東三河フードバレー
レモン農家の河合浩樹さんが主宰する「美食倶楽部初恋レモン」にゲストとして参加させて頂きました。
17年続く集まりで「4年ほど前から東三河フードバレーの中に組み込みながら、
フードクリエイターの聖地を背景にして活動しています。
生産者や食に関係する人をゲストに迎え、食の問題などを話し合いながら、食事を楽しんでいます。」
ちょうどその日は、中村ナス園の中村敏秀さんが白い茄子をご紹介下さいました。
そんな地元農家の食材を生かしたエムキャンパスフードグループ高木章雄料理長のお料理を頂きます。
しかも、多士済々の皆さんと談笑しながら楽しめる豊かで贅沢な時間でした。
東三河フードバレーとは「まずは、東三河の豊かさに気づいてもらいたい」と
推進するサーラグループの若手社員の声に共感いたしました。
発酵研究家の廣西紘子さんは、予防医学に取り組まれていて、その要諦を伺うと「足るを知ること」だと。
それは、豊かさに気づいた結果、それを分かち合い、それを未来に繋いでいこうとすることで体得できるもの。
この時代この世界が必要としているものでした。
2025年4月19日
街の灯
街路灯の行政手続きをするために、歩いて市役所に出向きました。
完了するまでに、煩雑な手続きがあり、何となくすっきりしない心持ちの帰り道。
桜咲く神明公園に入った瞬間でした。
母子連れの小さな女の子が背後から「こんにちは!」と声を掛けてくれました。
そして、無邪気に私のそば近くに来てくれました。
私は少し驚きましたが、挨拶を返したものの、少々戸惑いそのまま歩みを進めました。
すると、「どこに行っていたの?」と投げかけてくれました。ようやく振り返り「市役所に行ってきました。」
「市役所って何?」すると恐縮していたお母さんの説明が入りました。
女の子は、そばにあった遊具に乗って遊び始めたので「声を掛けてくれてありがとう!」と別れました。
ほんの数秒の出来事でしたが、「ねえ、元気を出してよ。」との激励の声のように響きました。
私の心は、晴れ晴れと明るくなっていたのです。
その時、世界名作劇場の「ポリアンナ物語」を思い出しました。
ポリアンナの明るさが、街を明るくする物語。その女の子と重なりました。
街の灯とは、街路灯だけではありませんでした。
2025年3月29日
先生の幸せ
広小路通りで活動する私の写真入りの記事が、地元の中日新聞で紹介されました。
すると、中学校1年生の時の担任の先生が、卒業アルバムと当時の学級通信を鞄にしたためて店まで駆けつけてくれました。
「新聞を見ましたよ。」微笑んだお姿は、当時のままでした。
わがことのように嬉しそうに、私の当時の想い出も語ってくれました。
それは、朝早くからの学校行事で見守りに立つ先生に対して「ご苦労様です。ありがとうございます。」
労をねぎらう挨拶を私がしたことだったと。
私は全く記憶にはありませんが、挨拶を評価してくれたのです。
しばらくして、母校の松山小学校で、同窓会長として児童たちの前でお話しする機会がありました。
それは、先生を大切にして下さいとのお願いでした。
先生は、卒業後もずっと自分を忘れず見守っている。
自分の幸せを願ってくれている。44年後に駆けつけてくれた恩師のことも紹介しました。
そこで、児童たちに投げかけました。
「今度は、どうしたら、先生は幸せになれるかを考えましょう。」
そして、私の回答を披露しました。それは、生徒の自分が幸せになること。
2025年3月22日
三河武士
豊橋三田会で、明治生命の創業者である阿部泰蔵の後裔の方とお会いすることができました。
阿部さんは、もともと新城市鳳来町上吉田の豊田家の出身であり、今日もその生家は残っているそうです。
その豊田さんが、福沢諭吉と三河とのつながりを教えてくれました。
福沢諭吉は、大分の中津藩の出身ですが、その中津藩の藩主が奥平家。
その奥平家は、長篠の合戦時に長篠城主でした。
武田軍に城を囲まれても死守して織田・徳川連合軍の勝利に貢献します。
その時に名を馳せたのが、奥平家の家臣であった鳥居強右衛門(すねえもん)。
織田・徳川の援軍が来る情報を決死の覚悟で自軍に伝えて、自らは武田軍に捕縛されて磔刑にて落命。
辞世の句は、我が君の命に代わる玉の緒の何いとひけむ武士の道。ここに三河武士の源流を垣間見ます。
それを知る福沢諭吉は、幕府と維新後の政府に仕えた勝海舟と榎本武揚を
この三河武士を例にあげて痛烈に批判します。
「家のため主公のためとあれば必敗必死を眼前に見てなお勇進するの一事は三河武士全体の特色」
それは、現代のわれら三河人にも語っています。今こそ、三河武士を見よや。
2025年2月24日
備えられた30年
日本商工会議所で3期9年会頭を務めた三村明夫さんの講演が当地でありました。
「失われた30年からの復活」と題して、人口減少社会への提言をされていました。
GDP(国民総生産)の経済指標で測れば、失われた30年です。
しかし、働き方改革をはじめ、環境への対策、公共への貢献などGDPとは違った指標で企業経営者たちは取り組んで来ました。
また、人口減少を前にして、内部留保を積んできたことは、ある意味では、ワイズスペンディング(賢い支出)に通じます。
それは、時代を見据えた経営判断でもあった。
ところが、GDPだけで評価すれば、企業経営者の心は萎えてしまう。
そこで、伊藤邦雄教授が提唱するESG経営などの公益に関わる指標が叫ばれます。
その手がかりが、私益と公益との両立を求めていた渋沢栄一翁の精神です。
30年のど真ん中を歩んで来たわれら世代は、時代の変わり目で奮闘しています。
失われた30年ではなく、備えられた30年として、自信を取り戻すべきでしょう。
三村大先輩のメッセージの核心は、心の復活だと思いました。
この30年を踏み台にして、誇り高く花を咲かて参りたいです。
2025年2月18日
現代の志士
富士市の吉原商店街エリアで奮闘する鈴木大介さんとお会いしました。
昨年、商店街の老朽化した共同ビルの一角をリノベーションして分散型ホテルを開業。
分散型ホテルとは、フロント、客室、食堂等のホテル機能を分散させて、
宿泊者が街を回遊することを想定しています。また、同じくリノベーションしてゲストハウスと
唐揚げ屋も運営。さらに、まちづくり会社の役員として、新規開業事業者をサポートしています。
そのエリアでの新規開業事業者は、この10年で130を越えるとのこと。素晴らしい数字です。
そして、商業的の外側にチャンスがあると。
それは、事業者の世界観を出店を通して表現する経済合理性では測れないもの。
そこにある創意工夫にあふれた活動のエネルギーが、この時代に求められているのだと。
やわらかい公共とも表現していましたが、私としては、商人こそ本来そのエネルギーに満ちた存在であると思います。
これまでの商業的なものを越えていくこと。このようにお互いを響かせ合う人が同志です。
そして、同志が出会って日本が動く。幕末の志士と重なりました。
2025年2月11日
オデュッセウスの智慧
憲法学者の山本龍彦さんの著書「アテンション・エコノミーのジレンマ」に希望を感じました。
市民から自由を奪う怪物であるリヴァイアサンは、今日は国家ではなくて、
デジタル空間を席巻するプラットフォーマーだと。
新たな怪物は、人間からアテンションを獲得するために刺激的で魅惑的な情報やコンテンツを流し続ける。
その結果、人間の欲望が膨らんで、自分で選ぶ自由を奪われてしまう。
かたや、自由意思は虚構とする認知学者の下條信輔さんとの対談は、この著書の白眉でした。
山本さんの手がかりは、オデュッセウスの智慧でした。
ギリシャ神話で、セイレーンという怪物の美しい歌声を聞くと、聞きほれて船が遭難してしまう。
そこで、船乗りのオデュッセウスは、自分の体をマストに縛り付けて、セイレーンに遭遇するものの
無事に航海を終えることができた。このように、理性が働いている時に対策を施しておくこと。
そこで、ガンダムの主人公アムロの言葉を引用します。「人間の知恵はそんなもんだって、乗り越えられる!」
信じること、そして望むこと。それも弱き人間が授かった力です。
2025年1月31日
健全なデジタル空間
今日のデジタル空間は、不健全な側面が色濃くなっています。
それでは、健全なデジタル空間とは何か。不健全と思われる側面をあげて整理します。
まず、匿名がまかり通ること。それは責任の欠如です。誹謗中傷は多くの場合、匿名のもとで行われます。
そこで、当店ではレビュー投稿時には名前をお願いしています。
その上で、こちらからのコメントを添えた掲載に努めます。
次に、正確性が問われないこと。それは信頼の欠如です。
そこで、当店では、借り物の言葉ではなく、自分で実際に使ってみた言葉を大切にしています。
分かりやすさとともに、前後の文脈も意識して誤解のない表現に努めます。
そして、意図されずに行われること。それは自由の欠如です。
操作や仕組みが複雑になっているために、本人の意思が二の次にされる傾向があります。
そこで、当店では、分かりやすい仕組みを優先して、簡潔な説明を心掛けて、必要な場合は、その都度許可を頂くことに努めます。
以上の責任、信頼、自由の先に、健全なデジタル空間があると考えます。
そこに、安心安全な価値あるお買物が実現します。
2025年1月24日
ひとりに
デジタル化がますます進展する中で、新年を迎えました。
仕事には対象があり、それは人間です。仕事の本質とは、ひとりの人間に対して向き合うこと。
ひとりを思い、ひとりの幸せを願うこと。小売業での小とは、このひとりの人間を指していて、
これを理解している人が商人かもしれません。
私がお世話になる九十を越えた理容師さんは、同業の息子さんに、このことをよく諭すのだと言われていました。
小売業に関わらず、あらゆる仕事は同じだと思いました。
ただ、それは、結果として手間暇をかけることになります。非効率かもしれません。
かたや、デジタル化とは、手間暇をかけないことでもあります。効率は良くなる。
年始に挨拶状を書きましたが、内容面印刷をデジタルで行い、宛名と一言を手書きで添えました。
その名前から、その人自身を思い浮かべ、その人の新年の幸せを願う。
しかし、相手の負担になってはならない。そのあたりの距離感も弁えたい。
このような人間を大切にした心通うデジタル化が求められています。
新年ご来店頂くひとりのお客様に、真摯に向き合って参りたいです。
2025年1月17日
ドキュメント72時間
「ちょっと、お料理でもしてみようかな。」そんな気持ちが芽生えるお店でありたいです。
こちらからの良いことの押し売りではなく、ご本人の意思を尊重することが小売業の大前提です。
そんな自由の余地が小売業の現場では確保されているだろうか。
年末にNHK「ドキュメント72時間」年間の振り返りが放映されていました。
そこには、カメラを72時間置き続けるだけで、制作者側の筋書きはありません。
何が起きるかは分からない。しかし、そこには撮影対象者の気持ちを引き出そうとする制作者の見えない声掛けがあります。
不思議とカメラの前でも気持ちを出すことができる。
それは、真剣に向き合っている制作者の存在が大きいのだと思います。
しかも「こうするといいよ」との提言はなく聞き続けるのみ。
そこで、撮影対象者は、自分で自分の答えを見つけているかのようです。
これは、商人と顧客との関係とも重なります。
商人は、見えないところで、顧客の気持ちを引き出して、ご自分に相応しい商品を選んでもらう。
そこには、顧客の自由意思を尊重する態度があります。買物の主役は、顧客です。
2025年1月6日