三河武士
豊橋三田会で、明治生命の創業者である阿部泰蔵の後裔の方とお会いすることができました。
阿部さんは、もともと新城市鳳来町上吉田の豊田家の出身であり、今日もその生家は残っているそうです。
その豊田さんが、福沢諭吉と三河とのつながりを教えてくれました。
福沢諭吉は、大分の中津藩の出身ですが、その中津藩の藩主が奥平家。
その奥平家は、長篠の合戦時に長篠城主でした。
武田軍に城を囲まれても死守して織田・徳川連合軍の勝利に貢献します。
その時に名を馳せたのが、奥平家の家臣であった鳥居強右衛門(すねえもん)。
織田・徳川の援軍が来る情報を決死の覚悟で自軍に伝えて、自らは武田軍に捕縛されて磔刑にて落命。
辞世の句は、我が君の命に代わる玉の緒の何いとひけむ武士の道。ここに三河武士の源流を垣間見ます。
それを知る福沢諭吉は、幕府と維新後の政府に仕えた勝海舟と榎本武揚を
この三河武士を例にあげて痛烈に批判します。
「家のため主公のためとあれば必敗必死を眼前に見てなお勇進するの一事は三河武士全体の特色」
それは、現代のわれら三河人にも語っています。今こそ、三河武士を見よや。
2025年2月24日
備えられた30年
日本商工会議所で3期9年会頭を務めた三村明夫さんの講演が当地でありました。
「失われた30年からの復活」と題して、人口減少社会への提言をされていました。
GDP(国民総生産)の経済指標で測れば、失われた30年です。
しかし、働き方改革をはじめ、環境への対策、公共への貢献などGDPとは違った指標で企業経営者たちは取り組んで来ました。
また、人口減少を前にして、内部留保を積んできたことは、ある意味では、ワイズスペンディング(賢い支出)に通じます。
それは、時代を見据えた経営判断でもあった。
ところが、GDPだけで評価すれば、企業経営者の心は萎えてしまう。
そこで、伊藤邦雄教授が提唱するESG経営などの公益に関わる指標が叫ばれます。
その手がかりが、私益と公益との両立を求めていた渋沢栄一翁の精神です。
30年のど真ん中を歩んで来たわれら世代は、時代の変わり目で奮闘しています。
失われた30年ではなく、備えられた30年として、自信を取り戻すべきでしょう。
三村大先輩のメッセージの核心は、心の復活だと思いました。
この30年を踏み台にして、誇り高く花を咲かて参りたいです。
2025年2月18日
現代の志士
富士市の吉原商店街エリアで奮闘する鈴木大介さんとお会いしました。
昨年、商店街の老朽化した共同ビルの一角をリノベーションして分散型ホテルを開業。
分散型ホテルとは、フロント、客室、食堂等のホテル機能を分散させて、
宿泊者が街を回遊することを想定しています。また、同じくリノベーションしてゲストハウスと
唐揚げ屋も運営。さらに、まちづくり会社の役員として、新規開業事業者をサポートしています。
そのエリアでの新規開業事業者は、この10年で130を越えるとのこと。素晴らしい数字です。
そして、商業的の外側にチャンスがあると。
それは、事業者の世界観を出店を通して表現する経済合理性では測れないもの。
そこにある創意工夫にあふれた活動のエネルギーが、この時代に求められているのだと。
やわらかい公共とも表現していましたが、私としては、商人こそ本来そのエネルギーに満ちた存在であると思います。
これまでの商業的なものを越えていくこと。このようにお互いを響かせ合う人が同志です。
そして、同志が出会って日本が動く。幕末の志士と重なりました。
2025年2月11日
オデュッセウスの智慧
憲法学者の山本龍彦さんの著書「アテンション・エコノミーのジレンマ」に希望を感じました。
市民から自由を奪う怪物であるリヴァイアサンは、今日は国家ではなくて、
デジタル空間を席巻するプラットフォーマーだと。
新たな怪物は、人間からアテンションを獲得するために刺激的で魅惑的な情報やコンテンツを流し続ける。
その結果、人間の欲望が膨らんで、自分で選ぶ自由を奪われてしまう。
かたや、自由意思は虚構とする認知学者の下條信輔さんとの対談は、この著書の白眉でした。
山本さんの手がかりは、オデュッセウスの智慧でした。
ギリシャ神話で、セイレーンという怪物の美しい歌声を聞くと、聞きほれて船が遭難してしまう。
そこで、船乗りのオデュッセウスは、自分の体をマストに縛り付けて、セイレーンに遭遇するものの
無事に航海を終えることができた。このように、理性が働いている時に対策を施しておくこと。
そこで、ガンダムの主人公アムロの言葉を引用します。「人間の知恵はそんなもんだって、乗り越えられる!」
信じること、そして望むこと。それも弱き人間が授かった力です。
2025年1月31日
健全なデジタル空間
今日のデジタル空間は、不健全な側面が色濃くなっています。
それでは、健全なデジタル空間とは何か。不健全と思われる側面をあげて整理します。
まず、匿名がまかり通ること。それは責任の欠如です。誹謗中傷は多くの場合、匿名のもとで行われます。
そこで、当店ではレビュー投稿時には名前をお願いしています。
その上で、こちらからのコメントを添えた掲載に努めます。
次に、正確性が問われないこと。それは信頼の欠如です。
そこで、当店では、借り物の言葉ではなく、自分で実際に使ってみた言葉を大切にしています。
分かりやすさとともに、前後の文脈も意識して誤解のない表現に努めます。
そして、意図されずに行われること。それは自由の欠如です。
操作や仕組みが複雑になっているために、本人の意思が二の次にされる傾向があります。
そこで、当店では、分かりやすい仕組みを優先して、簡潔な説明を心掛けて、必要な場合は、その都度許可を頂くことに努めます。
以上の責任、信頼、自由の先に、健全なデジタル空間があると考えます。
そこに、安心安全な価値あるお買物が実現します。
2025年1月24日
ひとりに
デジタル化がますます進展する中で、新年を迎えました。
仕事には対象があり、それは人間です。仕事の本質とは、ひとりの人間に対して向き合うこと。
ひとりを思い、ひとりの幸せを願うこと。小売業での小とは、このひとりの人間を指していて、
これを理解している人が商人かもしれません。
私がお世話になる九十を越えた理容師さんは、同業の息子さんに、このことをよく諭すのだと言われていました。
小売業に関わらず、あらゆる仕事は同じだと思いました。
ただ、それは、結果として手間暇をかけることになります。非効率かもしれません。
かたや、デジタル化とは、手間暇をかけないことでもあります。効率は良くなる。
年始に挨拶状を書きましたが、内容面印刷をデジタルで行い、宛名と一言を手書きで添えました。
その名前から、その人自身を思い浮かべ、その人の新年の幸せを願う。
しかし、相手の負担になってはならない。そのあたりの距離感も弁えたい。
このような人間を大切にした心通うデジタル化が求められています。
新年ご来店頂くひとりのお客様に、真摯に向き合って参りたいです。
2025年1月17日
ドキュメント72時間
「ちょっと、お料理でもしてみようかな。」そんな気持ちが芽生えるお店でありたいです。
こちらからの良いことの押し売りではなく、ご本人の意思を尊重することが小売業の大前提です。
そんな自由の余地が小売業の現場では確保されているだろうか。
年末にNHK「ドキュメント72時間」年間の振り返りが放映されていました。
そこには、カメラを72時間置き続けるだけで、制作者側の筋書きはありません。
何が起きるかは分からない。しかし、そこには撮影対象者の気持ちを引き出そうとする制作者の見えない声掛けがあります。
不思議とカメラの前でも気持ちを出すことができる。
それは、真剣に向き合っている制作者の存在が大きいのだと思います。
しかも「こうするといいよ」との提言はなく聞き続けるのみ。
そこで、撮影対象者は、自分で自分の答えを見つけているかのようです。
これは、商人と顧客との関係とも重なります。
商人は、見えないところで、顧客の気持ちを引き出して、ご自分に相応しい商品を選んでもらう。
そこには、顧客の自由意思を尊重する態度があります。買物の主役は、顧客です。
2025年1月6日