賞があります。頂いたお声に対して、当社からコメントして、そのお声の中から毎月1つを選定してプレゼントをお届けする。すると、改めてコメントが届きます。 実店舗での接客も対話と言えますが、このコメント大賞は、メールでの文章のやり取りを通じて、話し言葉以上に深いことを話すことができることもあります。この売り手と買い手との対話を深めて参りたいです。 2018年10月27日(フェイスブック)
読売新聞の追悼欄で、食育・料理研究家の坂本廣子さんの功績を知りました。NHK子供料理番組の「ひとりでできるもん」を監修された方で、幼児から自分で食べるものは自分で作ることを提唱されていました。 子供を授かった時に決意したそうです。「地球の果てでもひとり遊びのできる子にしよう。誰かに頼って、楽しみを見つけるんじゃなくって、ひとりで見つけて食べられて、毎日が楽しく暮らせる人生を過ごしてほしい。」 そんな坂本さんが仕事について語っていました。「人は生まれてきた時に必ず自分がするべき仕事を持って、この世に送り出されて来るんだ。」エリザベス・サンダースホームをつくられた澤田美喜さんの言葉を引用します。 「だからこの世に命があって送り込まれたということは、それを成就していくのに必要な才能をちゃんと神様がくれたんだ。」ひとりでできるように仕組まれている。その自分の仕事を自覚して、自分を信じて参りたいです。 2018年10月22日(フェイスブック)
Gマークのグッドデザイン・ロングライフデザイン賞をご紹介しています。そこで、当社実店舗で長く扱いのあるラッセルホブス電気カフェケトルもこちらを受賞しているのですが、大変残念なことがあります。 例えば、アマゾンでは本日現在、定価の41%OFFで販売されています。これは仕入値に近い価格です。調理家電品は、大幅な値引が常態化しているので、当社ではほとんど扱いがなくなり、今日はバーミックスのみです。 販売価格は独占禁止法のもと販売店の自由裁量で決定されますが、そこには店を維持できる、適正な利益を確保する前提があるはず。定価・メーカー希望小売価格とは、その適正な利益を想定してつけられたものです。 ところが、節度なき価格競争が横行。ネット上のルクルーゼは深刻な状況です。まともに競争すれば、互いの首を絞め合う愚に陥り、業界全体を疲弊させます。ネット時代の今日こそ、健全な販売を模索して参りたいです。 2018年10月18日(フェイスブック)
消費税が来年10月より10%に引き上げられ、それに伴い中小小売店には、カードで2%還元という反動減対策案が報道されました。それは、消費者に還元されるものですが、中小小売店にはメリットがあるのでしょうか。 大型店ではなく中小店での購入を促進させるように見えますが、中小店としては、基本的に現金での購入が有り難い。それは、カードは手数料が売上の3〜5%。3万円の売上なら、900円から1500円がカード会社に流れます。 本来現金でお願いできれば、手数料分は利益となりますが、この対策により、カード売りを後押ししてしまえば、複雑な心境です。政策としてキャッシュレス化を推進するのであれば、手数料を下げる努力をして頂きたい。 そして、軽減税率が適用されれば、両方を扱う当社のような店舗では、レジでの操作や日々の帳簿等が非常に煩雑になります。しかも、もともと売上減が見込まれる政策なのですから、小売業者はもっと主張すべきです。 2018年10月16日(フェイスブック)
私のカントリー別冊「暮らしのおへそ」(主婦と生活社)では、その人だけがもつ習慣を「暮らしのおへそ」と呼んでいます。話題の人から普通の主婦までを取材して、その暮らしのおへそを紹介しています。 そもそも暮らしというベースがあって、その人の活躍があるのでしょう。その暮らしとは、日常の習慣でもあり、「その習慣には、明日を変える力がある」と謳います。そのおへそを見ることで、自分のおへそを見つめ直す。 その25号では、禅僧の南直哉さんが語っていました。「それは、『やりたいこと』ではなく、誰かのためになる『やるべきこと』です。そこに価値があります。・・・・自分の中に立ち上がる『問い』を離さないことです。」 「問い」を離さないとは、悩み続ける、考え続けることでしょうか。強い意志を感じるとともに、これも習慣というおへそなのでしょう。自分ではなく誰かの幸せを考える。考えようとする。ここに明日の商人道があります。 2018年10月13日(フェイスブック)
グッドデザイン賞には、別枠で使い手が推薦するロングライフデザイン賞があります。10年以上継続的に提供されている、広く支持されている商品やサービスが対象であり、その点では、使い手の評価がより濃厚です。 末永くご愛用頂くことを目指している当店にとっては、より価値のある賞だと認識しています。やはり、使い手に愛されてこそ、良いデザインと言えます。そして、良いものには、時代を超えた普遍性があるのだと思います。 そこで、今回当店で扱っている商品で、このロングライフデザイン賞を受賞した商品の一覧ページを作ってみました。残念ながら懐かしい商品、廃止商品になったものもありましたが、現時点で14点ございました。 いつしか商品も新しいものだけに価値をおきがちですが、商人には、この賞を受賞するような昔から愛されている商品を語れることが問われていると思います。今後もこの賞を受賞できる商品を語り育てて参りたいです。 2018年10月9日(フェイスブック)
当社で扱う吉田金属工業のグローバルイストが本年度のグッドデザイン賞を受賞いたしました。当社で扱う商品の多くも、この賞を受賞していますが、改めてグッドデザイン賞とは何かを調べてみました。 それは、デザインを通じて新たな発見があり、それを社会で共有して、新たな創造を促していく仕組み。発見、共有、創造の循環を目指しているのですが、実は小売店も同じではないかと思いました。 発見とは、賞を審査することですが、小売店が商品を仕入れることと重なります。そして、本当の意味で社会で共有できるのは、小売店で買ってもらうことであり、売れなければ意味がありません。 作り手、売り手、使い手の三者がよいデザインを共有するのが理想であり、売り手はその橋渡し役であります。そのために売り手は、作り手の想いを使い手の側に立って伝えていく。それが、本来の商人でしょう。 2018年10月5日(フェイスブック)
情報過多の時代には、当社で紹介する商品も、メーカーからの情報、他店からの情報、ユーザーの口コミの情報などさまざまです。加えて、マスコミが雑誌等で紹介して下さることもございます。 これらの情報の扱いには注意も必要ですが、また当社とは違った視点で、同じ商品でも新たなものが見えてくることがあります。SNSの本来の意義は、その視点を広げてくれる多面性にあるのかもしれません。 今回当社で扱う吉田金属工業のグローバル・イストの特集が 雑誌Kurashi暮らし上手で組まれています。メーカーの想いを対談形式でまとめていますが、次の言葉が引き出されているのが印象的でした。 「包丁がひとつだけだと、自分が切るだけですよね。でも包丁が何種類もあったら、旦那さんや娘さん、息子さんに『あなたパン切っておいてね』、『あたなは皮むき手伝って』ってなりますよね。」 2018年10月2日(フェイスブック)
わが豊橋出身の作家・村井弦斎の新聞小説「食道楽」をご存知でしょうか。明治36年1月から1年間報知新聞で連載されて、明治年間に最もよく売れた小説と言われます。食に関することを、分かりやすく面白く伝えています。 この小説は、いわゆる啓蒙小説と呼ばれています。食生活の重視、家計の中の食費の見直し、台所と台所道具の改善、料理と食事の合理性の追求、 栄養学・生理学・衛生学等の科学知識の重要性にまで至っています。 啓蒙という点では、商人もまた物を売るだけではなく、消費者を啓蒙をしていくことが期待されています。その時、この小説そのものが、お手本でもあります。また、明治時代とは言え、現代でも読みこなすことができます。 そこで、精読「食道楽」と題して、ページでご紹介させて頂きます。新聞小説風に1日ごとに原文を記載して、今日の視点で、私なりのコメントを添えてみたいと思います。今どきの小説よりも学ぶところ多しと感じます。 2018年9月29日(フェイスブック)
樹木希林さんが亡くなりましたが、大変印象深い俳優さんでした。樹木希林さんは樹木希林を生きていました。私が小学校時代の郷ひろみさんとのデュエット「林檎殺人事件」は未だ心に焼き付いています。 小売店も、樹木希林さんのように自分を生きることが必要だと感じています。あるいは、私という個人も同じでしょう。それは、人と比較することでもなく、人真似をすることでもなく自分を貫くこと。 それを貫けるのは、自分に注がれた愛情だと思います。「あなたは、あなたのままでいい。」その健全な自信は、感謝とともにあり、人のために尽くすことに向かわせる。その愛情を素直に受け止めていく。 夫の内田裕也さんは語っていました。「人を助け、人のために祈り、人に尽くしてきた・・・・見事な女性でした。」自分を生きるとは、受けた愛情のお返しで、誰かのために生きる。それが商人に問われています。 2018年9月24日(フェイスブック)
社で扱う品は、比較的長く使える品が多いです。鉄製フライパンも1度購入頂けば、数十年ご利用頂く場合も多々ございます。「良い品を末永く」は、当社の方針でもありますが、商売の面では工夫する必要があります。 そこで、自家需要だけではなくギフト需要にも着目します。ギフトを通じて、新しい顧客が開拓できます。さらに、「手作り料理が幸せを作る」メッセージを添えていますが、それは親しい人からの方がより伝わるでしょう。 ですから、まずは一人の顧客に、商品やメッセージを知って共感頂くことが重要です。その顧客が、別の顧客を呼び込んで下さる。それが商売の常道であり、お店が宣伝するのではなく、顧客が宣伝して下さるのです。 そして、当社と顧客が力を合わせれば、商品やメッセージはさらに伝わりやすくなります。その機会がギフトです。ギフトの品は、売り手と贈り手の両方が認めた品です。顧客とともに「良い品を広く」伝えて参りたいです。 2018年9月22日(フェイスブック)
当社が掲げる「お料理上手は幸せ上手」をお伝えすることは、道具の販売だけではなく、出版物を通じても行えます。それは文化の啓蒙普及であり、「FRの書評」と題して、関連本の書評を不定期で綴っています。 今回「本当に大切にしたい日本のごはん」(中川誼美著 WAVE出版)をご紹介しましたが、その本に「WAVE出版のめざすもの」ぺらが挿入されていました。社長の玉越直人さんの切実な想いが綴られていました。 「われわれ新しき出版人は、読者不在の元凶『顔のない文化の一方的発信者』の座を捨て、自らも含めた生活者の視点に立った、未熟でも人間臭い、ささやかで、そして切実な出版活動に挑むべきだ。」 この言葉を小売商人にもあてはめてみました。われわれ新しき小売商人は、生活者なしの一方的発信者の座を捨て、自らも含めた生活者の視点に立った、等身大で、地道に、熱をもって小売活動に挑むべきだ。 2018年9月17日(フェイスブック)
横須賀の京急久里浜駅前にある同業の「暮らしと道具 forum 」を訪れました。代表の西村亮さんとは、工房アイザワさんの関係工場を昨秋いっしょに視察して、販売することの難しさと楽しさを共有いたしました。 私の両親にも感じるのですが、商人がお店で商品と顧客に対峙する姿は貴いと言いますか、美しい。お二人がお店で立つ姿にも同じものを感じました。それは、どんな仕事にも通じますが、文字通り仕える事なのでしょう。 店内は、ご自身で制作された木の棚に、ひとつひとつ商品が丁寧に陳列されていました。木の棚を背景にして、不思議と金属や陶器の道具も映えます。その商品が売り手と結びついている感覚を持ちました。 店名はラテン語で広場を意味して、物作りと人が交差する広場のような空間を店舗やインターネット上に作ることを目指しているとのこと。物ではなく物作りと表現されていますが、そこには作り手への敬意を感じました。 2018年9月13日(フェイスブック)
1998年にネット通販を開始して感じたことは右の事でした。消費者は実際に使った方の声を求めている。そこで、当時より「ユーザーの声」というページを開設して、それを一番見やすいトップページの上段に置いて来ました。 ただ、ユーザーの声は、時に一面的な視点であったり、感情に偏ったり、言葉足らずで誤解されてしまう声もあります。そこで、当社では、その声にフォローをしながら返答をさせて頂き、結果対話形式となっています。 こちらからの返答は、プロとしての商品知識に加えて、客観的で冷静公正な視点が問われます。小売店はそれを磨いていく必要があるでしょう。加えて、返答を考えていくと、真理の扉が開かれるようなコメントが引き出されます。 以下ページで、その対話をご覧頂けます。店舗に対する声のページですが、小売店とは何かを教えて頂いています。このフェイスブックページの源流でもあります。プロ意識をもって謙虚に対話を重ねて参りたいです。 2018年9月11日(フェイスブック)
北海道地震のお見舞いを申し上げます。今回は、北海道内すべての発電所が停止して、全世帯が停電となる事態となりました。東日本大震災を通じて原子力発電所の脆弱性が露呈しましたが、火力も含めた発電所も然りでした。 私が幼児のころに、わが業界では、象印やタイガー等の電気炊飯器が発売されて、当時はよく売れたそうです。その後も、電子レンジが普及するなど、スイッチ一つで料理ができてしまう家電品が家庭を席捲いたしました。 果たして、それらの道具が消費者を幸せにしているのか。今回のような災害を受けて、電気が止まってしまえば、お米はあっても何もできない。いつしか、消費者のニーズばかりを追求していたら、人間の生きる力が弱くなっていた。 小売の仕事とは、単に商品を早く安く提供するだけではなく、本当に大切にしたい価値を守りながら、時には、消費者を啓蒙していくことだと思います。少し先を見据えて、その価値を追求しながら販売して参りたいです。 2018年9月7日(フェイスブック)
フライングソーサー・木村硝子店・大木製作所・亀の子束子の四社合同展示会に行って参りました。東京有明の武蔵野大学キャンパス内のカフェが会場で、浜松町近くの日の出桟橋から海上交通で現地入りしました。 今年で3回目を数えますが、昨年当社の会長である私の父親が伺って、同業のフライングソーサーの清水三樹社長とつながりを持つことができました。清水社長も私の父親と重なるのですが業界を憂える大先輩です。 丁寧な物作りをされるメーカーを大切にしていきたい。そして、販売価格も含めて丁寧に販売することを目指しています。また、清水社長は、卸売もされていて、自店オリジナル開発にも意欲的に取り組まれています。 各々に個性のある4社ですが、丁寧に販売することでは同じ志をもっている。この志が、わが業界の本流となるために、当社も貢献して参りたい。展示会とは、単に商品の展示ではなく、売り方を展示することでしょう。 2018年9月6日(フェイスブック)
新宿中村屋の相馬愛蔵著の「一商人として」(昭和13年初版岩波書店)を読みました。大型店進出への対策、安売に陥らないこと等、今日と全く同じような状況があったのだと新鮮に感じるとともに、商人とは独立独歩の自由人だと。 「若き人々へ」という項目で、店格という言葉を使って語ります。「平常自己の人格の向上を念願すると同様に、店そのものの本質的向上を計り、人格を磨くが如く店格を磨き、店の個性を樹立することに精進努力せねばならない。」 妻の黒光も語っています。「私達は全くの素人でしたから世間の伝統によらないで、自ら前人未踏の茨の道を大胆に開拓しました。素人だから本格的な商人の真似をせず、一切独創的に思いのままに仕事をして迷いはなかった。」 そして、黒光は商売のコツを尋ねる人に疑問を呈します。「中村屋式というのは人の書を額に掲げ、その書に何等か背景のあることを示して、それを拠り所とするようなものではありません。」そして、もう一言加わります。 「自己の性格を生かして、あくまで独自の道を歩むことであるのをまだ気づかないのは、どうしたことかと思います。」むべなるかな、誠に痛快でした。 2018年9月3日(フェイスブック)
本日「社長が選ぶ ザ・定番!」というページを開設いたしました。開設した背景には、ネットを通じて、商品が氾濫してしまい、消費者は何を選んだら良いのかが分からなくなっている。消費者の迷いが色濃くなっています。 その結果として、単に安い価格と見た目の印象あるいは感性だけで商品を選択してしまうことが多くなっています。そこで、小売店および専門店の存在意義があります。まずは、小売店が確かな商品を選別することです。 その時、専門店とは、その分野の品揃えを豊富にしておくだけであってはなりません。その選別した理由を論理的に分かりやすく語り、ご納得いただける提案ができること。すなわち、売りたい商品が明確であることです。 その点では、カタログハウスの通販生活はお手本であり、その分野で一つだけを選んで、ピカイチと称して販売。それを当社では著名人ではなく、小売のプロたる社長が語ることで、消費者の迷いを吹き飛ばして行きたいです。 2018年8月31日(フェイスブック)
静岡県静岡市のショッピング施設・エスパルスドリームプラザに行って参りました。その建物の3階の一角に、ちびまる子ちゃんランドがありました。先日お亡くなりになった、さくらももこさんの記帳台も置かれていました。 清水港100周年を迎えた1999年に「にぎわい創出」を目指して官民共同でオープンした施設で、「ちびまる子ちゃん」をはじめ「清水のお寿司」「Jリーグのエスパルス」等の地域固有のテーマ性をもたせていました。 かたや、帰りがけに、静岡駅前の呉服町商店街にある当店と同業の三保原屋さんにも立ち寄りました。この時代にも輝きを放つ商店街のひとつで、百貨店の伊勢丹があり、おばあさんが店の奥で構える光景も健在です。 こちらの商店街の雰囲気の方が、ちびまる子ちゃんには相応しく感じました。時代は変われども、変えてはいけないものもある。それは何か。ちびまる子ちゃんは、私たちが忘れてしまった大切なものを教えてくれます。 2018年8月30日(フェイスブック)
日本テレビの24時間テレビを40年目にして初めてじっくり視聴しました。インターネットの普及で、個人でも動画コンテンツを制作放送できる時代となり、テレビ会社の状況も大きく変わっている今日です。 日本テレビで高視聴率を誇る「世界の果てまで行ってQ!」では、時に行き過ぎも感じますが、それよりも情熱がまさって最近は伝わって来ます。それはどうしてか。その答えが24時間テレビにあったと感じました。 テレビとは何か、芸とは何か、テレビには何ができるのか、芸には何ができるのか、そこまで突き詰めて制作されている、本質にふれるのものを感じました。だから、視聴者もそれに共感できてしまう。 昨日は、息子とともに名古屋駅前の笹島ライブの中京テレビの会場を訪れました。そこで働く皆さんの空気感を味わって参りました。愛(チャリティー)とは、自分の役割を追求して、自分が主体となって仲間とともに汗を流すこと。 2018年8月27日(フェイスブック)
私どもの広小路商店街も、物を売る店ではなく、飲食店が多くなりました。本来商店街とは、買物をして、ちょっと一休みで飲食できる、そこにある交流が魅力です。そんなご近所の飲食店と連携することを模索して参りたいです。 只今商店街では日曜日に歩行者天国が開催されています。今回秋に向けて、ランチ&カフェスタンプラリーが実施されます。参加14店が「魅力満店まち歩きMAP」に紹介されて、スタンプを集めて応募するとランチ券等が当たります。 私の気持ちとしても、自分と同じ、この時代に独立して自営されているお店を応援して参りたいですね。自営業者を応援していくムードを盛り上げていきたいです。また、若者が自営業者にあこがれる社会を目指したいです。 当店の周りには、ランチ&カフェできるお店が立ち並んでいます。ご来店頂けば、ランチ&カフェできるお店をご紹介いたします。街本来の魅力とは、繁栄している一店ではなく、ついでに他店にも寄れること。まち歩きできることです。 2018年8月25日(フェイスブック)
セブン&アイ・ホールディングス創業者の伊藤雅俊さんの著作を読んでいて、中村屋の相馬愛蔵の著書「一商人として」に感銘を受けたことが紹介されていました。そして、先日訪問した山崎製パンでも、この相馬愛蔵のことを語っていました。 そこで「一商人として」を求めて、豊橋中央図書館に出かけました。すると、田崎文庫という愛知大学名誉教授が寄贈された文庫に所蔵されていました。田崎哲郎先生は、中央ではなく地方から日本が変わって来たとの視点より文献を収集されていました。この点も大変興味深いです。 話はそれますが、その文庫の一覧の中に、私の高校時代の恩師であり、渡辺崋山の研究家でもある別所興一先生のお名前がありました。そこに「高校生ノート」とありました。それも興味深く、私が生まれたころの発行で、先生が三十前後の若かりし頃、高校生たちに向けて綴ったエッセイ集でした。 先生は八十をお迎えになりますが、数年前に慶應義塾文学部教授であった川澄哲夫先生の講演会でお会いする機会があり、その場で少しだけ、ご挨拶がてらお話をさせて頂いたことがありました。先生はインターネットを通じて、私の書いた日記(2012年6月2日)をご覧下さっていて大変嬉しく思いました。 高校時代に直接教えて頂いたことはありませんでしたが、卒業後に先生の著作などを通じて教えを頂いています。高校生ノートにも「ほんとうの民主主義とは、決して何か自分でないものにゲタをあずけて、いい気になったりしないものです。自分の足で立ち、自分の重みを自分で持ちこたえているような人々によって作り出される社会の原理だからです。」 今回、特に目に留まったのが、前書きの言葉でした。「第一に、自分が心の奥底から願っているものが何であるかを、具体的に見きわめることだ。ただ漠然と夢想するのではなく、自分の夢の構図を考えることだ。」これは、高校生だけではなく、五十を迎えた私に語られているようでした。 2018年8月23日(フェイスブック)
息子がお世話になった学園の先生方と父兄の皆さんで、一泊二日のバス旅行に行って参りました。松本で宿泊でしたが、途上、伊那食品工業のかんてんパパガーデンに寄りました。 その会社で製造する寒天を販売する売店がありました。そのレジの横に掲げられていた塚越寛会長の以下の10箇条「21世紀のあるべき経営者の心得」に目が留まりました。 昨年も豊橋商工会議所小売部会の研修旅行で塚越会長にお会いして、直接お話を伺ったことがありました。改めて、会社経営いかにあるか、原点に返らされる思いでした。 塚越さんの歩んだ人生を伺い、以下のような慧眼が持てるのは、苦難の賜物であったと当時思いました。それに少しでも近づけるように、以下の言葉を今日も噛みしめたいです。 一. 専門のほかに幅広く一般知識をもち、業界の情報は世界的視野で集めること。 二. 変化し得る者だけが生き残れるという自然界の法則は、企業経営にも通じることを知り、すべてにバランスをとりながら常に変革すること。 三. 永続することこそ企業の価値である。急成長をいましめ、研究開発に基づく種まきを常に行うこと。 四. 人間社会における企業の真の目的は、雇用機会を創ることにより、快適で豊かな社会をつくることであり、成長も利益もそのための手段であることを知ること。 五. 社員の士気を高めるため、社員の「幸」を常に考え、末広がりの人生を構築できるように、会社もまた、常に末広がりの成長をするように努めること。 六. 売る立場、買う立場はビジネス社会において常に対等であるべきことを知り、仕入先を大切にし、継続的な取引に心がけること。 七. ファンづくりこそ企業経営の基であり、敵をつくらないように留意すること。 八. 専門的知識は部下より劣ることはあっても、仕事に対する情熱は誰にも負けぬこと。 九. 文明は後戻りしない。文明の利器は他社より早くフルに活用すること。 十. 豊かで、快適で、幸せな社会をつくるため、トレンドに迷うことなく、いいまちづくりに参加し、郷土愛をもちつづけること。 2018年8月21日(フェイスブック)
当社では、実店舗の販売と通信販売を並行して行っています。通信販売は、顔と顔とをあわせない中で商品をお渡しすることになります。そんな中で、顧客の皆様と心通い合うやりとりができればと常に希望しています。 そこで、通信販売のお荷物には、手書きで一筆を添えることとあわせて、上写真の葉書を最近お入れしています。受取人払いですので、切手不要です。お買物や商品のご感想を手書きのメッセージで私宛に頂いています。 このサービスをはじめて4か月ほどたちましたが、私の手元に9通届きました。お忙しい中をありがとうございます。その中でも印象的だったのが、千葉県のT.Aさんからの「定番商品」がキーワードのお便りでした。 自分とは何かは、私のテーマですが、それは多くの場合、小売店であれば顧客が教えて下さるように感じています。その声を聞き逃すことなく、顧客に向き合うことで、少しづつ自分が見えて来るようです。 2018年8月17日(フェイスブック)
昨年から同業他社の仲間の皆さんと少しづつお付き合いさせて頂いています。やはり、業界を発展させていく点では、同じ想いをもっているのですから、協力すべきところは協力して、お互いに切磋琢磨していくべきです。 そんな中で、本日当社のスタッフから、cotogotoさんの工場訪問のページが素晴らしいよと教えて頂き、早速拝見いたしました。まさに、当社が伝えたいことが、わかりやすく整理されていました。素晴らしい内容です。 cotogotoさんとは昨秋に、工房アイザワさん主催の集まりでご一緒させて頂きましたが、その時は、ゆっくりお話しする機会がありませんでした。ただ、適正価格で販売して、丁寧に販売する点では、方向性を同じとしています。 盆明けには、同業他社のお店に伺い、いろいろな角度から勉強をさせて頂きたいと思っています。価格競争という愚をなすことなく、お互いに学びあいながら、業界全体の健全な成長を目指して参りたいです。 2018年8月11日(フェイスブック)
新潟県三条市で生活用品の企画・販売を手掛けるビーワーススタイルの営業マンがご来店下さいました。もともとは樹脂製品の卸をされていたそうですが、金属加工の地場産業を生かすための「ハナウタ」シリーズを新展開されています。 看板商品はステンレス製の水切りとなりますが、主に百貨店、ロフト、クロワッサンの店等で販売が始まっています。特徴的なのは、価格競争に陥らないように、営業マンが販売先を1件1件訪れて、自社の販売方針を語っていること。 これまで、メーカーと販売店の間に卸が入ることで、メーカーの販売方針が見えなくなっていたことを反省します。ネット社会となり、単に売れるだけで進んでいけば、利益はなくなり、メーカーも販売店も共倒れとなるでしょう。 そして、その説明は、誰かを介してではなく、本来はメーカー本人が販売先に語るべきことかもしれません。販売店もそれに答えていく時代でしょう。また、こちらの会社でも、ホームページに中国語と英語の言語を採用されていました。 2018年8月9日(フェイスブック)
国内小売業者の中で、親近感を覚える会社の一つが、無印良品を展開する良品計画さんです。企画・製造も手掛ける小売業者ですが『MUJIが生まれる「思考」と「言葉」』(良品計画著 KADOKAWA)を読みました。 西友のプライベートブランドとして1980年に創業して、20年目に躓いたそうです。それを機会に、「MUJIとは何か?」思索を深めて業績を回復。今日では「役に立つ」を掲げて、本業とは別の多角化も推し進めています。 「本業を鍛える」の見出しの個所に目が留まりました。『現在の小売業の使命とは、豊かさと引き換えに失ってきた、あるいは分断されてしまった「自然と人」「人と社会」「人と人」の関わりを取り戻すことです。』 業績が悪化したことで、会社の原点、アイデンティティーを見直されましたが、その時、取り巻きのデザイナーたちの助言が大きかったと思いました。デザイナーたちは思考を形だけでなく言葉にする人でもあるのでしょう。 2018年8月7日(フェイスブック)
先月フォームレディーの竹原社長のもとを訪れました。白い琺瑯製Kaicoシリーズを展開している会社ですが、ちょうどその場に、野田琺瑯の野田靖智新社長もおられました。国内で琺瑯製造に関わる2社の代表を目の前にしました。 琺瑯は、金属の表面にガラス質の釉薬を焼き付けたもので、陶器やガラスと同じ素材となります。そのため金属劣化や金属臭もなく、食品保存には最適です。しかも、油汚れを気持ちよく落とせて、洗い映えのする素材です。 ところが、国内で琺瑯を製造できるところは少なくなっています。瀬戸市にあったエジリーが廃業となり、富士琺瑯は工場を海外に移しています。そんな中で、日本製にこだわっているのが、フォームレディーと野田琺瑯です。 白い琺瑯は、機能性だけではなく、外観も美しく、食材を引き立てます。しかも、ルクルーゼやストウブのように重くなく軽くて扱いやすいのです。お二人を前にして、この琺瑯の素晴らしさを伝えて参りたいと襟を正しました。 そこで、今月はKaicoシリーズのキャンペーンを実施しています。同じく美味しく安全性にこだわる国産調味料会社とのコラボ企画となっています。 2018年8月6日(フェイスブック)
百貨店の卸問屋でもあるワイヨットさんの展示会で印象的であったのが輸出専用商品でした。made in JAPANの活路は世界にあり。少子化や女性の社会進出で、料理道具の国内需要が頭打ちの状況での一つの打開策です。 主に中国や台湾を対象に、サイズ大きめの道具をセレクトされていました。また、これも問屋ならではありますが、その展開は、単体のスポットでなく「日々道具」という多品種の括りで取組まれていました。 国内の大手小売店や商社と連携する道もあるのでしょう。まずは、海外の流通に関して学んでいく必要がありそうです。また、輸出の試みはこれまでもあったと思われますので、その反省を生かすことも大切でしょう。 近隣アジアに向けての宅配便網が整備されてきたら、中小小売店でも通販を通じて海外展開ができます。また、海外からの旅行客に向けての展開は進行中です。アジアへの販売は当たり前の時代を迎えつつあります。 2018年8月2日(フェイスブック)
百貨店の卸問屋でもあるワイヨットさんの展示会に訪れました。そこで、家事問屋を展開する下村企販さんの営業マンとお話する機会がありました。問屋という名前が付いている意義を改めて教えて頂きました。 家事の道具を製造する地場産業が集積するのが新潟県燕市と三条市です。この国内の産業を守り、これからも作り続けることを目指しています。それができるのは、一つのメーカーではなく、われら問屋だと自負されていました。 問屋無用論が叫ばれる今日ですので、頼もしい限りでした。一昔前の問屋とは、メーカーを束ねて、業界全体を導くリーダー的な存在でもありました。そこには、こうしたいとの明確なビジョンとともに、プライドと行動力がありました。 この時代、目先の売上のみに目が行きがちですが、社員を見守りじっと耐えている社長の姿が思い浮かぶようでした。売上を確保しつつ、正しい方向性に導いて行く。家事問屋シリーズは正しい方向性であり、皆さんも応援して下さい。 2018年8月2日(フェイスブック)
極JAPANを製造するリバーライトさんを訪問しました。国内でモノ作りをされるメーカーの社長として、2つのデーターを提示してくれました。国内の人口が減っていくこと。女性の社会進出が進んで夕食を作る時間が無いこと。 そこで、岡山さんが見据えていたのは世界でした。そのことは、リバーライトのホームページで分かりますが、10以上の言語で表現されていることです。もはや、国内だけでとどまっていてはならない。世界に打って出る。 国内販売ではオフィシャルショップ制度を構築して、スタートから当社も参加させて頂いています。今までの販路と違った大手通販会社や家電量販店のルートを模索されている。今回は、この制度の在り方も議論させて頂きました。 それでも、作り手と売り手の信頼関係があってこそ、モノは売れていく。時代の変わり方は激しく、それに対応していくこと。しかし、ぶれてはならない。周りの状況を変えることではなく、自社が私自身が変わることこそ問われています。 2018年7月31日(フェイスブック)
中村銅器製作所さんを訪問いたしました。made in TOKYOであり、北千住から東武スカイツリーラインに乗り換えて、梅島駅で下車。スカイツリーをのぞみながら、徒歩10分にある住宅街の中にある工房です。 印象的だったのは、中村さんと3人の息子さんたち、親子4人で作業をしていた光景でした。2人の息子さんは、隣り合わせで機械の前に座り、ひたすら雪平鍋となるアルミ板に、打ち出し模様を入れていました。 親子でモノづくりをされている、これが昔の日本では当たり前の光景であったのかもしれません。親父の後姿を見ながら熟練の技を自分のものとしていく。中村さんは、銅の内面に焼き付けるスズ引きの作業を披瀝してくれました。 帰りは梅島駅まで、ご長男が自動車で送ってくれました。若者たちがモノ作りに励んでいる。そんな彼らと触れ合うことは、私の仕事へのモチベーションが高まる時です。そんな彼らが魂込めて作る卵焼き器を応援して下さい。 2018年7月31日(フェイスブック)
山崎製パン総合クリエーションセンターを訪れました。そこには、創業者の飯島藤十郎夫妻の銅像があり、それは山崎の社員だけではなく、私のような一介の経営者にとっても、創業の原点に回帰することを促してくれるようでした。 綱領には「各人が自由な決心に基づき、正しき道につき、断固として実行し、自主独立の協力体制を作り」の言葉に目が留まりました。その建物内の至るところには、会社の精神や方針が言葉として明示されているのが印象的でした。 顧客本位。私たちの使命は何か。新宿中村屋の相馬愛蔵と経営学者のピータードラッガーの思想を単に学ぶだけではなく、実体験を通じて、それを自分たちの血肉としていると感じました。そこに自由があるのでしょう。 あなたの顧客は誰か。その顧客の価値は何か。ドラッガーの問いは続きますが、絶え間なく考え続ける姿が伺えました。その日も社長が自らバイブルスタディーを主宰。私も自分で考えて、さらにそれを深めて参りたいです。 2018年7月31日(フェイスブック)
食品会社との提携を模索しています。愛知県三河地区にある白だしを製造する七福醸造さんは、「大切な家族・子どもに食べさせたい!私達がそう思える安心な物」を製造販売されています。 こちらのページも参照下さい。 ご縁あって昨年からコラボ企画を実施していまして、今回で3回目となります。8月2日より1か月間、当社の琺瑯製「Kaicoシリーズのお鍋」のお買上で、七福醸造さんの「そうめんつゆ360ml」を特典としてお付けいたします。 お鍋も調味料も国内製造はもちろんのこと、ユーザーのことを想い、こだわりをもって地道に製造されてきた点で同じです。そんな両者を使うことで美味しさが足し算ではなく、掛け算のように増すのかもしれません。 今後も国内で確かな食品を作られている会社と提携して、お互いの色合いを引き立たせて、お互いを高め合って行けたらと希望します。お値打ちな海外量産品に負けることなく、がんばれ日本!で販売して参りたいです。 2018年7月28日(フェイスブック)
道具の販売を通じて、生活のスタイルを提案したいと思い、今回で3回目となります。実際に道具を使って、何ができるのかを見て頂くことも大切だと思っています。 そのスタイルとは、自分で食べるものは、自分で作る。自分の子供たちや、自分と同じ男親に向けたメッセージの色合いが強いかもしれません。 ユーチューブの動画もあげています。あくまで、道具を販売する自分が作っている点がポイントであり、ありのままで表現するようにしていますが、それでも何度も撮り直して、このレベルではございます。 また、こちらは併せてモニタープレゼントを当店ホームページで実施していまして、数名にプレゼントして、使った感想やお写真を頂いています。 それがこちらのページとなります。 2018年7月27日(フェイスブック)
「コト消費」の嘘(川上徹也著 角川新書)を読みました。ちょうど道具講座を開催していて、モノ消費ではなく、コト消費が叫ばれる昨今、書店で目に留まりました。 コト消費とは、体験をすることであり、道具講座でも実際に使って体験頂くことであれば、コト消費となります。そして、コト消費を通じて、モノ消費につなげていくことが重要だと著者は訴えています。 モノを買うことでコトを体験できる。コトを体験することでモノを買いたくなる。このコトモノ消費こそ重要だと。さらに、モノガタリ消費が必要であると。すると、顧客との関係性が深められて、末永く商売ができる。 そのモノガタリとは何か。その小売店の顔であり、アイデンティティ。それを分かりやすく語ることだと。当店のモノガタリとは何か。「made in JAPANの定番道具を、長く売り続けて、世界に伝えていく」 2018年7月23日(フェイスブック)
本日実店舗で道具教室を開催しました。道具教室を行う目的は、ユーザーの皆さんに道具を使いこなしてもらうことです。意外と自己流で使ってしまっている方も多いため、正しい情報をお伝えして参ります。 今回は3回シリーズで、第一回「餃子を美味しく焼く」(7月7日 7名参加)第二回「IHでフライパンを使いこなす」(7月14日 3名参加)今回の第三回「初心者の包丁研ぎ」(7名参加)でした。ご参加頂いた皆さん、ありがとうございました。 実店舗の会員が現在2000名程いますが、その方たちにセールの告知とあわせたダイレクトメールで、今回の教室を募集いたしました。のべ17名ですが3回とも参加頂いたご夫婦もおられました。 来て下さる皆さんの勇気や意欲を大切にして参りたいです。今回も自分なりに、プロではなく、一般の家庭の方を対象に、敷居を低くして手軽に研げる提案をさせて頂きました。 2018年7月21日(フェイスブック)
愛知県豊橋市の駅前で商店を経営しています。金物店として、主に家庭用の生活の道具を100年近くにわたり販売して参りました。私で4代目となります。 1998年にネット通販「料理道具専門店 フライパン倶楽部」を立ち上げて、2007年に実店舗「料理道具専門店 TAKATSU」は18階建てのマンションの1階部分に新装開店して今日に至っています。 ネット通販から20年、実店舗新装開店から10年を迎えて、改めて、物を販売する小売業とは何であるのかを問われる今日です。 今一度、顧客と取引先はじめ関係者の皆さんと向き合い、当社の存在意義を見つめ直してみたいと思います。どなたでも、お気軽に感じたことをご投稿下さいませ。 2018年7月21日(フェイスブック)
こちらの日記ですが、週に1回程度の頻度で10年以上綴って参りました。 折々に読者の皆様からも励ましを頂き、改めて御礼申し上げます。 この場は私にとって、自分を省みる、考え方を整理する場でもありました。 先日五十の節目を迎えて、このテキストだけの日記の形式を少し変えてみたいと思いました。 今後は、写真や動画も交えて、 フェイスブックから発信して参ります。 今までは生き方全般までを書いてきましたが、よりビジネスのことに絞って参りたいと思います。 テーマとしては、「明日の小売業」を念頭に置いてみたいです。エフアールカンパニーとは何か。 会社の在り方を求めて参りたいです。 また、時に読者の皆さんとダイレクトに対話ができるように、ともに考えるスタイルをとって参りたいです。 その点で、フェイスブックが相応しいと思いました。 基本的に、代表者である私のビジネスの上での行動を記録して参ります。 そこで、出会った人、出会った書、出会ったモノをご紹介して、その時に考えたこと感じたことを率直に綴って参りたいです。 引き続きおつあい頂ければ幸いです。 2018年7月28日
今週は、広島を訪れる予定でしたが、豪雨により急遽取り止めとなりました。 ただ、予定の前半では大阪での商用があり、倉敷まで足を延ばしてみることにしました。 事前に状況を確認したところ、倉敷駅前のゲストハウスが宿泊を受け入れて下さり、一泊いたしました。 大原美術館などのある美観地区は、何の影響もなく、普段通りでありました。 19時近く倉敷駅に到着すると、南の空に、ほのかに虹が架かっていました。 改めて、災害の前での人間の無力さと、それでも希望をもって進んでいくことを天が語っているようでした。 翌日、大原美術館を訪れて、エル・グレコの「受胎告知」を鑑賞しました。 天使からのお告げに対して、「なぜ私がこんなことに」女性はつぶやくことなく、 覚悟をもって静かに受け入れている。それは、準備された心があったゆえなのでしょう。 約束通り、しばらくすると、救い主の誕生という大きな喜びが待っていました。 見上げる女性の眼差しは、目の前の現実ではなく、その向こうに注がれていました。 それが日本語でいう信じて仰ぐ、信仰と表現できるのかもしれません。 2018年7月14日
高校の生物部の顧問をしている同級生の先生から、ある言葉を教えていただきました。 chance favors only the prepared mind.チャンスは、準備された心のみを好む。 先生は微笑みながら、さらりと「高津さんも、準備された心を持つと良いですよ。」 もともとは、パスツールの言葉であるようですが、DNAの二重らせん構造を解明した ワトソンとクリックの言葉だと伺いました。 そんな彼らの偉大な発見は、偶然ではなく、準備された心によってもたらされた。 この言葉の前には、「観察において」と特定されていますが、 それは、人生でも商売でも同じように感じます。 果たして、準備された心とは何であるのか。 観察においては、その観察対象に対して謙虚でなければならない。 それは、素直な心とも言えるでしょうか。 商売においても、素直な心で観察する必要があります。 顧客、取引先、従業員の声に耳をすませてみる。 自然界にも理があるように、商売にも同じく理があるように感じます。 心の底から関係者の皆さんに「ありがとうございます。」が言えたら、 それこそが、準備された心なのでしょう。 2018年7月9日
私の弟から誕生日プレゼントを頂きました。 それは、丸善で購入したパーカーのボールペンでした。 パーカーの設立年がsinceで記載されていましたが、 丸善の包装紙には、パーカーの歴史より古いsince1869とありました。 丸善は、わが国初の株式会社であり、その設立趣意書には 「今この貿易・商売の権益を外国人に独占され、黙ってこれを傍観するのは 日本人である私の義務に背くと言わざるを得ない」 その会社の会計で複式簿記を採用したのが故郷の中村道太であり、 その会社の従業員の福利厚生から生命保険会社が設立されて、その社長に就任したのが故郷の阿部泰三でした。 二人とも福沢諭吉の独立自尊の精神で事業に取り組み、丸善は150年を迎えようとしています。 この時期にも同じく、異国の大手通販会社に権益を独占されようとする事態が生じている様相です。 このボールペンは、小さくとも独立の気概を持つことだと示唆しているようです。 弟からは「まずは健康第一で素直に生きてくことが大事かなとも思っております。」 ここに齢五十の手がかりがありそうです。 2018年6月23日
太平洋の波を受ける御前崎を訪問いたしました。 映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台となった燈台の下に、 おばさんが一人で切り盛りしているお土産店がありました。 そこのお店は、今年で50年を迎えて、ちょうど開店の時に、娘さんを出産されたお話を伺いました。 震災以降は、ぐっと観光客が減ってしまったことを寂しく語ってくれましたが、 一人でお店を守っているお姿には、何か強い思い入れを感じました。 その後に、停止している浜岡原子力発電所を訪れました。 ここの原子力発電所もちょうど50年を迎えていました。 建設時の地元の方との交渉が映像化されていました。 三千人以上の雇用を生み出して原発の街となったのですが、原発は止まったままです。 水と同じく電気も、その歴史をたどると、支払っている料金以上の何かが背後にあったことが分かります。 そして、お店という存在も同じかもしれません。 それは、喜びも悲しみも幾歳月が詰まったものでしょうか。 大きな時代の波も受けている街を訪れて、守っていくべきもの、変えていくべきものは何か。 同じく自分の店も問われていると思いました。 2018年6月14日
五十歳の誕生日を迎えました。 「気がつけば五十路を越えた私がいる」竹内まりやの「人生の扉」が歌える年となりました。 誕生日を迎えて、導かれるように訪れたのが、豊川用水の二川チェックでした。 私の住んでいる二川には、東海道本線、新幹線、国道一号線の地下に、 豊川用水が通っているのですが、ここの工事は一番の難関だと言われていました。 この二川から、田原市のある渥美半島に至ります。 今でこそ、この渥美半島の農業は、日本一の農業生産額を誇りますが、それもこの豊川用水の恩恵でもあります。 そして、この二川チェックには、工事で殉職された16名の方々の名前が刻まれている慰霊碑があります。 そこは、豊川用水が一気に地下に下るサイホンと言う施設がある小高いところで、渥美半島が一望できます。 その日も、優しい初夏の風が吹き抜けていました。 豊川用水が通水した昭和43年5月は、私の誕生日と重なります。 「ひとつひとつ 人生の扉を開けては感じるその重さ」 ようやく扉の重さを感じれる年となり、人知れず流れる豊川用水と慰霊碑から、命の重さを教えて頂いたようでした。 2018年6月6日
NHKのEテレ「100分de名著」にて、神谷美恵子さんの「生きがいについて」が紹介されていました。 4回シリーズの第3回「生きがいを奪い去るもの」では、 失明したジョン・ミルトン、障害者の子供を授かったパール・バックの苦悩が語られていました。 彼らの「失楽園」「大地」と言った文学作品は、そんな苦悩から生み出されて来たことがよく理解できました。 「私が弱ければ弱いほどあざやかに輝き、私が盲になればなるほど、私の視力は明らかになるであろう。」 光を失ったミルトンは、その生きがいが表出されて来たと語ります。 久し振りに、テレビの前で嗚咽してしまいました。 しかも、解説していた若松英輔君は、同じ時期に大学で学んでいた同級生であり、 彼の活躍ぶりを頼もしく思いました。 最近も、苦海浄土の石牟礼道子さん、イタリア文学者の須賀敦子さんなど、 いのちの言葉を紡がれる文学者たちを分かりやすく紹介されています。 ちょうど今月五十の誕生日を迎えたのですが、エールを送って頂いた誕生日プレゼントのような番組でした。 御礼とともに、私も同級生に負けてはいられないと思いました。 2018年5月30日
父母の会の退任式があり、お役御免となりました。 その時に、校長先生から感謝状をいただきました。 そこには、校長先生自身の言葉が書かれていて感銘を受けました。 「熱血漢」との言葉を頂いたのですが、そのように見て下さったのだと、 照れもありましたが嬉しくもありました。 何かに熱中できるのは、熱中できるものを与えて下さったゆえであり、 私から熱を引き出してくれたのだと思いました。 また、校長先生はじめ学園の先生方こそ熱血漢あるいは熱血女であり、 その熱を私は頂いたようにも思いました。熱は伝染するものでしょう。 あわせて、ホテルの大きな会場で花束を頂いたのですが、優しく温かい気持ちに包まれました。 ユーミンの「優しさに包まれたなら」という歌が心の中でかかりました。 舞台上の私の目には、400名近くの父母の仲間たちや先生方が映っていました。 その優しさは、そんな皆さんからのメッセージであり、幸せという感情は、この優しさを言うのだろうと思いました。 その時、幸せを仕合せと書く意味が分かったようでした。 花束を頂いた時の感情を、これからの道標として参りたいです。 2018年5月22日
大谷翔平選手が大リーグで活躍しています。 二刀流で話題となっていますが、これは日本の剣術流派のことで、 英語ではtwo way playerと表現されます。 10年以上前ですが、小学校時代にお世話になった先生にお会いした時に、 私の顔をじっと見て「高津、二足の草鞋を履け!」 二足の草鞋も独特の言い回しですが、言葉がある以上は、先人たちはそれを行って来たと想像できます。 今日振り返ると、長女の娘が小学校6年生の時から、長男の高校卒業まで10年近く PTAおよび父母の会に関わらせて頂きました。 今週末で一区切りとなりますが、公私の二足の草鞋を思いました。 私の仕事とともに、公の仕事に励むことが、そのどちらにも良い結果をもたらす。 楕円には、二つの中心点がありますが、その二つの軸を持つことで、バランスと安定がとれる。 どちらからも冷静になって客観的に物事を見ることができる。 先生の言葉は、その時にはよく分かりませんでしたが、正鵠を得ていたと今日分かります。 この時代、私たち国民は、公を見直して、公私両立させる二刀流が求められているのだと思います。 2018年5月10日
娘が珍しく漫画の本を購入してきました。 それが「昭和天皇物語1」(能條 純一著 小学館)若き昭和天皇の凛々しいお姿が 表紙となっていました。冒頭は、クライマックスとも呼ぶべき 連合国軍最高司令官マッカーサーとのアメリカ大使公邸での会見です。 そこで、「私は全責任を負います」昭和天皇の発言に、マッカーサーは魂を揺さぶられます。 「この人物が辿った人生を知りたい」 物語は、昭和天皇の幼少時に戻って、養育係の足立タカという女性が登場します。 後の鈴木貫太郎夫人となる人物ですが、昭和天皇は「タカのことは、母のように思っている。」 そして、乃木希典、東郷平八郎、杉浦重剛との関わりが描かれます。 彼らと同列に扱われていたのが、娘と同じ年頃の女性だったのです。 先週、南北首脳会談が朝鮮半島の板門店で行われました。 北朝鮮の指導者の変貌ぶりに世界が驚きました。 そこにも傍で仕えていた女性たちの存在が注目を集めました。 この世界は、女性の力で動いているのだと思えて参ります。 一人の女性は偉大なり。女性は、人を変え、国を変え、世界を変えます。 2018年4月30日
昨年末、ボクシングの尾川堅一選手が王座決定戦を前に、 母校の桜丘学園を訪れて生徒たちから激励を受けていました。 そして、ラスベガスの地元米国人との一戦で、見事勝利してチャンピオンとなりました。 ところが、その後ドーピング検査で陽性反応が出て、先日その試合が無効との裁定が下されました。 それでも、日本拳法部の顧問として尾川選手を指導してきた川原元則先生は 「勝負に真剣な選手。不正をすることはあり得ない。 復帰には精神の強さが必要。努力と精神力で必ず立ち上がると信じている。」 そんな声が大きくなり、本日地元の中日新聞では、 「豊橋の関係者、尾川選手に再起を」エールを送ってくれたような心温まる記事でした。 後援会長の前豊橋商工会議所会頭の吉川一弘さんもキッパリと 「もう一度チャンピオンになってもらうために応援し続ける。」 尾川選手は、その運命をぐっと飲み込んで、ご自分を一段高いところに置いて 「プロとしての自覚が足りず、申し訳ありませんでした。」 私としては、チャンピオンを剥奪されようが、これぞチャンピオンだと思いました。 2018年4月21日
明治維新より150年を迎えて、日本の自由の歴史を顧みています。 それは150年前に、長崎の信者3394名を全国に配流。 その地で私刑や拷問が行われて662名が命を落としたと語り伝えられる宗教弾圧。 ようやく明治6年に至り、基督教禁制の高札が撤去されて、自由を貫いた高木仙右衛門たちは解放されます。 時の政府には、異国には追随しない、徳川幕府以来の日本の強い意思を感じます。 そして戦後、心ならずも米国に追随する安保体制となり、日本の心は失わないぞと意地を張る。 基督教が日本で広まらない一つの要因は、基督教を異国の宗教と見なす、 日本人の独立心の強さではないかと思えて参ります。 同じく独立心の強い内村鑑三など明治期の信仰者は、異国と基督教を峻別していました。 信仰者は、高木仙右衛門のごとく、お上に迎合せず、一人立つ自由をもっています。 ところが、信仰の自由の恵みに浴してしまい、信仰の実質である独立心が失われつつある。 そこで、信仰をもつ人たちが今日、その自由に生きることができれば、 日本人は本来の日本人になれるのだと思います。 2018年4月19日
TBSテレビの「テレビ史を揺るがせた100の重大ニュース」の中で、今までその事実を知らないでいた 大変衝撃的な事故がありました。いつもは明るいコメント席の芸能人たちも沈痛な面持ちでした。 1977年、米軍機が厚木基地から飛び立ち、整備不良で横浜市の民家に墜落。 パイロットはパラシュートで脱出するものの、三歳と一歳の兄弟とその母親をはじめ9名が負傷。 二人の子供は翌日亡くなり、母親は一命を取りとめたものの、わが子会いたさに懸命にリハビリに励む。 事故から1年3か月後に事実を知った母親は、精神を患い、事故から4年4か月後に亡くなる。 母親のお兄さんが、当時を回想されていて、ぼそっと米軍からは何の謝罪もなかったと。 今日の沖縄、オスプレイの問題とも重なります。 国もマスコミも、この事故を公にすることを控えたのかもしれません。 港の見える丘公園では、この母子3人の像があるそうですが、 その像は問いかけているようです。このままで日本は良いのか。 他国に守られている背後で犠牲になっている人たちがいる。 今こそ、自分事ととらえて行動していく時です。 2018年4月10日
イースターは、春分の日から満月が出た後の最初の日曜日。 3月31日の土曜日が満月でしたので、今年のイースターは4月1日。 ちょうど当地では、桜満開のイースターとなりました。 欧米では白百合の花が象徴物ですが、わが国のイースターには桜が相応しい。 そんな折に、父母の会の仲間から一枚の絵手紙が届きました。 「春はあけぼの やうやう白くなりゆく 山ぎはすこしあかりて むらさきだちたる 雲のほそく たなびきたる」 この季節は、新しい年度や生活を前にして、怖れや不安がつきまといます。 その時、桜の開花は、あけぼのの光景は、ふつふつと勇気や希望を与えてくれます。 ちょうど30日にウィンストン・チャーチルが封切となり、思い出したことがありました。 ある大先輩がお隣の街の市長となり、当初議会と折り合いがあわず苦戦していることを耳にして葉書を送りました。 そこにチャーチルの言葉をしたためました。「あきらめるな。あきらめるな。あきらめるな。」 今年のイースターは、満開の桜を通じて、友の絵手紙を通じて、その言葉が自分に返ってくるようでした。 2018年4月2日
息子がお世話になる高校の父母の会で、反省会という集りがありました。 ちょうどその日は、私たち夫婦の結婚記念日でした。 卒業した息子たちが、卒業式で合唱した「麦の唄」が未だ心に響いていました。 NHKの朝のドラマの主題歌で、異国の地から来た女性が、夫婦でウィスキーを作る。 その女性の故郷を離れて旅立つ覚悟を歌っていました。 その時、息子たちの在学中に結婚された女性の先生が重なりました。 先生は、研修旅行のバスの中で、結婚して家を出た時の心境を語ってくれたことがありました。 麦の唄は、卒業生と言うよりもお嫁に行く女性の覚悟を歌い上げているようでした。 その反省会で、留守をしている家内のことを思い出しながら、 そんな想いに答えきれていない自分に気づかされて反省していました。 それを挨拶で吐露すると、ある先生が「私は昨日結婚記念日でしたが、 昨日は夜遅くまで校長と飲んで付き合っていました。」 さながら、反省会は、妻への反省会となってしまいました。 けれど、それこそ本来の父母の会であり、翌日ケーキを買って家内とお祝いしました。 2018年3月26日
掛川市の山奥にある「ねむの木こども美術館」を訪れました。 1階に受付があり、2階の展示スペースまでは、小高い山となっている庭園を通って行きます。 ちょうど、紅白の梅が優しく咲いていました。 その母体の学園を運営する御年九十の宮城まり子さんは、日本初の肢体不自由児養護施設を創設して40年の歳月が流れようとしています。 たまたま開かれていた雑誌のインタビュー記事に目が留まりました。 この施設を始める時に、3つの約束をしたそうです。 お金がないと言わないこと。愚痴を言わないこと。やめないこと。 それが、かえって今日まで宮城さんを支えた言葉のようにも思いました。 広大な敷地にあった私立学園を運営することは、大変なご苦労があることを想像できました。 明日はどうなるかと心配は常につきまとうのでしょう。 それでも、明日は明日の風が吹いてきた。 平昌オリンピックのNHK放送テーマソング「サザンカ」の歌詞に 「いつだって物語の主人公は笑われる方だ」その主人公に宮城さんが重なりました。 そして、笑うあなたは何者かと問われているようです。 2018年3月19日
高校生の息子が卒業式を迎えました。 その学園では、卒業生の父兄たちが卒業会派を作って、引き続き学園を支援して参ります。 会派名の名前を付けることから活動は始まるのですが、「紬(つむぎ)の会」と名付けられました。 糸偏に私の名前の一部である「由」があり、親近感を持ちました。 果たして、紬とは何であるのか。卒業式後にホテルで開かれた会派の発足式で、 駆けつけた先輩が紬織の和服を来て紹介してくれました。 屑繭と言われる、捨てられるような繭から糸を取り出して、主に庶民が着用していた織物。 織物にするには、手間暇がかかるものの、着るごとに着心地が良くなる。 見た目の華やかさはありませんが、わびさびのような渋みがある。 それは、着る人を引き立てる着物本来の美とも言えるでしょうか。 そんな紬に、子供たちが重なりました。 子育てには、手間暇と時間はかかりますが、少しづつ成長して、やがて誰かを輝かす人となる。 その発足式の締めでは、父兄とお世話になった先生方で心温かに合唱しました。 「信じることさ 必ず最後に愛は勝つ」 2018年3月10日
親戚のおばさんの四十九日の法要がありました。 ご主人のおじさんも昨年亡くなったばかりで、後を追うかのようでした。 おばさんは、大学入学で上京した時に、私の住むアパートをお世話してくれました。 私たちの結婚式にもお二人で駆けつけてくれて、長女が誕生した時には、玩具を贈ってくれました。 いつも和服姿で、言葉遣いが上品なものの、はっきりと物言いができる方でした。 お二人とも戦前のお生まれで、戦後の厳しい時代を乗り越えて来られました。 私の中では、お二人の死を通じて、ようやく戦後が終わったような感覚でした。 その法要には、私と同じくお二人にお世話になった同世代の親戚たちが参加していました。 今度は私たちの世代が、自分の足で立って次の世代につなげて行く。そんな緊張感も少し覚えました。 彼らも、今では責任ある立場となり、同じことを感じていたのかもしれません。 お墓に訪れると、穏やかな小春日和で、梅の花が鮮やかな赤で咲き誇っていました。 なんだか、おばさんが微笑んで私たちをじっと観ているようでした。 「よっちゃん、あなた肩の力を抜きなさい。」 2018年2月26日
自分の子供たちと同じ年頃のアスリートたちが、日の丸を背負って、オリンピックで戦っています。 贔屓目で見てしまうのかもしれませんが、自分たちの世代よりも素直な子たちが多いと感じます。 また、素直だからこそ、世界のトップまで上り詰めて、よい成果をあげているようにも思います。 そして、彼らは、しばしば周りへの感謝を口にしてくれます。 そのようなアスリートたちを育てて来たのが、私たちの親世代とも自負できるでしょうか。 私たちの世代は、自分たちはあまり陽の目を見なかったかもしれませんが、 育てることに賜物を授かっているとも言えそうです。 どこか、私たちの世代は、勝ち切れない負い目あるいは悲哀を持ち続けているのかもしれません。 それが150年の悲哀をなめて来た日の丸の歴史とも重なります。 勝った時よりも、かえって負けた時にこそ、情感を深く揺さぶられる。 勝った時でも、必ず目の前には負けた人がいて、その気持ちを自然と察する。 きっと、このことを子供たちに伝えて来たのかもしれません。 それが武士道でもあり、日の丸の心なのでしょう。 2018年2月17日
クックマートという食品スーパーが、私の自宅近くに新しい店を出しました。 そこの社員の方とは、中学生に仕事を教える企画でご一緒させて頂いたことがあり、 楽しく仕事をされている姿が伝わって来て印象的でした。 先日そこの社長である白井健太郎さんの「人を育て価値を創造する食品スーパー」と題した 講演会が開催されました。 デライトという社名は、人を喜ばせる楽しませるという意味があるそうで、 会社の理念を「自分が成長し周りの人に喜んでもらう」と表現されていました。 そんな折、気仙沼の漁師たちが編んだセーターのブランド化に取り組んでいる 御手洗瑞子さんのことが朝日新聞のグローブで紹介されていました。 小学校6年生の時に、学校で先生に「将来は何になりたいのか」答えられず家に帰ると 母親が諭したそうです。「何になりたいかより、どう生きたいかでしょう」 その言葉に私も諭されたようでした。ありし日の渡辺和子さんの言葉も思い出されます。 「置かれた場所で咲きなさい」何どこ何時よりも、本質はどうにありそうです。 会社の究極の目的もそこにあります。 2018年2月10日
評論家の西部邁さんが、デモクラシーは民衆政治であり、民主主義と訳すのは誤訳だとしばしば言われていました。 それは、民主の主は主権であり、主権とはsovereignty。 それは崇高性であり、人間には全く及ばない。 しかし、崇高な方がおられて、崇高なものとして人間を扱っている眼差しがあります。 そこに、主権の淵源を見ることができるように思うのです。 あくまで、人間そのものを見つめれば、西部さんの言われる通りなのだと思います。 しかし、人間は信じるという聖域が与えられている。 信じてはじめて、その崇高なものに至れるのだと、これまた信じたいのです。 思想家のジョン・ロックは、人間は生まれながらに権利をもつと表現しました。 その時、その権利を付与した存在が前提とされています。それが、欧米で言う創造者です。 その創造者を欠いた権利として理解されれば、その権利は人間の都合に過ぎず、絶望はさらに深くなります。 江藤淳先生も西部邁さんも、その思想の背後にある創造者の眼差しに気づいてくれていたら、また違っていたかもしれません。 2018年2月2日
会社を経営するようになって感じていることは、 社会保険等の各種保険・年金・税金などの仕組みが複雑であることです。 国民のための制度が、国民には分かりにくくなっていないか。 これらの仕組みはシンプルなものが望ましいです。 そんな中、消費税の軽減税率制度をテーマにした税務署の研修会に参加して参りました。 来年10月から消費税が10%になりますが、酒類・外食を除く飲食料品は8%のままで混在する予定。 これは、生活弱者のための救済策でもあるようですが、複雑な問題が生じます。 例えば、ファーストフード店で飲食物を購入した場合、店内で飲食すれば10%、持ち帰れば8%です。 持ち帰りで購入して、店内で飲食するモラルの低下を招いてしまわないか。 それ以上に事業者の立場からは、レジでの計算と帳簿記載が非常に複雑となります。 この制度も趣旨は良いのですが、運用面では多々問題がありそうです。 まだ猶予期間はありますので、国任せにせず、国民が声をあげて行く時です。 2018年1月27日
社長となって、商人とは何かを考える今日この頃です。 商人にとって、お金を稼ぐことは重要です。 ただそれは、手段であって、目的ではありません。 そのお金を通じて、税金を納めることができる。従業員に給料を渡すことができる。 取引先に支払いができる。それは、責任を果たすことであり、 それが商人の目的の一つだと思います。そのため、商人は汗を流してお金を稼ぎます。 稼がなければ、責任を果たせないからです。 そんな時、SEKAI NO OWARIの「RPG」の歌詞が心に響いて来ました。 「方法という悪魔にとり憑かれないで、目的という大事なものを思い出して」 商人にとって、お金を稼ぐことが目的になると、悪魔にとり憑かれているのでしょう。 そして、2番の歌詞には「世間という悪魔に惑わされないで、自分だけが決めた答を思い出して」 この二つを思い出すことができれば、悪魔は退散していくのでしょう。 そして、海を目指して歩きながら「RPG」は終幕を迎えます。「怖くても大丈夫。僕らはもう一人じゃない。」 商人の責任を果たすために、仲間とともに、稼いで参りたいです。 2018年1月19日
今年の夏に100回目を迎える高校野球選手権大会で、メジャーで活躍するダルビッシュ投手が 朝日新聞紙上で苦言を呈していました。タイトルは、「球児よ、頑張り過ぎなくてよい」 いわく「ほとんどの強豪校では、基本的に監督という絶対的な存在がいて、 監督が右と言えば右です。そういう社会では言われた通り、怒られないようにやるのが一番になってしまい、 考える力がつかない。」 その時、チームプレーである限り協調性は必要であり、同と和の違いを教えていく必要があるのだと思いました。 同とは、不和雷同の同であり、自分を持たずに、単に迎合する。 しかし、本来の和とは、自分を持って、力を合わせていく。それが、先人たちの目指してきた和して同ぜず。 時に意見が違えば、指導者と話し合うことができる。 そして、指導者は子供たちの成長にあわせていく必要もあるでしょう。 いわゆる良い指導者のもとでは、その指導を鵜呑みにしやすく、自分で考えない傾向が強くなりがちです。 私としては、自分を持てるダルビッシュ投手より、その彼を育てた人たちに興味が沸きました。 2018年1月12日
あけましておめでとうございます。昨年、愛知県東部・三河地域の私立高校PTA会長の皆さんとの ご縁を頂きました。10名程の方とラインでつながっているのですが、この年末年始はラインが花盛りでした。 まずは、クリスマスに駅伝がありました。 男子は豊川、女子は光ヶ丘女子の会長さんたちが、前日から早朝から駆けつけて実況してくれます。 そして、バスケットの女子は安城学園。インターハイの覇者を破り、快進撃を続けて決勝まで 駒を進めます。その決勝は、延長でも決まらず、2回目の延長で、惜しくも2点差で敗れました。 そして、昨日は春高バレーの女子で豊橋中央が初戦を突破。 彼らの活躍の背後では、しっかりと支える先生方、父兄の皆さんのいることが分かります。 大晦日のラインでは、ある会長さんが年末の挨拶方々ポロリとこぼしてくれました。 「今年は私の人生の中でも特別な1年でした。PTA会長がこんなに楽しいこととは思いませんでした。 みなさんはどうでしょう?」 この言葉に、ほろりとしてしまいました。 楽しむ大人たちの中で、子供たちは生き生きと育って参ります。 2018年1月5日