豊橋まちなか図書館がオープンいたしました。 「人とつながり、まちとつながる」という言葉を掲げていますが、そこは出会いの場でもありました。 早速、私も以前からお会いしたかった銭湯活動家の湊三次郎君に、この図書館でお会いすることができました。 湊君は、豊橋のまちなかにある銭湯・人参湯を復活させてくれました。 会社は京都にあり、全国の銭湯を日夜駆け巡っています。 当日の講演では、24歳で手掛けた最初の銭湯は「地獄の1年間」と表現されていました。 もがきながら、それを乗りこえて、人参湯で7例目の挑戦。 そして、今年の春先に、湊君のお父さんが当店で餃子用のフライパンを購入するためにご来店下さいました。 今回の講演で知ったのですが、お父さんは普通のサラリーマンで、定年退職されて、ラーメン店を開店されました。 きっと、コロナ禍であっても、息子さんの挑戦に、お父さんも励まされているのだと想像しました。私も然りです。 そんな湊君に会いたいとの想いを新しい図書館が実現してくれました。 この図書館は、今後も素晴らしき出会いを引き寄せてくれる予感がいたします。 2021年12月7日
ご来店頂いたお客様が、当店に行くことをお母様に告げると「高津君のところに行くの」 そのお母様は、私の仔羊幼稚園時代の先生であることが分かりました。しかし、私の方はお名前を忘れていました。 早速、年季の入った卒園文集「はるのめ」を開きました。 そこで、先生のお名前を確認して、その巻末にあった「君たちへあたえる」園長先生のメッセージにも目が留まりました。 「毎年のことながら、いとしい者たちが生長してはばたくよろこびよりも、一人取り残される悲しさが大きい。」 この言葉が私の胸を打ちまわした。 「人間が人間たるねうちをもつと言うことは、体が健康で力が漲り、頭脳がかしこく正しく物事を判断し 真理のわかる新しい物をうみ出す力があり、そして心は優しく愛に満ち、生命の大切さを知って他に奉仕する。」 そして、続きます。「今はまだ君たちは、このことをよく知らない、しかし、君たちは遠からず園長のこの言葉を 知る日がくるであろう。」46年の歳月を経て、その日がやってきました。 私の知らないところで私の幸せを願い祈っている皆さんのおかげで今日の私がありました。 2021年11月22日
豊橋まちなか広場がオープンいたしました。そこには、二宮金次郎の石像があります。 もともと広場の土地には狭間小学校があり、そこに設置されていた石像でした。 ところが、戦後廃校となり、吸収合併した私の母校・松山小学校に移されていました。 そのため、私の在学時には、二人の二宮金次郎が学内を歩いていました。 そして、今日その一体が、この広場に帰って来た。 ちょうど、金次郎の七代目子孫である中桐万里子さんが豊橋にやってきました。 金次郎の生まれ変わりのように、現代風にアレンジして講演してくれました。 金次郎像の注目点は、踏み出している足であると。小さな一歩を積み重ねてこそ、大きなことが為る。 そして、それは、他人の足ではなく、自分の足であると私なりに直感いたしました。 人を救済するのではなく、その人が自分の力で道を切り開いていくことを後押しすること。 その結果、金次郎は600以上の荒廃した農村を復興させた。 そこには、人間の可能性を信じる、人間への敬意がありました。金次郎像は私に語ります。 「さあ、あなた自身の足で踏み出せ!あなたならできる。」 2021年11月5日
バラエティ番組で、鳥取城北高校相撲部の主将が、大会前に女性マネージャーたちに感謝を伝えていました。 その時に、尊敬する人の言葉として「強い男の裏には、賢い女性がいる」と紹介。 早速ネットで調べてみると、横綱・白鵬関が引退する時に 「やっぱり近くで奥さんと子どもたちが支えてくれてここまで来られたことは間違いありません。 ことわざにも、強い男の裏には賢い女性がいると言いますので、この場を借りて妻に感謝します。」 高校生が、この言葉を引用していたことを嬉しく思いました。 相撲界には、師匠がいて、そして女将さんと呼ばれる師匠の奥さんがいます。 その女将さんたちのあり方こそ、今日の時代が必要としているものかもしれません。 賢さとは何か。それは、知性であり教養でしょう。来月いよいよ豊橋まちなか図書館が開館いたします。 図書館は単に書籍がある場所ではなく、賢さを身に付ける場所であってほしい。 NHK朝ドラ「エール」でヒロインのモデルとなった古関金子さんのように、この街には、賢い女性の伝統があるように思います。 当店も、そんな女性たちを育てるお店でありたいです。 2021年10月28日
衆議院が解散となりました。政策論争が始まるタイミングで、 現役の財務次官・矢野康治さんが文芸春秋に「このままでは国家財政は破綻する」を寄稿されていました。 そこには、官房長官だった後藤田正晴さんが内閣官房の職員に発した訓示が紹介されていました。 「勇気をもって意見具申せよ。決定が下ったら従い、命令は実行せよ。」 コロナ対策のバラマキを警戒するとともに、国家財政の厳しさを矢野さんなりにモノ申していました。 加えて、松下幸之助さんの言葉も紹介されていました。 「政府はカネのなる木でも持っているかのように、国民が助けてほしいと 言えば何でもかなえてやろうという気持ちでいることは、為政者の心構えとして根本的に間違っている」 為政者は、経済対策とともに財源をどうするかを語るべし。 借金である国債を発行し続ければ、それは明日の世代へのツケを増やすことであり、国家としての信用を損ないます。 財政健全化こそ、今回の選挙で争点にしても良いでしょう。 また、矢野さんに倣い、それぞれの世界で、それぞれの立場で、各人が勇気をもって意見具申する時です。 2021年10月15日
経営学者ピータードラッガーの「マネジメント」を読んでいます。 分かったつもりになることなく、本質までを考え抜くようにと促されます。 それは、商人である前に人であれ。すなわち、商売とは人生そのものである。 そこにこそ、商売の要諦が潜んでいます。 実は、商人と人は分けるものではなく同じもの。 それは、商売においても、人として当然すべきことを行うだけのこと。 その当然すべきこととは何か。親子の関係、夫婦の関係に始まり、さまざまな人間関係における良きつながりを保つこと。 礼儀であり、信頼関係あるいは絆とも表現できますが、それを深めていくこと。 この時、目的と手段をよく見極めること。 商売における利益とは、目的ではなく手段であり、持続可能にする条件に過ぎない。 利益を目的にしてしまえば、瞬間的に繁栄しているように見えるだけで、長くは続いていかない。 商売および人生の目的とは何かを考え抜け。そこで、人との関係性を深めること、互いに愛せよがひとつの手がかりです。 ありし日のドラッガーの声が響きます。「顧客に寄り添い、仲間たちを生かし、社会に貢献せよ。」 2021年9月27日
東京パラリンピックが閉幕しました。 障害者を「障がい者」と表現することがありますが、ある手話通訳者の方のブログに 「たくさんの乗り越えるべき障害があるヒト」正鵠を得た表現だと思いました。 そして、人間はたくさんの障害があっても、それを乗り越える力をもっている。 今回のパラアスリートたちの活躍は、それを実証していました。 加えて、あなたもできるとエールを送ってくれていた。 人間とは、物凄く弱いところがあるものの、かたや物凄い力を発揮することもできる。 ちょうど街づくりの仲間たちと木下斉さんの著書「稼ぐまちが地方を変える」を題材に 輪読会をしていました。木下さんは「補助金は麻薬のようなもの」であり、 一度使うとやめられず廃人になりかねない。 子育ても同じで、愛情を勘違いして子供たちから自立を阻んでいないだろうか。 私の目の前に生じる問題は本来、自分の力で乗り越えることができるもの。 すると、心にある不信こそ、本当の障害だと見えて参ります。それは、周囲の愛情によって次第に溶かされていく。 自分を信じて、他者を信じて、本来の自分に近づいて参りたいです。 2021年9月9日
豊橋市では、8月22日を市民福祉の日と制定して、「自分らしく生きるとは」をお題にトークショーがありました。 アイドルグループ「仮面女子」のメンバーである猪狩ともかさんがご自身の体験を語ってくれました。 3年前に看板が強風で倒れる事故に巻き込まれて、車椅子生活となります。 それでも、アイドル活動を継続。車椅子を通じて、新しい自分の世界が広がっていきます。 ご家族をはじめ、アイドルグループの会社も全面的に支援。 また、武井壮さんとの出会いがあり、パラリンピックおよび障害者スポーツの世界が開かれます。 そんなお話を伺っていて、自分らしく生きるとは、自分の境遇を素直に受け止めて、それを生かしていくこと。 そして、そこには、他者からのサポートおよび温かな見守りがあり、他者との豊かな関係性のもとで花開く。 福祉とは、その人らしさの花を咲かせるお手伝い。 そして、そのお手伝いする人は、自分の境遇を受け止めて来た人のように感じます。 その集まりでは、福祉に関係する皆さんが集まって顕彰をされていました。 里親活動に長年取り組む家内もその一人。おめでとうございます。 2021年8月23日
東京五輪の表彰式で、君が代を背景にして、自衛隊員の敬礼のもと日の丸が掲揚されていました。 それは、勝者を讃えるためかもしれませんが、君が代の響きや日の丸は違った心持ちとなります。 ちょうど、広島の原爆の日を迎えましたが、昭和天皇の態度が思い出されます。 敵将のマッカーサー元帥と対面した時に 「私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、 責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました。」 日の丸の歴史は、栄光の歴史と言うよりも、苦しみや悲しみが伴い、血と汗、そして涙を感じます。 先の戦争では、二つの原爆、沖縄戦、全国主要都市への空襲をはじめ、我が国は焦土と化しました。 そんな重い現実と真摯に向き合ったのが昭和天皇でした。 君が代と日の丸が心に響くのは、勝者というよりも、グッドルーザーなのかもしれません。 日本の心とは、敗者の心を思いやる、仁とも思えて参ります。昭和天皇のお名前は裕仁。 終戦記念日を前にして、コロナ禍の重い現実に向き合って参りたいです。 2021年8月12日
地元の中学生たちに自分の仕事を語り、参加した生徒からの感想を記したものが届きました。 「自分の中にまた新しい考えをつけることができました。 自分なりの考え方で、これからも悩んで悩んで、自分なりの答えを見つけ出します。」 あの時の質問の一つで「年収はいくらですか?」 それは「社長になろう!」というタイトルからすると一番気になる質問であったと思います。 ただ、この時代も年収という金額の多寡だけで価値判断してはなりません。 家業を継承する自営業とは、お金ではかえられない価値もあるのだと思います。 そのあたりをつかんでくれた手応えを感じました。 改めて、パナソニック創業者・松下幸之助さんの言葉を思い出しました。 「お金というものは面白いものだと思います。 たとえ同じ金額のお金でも、それをどう自分が手に入れたかによって、 使い方が大きく変わり、したがってそのお金が発揮する値打ちが違ってくるからです。」 社長とは、そんな金銭観をもち、労働の汗に敬意をもつ人とも言えそうです。 あるいは、お金よりも尊いものがあることを背中で語る人なのでしょう。 2021年7月22日
イノチオホールディングスの石黒功社長から、会社の創業者の歩みをまとめた「石黒利平先生」を頂きました。 利平さんは、郷土田原藩の藩士であった渡辺崋山から学んでいましたが 「なすある者は、必ずなさざるあり」これが崋山精神の神髄であり石黒精神であると。 崋山絶筆の書「餓死るとも二君に仕ふべからず」を同列に置いて 「なさざる」それは「やらない」という強い意思すなわち自制心を分かりやすく解説されていました。 自制心のあるところ、そこにこそ本当の自由があります。 この時代も、自由を履き違えて、動物的本能や感覚に溺れてしまうものが溢れています。 先生という存在は、ご自身も弱さを身にまといながらも「それは違うぞ!」と叱咤してくれます。 コロナ禍の中でタガが外れてしまった、いつしか軟(やわ)になっている時代が必要としているものです。 そこで、時来たりと石黒さんが実行委員長に立たれて、 崋山の市民劇「海風(かいふう)に吹かれて」が年末公演されることとなりました。 アフターコロナは「なすある者は、必ずなさざるあり」天の声として、身を引き締めて参りたいです。 2021年7月17日
長野県飯田市に家内とふたり銀婚旅行に出掛けました。 駅前にあった老舗の定食屋を訪れました。 ご家族で経営されているご様子で、力士の写真が掲示されていました。 白髪の店主らしき人に「お若い時の写真ですか。」すると「息子です。」 タブレットを持ってきて、息子さんのその日の取り組みを見せてくれました。 「楽しみがあってよいですね。」「いや、ケガをしないか心配ですよ。」 高卒で8年経過と苦闘ぶりが伝わって来ましたが「いつでも帰る家があるから。」 帰ってくることを待ちわびている様子でもありました。 今回は、飯田市出身の畏友のお母さんを訪ねる旅でもありました。 その友人は、知的な障害をもっていて、4年前に若くして亡くなります。 そのお父さんは、私の結婚前に亡くなりますが、お見舞いに伺った時に「息子をよろしく」と目を輝かせていました。 九十を越えたお母さんの悲しみは今日も癒えず「息子は可哀そうだった・・・」 親の愛情を受けたからこそ、人は尊い存在だとも思えて参ります。 我が家の子供たちも心配は尽きませんが、私たちの愛情を引き出してくれているのでしょう。 2021年7月12日
二刀流のベーブ・ルースがヤンキースタジアムで先発マウンドに立ってから88年。 誰も同じことができませんでしたが、それを大谷翔平選手が実現しました。 ところが、初回を投げ切れずに降板。大量7点を失ってしまい、その試合は決まったかと思われました。 大谷選手は降板後、打席には立たず、ベンチからの声援。 すると、土壇場の9回に味方が7点を取り返して、試合をひっくり返しました。 チームは勝ち、大谷選手に負けはつきません。 いつもは、大谷選手に助けられていたチームですが、この試合では大谷選手を助けていた。 野球とは個人競技ではなく、あくまでチームの競技だと分かります。 試合後のインタビューでは、すでに大谷選手は気持ちを切り替えている印象で、次を見据えていました。 曇天を振り払い、カラリと晴れた気構えが特質なのかもしれません。 会社も同じで、個人プレーではなく、チームで戦っています。 そこがよく理解できていると、気持ちを切り替えやすく、大きく構えることができる。 二刀流で成果を出せるのも、チームあってのこと。 そのことを大谷選手はよく理解していると思いました。 2021年7月3日
太平洋のそばにある高豊中学校で、自分の仕事について語る 「ビジネスパーク」に参加して参りました。 私のタイトルは「社長になろう!」でしたが、 今回も心を開いて中学生に向き合うことを心掛けました。 まずは、社長の心の中をのぞいてみようと、「社長は悩む人だ」と投げかけました。 それが私の実感でもあり、周りにいる知り合いの社長からも察せられるものでした。 しかし、悩むからこそ、人の受け売りではない、自分自身の判断ができる。自分らしくなれる。 そして、悩みが深くなると、太平洋の海に出掛けることを紹介しました。 昨年は、NHK朝ドラ「エール」の主題歌が流れる背景で、毎回ここの海が放映されていました。 この海の向こうにある、ガダルカナル島、サイパン島、硫黄島、 ペリリュー島、テニアン島、ブーゲンビル島、アッツ島・・・ 潮風とともに聞こえてくる声がある。私の名を呼んで「よっちゃん、頑張れ!」 戦地で散った先人たちの苦悩を思えば、自分のことなど、ほんの小さなことだと分かります。 今年も、その海岸近くでは、そんな声が具現化したように笹百合の花が優しく咲いていました。 2021年6月18日
当店には週に1回ヤクルトレディさんが職域販売で訪問してくれます。 レディさんたちは、地域の見守り活動に参加されるなど社会貢献も積極的に行っています。 また、女性が働きやすい環境を作るために、社内に保育所を整備。 最近では地方自治体とも提携した子育て支援活動もされています。 そこの社長さんは当店のお客様でもあり、豊橋商工会議所の議員仲間でもあり、 折にふれさまざまご指導を頂いています。 先日も「おもいやっこステーション」の取り組みをご紹介頂きました。 おもいやっことは、「おもいやり」「分かちあう」「思い合い」を表す郷土の方言で 「みんなが少しずつお互いを想い合い、支え合える地域に」との想いを込めているとのこと。 具体的に、そこでお買い物するとポイントが溜まり、そのポイントが 社会問題解決に取り組む団体に寄付される。 公共性の高い活動をされている社長さんに敬意を表するとともに、 本日もレディさんが「うちの社長はいい人で、私たちにも気さくに話しかけてくれるんですよ。」 社長さんの自慢話が聞こえて来て、何だか自分事のように嬉しくなりました。 2021年6月4日
新緑の香嵐渓にある三州足助屋敷を訪れました。そこに掲げられていた言葉に目が留まりました。 「ここの手仕事は民芸でも伝統工芸でもない。自分の生活に必要なものは自分でつくる 健(したた)かな山の生活が甦っただけなのだ。土から離れ手足を使わなくなった現代生活が 慈しみを忘れ、いかに貧しいものか考えてみたいものだ。」 ホームページには誕生物語があり、 「観光とは、訪れる人々との交流の中で、地域色豊かな文化遺産を公開し、保存・継承しつつ、 地場産業に育て、所得を得ると同時に、地元の民度を引きたて、愛郷心を高めるものだ。」 そこでは、昔ながらの道具を展示するだけではなく、職人による実演があり、またそれを体験することまでできる。 しかも、機織り、藍染め、紙漉き、かご作り、わら細工、竹細工、木工など多様であり、 それぞれに職人が常駐している。そして開業40周年を迎えて、このスタイルがずっと続いてきたことに 民度の高さとともに、愛郷心を強く感じました。 白いハンカチを藍で染めながら、自分の内に眠っていた慈しむ心が呼び覚まされたようでした。 2021年5月27日
東証一部上場を果たして、海外まで外食産業を展開させて地元で活躍する大先輩は、 7度目の年男を迎えて今年の年賀状で「年寄りなりに必死に頑張っている」 このコロナ禍で、多くの従業員を抱えて、測り知れないご苦労があると想像できますが、 年始の商工会議所の年賀会では、真っ先に会場に駆けつけておられました。 そして、あの年賀状の言葉が五か月後の今日じわじわと響いて参りました。 「昔はどろくさいのが嫌い 必死にやっているなんて絶対に言わない 涼しい顔をして 成功したいのでした 今は正直に自分を、正直に自分の心の底を全部出しちゃえ 『恥ずかしくないぞ』の心意気です」 真摯に生きる大先輩らしい表現ですが、 「必死に若づくりしていると皆から思われている私です」とユーモアも忘れません。 そんな言葉に向き合うと、「もっと心を出そうぜ!」と響いて参ります。 かたや、自分のへんなこだわりが見えてくるようでもあります。 年賀状の最後は、次の言葉で締めていました。「今年も心の底 全部出しちゃうぞ!必死に」 私も大先輩にならって、心の底全部出しちゃうぞ!必死に。 2021年5月15日
橋田壽賀子さんは、夫の岩崎嘉一さんのことを語っていました。 「亡くなる前に『不倫と人殺しの話は絶対書くな!』と言われたんです。私はそれを守ってきました。」 そんな橋田さんのドラマに数多く出演した石坂浩二さんが市川崑監督のことを語っていました。 「自分の考えを捨てろ!自分らしさなんて大したことはないんだよ。」 石坂さんは「監督に出会う前は、演技に対して明確な答えがみつけられず、先輩たちから受ける助言もバラバラで、 悩むこともありました。でも自分の考えを捨てて、監督の言う通り演技する中で役者の仕事というのは明快になって、 それがいまの自分につながっている。」それが、探偵の金田一耕助でした。 本来の自分とは、他者との豊かな関係性の中で立ち現れるのでしょう。 その点で、自分の殻に閉じこもってはならない。 そんな関係性をなくすのが、不倫であり人殺しなのかもしれません。 橋田さんの追悼番組では、石坂さんが司会をされて、 「おしん」家族の泉ピン子さん、伊東四朗さん、小林綾子さんが追悼していました。 橋田さんと役者との豊かな関係性を垣間見ることができました。 2021年5月3日
アカデミー賞を受賞した「ノマドランド」を鑑賞して来ました。 中国出身のクロエ・ジャオ監督は、キャンピングカーで放浪する米国人女性の日常を赤裸々に描いていました。 現代人の生活に抗う逞しさ。悲しみを分かち合う友情の素晴らしさ。 それは自分らしくありたいと渇望すること、あるいは自分に正直であること。 監督自身の正直であろうとする態度が映画に投影されていたようです。 2013年の米国でのインタビューで、10代に過ごした中国ではうそが溢れていたと発言。 中国ではこの作品は上映中止、アカデミー賞受賞も報じられませんでした。 かたや、香港の民主活動家の周庭さんが昨年5月のオンラインセミナーで発言していました。 「私たちは命をかけて闘っています。将来には不安しかありません。来年、私は生きているでしょうか。 人権、民主主義、自由を空気のように思ってよいのでしょうか。なくなると分かるのです。その価値が。」 今日の日本では、「空気のように思う」無自覚なあり方が、人生の停滞を招いていないか。 これらの女性たちの叫びを、生きる糧としたいです。 2021年4月29日
餃子を焼くフライパンをお探しの方から電話でご相談を頂きました。 その後、お隣の静岡県からご来店下さいました。 「梅湯」と書かれたティーシャツをお召しで、銭湯活動家という肩書の 湊三次郎君のお父様であることが分かりました。 三次郎君は、当社近くにある人参湯という銭湯を復活させた若干三十代の若者です。 その人参湯で発行している「にんじん新聞」には 「日本から姿を消してゆく銭湯をなんとか存続させようともがいている集まりです。」 この「もがいている」という言葉に強く心を打たれました。 いつか三次郎君にお会いしたいと思っていた矢先に、お父様がお客様という形でご来店下さいました。 廃業寸前の京都の花街にあった「梅湯」を脱サラして二十四歳で継承。 それから銭湯活動家としての歩みが始まり、今月豊橋の閉店した人参湯にまで進出。 そんな飽くなき挑戦を続ける息子さんを見守るお父様にも興味を持ちました。 お父様の電話から始まった買物ぶりを拝見していて、息子さん同様で、真摯に挑戦されているご様子でした。 私も、三次郎君とお父様に負けずに、もがいて参りたいです。 2021年4月24日
どうしたら従業員が生き生きと働けるのか。その就業環境を作るのが商人の仕事です。 かたや、パワーハラスメント防止措置が、来年4月より事業主の義務となります。 パワーハラスメントとは、「優越的な関係を背景とした言動であって、 業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、労働者の就業環境が害されるもの」と定義されます。 特に、経営が厳しい時こそ、人件費等の経費を切り詰めようとします。 その結果、従業員の就業環境は、厳しいものとなりがちです。 その中で、会社を存続させなければなりません。 さらに、従業員が輝いてこそ、顧客に対してベストパフォーマンスを実現できます。 そのため、従業員にも状況を率直に伝えて、状況認識を共有してもらことは必要です。 従業員は、対等な人格を持つ心強き味方であり、苦楽をともにするカンパニーです。 ですから、日頃からコミュニケーションを良くとりあい、信頼関係を醸成しておくことが大切です。 そして、その状況の原因および責任は、商人自身にあるとすべきです。 その商人の覚悟こそ、良い就業環境につながる土台だと思います。 2021年4月19日
総額表示を通じて、商人にとって、税とは何かを考えました。 消費税として、販売価格10%の金額を顧客より預かり、後日それを納める。 その点では、税務代行をしています。 そのため、どのように税を徴収するか、どのように税を使うのかに関心を持つ必要があります。 それは、国や地方の財政および政治に目を光らせること。 明治の初年に地租改正が実施されます。並行して国会が開設されて参政権が付与されて参りました。 税を納めるからこそ、国が成り立ち、権利が付与されます。 ところが、代表者に丸投げして、商人は税に不平をこぼすばかりで、政治に無関心になっていないか。 ただ、政治に対して深入りおよび癒着することは要警戒です。 しかし、政治とは離れず、政治との適切な距離感を見定める必要があります。 そして、さざまな経済団体等を通じて物申すこと。そこに商工会議所の存在意義があります。 本来、税務署員ではなく税を納める人こそ、税を啓発する立場にあるように思います。 公僕を養っているのは、税を納める人たちであり、それが主権者たる所以です。 そして、それを先導するのが商人です。 2021年4月5日
この四月より消費税を含めた総額表示の義務化で、値付け作業に従事していました。 改めて、商人にとって価格とは何か。 通常は、メーカーが原材料費等のコストを勘案した希望小売価格、定価を提示してくれます。 その定価には、商人の利益を確保することが考慮されています。 その時、商人は、顧客とメーカーとの間にあって、どちらにも納得してもらう価格を決める立ち位置にあります。 いくら品質が良好でも、高額であってはなりません。 逆に、いくら値ごろ感があっても、品質やサービス等が劣っていてもなりません。 加えて、商人は、自店の従業員に報酬を与えなければなりません。 その点では、顧客が納得される上限を見定めることが肝要です。 顧客が喜び、メーカーが喜び、従業員も喜ぶための価格を設定する。 その点で、過度な安売りとは、結果としてメーカーを取り巻く業界全体が疲弊してしまい、従業員を長く養うことができません。 その意味では、常にバランス感覚が問われていて、それが価格に反映されることが分かります。 値付けとは、顧客、メーカー、従業員の三者と向き合うことでした。 2021年4月3日
海洋研究開発機構の小栗一将君は、高校時代の写真部の後輩です。 研究者である彼の業績を同僚が紹介しているSNS動画を見て、頼もしく思いました。 彼は観測装置や実験装置を自作していました。 そういえば、青色の発光ダイオードを開発してノーベル物理学賞を受賞した中村修二さんも 自分で装置を作っていたことを思い出しました。 小栗君曰く「新しいこと、未知の世界に切り込むためには装置の製作が必要なことが往々にして有り、 限界を破るには自作が不可欠です。」 そして、同僚曰く、「研究者は、自分のやりたいことをするのではなく、自分を客観的に知り、 他者が自分にしてもらいたいことを行うべし。おぐりん(小栗君)は、その良いお手本だ。」 その時、商人も同じだと思いました。 商人とは、自分のやりたいことをする人ではなく、そこにお客様という他者が常に介在していて、 他者の期待や要望に応え寄り添っていく人。 その小栗君がデンマークの大学からオファーがかかり、来週デンマークに旅立ちます。 海底の深き謎を解き明かして、ノーベル賞を片手に凱旋してくるかもしれません。 2021年3月13日
春の到来を告げる新城市の川売(かおれ)の梅が見ごろを迎えていました。 山の斜面に1500本もの梅が段々に植え付けられて、その間に小川が流れている。 青空のもとで、まさに桃源郷を思わせる風景でした。 この里山をみなで守り、次世代に継承していきたい。 それは故郷の里山と呼ばせてもらっても良いでしょう。 そこで、地元の新城の皆さんたちだけではなく、近隣都市の住民にも役割があるように思います。 中山間地域を近隣都市が支える。 そこに自動車やインターネットなどの文明の利器を生かしていく。 幸いに新城は、新東名および浜松に通じる三遠道路が整備されました。 豊橋もまた、一方的ではなく、森林や用水はじめ多くの恩恵を受けていますが、 この里山で四季を楽しませて頂いて、明日への活力とさせて頂いています。 東三河地区として、われわれ豊橋が主導して、 新城をはじめ東栄町、設楽町、豊根村、田原、豊川、蒲郡と運命共同体となり、 助け合うことが期待されています。 故郷の視点を、自分たちの街だけにとどめず、もう少し広くしてみると、 なすべきことが見えて参ります。 2021年3月12日
東京五輪組織委員会の会長に橋本聖子さんが選出されて、テニス選手の大坂なおみさんが 「私たちは、ただ平等になることだけのために多くの事柄で闘ってきた。 いまだにさまざまなことが平等ではない。」 江戸時代から続いてきた日本の公娼制度を思い出しました。 国家が買売春を認める制度。 この制度の全廃を求めて闘ってきた女性たちの歴史がありました。 その一人が山川菊栄さん。 曰く「公娼制度は男子に自制的習慣の養成を不必要ならしめ、婦人を動物視し玩弄物視する習慣を養わせる。」 そして、女性が知性を兼ね備えて、自立できる道を提供していくことも求められました。 職業選択ができる自由をもつためには、まずは学問が必要です。 あくまで、学問は手段であり、自由になることが目的です。 当時、女学校が設立されましたが、公娼制度はそのまま残りました。 その時、私たち商人は、女性の雇用の場を積極的に作っていく立ち位置にあります。 自由あるいは平等とは、座して待つものでありません。 自分の意思で職業を選べる自由な社会を求めて、女性とともに男性も闘っていく時です。 2021年2月26日
時間および期日を守るということは、商人にとって最重要課題です。 それを積み重ねてこそ、一番大切な信頼が醸成されます。 その信頼のゆえに、顧客から商品を購入頂ける。 ところが、今日コロナ禍で、商品の欠品が少なからず発生してしまっています。 そんな時、メーカーにとっては、信頼を得る大きな要素は安定供給だと分かります。 発注を受けたら商品を確実に納入できるように計画的に製造していること。 それは、当たり前のことと思えますが、日々信頼が醸成されていました。 同じく、小売店にとっても、顧客から注文が入れば、確実に商品をお届けできること。 そして、それができるのも、メーカーとの連携があってこそです。 常日頃、メーカーと良好な関係がないと、この点で綻びが生じてしまいます。 ですから、メーカーにも同じ意識をもってもらうように努める。 それでも、欠品が発生したら、いち早く顧客にお伝えすること、お詫びすること。 そこにもまた信頼が醸成されます。 この時期、商人としての試みの日々ですが、自戒を込めて、メーカーとともに心を尽くして参りたいです。 2021年2月13日
東京五輪組織委員会の森会長の発言を通じて、会議のあり方を反省いたしました。 何のために会議をするのか。 あの発言をそのまま切りとれば、発言することよりも会議の時間に価値を置いている。 会議の本位を突き詰めれば、時間の長短ではありません。 それは違う人格をもつ者たちが集まって、まずは共通理解に至り、課題解決に向けて一つの総意を導くこと。 そのためには、互いの人格を尊重することが前提にあり、自由な意思で発言をすること。 ところが、これまでの慣習を言い訳に、過度に空気なるものを気にしていないか。 いわゆる総会という集まりでは、しゃんしゃんで終わることが良しとされてきました。 前回の踏襲であったり、事前の根回しによる一部の人だけの案に無批判であるのならば、 そもそも会議の必要はない。 今日の日本社会の閉塞感は、事なかれ会議の常態化が招いているものかもしれません。 時代を築いてきた諸先輩方には敬意を抱きつつ、本来の会議に立ち返る時です。 それは次世代の当事者意識、強い意思が求められます。 自由闊達で多事争論のある会議を目指して、私たちが発言する時です。 2021年2月12日
トランプ大統領がマスコミを通さずにプラットホームで直に情報を発信するように、 製造メーカーもプラットホームを通じて直に販売できる時代となっています。 マスコミと同じように小売店の存在意義が問われています。 商人とは、人様が製造した商品を販売させていただく立ち位置にあります。 その時、商人は、客観的で公平な眼差しで商品を見定めて、それを自分の言葉で紹介していく。 それは、さながらジャーナリズム魂をもったマスコミのようです。 人様からの借り物ではなく、商人独自の判断力と表現力が問われ、そこに個性が表出します。 そこの小売店に商品が並んでいること、その小売店の言葉で紹介されることで、付加価値が生まれます。 ところが、本来すべきことができない小売店となり果ててしまえば、 メーカーは製造直販に向かっていくことでしょう。その点では、日本の市場から売場がなくなっています。 効率と安さを求めることが売ることではありません。 売るという行為は、信頼を土台に据えて明日に続いていく、深くて重いものだと思います。 商人こそ、それを真摯に追求していく時です。 2021年1月29日
トランプ大統領のツイッターのアカウントが永久停止となりました。 これまでも、その投稿が事実に基づかないという理由で削除されることがありました。 裏を返せば、マスコミの存在意義が問われています。 客観視できる第三者の介在なしに個人で情報発信できる時代となりました。 結果として、主観的で偏向したもの、刹那的なもの、耳ざわりの良いものが色濃くなる。 そこで、日本の地上波の公共放送は如何。 バラエティー花盛りで、アナウンサーという職業は、ジャーナリストではなく芸能寄りとなっています。 事実を追求するジャーナリスト魂は今何処。 マスコミの原点とは、耳ざわりの良い情報を伝えるのではなく、まずは正確な情報を伝えること。 そのためには、私情を挟むことなく独立不羈を堅持すること、時に勇気を奮い立たせること。 それは多難であっても、真摯に取り組めば、そこに信頼が生まれます。 情報なるものも紙幣と同じで、信用がなければ、ただの紙切れおよび記号に過ぎません。 それは、商人も同じであり、信なくば立たずです。 トランプ大統領の退任は、われわれに原点回帰を促してくれます。 2021年1月26日
娘が幼稚園への就職にあたり、教員としての誓約書がありました。 そこに教育基本法の条文が記載されていました。 いわく「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し 絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。」 平成18年の改正で、その前文には、新たな言葉が加わっていました。それが「公共の精神」です。 日本人にとっての公共あるいは公とは、欧米のpublicとは違って、 官あるいは行政のものとのニュアンスがつきまといます。 しかし、それを担うのが主権者である国民であり、それを先導する立場にあるのが 商人です。国会の答弁で当時の文科大臣が答弁していました。 「公共の精神とは、国や社会の問題を自分自身の問題として考え、 そのために積極的に行動するという精神を言うわけでございます。 これまで日本人は、国や社会はだれかがつくってくれるものとの意識が強かったわけでありますが、 これからは、社会全体のために行動するという公共の精神を尊ぶ人間を教育によって育む必要がある旨を前文に掲げた」 この公共の精神を尊ぶ人間を娘にも育んでもらいたいです。 2021年1月22日
日本学術会議の新会員から除外された宇野重規教授は、「民主主義とは何か」(講談社現代新書)を上梓されました。 除外した政府に対しては「特に申し上げることはありません。 民主的社会の最大の強みは、批判に開かれ、つねに自らを修正していく能力にあります。」 その著書では、フランス人のトクヴィルがアメリカ合衆国で出会ったタウンシップのことを紹介していました。 「人々は自らの地域の問題を自らのことがらとして捉え、 それゆえに強い関心をもっています。政府の力が弱い分、学校、道路、病院などについても、 自分たちの力でお金を集め、あるいはそのための結社(アソシエーション)を設立して事業を進めていく姿に、 トクヴィルは民主主義の可能性を見出したのです。」 この市民の自治意識と結社による協調こそ、明日への道標だと共感いたしました。 日本学術会議という結社も、いつしか自由な精神が失われていないか。 かたや、任命する政府にも批判精神がなければ、教条化・硬直化します。 そして、地方自治が市民の自由な意思のもとで行われて、市民が力を合わせていく。 その中心にこそ商人がいます。 2021年1月16日
NiziUのデビュー曲「Step and a step」と新美南吉の詩「牛」が重なりました。 「牛は重いものを曳くので首を垂れて歩く 牛は重いものを曳くので地びたを睨んで歩く 牛は重いものを曳くので短い足で歩く 牛は重いものを曳くのでのろりのろり歩く 牛は重いものを曳くので静かな瞳で歩く 牛は重いものを曳くので輪の音にきゝ入りながら歩く 牛は重いものを曳くので首を少しづつ左右にふる 牛は重いものを曳くのでゆっくり沢山食べる 牛は重いものを曳くので黙って反芻してゐる 牛は重いものを曳くので休みにはうっとりしてゐる」 左の詩に対して、南吉研究家の鈴木真喜生さんは 「目の前で明滅するはかない流行やトレンドなどにいちいち振り回されず、 超然と、我が道を牛の如く進む発想と行動こそが、今、尊く、そして必要ではないか。」 かたや、「Step and a step 私の歩幅で Step and a step 私だけのペースで ゆっくり行ってもいい 休んでみてもいい 歩いていく 自分らしく」 そんな我が道を超然と歩めるのは如何。 それは、我を愛してくれた人たちの存在であり、それに気づける新年でありたいです。 2021年1月6日