二元制の本質
地方自治体は、首長と議会議員を住民が直接選挙で選出する二元代表制をとっています。
そのため、首長と議会が対立する状況はしばしば生まれます。
今回の豊橋市長選挙では、アリーナ(多目的屋内施設)建設を含む事業継続が一つの争点でした。
その結果、事業中止を求める新人候補が当選しますが、議会の多数派は事業継続の立場です。
個人的には、アリーナ建設に関しては、プロバスケットチームの切迫した事情等があり、
もう少し市民を巻き込んだ丁寧な議論ができればと思いました。
それは、ハードである建物のことではなく、豊橋駅からアリーナまでの回遊ゾーンである豊橋まちなかを
どのようにしていくべきか。まずは、豊橋まちなかのビジョンです。
その点で、これまでの商業に代わって、スポーツ芸能を発信できるアリーナは、時代の要請だと感じます。
それは、新市長が掲げる「楽しい子ども時代を過ごせるまちに」も通じます。
そんなまちづくりの議論を尽くす時であり、二元制がねじれた時こそ市民の出番かもしれません。
市長や議会は、改めて市民たちの声に耳を傾けて、冷静に議論をすべき時です。
2024年11月18日
アイミタガイ
お世話になった方が、突然逝ってしまいました。
その死を伝えないようにとのご本人の意思があり、
しばらくしてから身内の方とお会いして、その経緯を伺うことができました。
ご遺族の皆さんには、弔意をお伝えすることよりも、その意思を尊重して、
静かに見守っていくことが大切かもしれないと思いました。
そんな時に、「アイミタガイ」という映画を観ました。
アイミタガイとは、相身互いという言葉が由来で、同じ境遇の人が助け合うこと。
突然人生に訪れる悲しみに対して、いつも助ける誰かが備えられている。
それに気づけたり、実際に助けを受けた人は、今度は自分が誰かを助ける人となる。
その連鎖がどこまでも続いていく希望を分かりやすく描いていました。
自分の知らないところで、巡り巡って、お互いを助け合っている。
私もアイミタガイだと思いました。
その方は、乗馬を愛されていました。馬上から微笑んで「よっちゃあん、自分の道を進もうよ。」
颯爽と人生を駆け抜けたようでもありました。
自分の意思を尊重するとは、相手の意思を尊重することにつなげて参りたいです。
2024年11月7日
国民の良識
今回の衆議院総選挙では、国民の良識を思いました。
与党の議席が少なすぎても国政の運営は難しい。
かといって、安定多数となってもいけない。
天の配剤のような絶妙な議席配分と感じました。
その時、私が高校生の時に、生徒会の副会長に立候補した選挙を思い出しました。
どの候補も信任投票でしたが、会長候補は、ガールフレンドの会計候補と二人で立会演説会に臨みます。
聴衆からのブーイングにケンカ腰で語り出す。結果、二人は落選となります。
遊び心をもつ生徒が多かったのですが、ご年配の先生が、
神妙になって生徒たちのここぞの審判を評価していました。
かたや、私は真面目に熱く語り、「こいつが、意外と曲者」
当時の朝日新聞の投書欄に投稿してくれた先輩がいました。
そのように、国民は政治家たちをじっと見守っています。
「この人民ありて、この政治あるなり。」福沢諭吉の言葉が聞こえてきますが、
国民が政治家を育てる立ち位置にもあります。
今回痛い結果であった方は、ここで決してあきらめないで下さい。
その痛みが、必ず明日への良い政治につながります。
2024年10月31日
国民審査
最高裁判所裁判官国民審査は、どのように判断したらよいのか。
今回、わが故郷出身の宮川美津子さんは、唯一の女性であり、もともと裁判官ではなく弁護士出身。
関与した主な裁判として、「元信者は返金を求めない」とする旧統一教会の念書は、無効と判断。
また、旧優生保護法は憲法違反であり、国に賠償を命じる。
これらの判決から判断するのも一つですが、多様性を考慮すると心構えや態度が大切だとも思います。
宮川さんの経歴は、審査公報によると、弁護士として様々な分野で活躍してきたことが分かります。
ご自身も「最高裁判所の判決が当事者だけではなく社会に大きな影響を与えるものであることを胸に刻み、
事件のひとつひとつに誠実に向き合い、公正で妥当な判断を行えるよう全力で取り組む所存です。」
NHKの国民審査サイトでは、
「最近のできごとでうれしかったことは、ドジャースの大谷翔平選手の活躍です。」
このような庶民感覚には共感を覚えました。
少し地元びいきもあるかもしれませんが、裁判官の皆さんの仕事ぶりを知ることで、
私も負けずに社会に貢献したいと思いました。
2024年10月24日
共苦
大学時代に東京都杉並区に住んでいて、高井戸にある浴風会の老人ホームでボランティアをしていました。
浴風会という名前は、論語が出典で、川で水を浴び、夕涼みをして、お年寄りと子供たちが手を携えて歌いながら帰るという一節から命名。もともと関東大震災等により自活できなくなった高齢者を援護するために設立されました。
そこに、レインボーという喫茶店があり、ウェイターをして、お年寄りと話に花を咲かせていました。
そんな当時の自分を省みる機会を与えてくれたのが、神奈川県川崎市でNPO法人ホッとスペース中原を主宰する佐々木炎さんでした。
コミュニティとは何であるのか。「com(共に)という言葉が意味するように、共に生きる包括的な共同体。
munitは、負担、重荷、好意などを意味して、それらを共有するつながり。」
その著書にサインを頂きましたが「共苦」と直筆下さいました。
そこに佐々木さんの強い覚悟を感じるとともに、自分のあり方を問い掛けているようでした。
ますます高齢者は増えています。もう一度、目の前にいる隣人に向き合って参りたいです。
2024年10月12日
みんなの公民館
焼津駅前通り商店街にある「みんなの図書館さんかく」を訪れました。
すると、その図書館の向かいに「みんなの公民館まる」とあり若者たちが集っていました。
早速図書館の店番の方が、公民館の担当者であった横田伸治さんにつないでくれました。
お話を伺うと、数日前にオープンしたばかりで、その日は法政大学のゼミ生たちが活動をされているところでした。
そこのコンセプトは、「こども・若者の人生の寄り道」
中学生・高校生・大学生を中心に、10代〜20代が自由に立ち寄れる場所とのことでした。
その時、ふるさと納税クラウドファンディング募集中の案内を頂きました。
ここでは稼ぐことが主目的ではなく、持続可能な程度にお金を廻していくこと。
この4月から、わが街にも「ひとなる図書館」が開館しましたが、館長の櫻田純一さんの想いも同じで、
人と街が育って欲しいとの純粋な想いからでした。
お客さんに来てもらうのではなく、ともに作る当事者になってもらう。
寄附の文化を新たに作っていくこと。そして、こどもたちが真ん中になること。
ここに明日の商いを感じました。
2024年9月21日
仕事と生活
これからの商人は、ますます生活を楽しむことが大切だと感じます。
豊橋商工会議所の小売商業部会でお世話になった社長さんから
ワーク・ライフ・インテグレーションという言葉を教えて頂きました。
その方は、休日に奥様とご来店下さり、買物を楽しまれている姿が印象的でした。
社外での人間関係も豊かで、さまざまな皆さんと広くゆるくおつきあいをされている。
その会社の理念は「豊橋市の生活・コミュニティ基盤の発展に貢献します」
経済学者の宇沢弘文先生が提唱した社会的共通資本にも通じますが、医療や教育にも幅広く及びます。
まさに、仕事と生活が一体化している。そんなあり方を社長自らが身をもって示しておられました。
すると、人を助けたり励ましたり、人を育てることにも通じます。
そこには、人間の心および温もりを感じることができます。私も、その恩恵を受けた一人でした。
このたび、この社長さんが豊橋市に定住されることを決断されて、仲間たちと小さな歓迎会を開きました。
社長さんだけではなく、社長さんの生き様まで歓迎して自分のものとして参りたいです。
2024年9月7日
人間の価値
大学時代に学んだマックスウェーバーの論文
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のダイジェストを読む機会がありました。
経済および資本主義が閉塞している中で、経営とは何かを問いかけていました。
プロテスタンティズムの倫理とは、創造者の人間への深い眼差しが底辺にあると思います。
それが資本主義の精神を作り上げた。
その資本主義のもとで組織化された株式会社の経営者たる商人が求めていた価値とは何か。
それは、利益や商品というよりも、究極的には人間の価値であったように思います。
命の尊厳や、命の重さとも表現できますが、単に人間を大切にすることとも言えます。
その人間とは、経営者自身であり、従業員一人一人であり、取引先の人であり、顧客でもある。
この時代は、子どもたちやお年寄り、そして社会的に弱い立場にある人に対しても広げられている。
単に会社だけではなく、会社のまわりにある世界にも目を向けることが求められている。
人間はどうして価値があるのか。自分を大切にすること。そして、他者を大切にすること。
今一度、経営者として自分を省みたいです。
2024年8月27日
村田昭治先生
大学の同窓会で幹事を務める先輩夫妻から、キッチン周りの道具の提案依頼を頂きました。
そのご夫妻は、もともと同じゼミに所属されていて、その担当教授が今はなき村田昭治先生でした。
個人的にも、ゼミ生ではありませんが、商人いかにあるべきかを教えて頂いた恩師のような存在です。
今振り返れば、この商人日記というタイトルも、先生の影響が色濃いと思います。
今日先輩夫妻のお声掛けを通じて、村田先生の著作を読み返しています。
「この時代に、商人はいるのだろうか。」先生の厳しくも優しい声が響いてくるようです。
商人とは何かを整理していました。その冒頭は「商人とは人間を好きな人である。」
そして、そんなピータードラッガー教授の言葉を紹介しながら
「これからは仕事を天命だと思うだけではなく、自分の仕事を少し道楽化してみることも大事だ。」
商人とは真面目一本やりではなく、人間味に溢れていて、面白く楽しい人であるのだよと。
すると、先生の声が聞こえてくるようです。「おいおい、少しゆとりをもちなさいよ。」
本来の自分は、きっとそれに近いと思いました。
2024年8月16日
ふるさと納税
豊橋市の行財政改革プランを検証する委員となり、ふるさと納税がここ数年議論されています。
もはや、ふるさとを想う寄附ではなく、返礼品目当ての競争に至っています。
このような競争は、行政側にも負担を強いて手数料が膨らみます。
すると、返礼品を扱うさまざまな業者が現れて、トラブルも生じやすくなります。
しかも、豊橋市は、流入額は1億円程度で、11億円が他市へ流出しています。
豊橋市の職員は、国からの制度を変えることはできません。
それを受け止めつつ、結果として後手となり中途半端な対応になっていると感じます。
かたや、こんな時は、地元選出の国会議員の出番でもあると思います。
特に与党議員は、この制度を作った側でもあり、責任ある行動を期待したいです。
流出分の75%を地方交付税で補填したり、返礼品は寄附額の3割以下としたりしていますが、
もう一度本質的なところで議論をすべきでしょう。
現状では、ふるさと納税をしないことが、ふるさとを応援することにも至ります。
豊橋市の流出額が膨らむことに痛みを感じるとともに、税金のあり方に目を光らせたいです。
2024年8月5日
砥石屋を継ぐ
商店街で危惧することは、商店と言うよりも自営業者が少なっていることです。
若者たちも、公務員や大手企業に就職する傾向が強くなっている。
そんな中でも、事業を立ち上げたり、家業を継承したりする若者たちがいます。
私の属する業界でも、モノ作りをする会社が廃業する現実があります。
かたや、何とか事業を継承しようと立ち上がる若者たちがいます。
私自身も家業を継承している身であり、そんな若者には大いに共感します。
今回、キング砥石株式会社の渡辺敏郎さんにお会いすることができました。
渡辺さんは、家業を継承する三十歳の経営者です。
「砥石屋なのに、包丁を研いだことがない。」そんなあり方に疑問を持ち、自ら研ぎを学んで、
研ぎ方を伝えながら砥石を販売していました。
そして、「研ぐと良いことを考え、行動していきます。」
今回東京の展示会で始めの一歩を踏み出されて、当店ともご縁を頂くことになりました。
私も刺激を頂いて、良いこととは何かを深く考えて行動して参りたいです。
そこには、継承してきた想いがあり、それを自営業者の気概と呼ぶのかもしれません。
2024年7月21日
雅子さま
天皇皇后両陛下の英国訪問で、皇后雅子さまのお姿がひときわ輝いてみえました。
日本国民も「お帰りなさい」この時を待っていました。
義母の美智子さまが、新美南吉の「でんでん虫の悲しみ」という絵本を紹介していました。
悲しみを背負っていたでんでん虫は、自分だけではなく、みんな悲しみを背負っていることを知り、嘆くことをやめた物語。
主人公のでんでん虫と雅子さまが重なります。
天皇陛下は、結婚時に「僕が一生、全力でお守りします」
同じ痛みを感じて「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
その後、適応障害と診断されて公務を行えなくなります。
それでも、天皇陛下はじめ周囲の皆さんが、じっと見守っていた。
この令和時代には、雅子さまのような悲しみを背負う人が必要とされていました。
同じく悲しみを背負う多くの人たちがいます。そんな皆さんと寄り添えるのが雅子さまでしょう。
明日は、きっとよくなる。雅子さまの存在そのものが、希望を予感させてくれるのです。
さあ、時至りました。これからのご活躍をお祈りいたします。
2024年6月28日
槇文彦さん
建築家の槇文彦さんが逝去されました。
槇さんは、チェリーテラスさんが入る代官山のヒルサイドテラスという複合施設を設計されました。
ヒルサイドテラスが特徴的なのは1969年に第1期の建物が完成して、
その後1998年の第7期まで 30年間を掛けて作り続けて来たことです。
時代の変化に合わせて、少しづつ建築されてきたとも言えるでしょうか。
生前、槇さんが語っていました。
「ヒルサイドテラスは、人と人との安定した関係性、ヒューマンアソシエーションができる場所になっている。」
まず、人間が中心であり、その人間のつながりを尊重されていました。
そこには、文化の息吹を感じます。そこで輝いていたのが、チェリーテラスさんのバーミックスでした。
人と人とのつながりに厚みをまして街が商品を輝かせる。その商品が街を輝かす。
オーナーの朝倉さんは「不動産の本当の価値は、物件の規模だとか新しさだとか、
その便利さとかといった経済的なものだけではなくて、社会的に良い環境を作れるかどうかが重要です。」
この社会的に良い環境を作るお手本を槇さんは示してくれました。
2024年6月15日
O2OとOMO
ネット通販のあり方には、さまざまな形態があるようです。
O2Oとは、「Online to Offline」の頭文字で、インターネット上(オンライン)の情報をきっかけに、
実店舗(オフライン)への来店を促す販売戦略。
かたや、OMOは、「Online Merges with Offline」の略語で、オンラインとオフラインの融合。
ネット通販と実店舗の垣根を無くし消費者の購買意欲を促す。
今後は、どのようなネット通販を目指すべきなのか。そこにお店の個性も表出すると思います。
当店では、「作り手の想いを代弁して、末永く愛着をもって使う商品を提供すること」
決して安くはないが、工芸品のように高すぎない。長い目でみれば、結局お得であることが理解できる商品を扱います。
生活用品を長年扱ってきた実績より、その価値を継承して行きたい。
そして、当店の信用をベースにして、新たな物作りに挑む皆さんのお手伝いをする。
こちらも常に勉強して、新たな商品を提案する。その意味では、まずは物作りをされる皆さんとの関係を深めること。
その上で、どのような形態が相応しいのか。今の体制のもとでベストなあり方を模索して参ります。
2024年6月1日
餃子の王将
餃子の王将が、1967年の創業以来はじめて売上高1000億円を越えたと報道されていました。
渡辺直人社長は「人の手でつくって、人の手で運んで、リーズナブルに食べられる店がすごく減った」と分析。
かたや、王将は、客席から厨房が見えるオープンキッチン。
「ジュワーと音を聞きながら、ブワーと(中華鍋の)火が噴いて、一生懸命料理をつくってくれる店員がいて。
今、お客様が外食に求めるのは、出来立て熱々のおいしさ」
確かに最近は、タッチパネル式の注文、ロボットによる配膳などデジタル化が進んで、レンジで温めるだけのものが増えています。
だからこそ、そこにビジネスチャンスがあるのかもしれません。
食周りでは、単にお腹を満たせばよいだけではない。
人の手と人の心を感じられてこそ、身も心も満たされる。
「好調なのは、目新しいことではなしに、創業当時からやってきたことをブラッシュアップしたから」
当社も単に便利なものを提供するのではなく、本質を見極めて汗を流していくこと。
そして、原点に返って、自分の手でつくる価値を啓発して参りたいです。
2024年5月20日
宗教と公共精神
地方都市で街づくりに関わることで、市民の関心が自分の利益に陥りやすいこと、また目先のことに偏りがちだと自戒を込めて感じます。
経済状況が厳しくなると拍車がかかります。
そこで、楽しくやれること、共通の利益になることを模索しますが、それが本質ではない。
そもそも「みんなのため」は自分の利益を制約することでもあり、時には楽しくないことも生じます。
その時に、手掛かりになるのは、子供たちの存在です。
彼らの視点に立つことで、自分の利益から、目先のことから解放されます。
もう一つは、宗教が問われています。
宗教の理念が、自分だけではなく他者を、今だけではなく未来を見つめる眼差しを与えます。
このことは、フランス革命やアメリカが独立した時代に、政治哲学者であったトクヴィルがアメリカ社会で発見したことでした。
そこでは、宗教を通じてタウンシップが育まれて、みなが集まり話し合って問題解決に当たっていた。
そして、「みんなのため」と表現される公共精神と宗教の関係に注目していました。
読売新聞「地球を読む」で猪木武徳教授は、先進国で進む「教会離れ」を危惧していました。
2024年5月11日
トラさんの消息
JR東海が豊橋市を巻き込んで、ゲーム会社カプコンとともに
アクションゲーム「モンスターハンター」の世界観をわが街に作り出しています。
モンスターを求めて観光客が訪れています。
先日、文筆家の河合清子さんが「私が奥三河にいる理由」を自費出版されてご来店下さいました。
その時に、まっさきに思い出したのが、その本で最初に登場していた白井鶴七さん、通称トラさんでした。
しばらく、私はトラさんとお会いしておらず、トラさんどうしているのかな。
すると、本の中で再会できました。
そこには、トラさんはじめ、奥三河で生きる12人の皆さんの生き様が綴られていました。
実は、閉校した奥三河の小学校の校庭でトラさんの挽いたコーヒーを頂いていた時に、
河合さんがやって来て、私が河合さんに、この人たちのことを綴ったらと促したそうなのです。
私にとっては、トラさんこそモンスターのような存在感のある方であり、
河合さんの筆がモンスターのように魅力的に描いてくれています。
どの人も魅力的で奥三河に出掛けたくなりました。
そして、トラさんの消息が分かりほっといたしました。
2024年4月30日
会議とは何か
ホームページ改修のタイミングで、朝のスタッフ会議を見直しています。
果たして会議とは何か。そんな時に、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働の賛否が問われていました。
地元のNPO法人「あそびそだちiLabo」理事長の笹川陽介さんは「もっと子育て世代や若い人たちが(再稼働の議論に)参加しやすい
雰囲気をつくれないか。全員が納得するのはあり得ないと思う。ただ、それでも『そこまで考えているんだね』と
思い合える地域にしていきたい。」
経営学では心理的安全性と呼んで、誰もが言いたいことを言える環境を求めています。
そんな時に思い出したのが、終戦を決めた御前会議でした。
ポツダム宣言を無条件で受諾するか、条件を求めて徹底抗戦するか、意見は真っ二つに分かれて
最後は天皇陛下が聖断を下します。初代教会でもユダヤ教問題でエルサレム会議が開かれて
「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び」との言葉が残されています。
会議とは、これを通じて私がなくなり全身全霊で他者を思いやる機会にも思えて参りました。
そこに民主主義の本質も潜みます。
2024年4月20日
街に出でよ
商いを続ける視点では、深く広くのバランスが問われていると感じます。
何かを深めて独自性を出すことに加えて、常に世界を広げていくこと。
経営学の世界では、入山章栄教授が両利きの経営と呼んで、知の深化に加えて知の探索を教えていました。
その知の探索とは、商人あるいは経営者の心を広げることかもしれません。
あるいは、常に人間として成長していくこと。
その点では、街という場所は、大きな可能性を秘めています。
街には、いろいろな人がいるからです。
会社および店とは違って、考えや世界の全く違う人もいます。
だからこそ成長の余地があり、自分の知らない世界が待っています。
その点で、商人はもっと街に出掛けていくべきでしょう。
いろいろな皆さんと触れ合い語り合うことです。
それは、ゆるやかに弱くつながることとも言えそうです。
また、強いつながりには、一面では警戒すべきでしょう。
こんなことを考えていると、商いの成果とは、あくまで手段のように思えて参ります。
事の本質は自分の成長であり、商いは「もっと成長しなさい!」と促しているようです。
2024年4月6日
なりわいとは
映画「PERFECT DAYS」を鑑賞しました。東京都の公共トイレをリデザインするプロジェクトを紹介する映画でした。
改めて、公共を思いました。先日、リノベーション関係者の集まりで、ブルースタジオの大島芳彦さんのお話を伺いました。
大島さんは公共とは、公と共を分けて、公はオフィシャルなもので民間は入れない。かたや、共はコモン、パブリックなので、
民間も担うことが可能なものだと。その点では、公共を正しく理解して民間が担い手となること。
そこで、大島さんは、住人を消費者ではなく当事者にすることを求めていました。
それを具現化したのが、店舗と住宅を一体にした「なりわい住宅」hocco。
その時、トイレに付随する特徴的な行為ですが、掃除という営みに「なりわい」を感じました。
究極は自分の手を使うことかもしれません。
映画の主人公はトイレ掃除が「なりわい」でしたが、タイトルのPERFECT DAYSとは何か。
自分の手を使うことの偉大さ、柳宗悦の民藝運動の手仕事を彷彿させます。
ゆえに、フライパンをお手入れすることは、実はPERFECT DAYSに通じる偉大なことかもしれません。
2024年3月12日
小学生の買物
親子連れのお客さんが実店舗にご来店されました。
小学校低学年らしいお子さんが、フライパンのことを教えて欲しいと、レジ周辺にいた私のところにやってきました。
私は、フライパンの売場にいたお母さんの使いだなと思ったのですが、大きな勘違いでした。
フライパンを必要としていたのは、お母さんではなくその小学生でした。
「このハンドルとこのハンドルは、どう違いますか。」
的確な質問をしてきて「手触りが違います。」と答えると「重さは、こちらの方が軽くなりますね。」
私が見落としていた視点にも目を留めていました。
自分でチャーハンを作るとのことで、フライパンを探しに来たのだと。
私の接客はいつも以上に力が入って、油慣らしからはじまって、油返し、火加減、お手入れ、
チャーハン作りのコツまで説明させて頂きました。
満足そうに店を後にしてくれたのですが、その買物を見守るお母さんのあり方にも目が留まりました。
子供の自主性を尊重して、静かに見守りながら、最後に支払いだけを済ませる。
この子は、将来どんな子になるのだろうか。フライパンとともに大きく育つ予感です。
2024年2月20日
生活者中心へ
当店が所属する広小路三丁目商店街振興組合は、広小路三丁目通り振興組合として新たな出発をいたします。
商店が激減して、商店主の高齢化により、組合活動が停滞していました。
かたや、通りには4棟のマンションが建ち並び、通りは大きく変わっています。
商業中心の商店街から、生活者中心の街に変わることが求められています。
そこで、マンション住人および土地所有者にも組合の担い手となって頂き、
ともに通り(歩道、車道、街路灯、街路樹、ベンチ等の公共物)を作っていく組織に変えて、
名称と規約を新たにしました。
その時、主体者は変われど、結束していくことは変わらない。
結束こそ、わが通りの伝統だと気が付きました。
さらに、商業中心の本質は、生活者中心にあるのかもしれません。
その意味では、商業の原点に返ることであり、生活者に寄り添い、生活者に必要とされる商いが求められています。
取扱い商品、その価格、サービスのあり方まで見直す必要がありそうです。
それは、生活者との対話を通じて見えてくるものでしょう。
この組合の新たなスタートとともに、当店のあり方を見直したいです。
2024年2月12日
伊藤忠に学べ
商売が難しい時代とはいえ、しっかりと業績をあげている会社があります。
時代の責任にするのではなく、商売のあり方を見直すことが必要です。
伊藤忠商事は、しっかりと業績をあげて、就職人気企業ランキングで6年連続1位。
「ひとりの商人 無数の使命」を掲げて「社員一人ひとりが、『求められるものを、求める人に、求められる形で』
お届けするために、自らの商いにおける行動を自発的に考えることにより、
伊藤忠の強みである『個の力』が発揮できる。」ひとりとは、自発的に考えること。
無数とは、それぞれ違うが、それを尊重する。使命には責任を感じます。
そして、求められる形でとは絶妙です。私もしばらく入社して学びたくなります。
そんな伊藤忠は、現在「働き方改革」の一環で、深夜残業を禁止して、
早朝勤務を推奨する朝型勤務に取り組む。
渡辺崋山の商人八訓「先ず朝は、召使いより早く起きよ」と重なります。
人に仕える商人は、社員よりも早く出社して、働きやすい環境を整える。
そして、お客様をお迎えする。そんな気構えによってこそ、明日が見えてくる。
私も働き方改革に取り組みたいです。
2024年2月5日
商品を語る人
最近、AIで商品説明ができたり、ユーチューバー等を通じて商品を宣伝することが多く散見されます。
また、メーカーが直接販売するD2C(Direct to Consumer)という販売も定着して参りました。
そこに商人は不在です。果たして、商人とは何者か。
商人は、メーカーより少し距離をおいて、より客観的あるいは中立公平な立場で語れる立ち位置にあります。
そのため、メーカーとは癒着してはならず、ほどよい距離感と緊張感をもって向き合うこと。
商人は、メーカーではなくユーザーに寄り添う存在です。
それは本来、メーカーは作ることに、商人は売ることに専念すべき分業あるいは協業の考え方があります。
そこには、メーカと商人の深い信頼関係がある。そして、商人には、メーカーと同様に商品対する深い知識がある。
そんな商人が少ないからこそ、D2Cが流行ったり、本業ではない人のSNS発信がもてはやされてしまうのかもしれません。
ネット社会は、商人が本来の商人に立ち返ることを促しています。
それは、何よりも商人が自分の言葉で自信をもって語っていくこと。商人よ、商人たれと自戒して参りたいです。
2024年1月26日
予防医療と街
東京麻布台ヒルズに、慶應義塾大学予防医療センターが拡張移転されました。
信濃町キャンパスから街へ出る決断をされました。
フィットネスクラブや飲食店とも連携して街全体で予防医療に取り組むのだと。
初代医学部長・北里柴三郎博士曰く
「人民に健康法を説いて身体の大切さを知らせ、病を未然に防ぐのが医道の基本である。摂生は本にして治療は末なり。」
私たちが料理道具を販売する目的も、この予防医療に通じます。
日々のお料理をつくる。その時に、料理道具が貢献できることは大きいと信じます。
そして、街の中にある小売店として、すぐそばに生活者がいて、周りの皆さんとともに取り組めることがあります。
その意味では、予防医療とは、医療関係者のみではなく、幅広い皆さんが力をあわせて、街全体で取り組むべきことなのでしょう。
少子高齢化および人生100年時代を迎えるにあたり、ますます予防医療は必要となって参ります。
それが当たり前、常識になることを目指したいものです。
かたや、昔の商店街にあったコミュニティの再生、人と人のつながりが問われています。
それを商人が先導すべきでしょう。
2024年1月22日
台所に立つ意義
地震に戦争にと、その時に偽情報およびデマが拡散されます。
情報化の進展とともに、ますます情報が錯綜する時代に、何が真実であるのかを見極めなければなりません。
それには、知性が必要です。知性とは何か。
人間が真実なものを認識できるためには、まずは素直さが求められます。
素直とは、ありのままの素に加えて、直と書きます。
ひねくれない態度、明るく開かれた真っ直ぐな心のあり様。
しかし、人間の心は曲がってしまう弱さがあります。
それをより深く自覚して、それでも真っすぐを願い求める。
その時、次世代やこどもたちの存在が助けになります。
あるいは、愛する対象の存在です。その人たちが、私たちのあり方を正してくれる。
愛のあるところに真実が浮かび上がって参ります。そこに知性が潜みます。
そうであれば、この知性を育む場は、学校というよりも家庭、その中でも台所かもしれません。
料理することは、私たちが自らを省みながら素直になることを促してくれる。
この不安多き世界を生きる愛する人たちのために「おいしくなれ」と願い祈っていく。
台所に立つ意義を考え直してみたいです。
2024年1月13日
楽しむ舞台をつくる
2023年はWBCで日本が世界一になり、野球の話題で暮れた一年でした。
107年ぶりに全国制覇をした慶應義塾高校では、エンジョイベースボールを掲げていました。
エンジョイは、すべての世界に通じます。
商人にとっては、エンジョイビジネスです。
果たして楽しむとは何か。どうしたら、楽しめるのか。
それは、ひたむきになれる。真剣になれることのように思います。
そして、野球そのものと比べると、ビジネスは他者のためにという想いがより濃厚です。
それは、お客さんだけではなく、そこで働く人たちがいかに楽しめるか。
野球も同じビジネスとも言えますが、商人はより経営者寄りの立ち位置でしょう。
その点では、自分で楽しむというよりも、まずは楽しむ人をサポートする、その楽しむ舞台をつくること。
商人とは、楽しんでいる人を見て楽しむ人なのでしょう。
ですから、2023年の野球選手の活躍は、ビジネスへの大きな手がかりが潜みます。
あくまで商人は仕える人であり、自分が表舞台に立つのではありません。
2024年新しい年を迎えて、周りのみなさんが輝く舞台をつくって楽しんで参りたいです。
2024年1月5日