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商人日記byフライパン倶楽部代表

人生とは、いかに生きるべきかを問いながら、自分とは何なのかを探す旅のようです。 お料理道具を売る現場で、地域との関わりの中で、家庭生活で、湧き上がった言葉を丹念に紡いでみた、明日への旅日記です。



昨年クリスマスの時期に空き巣に入られました。 子供たちの部屋にも侵入して、貯金箱からお金も引き出されていました。 娘も相当衝撃を受けて、しばらく夜は一人で寝れません。 ところが、半年後に、犯人が捕ったと警察から連絡が入ります。 そんな経過を娘が文章に綴り、しかも、おまけが付いて、 市内の作文コンクールで賞をいただきました。 その事件を通じて、わが家の防犯意識は高まり、子供たちなりに、 いろんな事を考えたようです。 その当座は、悲しい出来事でしたが、結果としては 良かったと思えます。 聖書のなかに「すべてのこと相(あい)働きて益となる」という言葉があります。 人生で起こる一つ一つのことには意味があり、 すべてのことを感謝して受けとめると、すべて良きことに変えられます。 その意味でも、この1年間を感謝して参りたいです。 良かったことは、もちろん。悪く思えたことも。 いや、かえって、人の目に悪く見えることの背後には、 神様からの贈物が隠されているように思えます。この1年間のすべてを感謝します。 2008年12月30日



クリスマスの日は、雨が降りました。 しかし、午後には晴れ上がり、豊橋の空には、美しい虹がかかりました。 その虹は、しっかりと弧を描き、7色がくっきりと見える。 さながら、豊橋市民へのクリスマスプレゼントのようでした。 聖書によると、ノアの箱舟の時代にさかのぼり、 「創造者が約束を果たす」シンボルが、虹だったのです。 本来、約束とは、必ず果たされるもの。 結婚も、二人の約束で始まります。 「健やかなる時も、病める時も、愛することを約束しますか。」 「はい、約束します。」と交わされます。 そのシンボルが、指輪です。 お互いに指輪を見て、その約束を思い出します。 しかし、人間のいかに軟弱なことか。 短い生涯でたった一つの約束も果たせず、反故にしてしまう。 その時、何千年のスケールで救い主の誕生を約束していたお方がおられます。 その約束を果たしてくれた日が、クリスマスなのです。 人は変りますが、そのお方は変りません。 雨上がりの空にかかった「クリスマス・レインボー」は、 新年の希望を約束しているようです。 2008年12月26日



クリスマスは、美しい夫婦の物語でもあります。 中学校時代の英語の教科書で、オー・ヘンリーの「賢者の贈物」を知りました。 妻は夫のために、自分の髪を売って、懐中時計につける鎖を買う。 夫は妻のために、自分の懐中時計を売って、櫛を買う。 この行き違いが、最も賢明な行為だったと結ばれます。 見つめ合って微笑む二人には、信頼が輝いています。 そして、イエス様の誕生にのぞんだ夫婦が、マリヤとヨセフ。 まだ二人が一緒になっていないのに、マリヤが子供を宿す。 それを知ったマリヤとヨセフの苦悩。 しかし、心安らかにされたのは、天よりの言葉でした。 私の結婚も同じでした。牧師から結婚話をいただき、 その相手のことは全く知りませんでした。 食事も喉を通らないその夜に、聖書の言葉が聞こえて来ました。 「恐れないで、あなたの妻マリヤを迎えなさい。」 神様がヨセフに語った言葉でした。同じように、この言葉にすぐに従いました。 二人の信頼のあるところに、救い主は誕生しました。 クリスマス、おめでとうございます。 2008年12月24日



高校時代の国語の先生に、書店でばったり再会しました。 「やいち先生ですね。」 「お〜、こんなところで何している。」その雰囲気は変りません。 すると、先生のありし日の「高瀬舟」の朗読が蘇りました。 安楽死をテーマにした鴎外の短編です。 独特の抑揚のある語りで、朗読の名手でした。 母校をこよなく愛し、ライバルの伝統校をいつも目の敵にして、 その語りで葉っぱをかけてくれたのが懐かしいです。いつも教室は大爆笑。 ある時、やいち先生と草取りをしていると、 「たかつ〜、おまえ、どこの大学を志望しているの。」 率直に「東京大学です。」と答えました。 「お〜素晴らしい。おまえなら大丈夫だぞ〜。」 ニコニコしながら答えてくれました。 遠い大学が、急に身近になりました。 このよく晴れた運動場での会話は、未だ記憶に鮮明です。 結局、その大学には入れませんでしたが、その言葉だけで十分嬉しかったのです。 「先生、何かおすすめの本がありますか。」 「お〜この納棺夫日記がいいぞ。それより、今度家に遊びに来いや!」 2008年12月22日



天才という言葉を見聞きすると抵抗を覚えます。 その言葉によって、天才たる当人が錯覚して、人間離れするのを危惧いたします。 その果ては、天災に遭ったような惨めな結末が待っている。やはり人間ゆえですが。 日本人全般は、すぐに人間を神様にしてしまう傾向があるようです。 しかし、人間はどこまで行っても人間。 そんな訳で、優秀な子供がいたら、「天才」や「神童」などの言葉は慎むべきでしょう。 もし、天才と呼ぶのなら、「あなたの能力は、あなたのものではないよ。 神様がみんなの益のために天から与えてくれたのだよ。」きちんと教えてあげるべきです。 その子の明日を思いやり、みんなで大切に育てて行く。 天才呼ばわりされて、どれほどの人材が潰れてしまったことでしょう。 それこそ、国家の大損失。マスコミも周囲も心すべしです。 最後の海軍大将であった井上成美(しげよし)さんが日露戦争で功績のあった 東郷平八郎さんについて晩年語っていました。 「人間を神様にしてはいけません。神様は批判できませんからね。」 2008年12月19日



わが街でも、海外から移住された方が多くなりました。 住み心地も良いのでしょうが、自動車産業をはじめ、働く場も多いからだと思います。 最近は不景気で、帰国される方も見かけますが、文化の違い故さまざまな事を教えられます。 先日も、日本に来て一番印象深かったことはの問いに、 「お水が美味しいです。」と意外な答えを頂きました。 コーヒーやお茶にまさって、毎日おいしく水を飲んでいるそうなのです。 そこで、料理の命は水とすれば、日本という国は 美味しい文化が花咲いてしかるべきなのでしょう。 海外からの旅行者も増えているようですが、お目当てはやはり食物だそうです。 昨年、子供が卵の殻を使って、日本地図を作りました。 その時、気がついた事は、日本は四方を海で囲まれた海洋国家。 殻を青く塗った海がキラキラ輝いています。 そのただ中に浮かぶ国は、さながら水の国のようです。 そこで、「昆布と鰹節のだし」を紹介したくなりました。 この水の恵み。ごくごく身近でありふれたものが、実は高価で尊いものでした。 2008年12月15日



いつもお世話になっているクロネコのヤマト運輸さん。 緑の台車が街のあちらこちらを行き来しています。 最近、その台車に「子供見守り隊」のステッカーがキラリと光っています。 私の自家用車にも貼ってあるのですが、子供たちを不審者や交通事故から守る目的のものです。 もともと私の住んでいる豊橋の校区から始った活動でした。 わが校区でも不審者による連れ去り事故があったことが、このステッカー活動のきっかけでした。 昨年は全国のPTAで表彰されて、その輪も全国に広がっています。 そして、今度はヤマトさんが自発的に加勢してくれました。 管轄の営業所もその活動を通じて社内表彰を受けたと伺いました。 「何かできないないだろうか?」とみんなが知恵を絞る。 そして、みんなが小さな一歩を踏む出す。 その積み重ねが、明日を切り拓く。 ありし日、ヤマト創業者の小倉昌男さんは、会社人である前に人たれと、強く戒めていました。 「会社に損を与えてもいいから、人間の倫理に外れた行動は、絶対に取らないでもらいたい。」 2008年12月6日



老舗の料理店を訪れました。 地元ならではの料理を振舞ってくれるので、 遠方よりの来客に喜ばれます。 しかし、老舗ゆえに変なこだわりが目につきました。 変なこだわりとは、頑固さかもしれません。 顧客には媚びない、もちろん流行にも左右されない。 それは、それで老舗らしいのです。 しかし、時代に取り残されてしまっている。 このままでは、どんどん顧客が離れてしまう。 もちろん、昔からの伝統を曲げない強さは必要です。 かたや、変る時代に対しての柔軟さも必要だと思うのです。 そこが、老舗として今後も生き続ける分岐点でしょう。 速水優さんが日本銀行総裁の就任時にコメントした言葉を思い出しました。 「神よ変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を与えたまえ。 変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。 そして、変えることのできるものと変えることのできないものとを見分ける、知恵とを与えたまえ。」 経済の舵取りも、店の舵取りも同じでしょう。 わが店も自戒したいです。 2008年12月1日



子供たちが絵画コンクールで入選に入りました。 今度は特選をめざして張り切っています。 ただ、それが行き過ぎても行けないと感じます。 賞はあくまで、その審査員の目から見たもので、絶対的な評価ではありません。 ちょうど、映画「ALWYAS 続・三丁目の夕日」を観ていて、 芥川賞をめざしていた主人公がよぎりました。 賞からは漏れましたが、周囲の人たちには感動を与える作品でした。 また、「フランダースの犬」のネロ少年が、おじいさんを描いた絵もそうでした。 その絵は、もはや評価される対象でありません。 いろんなことがあり、いろんな思いが詰まった渾身の大作であったと思います。 最後の場面にでてくる、ルーベンスの十字架の絵よりも価値があったのかもしれません。 少なくともイエス様は、ご自身の絵よりも、その絵を喜ばれたでしょう。 賞というのは、そのような作品を否定してしまう恐ろしさもあります。 ひたむきに、真剣に打ち込んだ作品は、賞を越えて、 とにかく世界で一番素晴らしい。ぼそっと、子供たちに伝えてあげました。 2008年11月25日



おせち料理に挑戦しています。 まず、伊達巻・栗きんとん・黒豆を作ってみました。 そこで、発見したことがあります。 それは、レシピに記載のあった砂糖の量です。 「こんなに、砂糖が入っているの〜!」 レシピの間違い?とも思いました。 たまたま甘党のメニューだったかもしれませんが、 おせち料理は、かなりのカロリー高。 もともと保存食なので、砂糖を使って持ちを良くしたのかもしれません。 また、甘いものこそ、最高のご馳走だったのかもしれません。 そこで、自分なりに砂糖の量は、調整してしまいました。 その分、早めに食べた方がよいかもしれませんが。 その時、出来合いのおせちなど、味は良くても、 カロリーたっぷりで、体のことはあまり考えられていないようにも想像しました。 手作りすると、そのあたりが、見えてきます。 おせちに限らず、出来合いものは、どれだけ砂糖を使っていることか。 砂糖の量は見えないゆえに、気をつけなければなりません。 やはり、おせち料理も、体に心を配ってくれる、家庭の手作りものが一番だと思いました。 2008年11月22日



できる仕事人は、道具を大切にする。 数年前にNHK「プロジェクトX」で薬師寺宮大工の 西岡常一(つねかず)さんが紹介されていました。 未だに私の記憶に残っているのが、西岡さんの道具箱。 スタジオで、重く静かに輝いて見えました。 西岡さんの道具に対する思い入れは強く、一度は途絶えてしまった 「ヤリガンナ」という道具を復活させたそうです。 先日トイレ掃除を指導いただいた時にも、私の目に留まったのが、美しい道具箱でした。 やはり、素晴らしい仕事が待っていました。 そして、最後は、きっちりと道具を手入れして終わる。 道具に始って、道具に終わる。これは、お料理にも通じます。 道具に愛着をもち、道具をよく手入れしているなら、 美味しい料理が生まれて来ます。 大方、道具の状態を見れば、そのお料理も想像できてしまう。 その時、お料理道具の販売店として、いかに道具に愛着をもっていただくか。 それは、まず販売する人が、道具に愛着をもつことでしょう。 できる料理人は、店を選ぶ。そんな店になりたいものです。 2008年11月17日



朝日新聞の天声人語で柳宗悦(やなぎむねよし)さんが紹介されていました。 「手仕事の日本」という著作があり、手と機械の違いについて語ります。 手は、心とつながっている。 手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えていて、 働きに悦びを与えたり、また道徳を守らせたりする。 まさしく、手仕事とは、心の仕事にほかならないと。 新聞を読みながら、実に的確な表現だと、大いに共感してしまいました。 時同じくして今度は、中日新聞の読書欄。 「柳宗悦と朝鮮」の著者の言葉でした。柳が感じた美とは何か。 「名もない職人が作った民芸品の中には、うまく作ろうという作為はなく、 ただ無心に作った物から、自然なぬくもりや、生活の中から受け継がれてきた 美の深さを感じたのではないでしょうか。」 家庭料理も「手料理」とも呼ばれ、同じなのだと思ったのです。 手料理の美味しさを裏付けてくれている様です。 そして、今日はじめて知りました。柳宗悦さんのご長男が、 なんと、当社でも長いことその商品を扱ってきた柳宗理さんでした。 2008年11月11日



小学校の親子ふれあい教室に参加しました。 トイレ掃除を「豊橋掃除に学ぶ会」の皆さんにご指導いただきました。 総勢10数名の皆さんは、ボランティア。 イエローハットという自動車用品店の社長であった鍵山秀三郎(かぎやまひでさぶろう)さんが 唱導した会でした。数年前に、鍵山さんが書いた「凡時徹底」という本を、 タイトルに魅かれて読んだことがありました。 今回はじめて、素足、素手になって便器を磨きました。本と実践では違いますね。 意外に子供たちも勇敢。素手でも嫌がらず楽しげにやっていました。 小便器の黄色く染まったお皿を前にして、「ああ〜、自分の心はもっと汚いのだ」と悟りました。 そして、しだいに綺麗になって行く様に、自分の心まで洗われるようでした。 その日は、寒い日だったのですが、不思議と寒さを感じません。 何か真実なものに触れた時間でした。 玉川学園の創立者である小原國芳(おばらくによし)さんの言葉を思い出しました。 「人生の最も苦しい、いやな、辛い、損な場面を、真先に微笑をもって担当せよ。」 2008年11月10日



一人暮らしのお年寄りと話す機会がありました。家族はいるのです。 奥様は痴呆のために老人ホーム。お子さんたちは世帯をもって別居。 何より困るのは、毎日の食事だそうです。 昭和一ケタ生まれで「男子厨房に入らず」という教えがあり、 お料理は一切できない。 「どうして、あんなことを言ったのかな〜」と悔やまれていました。 ただ、当時はきちんとした役割分担があり、 三世代が一緒に暮らしていたので、お互いに助けあって行けたのでしょう。 ところが、核家族化となると、そうも行きません。 「早く男子厨房に入るべし」でしょう。 仕出のサービスもあるのですが、飽きがあったり、 栄養が偏ったり、家庭料理にはかないません。 それにしても、一食分作るのは、わびしいですね。張り合いもない。 沢山作った方が味も良いし、効率も良い。 やはり、みんなで食べるから美味しい。お料理は一人の世界ではないようです。 そこで、問題なのは、核家族化。これが問題の核かもしれません。 超高齢化社会を迎えて、家族のあり方が問われています。 2008年11月6日



中学校時代の校長先生は兵東政夫先生でした。 全校朝会での先生の話は、一冊の本にもなっています。 シベリアに抑留されて、日本語に飢え渇き、 そこで見つけた日本語の「罪と罰」を貪るように読んだお話など 今でも記憶に残っています。 昨年そんな先生が、「軍都豊橋」という本を出版されたと伺い、 地元の書店で購入。ところが、その出版と時をほぼ同じくして先生は 逝ってしまいました。もう一度お会いしたかった。 先生は、入学した時に、全校生徒一人一人に直筆で書いた表札を プレゼントしてくれました。「中部中 高津由久」 私の家にも掲げてありました。 自分の名前に誇りを持てと、教えていただきました。 名前とは、他と自分を区別するものであり、 自分が自分であることのシンボルでもあります。 自分を大切にするとは、自分の名前を大切にする事でもあります。 そして、正々堂々と自分の名前を掲げて生きる。 そこには、逃げはなく、責任が伴います。 匿名が蔓延するネットの闇世界。名前こそ、光を灯す明日への道標です。 2008年10月28日



「ウォーターボーイズ2」というTVドラマを子供たちと観ていました。 女子が圧倒的に多い高校で、肩身の狭い男子たちが シンクロに挑戦して、男らしくなっていくストーリーです。 今の時代を映し出しているようでした。 そう、最近気になるのが、男の子です。 優しくはなっているのですが、男らしくない。逞しくない。 悪く言えば、軟弱です。かえって、女の子の方が積極的で、逞しく感じられることが多い。 大学で勉強ができるのは女子。会社でも定着するのは女子。 ついに、「ボーイズクライシス」(男の子の危機)という言葉も出現しているようです。 それは、女親が過度に甘やかしているのかもしれません。 男親が不在で、模範を示せないのかもしれません。 そんな時、大学時代に出会った宣教師を思い出しました。 シャーペンと聖書を手に、「BE A MAN!」(男になれ!) 当時このシリーズの文房具があり、学内の部室で「購買で今日素晴らしいものを見つけた!」と シャーペンに記載されていた3文字から熱弁を振るってくれました。BE A MAN! 2008年10月21日



私の散歩のコースになっているのが、豊橋動植物公園。 入場料は大人600円ですが、幸い年間パスポートがあるのです。 なんと、2000円。これで自分の庭のようになってしまいます。 まさしく、動物園の近くに住んでいる特権です。 この時期は、遠足に来る幼稚園児や小学生たちが目立ちます。 子供たちの歓声は、耳に心地よいものです。 その少し離れた園内で、秋の七草フジバカマが見頃を迎えています。 毎年この花を目当てに、園外からの飛来客がやって来ます。 それが、渡り鳥ならぬ、渡り蝶です。 「今年も来ているかな〜」とのぞいてみると、期待通り、ひらひらと舞っていました。 アサギマダラという大きめの蝶です。 しかも、この蝶は人が近づいても逃げないので、優雅に舞う姿をじっくりと観察できます。 そして、その優雅さからは想像できないのですが、 1000kmも旅をすることがあるそうです。 動物園の檻の中ではない、大空のもと自由に舞う蝶の姿に、 何かほっとするものがあり、生きている喜びも伝わってくるようでした。 2008年10月14日



「チョッピリ肌寒い」この感覚が函館生まれの家内には、懐かしいのだそうです。 しかも、何かウキウキしてくるのだと。 ふと、その懐かしさとは、郷愁なのかなと思いました。 その時、気づいたのですが、愁の字は秋に心と書きます。なぜか。 やはり、故郷は、秋に感じることが多いのでしょうか。 そして、この漢字は、なにか物悲しい意味合いも含まれています。 しかし、ウキウキとは違うな。何だろう。 そこで、最近目覚めているのが百人一首。 改めて吟味してみると、まず驚いたことが、 男女の恋歌ばかり。しかも、かなわぬ恋で物悲しい。 そして、次に、秋と月の歌が多い。やはり、秋の心なのか、どちらも物悲しい。 すると、百人一首の心は「愁」なのかもしれません。 そこで、家内の感覚を考えると、この愁の対岸にあるもの。 物悲しさだけで終わらず、そこに優しさが生まれ、希望と変っているような。 そこで新たな一首。「冴えわたり 凛とみなぎる しろき朝 北のをとめの 心ときめく」 2008年10月7日



ご近所のお米屋さんを招いて 「おいしいご飯の炊き方講座」を実店舗で開催しました。 そこで、改めて家庭料理の魅力を悟りました。 単にお料理であれば、プロ職人の料理もあります。 しかし、頭につく家庭にこだわりたいでのす。 家庭料理の魅力は何でしょうか。ご飯と同じで不思議と飽きが来ませんね。 三ツ星レストランの料理でさえ飽きるかもしれません。 有名なお料理研究家も然り。彼らも家庭料理には適わないと思うのです。 何が違うのでしょうか。お米を炊きながら考えました。 ズバリ、家族を思う気持ちです。 家庭料理の魅力は、そこに損得勘定がなく、そこに報いを求めず、 ひたすら美味しいものを食べてもらいたい、一途な気持ちが詰まっていることです。 そんな純粋な気持ちをもてる場所こそ、神聖なる家庭ではないでしょうか。 だから、信じること、望むこと、愛することが育まれる。 家族を誰よりも大切にしている気持ちがある限り、 そのお料理には、もっともっと自信を持って良いのです。 なぜなら、お料理は、愛情ですから。 2008年9月27日



愛知県内の学校給食に事故米が使用されていた事件で、 子供が学校からプリントをもらって来ました。 幸いココ豊橋は、その事故米は使用されていませんでした。 そのプリントで「ご飯は100%豊橋産のお米を使用している」ことを知りました。 基本的に、わが故郷の給食は、地産地消を推進しています。 豊橋産学校給食の日を設けたり、青果物はすべて国産なので、バナナは献立に上がりません。 その青果物では有名な土地柄ですが、基本のお米が地産であることに嬉しく思いました。 他県ブランド米も良いですが、やはり、お米も地元のものを見直してみるべし。 と言うのも、地産地消は、新鮮であることに加えて、 今回のような事件からも守られます。 それにしても、食の不安を招く事件が後を絶ちません。 それは、便利さになれ、口に入れるものを安易に考えすぎた代償を払っているようです。 信じる信じないの問題以前に、安易に何でも頼らない。人任せにしない。 自分の体は自分で守るという、自立の問題が根底にあるように思います。 2008年9月23日



祖父の23回忌を機会に、集まった親戚の家系図を作ってみました。 これが、意外と好評でした。 顔は知っていても、どのような繋がりがあるのかを知らない。 しかし、この家系図で一目瞭然。 しっかり、みんな繋がっていることが分かります。 そして、祖父の思い出を語って頂きました。 私の一番の思い出は、祖父の最後でした。 旅立つ前日、祖父は枕元でキリストに祈りをささげ、さながら天使の様でした。 私の手をしっかりと握り、キラキラ輝いた目で見つめてくれました。 高校生の私なりに、その瞳を見て、「天国って本当にあるんだ〜」と直感。 それは、私の信仰への門となりました。 ある建築家が理想の建物について語っていました。 「完成した時が、一番美しいのではなく、歳月とともに深みを増し、 倒れる直前に、最高に輝く建物。」 そして、人間も同じだと思ったのです。 その意味では、祖父は最後に一番輝いて人生を全うしました。 祖父の後を追い、私もそんな最後を迎えたいです。 2008年9月15日



地域の運動会に参加しました。 町内対抗の年代別リレーで小学校の運動場を1周します。 私はアンカーにバトンを渡す役回り。 白い鉢巻を締めて、久し振りの全力疾走です。 なんと、私たちの町内は、みんな早いこと早いこと。 最後のプログラムに、場内も刻々と盛り上って行きます。 こちらも、気合が入りました。いや、入り過ぎたかもしれません。 1番でバトンを受取りました。あとは、全力で走り抜けるのみ。 そして、最後のコーナーをまわって、直線に入った時でした。 よもや、よもやの大転倒〜。バトンを持ったまま、頭からの滑り込み状態。 目の前に運動場の土が見えました。 「しまった!」私の中で、時間が止まりました。 次の瞬間、立ち上がり、走ろうとすると、足がもつれて、再度転倒。 最後は、這ったのでしょうか。なんとか、バトンだけは渡りました。記録は2位。 皆に詫びるのですが、「よく走ってくれた。怪我は大丈夫。」 かえって、優しく励ましていただきました。 しかし、いくら気持ちは若くても、相応の体力を見極めるべしでした。 2008年9月9日



旅先で出会ったのが、井口喜源治(きげんじ)先生でした。 信州のペスタロッチとも呼ばれ、子供たちをこよなく愛されました。 明治31年に研成義塾という学校を開き、自らの手で800人の卒業生を育て上げます。 国からの援助には頼らず、清貧な生活に徹します。 幾多の経営危機を乗り越えて、病に倒れるまで教え続けました。実に、34年間。 先生の口癖は、「偉い人ではなく、良い人になれ」 その志は今日に受け継がれ、安曇野の中心地に、 「井口喜源治記念館」が建っています。そこが、私の出会いの場でした。 そこで手にした本に、私の心を捉えた言葉がありました。 「今与えられていることにベストを尽くせ。しからば天職は自然に明らかに知られるようになる。」 井口先生はこの言葉をひいて、生徒に教えていました。 「青年時代は、誰でもその方針に迷うものであるが、 今与えられている仕事に最善を尽くせば、必ず善き道が開けて行くものである。」 それは、私に語っている言葉のようでした。時を越えて、私も井口スピリットをいただきました。 2008年9月6日



安曇野ちひろ美術館を訪れました。 黒柳徹子さんの「窓ぎわのトットちゃん」の挿絵が懐かしいです。 いわさきちひろさんの絵は、今でもよく見かけますので、 まだご健在なのだろうと漠然と思っていました。 ところが、お亡くなりになって34年が経過。 トットちゃんが出版された時は、すでに他界していた訳です。 それにしても、今も生きているかのように、その絵をよく見かけるのは、 それほど愛されているゆえでしょう。 実は、この美術館が、ちひろさんの絵にも優って素晴らしい。私がそこで衝動買いしたのが 「ぼくが安曇野ちひろ美術館をつくったわけ」という一冊の本でした。 著者は館長さんですが、なんと、ちひろさんの一人息子。 松本猛さんが、お母様の遺産を受け継いで、お母様の美術館を作られたのです。 ちひろさんの息子という特別な境遇をいただき、 それをしっかりと受けとめて、きちんとご自分を生きている。 その生き方は、松本さんにしかできなかったでしょう。 分かりました。松本さんが、ちひろさんを今日も生かしていたのです。 2008年9月4日



夏休みの最後に、家族で松本に行って来ました。 昔から、松本という町にひかれてきました。 そのきっかけが、34年前の仔羊幼稚園のお泊り旅行でした。 園長先生が松本とつながりがあったようです。 紅葉の美しい山並みの中を、みんなで楽しく歌いながら、 バスでぐるぐると周っている。その記憶が今でも鮮明なのです。 松本は、本当に美しいところです。 そんな松本で暮らしているのが豊橋出身の河野義行さん。 14年間の闘病生活の末に、先日奥様がお亡くなりになりました。 サリン事件だけでなく、マスコミ報道や刑事捜査の被害者になった 河野さんのお話を講演会で伺ったことがありました。 奥様をどこまでも愛すること。加害者を恨むことなく前向きに生きていること。 その事件や経験を通じて、今自分が何をなすべきか。 そのご自分の使命に、とても敏感で忠実な人だと思いました。 それらのことは、あの松本の大自然が、河野さんに教えてくれたのかもしれません。 そして、その悲しみもきっと、あの大自然が癒してくれるでしょう。 2008年8月30日



年の功か不幸か、相手を知りつつも、視線を外してしまうことがあります。 社会生活の中で、必要なこともあるのでしょう。 しかし、面識のある方、あった方には、 きちんとアイコンタクトして、挨拶をして行きたいものです。 電車やバスの中でも、この視線を外す仕草をよく見かけます。 知らないもの同士であれば、思いやりでもあります。 本当に皆さん上手に視線を外します。その結果、お互いに落ち着きます。 しかし、その延長線上で、面識のある方に対しては、誠に失礼千万となります。 そして、気をつけたいのは、面識のあった方に対してだと思います。 幼馴染のご両親などは、結構、顔を覚えているものです。 その時、声をかけようかなと頭の中でグルグルと走り回ります。 ところが、即答できず、視線を外して通り過ごしてしまう。 しっかりと目を見て、微笑んで「こんにちは!」とたった一言で十分なのです。 もし、驚かれれば、「息子さんの友人の高津です。」と添えれば良いだけです。 場をわきまえつつも、この視線外しには気をつけて行きたいです。 2008年8月26日



「練習ハ不可能ヲ可能ニス」 慶応義塾塾長であった小泉信三(こいずみしんぞう)先生の言葉です。 塾内では福沢諭吉のみ先生で、小泉君となりますが、 私としては、福沢先生同様に小泉先生が相応しいです。 先生は、天皇陛下の教育掛でもあり、美智子様との結婚を仲介し、 ご夫妻からも大変慕われていました。 最近、地元の財界史を読んでいたら、小泉先生の奥様が 豊橋出身の阿部泰蔵さんの娘であったことを知り、嬉しくなりました。 本日、その先生が登場する映画「ラストゲーム/最後の早慶戦」が封切り。 戦地に赴く学生たちのために、軍部などの反対をおさえて、試合を敢行します。 戦時下の塾内には「善を行ふに勇なれ」と掲示していたそうです。 まさに率先垂訓、権力に媚びない気風は、塾に脈々と流れています。 そして、上の言葉が、「陸の王者」の由来であり、 奇しくも、この夏の甲子園の活躍を生んだと言えるでしょう。 息子に「サッカーノート」をプレゼントしました。 表紙には、私の渾身の直筆で綴りました。 「練習ハ不可能ヲ可能ニス」 2008年8月23日



知多半島の先端にある美浜町小野浦に行って来ました。 三浦綾子さんの小説「海嶺」のモデルとなった音吉のふる里。 14歳の鎖国時代に、船で遭難して14ヶ月太平洋を漂流。 アメリカ原住民の奴隷となったところ、奇特なイギリス人に助けられ、中国のマカオへ。 そこで宣教師との出会いがあり、聖書の日本語訳に協力。 そして、アメリカ人の善意で、丸腰のモリソン号にのって待望の故国へ。 ところが、悲痛にも砲撃を浴びる。帰還ならず。 この事件を受けて、渡辺崋山らが幕政を批判、黒船来航の導火線ともなり、 やがて開国が実現。なぜか、音吉は日本に戻ろうとしません。 英語を学んだ彼は、あの事件以来、漂流民を助けることを決意。 自分の事をお上に隠すように約束させて、多くの漂流民を日本に無事送り帰します。 キリストの愛を知った彼だからこそ、故国を捨ててまで犠牲者となりえたのでしょう。 そんな時、横田めぐみさんのことが重なりました。 まさしく見えないところで、厳然と生きている海嶺のような巨人たちです。 2008年8月16日



ああ〜素敵な言葉だな〜に久しぶりに出会いました。 それは、昨日の新聞。 北京オリンピックで惜しくも金メダルを逃して銅メダルに輝いた谷亮子選手。 そのご主人のコメントでした。 「目標にしていたメダルの色は違ったけれど、僕には金色に輝いて見えます。」 お互いを理解し、お互いに支え合っている、美しい夫婦の姿を見せていただいたようでした。 「金色に輝いて見える」まさしく、見えたものをそのまま表現したのでしょう。 がっかりしている谷選手の写真も掲載されていましたが、 一夜明けた今日、笑顔で記者会見とありました。 きっと、ご主人の言葉に一番感動したのはご本人だったのでしょう。 もし、金メダルをとっていたら、この言葉にめぐり会えなかったかもしれません。 金メダル以上に価値のある銅メダル。 いや、メダルではなく、夫婦や家族の絆を悟った瞬間ではなかったでしょうか。 そして、日頃の彼らの生き様が、この言葉を生んだのでしょう。 こんな夫婦が、わが国にいることを知り、オリンピック3連覇よりも誇りに思えました。 2008年8月11日



故郷の川は、夏の水遊び利用者全国一といわれる豊川です。 おととしの夏に、その上流にある新城市の桜淵公園にやって来ました。 小さな息子を背に負ぶって、なにげなく川の中に入りました。 ところが、しばらく泳いでいると、突然足をとられました。 水を飲み、バタバタと溺れはじめます。 しかも、上からは泳げない子供の重みもあり、もがきました。 ちょうど、知り合いの人の顔が見えて、なんとかその人のとこまで、 たどり着こうと必死でした。その方もたまったものではありません。 こちらが捕まれば、一緒に溺れてしまう可能性もあります。 その後は記憶にないのですが、幸い3人とも岸にたどり着けたのです。 さながら、天使が運んでくれたような不思議な体験でした。 「ああ〜、生かされている。」深く感謝しました。 しかし、あまりにも無謀でした。川底では、下方向への流れもあるそうです。 土地のおじさんがやって来て、厳しく叱ってくれました。 「川をなめるな〜」ありがたく深く反省しました。 2008年8月1日



格差社会という言葉が広がっています。 格差がない社会は、極端に言えば社会主義社会です。 それは、国に依存する社会とも言えます。 わが国は、個人が自立して責任を負うことが前提の自由主義社会です。 それが、いつのまにか依存心が強くなり、 格差社会という言葉を盾にしているようです。 そう考えると、格差社会の背後には、自立した個人が育っていないように感じます。 戦後の復興期などは、決して良い社会環境だったとは言えないでしょう。 しかし、社会の不満を口にする前に、とにかく汗水流して働いていました。 自分たちで変えて行こう、作って行こうという泥臭さがありました。 それに倣い、今こそ自立した個人を育てて行くことです。 「やってみよう!」と挑戦する人を応援する。その意欲の芽を摘まない。 巣立ちできない小鳥を擁護するだけの発想では不十分です。 自分の力で、大空高く、力強く羽ばたく。そのための手助けです。 彼らを信じて育てる愛情こそ、今問われています。 2008年7月25日



「14歳がバスジャック」 隣町の出来事でもあり、複雑な心境です。 私のごくごく近場でも、14歳が寂しくしています。 時計は午後10時を回っています。 14歳らしき子たちが暗闇の中、携帯を片手にたむろしています。 お巡りさんにお任せするのが一番なのですが、ついつい、「お〜い、何をしているの。」 何もしゃべらない。また、別の日は、とうとうと喋ってくる子もいる。 叱ってしまったり、「早く帰った方がいいよ。」とこちらも対応に苦慮します。 その時、いつも思うのは、彼らの帰るべき家のことです。 その事情を知れば、こちらも何も言えなくなってしまいそうです。 それほど、私の周囲では別れ話が多いこと。 ご本人同士は自己責任ですが、子供たちはどうなるのでしょう。 「それも人生経験」とでも自らを納得させているのでしょうか。 「こらあっ〜!なにを考えてるのお〜」 本当は子供よりも大人の方を叱りたくなります。 14歳の反抗は、「大人たちよ!目を覚ませ!」 というメッセージに思えてなりません。 2008年7月17日



「この花は何っていう名前だろう?」 四十を迎えて、花木の名前を覚えたり、食材の名前を覚えたり、 まだまだ知らない世界があふれています。 どうして、地球は動いているのに、動いていることを感じないのだろうか。 そんな素朴な疑問にも、いまだ正確には答えれません。 「四十にして惑わず」という言葉を考える時に、 悪い意味では、すでに一人前になったのだと誤解してしまい、 人の助言などもうけつけない、惑わない、固まった年とも解釈できるのでしょうか。 仕事も任され、気力も体力も充実してくる時期なだけに、いつのまにか自分の浅い経験や知識を過信しやすい。 その思い上がりに、一番気をつけねばならい年のようにも感じるのです。 その意味では、四十にして未だ何も知らず。 人生の折り返し地点と考えれば、もう一度、原点に返ることでしょうか。 そして、子供のような柔らかい心を、いつまでも持ち続けたいものです。 固まってはならないと、自戒したい今日この頃です。 2008年7月12日



枝豆は、文字通り、枝つきの豆ですが、最近は、 枝のない袋詰めの豆が主流のようです。これが、興ざめです。 枝つきの方が、断然おいしいのですが。 切ると言うほんのひと手間を省力するために、加工された手軽な商品があふれています。 しかし、その陰では、本物のおいしさが失われている。 それは微妙なものもありますが、積み重なると大きなものです。 その意味では、今の時代、どれほど本物の味を知らないでいることでしょうか。 うなぎの偽装事件などは、業者が悪いのは当然ですが、 ごまかされてしまう消費者も、かたや反省すべきではないでしょうか。 本当の味を知らないのを良いことに、業者がつけこんでくるようにも思うのです。 故郷の川でとれた天然の鰻を食べたことがありますが、油ののりが俄然違います。 手軽な商品ばかりに慣れっこになってしまうと、味覚が衰え、大きな罠が待ち構えているようです。 ほんのひと手間にこそ、もっともっと寛容になりたいです。 2008年7月5日



「四十にして惑わず」 このたび四十を迎えて、心に留まった一冊の本があります。 「祈り 美智子皇后」その生き方に魅かれました。 義務という言葉がありますが、正しい務めと漢字で書きます。 その意味では、人生は与えられた義務を果たすことだと思います。 これからの皇室はどうあるべきか。象徴天皇は。 ましてや、皇后に関する憲法の規定はありません。 しかも、民間から皇室に入り、非常に難しい立場に置かれてきたと想像します。 そんな中で、「陛下のおそばにあって、すべてを善かれと祈り続けるものでありたい。」 常に自分のなすべきことを自問し、控えめに、一貫性をもって、ご自分の義務を果たされている。 私も四十路がどうなるのか分かりません。 しかし、皇后の生き方に触れ、惑いが飛んで行くようです。 自分の義務を自覚し、それをきちんと果たして行く。 同時代にこんな皇后をいただき、幸運だったと感謝しています。 2008年6月27日



実店舗の奥には、IH機器のキッチンコーナーがあります。 新店舗オープンから半年あまり。ようやく落ち着いてきまして、 このキッチンで道具を使い始めています。 まずは、ラウンドストッカーで梅干し。 今日は紫蘇(しそ)漬けの日となりました。 ギュッと搾って、容器の中へ・・・おやおやカビがでています。 いや〜結構苦労しますね。そして、この紫蘇、地産なのです。 農家で働いている友人に頼んで、特別に分けていただきました。 すでに、葉はきちんと摘んであり、汚れも少ないです。 通常は、そのまま漬物工場に行ってしまうようです。 紫蘇も緑の大葉と赤いものがあります。 大葉の生産量は、わが故郷が全国ナンバーワン。 梅は和歌山産がブランドになっていますが、 豊橋産の紫蘇もブランドになる日が来るかもしれません。 わが故郷は、控えめですので、フライパン倶楽部が しっかりと宣伝して参りたいです。 2008年6月19日



展示会のシーズンです。 仕事を終え、日の長い夕刻の東京駅周辺をぶらぶら歩きました。 丸の内の気品ある街並みは、緑が多く美しいです。 やがて、大きな噴水の水飛沫、その向こうは、はや皇居。 ずっ〜と広がる芝生は、近くの日比谷公園よりも雄大です。 きっと天皇陛下のご希望で、国民が憩えるように整備されているのだと思いました。 まさに、憩いの場です。 本日は、二重橋まででしたが、皇居周辺だけでも、1日楽しめそうです。 折り返して、今度は八重洲方面へ。マッカーサー司令部もあった由緒ある第一生命ビル、 帝国劇場などを横切りながら、高島屋本店を通過。 めざすは、日本橋にある昔ながらの寿司屋さん。 カウンターに職人さんたちが立ち並び、「いらっしゃい!」と終始活気のある店内で 江戸前寿司を堪能。そして、心地よい夜風を浴びながら、21時30分発のひかり号へ。 丸の内に八重洲に、東京駅界隈は魅力が凝縮されています。 2008年6月12日



日曜の午後に、近くの田園地帯をぶらぶらと歩いていました。 豊橋動物園の南側に位置する風光明媚なところです。 そこで、近所のご年配者と道端で鉢合わせ。 色とりどりの花が咲く畑に、紋白蝶があちこちに舞っていました。 「良い所に、お住まいですね〜」 「ここに来た当時は、本当に良い所だったよ。しかしね、あの畑のむこうがね。」 溜息まじりの声が響きました。 視線をそこに向けると、なるほど、潰れた自動車が山となっています。 そこは、民間の産業廃棄物処理場。 田園風景にゴミ捨て場、実に不釣合いな光景です。 このような現場を見ると、今の生活を考えさせられます。 使うだけ使って、ゴミのことは他人任せ。 知らないところでは、美しい故郷を失っている人たちがいる。 今の社会とは、資源をたくさん使って、たくさん物を作って、 その結果、たくさんゴミがでる仕組みなのでしょうか。 ゴミゼロの街である豊橋から、この循環を変えて行きたいですね。 まずは、自分の生活からです。 2008年6月6日



愛知県の花である「燕子花(カキツバタ)」の季節となりました。 「アヤメかカキツバタか」と美しい人に例えられることもあります。 ハナショウブも含めて、この3つは見分けにくいですね。 アヤメは花びらに網目模様がある。あとの2つはそれがなく、 ハナショウブは花びらの元に黄い筋、カキツバタは白い筋があります。 ココ豊橋でも市北部にある「賀茂しょうぶ園」が本日よりライトアップ開始、 いよいよ見頃を迎えます。大和撫子(やまとなでしこ)と日本の女性を称える言葉がありますが、 撫子ならぬ燕子花こそ、日本女性の美を表現しているようにも思います。 キリッと切り立った端正な葉の中に、控えめであって品のある紫色の花が、 ほのかな芳香とともに静かに微笑んでいる。 衣替えの時期を迎えていますが、最近の女性の服装が気にかかります。 そこで、こんな歌が思い浮かびました。 「慎ましや 美しきかな 燕子花」 2008年5月27日



大阪府の若き知事が改革を進めています。 府職員の給与を引き下げる。 これは、大阪府民にとって本当に良いことなのでしょうか。 財政が厳しければ、まず人件費を下げる。 これは、あまりに短絡的な発想です。 この部分は聖域であり、最終的に手をつけるべきところです。 果たして、人件費を下げて、そのサービスを維持できるのでしょうか。 大阪に限らず、最近の行政の傾向として、正規職員の採用を見送り、 嘱託職員が増えているそうです。 それが、単に経費削減というレベルであれば、サービスの質は落ちて当然です。 これは、小売業にも通じます。 ただ、消費者のためだと、コストを下げることに集中し、 サービスに当たる人たちのことを顧みなければ、 必然的にサービスは低下します。 突き詰めれば、人のかかわる組織は、モノやお金ではなく、人で動いているのです。 そこで働く人たちが喜んでいて、はじめて良質なサービスを提供できます。 人件費は、コストでなく資産なのです。 職員よろこぶ、府民よろこぶ、世界よろこぶ、三方よし!こそ、 天下の大阪がめざすべきものでしょう。 2008年5月23日



四川省の成都と言えば、三国志でお馴染みの劉備玄徳のお膝元。 中学校時代の毎週土曜日、NHKの人形劇が楽しみでした。 蜀の国の都になったのは、紀元3世紀ですから、ざっと1800年前。 悠久の歴史を越えて、今日もなお身近に感じるとともに、 何かできないものか?・・・もどかしいばかりです。 しかし、日の丸緊急援助隊の活動は、 成果が上がらずとも、日中のわだかまりまで解消してくれるようです。 昼夜を問わず精一杯活動している姿には、日本人も中国人も心を打たれます。 その時、関東大震災のことが気にかかりました。 あの時、どこの国が助けてくれたのか? 外務省の情報によると、アメリカ合衆国だったそうです。 それは、大統領の陣頭指揮のもとで、民間人も巻き込んだ圧倒的な規模での支援で、 そこから組織的なボランティア活動が始まったとも言われています。 スケールの大きなアメリカ人の善意には、敬意を覚えます。 何かあった時の救いの手は、国と国はもちろん、人と人の間にも深い絆を与えてくれます。 困った時の友が本当の友というならば、やはり愛こそすべて。愛が一番です。 2008年5月20日



御殿場の渋滞に出会い、今日はアウトレット考です。 こちらも土岐に、桑名にその名のショッピングモールが登場しています。 本来アウトレットとは、ブランド品の傷ものや売れ残りなどを在庫処分する店です。 しかし、いわゆるB級品がそんなに出てくるのでしょうか。 そう考えたくなるほどの店の規模と出店ラッシュです。 あくまで、アウトレットは、在庫処分店であって、正規販売店ではないのです。 本流ではなく、傍流いわばおまけの店なのです。 しかし、おまけどころか、その場での販売が主になっている。 まさに、本末転倒です。これは、百貨店などで常態化している割引セールと重なります。 もともとは、内部社員の特別招待会なるもの。それを一般顧客にまで広げ、もはや有名無実化。 そうなると、顧客の方も正規で買おうとせず、その日を待って安価で購入する。 このような目先の売上頼みの商売は、正規の商品がますます動かなくなり、 利益はなくなり、小売業全体がつぶれてしまいます。同業者への影響も甚大です。 あくまで、アウトレットは、本来のアウトレットでとどまるべきです。 今の規模も華やかさも不釣合いです。 ところが、アウトレットという甘い言葉に踊らされているようです。 それほど、日本の小売業は行き詰まっているのかもしれません。 2008年5月13日



ゴールデンウィークは1泊2日で御殿場に行って参りました。 富士山の奥深い裾野にある国立青少年交流の家。 両隣は自衛隊演習場と米軍キャンプです。 新緑の東海道を二川宿から快走します。 まずは、浜名湖のある三ケ日から東名高速道路へ。 菊川あたりから茶畑が広がります。 整然と段々と並ぶ若葉色が美しいです。 そして、由比のトンネルを越えると、青い大海原が飛び込んで来ます。 そうこうしているうちに御殿場。 アウトレットのお客さんでしょうか。出口は渋滞。 その日は雨で、すぐそこにある富士山が全く見えません。 実際にあるのだけれど、見えない。何かを象徴しているようです。 そんな中で、びしょ濡れになって息子とサッカーに興じました。 しかし、翌朝を迎えると、打って変わって、見事に晴れ上がりました。 空気も洗われ、雄大な富士山のお目見えです。 う〜ん実に美しい。多くの人がこの朝、富士の虜に。 そんな富士のもと、心地良い薫風を受けて広場で若者たちとソフトボール。 すっかり日焼けしてしまいました。 そして、まだ別れ惜しく、帰りの富士川サービスエリアで見納めです。 「日本人よ、胸を張れ!」ひとり富士の声に耳を澄ましていると、 家族連れの方に写真撮影を頼まれました。 やはり、富士は日本一の山なのでしょう。 2008年5月9日



今日は何の日だっけ?そういえば、憲法記念日だな〜。 これが今の日本を象徴している光景ではないでしょうか。 目先の家族サービスに忙しく、改まって考える機会もないのです。 戦後60年を経過して、憲法改正論議が起こっています。 論点は9条でしょう。平和憲法こそ日本の誇りとし護憲を主張する人たち。 主権国家として、自分たちの国を自分たちで守るために改憲を主張する人たち。 どちらも一理あると思います。 私が危惧するのは、今日は何の日だっけ。その感覚の延長に潜む無責任さです。 平和憲法は世界に先駆けて素晴らしい理想をうたう一方で、 それに安住してしまっている面があると感じるのです。 まさに、平和ボケです。 国を守ることをはじめ、すべてが他人任せ。 自分で考え、自分で行動する。独立した個人が育っていない。 そのことの方が問題です。 一人一人が今の憲法で良いのか、じっくり考えるプロセスがまず先決です。 それが護憲であろうが、改憲であろうが結果は後についてくるものです。 緊張感のある平和憲法、責任感のある平和憲法であれば最高です。 やはり、それはまず自分からだと思います。 2008年5月3日



今週PTAの総会があり、お役放免となりました。 この1年、父兄の仲間、先生方や地域の方々とお知り合いになり、心通わせ楽しくお仕事をさせていただきました。 子供の精神科の医者である佐々木正美(まさみ)さんが「親の愛情だけでは、子供は育たない」と言われていました。 家庭はもちろんですが、父兄と先生、父兄と父兄、父兄と地域の間に信頼関係が築かれることこそ、 子供たちへの最高の贈物だと感じました。それは「信頼の空気」です。 その温かな「信頼の空気」に包まれると、子供たちは生き生きと、伸び伸びと、堂々と成長して行きます。 この「信頼の空気」作りこそ、PTAの仕事だったと思います。 しだいに、大人の人間関係が希薄になっている今日、大人本人よりも、 実は子供たちの方が冷たい「不信の空気」に影響されてしまうように感じるのです。 それは、PTAという形態をとらなくても、 要は同じ学校の父兄の仲間たち、お世話になっている先生方や地域の方々との信頼関係が築ければ良いのです。 退任の挨拶を聞いていた家内の第一声は、「お父さん、寂しそうだったね。」 2008年4月26日



最近気になるのが、フリーメール宛のメールが届かないことです。 多くは、迷惑フォルダーに入ってしまい、それこそ迷惑なお話となってしまいます。 しかも、迷惑フォルダーに入っていない事もあるのです。これは、驚きです。 こちらの送信ログは残っているのに、どこに消えてしまったのか? フリーであれば、「しかたないか・・・」と霧の中に入ってしまいがちです。 今後はメールを管理するプロバイダーの質が問われてくるでしょう。 一方で、ユーザーも使い分けてはいるのでしょうが、 安易にフリーメールは、使用すべきではないと思います。 常々疑問に思うのが、携帯電話会社の価格競争です。 ユーザーは安くなって嬉しいかもしれませんが、実は危険が潜んでいます。 安価な経費で、セキュリティや社員のモラルを向上させ、 安全面をきちんと確保できるのでしょうか。 「まだまだ安くなります。」という宣伝広告が続くなら、ユーザーは怪しむべきです。 見えないところで、大切な何かが置き去りにされている。 これからは、安さに踊らされてはなりません。 2008年4月19日



菜の花が潮風で揺れる渥美半島は、気候温暖な全国有数の農業王国です。 しかし、この地域には川がなく、水不足で干ばつに悩まされてきた過去があったのです。 そこで、ある壮大なプロジェクトが始動します。 1927年(昭和2年)田原市出身の政治家であり、後に豊橋市長も務めた近藤寿市郎が「豊川用水」の計画を発表。 それは、豊川上流に大きなダムを作り、渥美半島まで導水する農業水利事業です。 近藤が1921年(大正10年)インドネシアに視察に行った時に着想したと言われています。 その実現にむけて、近藤は人々に熱く夢を語り、国にも精力的に働きかけます。 ところが、金融恐慌、戦争がはじまるなど、思うようには進んで行きません。 しかし、近藤は、あきらめません。ついに、1949年(昭和24年)この計画が、国の事業となり工事が始ります。 そして、1968年(昭和43年)完成の日を迎えたのです。 近藤のしたためた夢は、47年の歳月をへて実現したのです。 この水がなければ、今の農業王国はなかったでしょう。 昔の政治家は、半世紀50年先を見て、壮大な夢とロマンをもって事にあたっていたようです。 この季節、豊橋の道端を勢いよく流れていく用水の音に、 近藤のありし日の息遣いを感じることができるようです。 フライパン倶楽部先代の家がある豊橋郊外の赤岩には、 ステッキをもった近藤の銅像がきりりと今日も遠くを見つめています。 2008年4月12日



当社の社長は、お土産にこだわりがあります。 今週は、群馬の伊香保温泉にバス旅行。 お土産は、温泉饅頭でした。 伊香保では、数多くのお店があるようです。 そこで、バス会社に評判の良い饅頭屋を調査させていました。 そして、バス会社がセレクトした饅頭は、真空パック入りの 割と大きなお店のものでした。そのお店も当地では、名が通っているようです。 しかし、社長は、この真空パックが気に入らないのです。 私も、どちらかと言うとそのたちです。 そこで、以前テレビで観たことのあるお店を自分で探し当て、 そこの饅頭も買って来ました。 こちらは、こじんまりとした家庭的なお店で、朝早くから 手作りで作っていたそうです。もちろん、真空パックではありません。 賞味期限は1日だけ。しかし、その日に帰ってこれるので、すぐに食べれます。 やはり、美味しい。久しぶりに、美味しい饅頭をいただいたなあ〜という気分でした。 さすがに、真空パックのものもそれなりの味のようでしたが、 一味違うのです。これは、宇宙で食べると相応しいかも? どうやら、真空パックに偏見があるかもしれませんが、 パックなしの新鮮な饅頭には、やはり真心のようなものを感じてしまうのです。 これこそ、本物の饅頭だと思い、私たちの店も、 パックに入れない饅頭屋さんに習いたいと思いました。 2008年4月5日



春爛漫。広小路の桜もすでに満開を迎えています。 折りよく、新渡戸稲造(にとべいなぞう)先生の「武士道」を 矢内原忠雄(やないはらただお)先生の訳で読んでいました。 「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花かな」(本居宣長) そして、ヨーロッパの人が愛でる薔薇(ばら)との比較が綴られています。 「薔薇は桜の単純さを欠いている。 さらにまた、薔薇が甘美の下に刺(とげ)を隠せること、 その生命に執着すること強靭(きょうじん)にして、 時ならず散らんよりもむしろ枝上に朽つるを選び、 あたかも死を嫌い恐るるがごとくであること、 その華美なる色彩、濃厚なる香気― すべてこれらは桜と著しく異なる特質である。 我が桜花はその美の下に刃をも毒をも潜めず、 自然の召しのままに何時なりとも生を棄て、 その色は華麗ならず、その香りは淡くして人を飽かしめない。」 見事に桜の美を表現した名文です。 それに共感してしまう自分があり、 ああ、私は日本人なのだと改めて思いました。 そんな時に、桜の花とともに散って逝かれた ミスタークックパルこと吉川正芳さんのことを思い出しました。 2年前、突然の訃報に驚いたのですが、まさしく桜の花が散る時期に逝かれたのは、 本望だったように感じます。 2008年3月28日



こんな場所に、こんな花が咲いていたのか。 いや、この花は、ずっとこの場所にあって、 毎年同じ頃に花を咲かせていたはず。 見えているはずの景色は、何も変わらないのに、 生まれて初めて気がついたような感動が、最近しばしばあります。 これは、私の心境の変化?あるいは年の功??なのだろうかと思ったりします。 そんな時、知り合いの牧師先生から、今度、星野富弘(ほしのとみひろ)さんが通う教会の牧師に 招聘されたとお便りをいただきました。 富弘さんは、中学校の体育教師でしたが、鉄棒から落下して、手足の自由を失います。 しかし、口に絵筆をとり、独特のタッチで花を描き、それに詩を添えます。 その作品は、心に響きます。 きっと、富弘さんも、忙しい教員生活から離れた時に、 そばにあった花の美しさに気づいた一人ではないかと想像しました。 今の自分の心境も富弘さんと同じかも?と結びつけてしまいました。 それは、日常生活の喧騒をひととき離れて、ゆっくりと、じっくりと時を過ごすことに、 手がかりがあるように思います。 その時、わかる事は、私たちのぐるりは素晴らしいもので満ち満ちている。 ただ、慌しくしている私たちが、それに気がつかないだけ。 それは、本当にもったいない、もったいない話だと思いました。 2008年3月22日



人気絶頂の「ゴダイゴ」というロックバンドを 突然脱退したメンバーがいました。 スティーブ・フォックスです。 そのころ、私は高校生で、スティーブが宣教活動で、 豊橋の小さな教会を訪れてくれたことが懐かしいです。 彼らの曲のひとつに「ビューティフル・ネーム」があります。 この年齢になって、この曲の歌詞に目覚めています。 「♪名前それは、燃える命、ひとつの地球に、一人づつ一つ♪」 今日までを振り返ると、この名前によって、私は育てられたのだと感じています。 特に、私のおじいちゃんやおばあちゃんは、私が初孫ということもあり 「よっちゃん、よっちゃん」と何度も名前を呼んでくれました。 その響きは、不思議ですね。今も自分の内に美しく残っています。 この呼びかける名前の中に、いっぱいの愛情が詰まっていたのだと思います。 周りの人たちも「よっちゃん、よっちゃん」と呼んでくれました。 どれほどこの名前を聞いてきたことでしょうか。万は悠々と越えているでしょう。 どんな言葉よりも、どんな教えよりも、私にとっては 「よっちゃん」という響きが、一番美しいのです。 今は子供たちの親となり、何よりも愛情を込めて、その子の名前で呼んであげること。 それは、最高の子育てではないかと感じる今日です。 「♪どの子にもひとつの生命が光っている。 呼びかけよう名前を、素晴らしい名前を♪」 2008年3月15日



私の好きな唱歌「春がきた」。 まさしく、今日はこの歌がふさわしい日です。 「春が来た。春が来た。どこに来た。」 それは、昼休みに散歩をした時でした。 私の現在のコースは、まず駅前にあるオフィスから北上。 豊川という大きな川にぶつかります。 川沿いには整備された遊歩道があり、吉田大橋の下をくぐって、豊橋公園へ。 今度は、南下して、クスノキ並木を通って、駅前大通へ。 ぐるっと豊橋の街中を楽しめる30分程度のコースです。 さて、クスノキ並木を通り過ぎた時でした。 この時期にも、緑の葉をつけている強い木なのですが、 「そよ、そよ、そよ」と実に気持ち良くなびいていました。 その風の音が、耳にも優しく心地良いのです。 これこそ、そよ風と呼ぶのでしょうか。風に春を感じました。 次に、駅前大通に入り、沈丁花(じんちょうげ)の香りが漂ってきました。 「これは、近いぞ!」と思いつつ、習性でぐるりを見渡します。 ありました。郵便局前の喫茶店の入口。淡いピンクの小さな花々。 花の香りに春を感じました。 そして、「北風と太陽」の話のように、オフィスにたどり着く直前には、 今季はじめて上着を脱ぎました。太陽の光に春を感じました。 なにか物足りないなあ。そう、食べて春を感じること。 それは今夕のお楽しみです。 2008年3月10日



ココ豊橋は、卓球がさかんな土地柄です。 私のぐるりも、卓球好きが多いのです。 昔は、卓球の専門店も数軒ありました。 日本初のプロ選手で、オリンピックに4大会連続で出場を果たしてきたカットマン。 松下浩二さんをご存知でしょうか。 豊橋の出身です。青陵中学校、桜丘高校と言えば、当時の卓球エリートコース。 私より一年上で、当時から「松下兄弟」で話題の人でした。 双子の弟である雄二選手と共に活躍していまして、 全国大会では、いつも埼玉県の渋谷選手と競っていたのも懐かしいです。 その後も、オリンピックが来るたびに、「おお、松下さんは、まだ現役か!」と 驚きました。4大会連続と言うのは偉業ですね。 かたや、日本卓球界は、「若手が育たないのかな?」寂しくも思いました。 ところが、とうとう時代が変わりました。 先日の世界卓球では、選手ではなく、TV解説者として松下さんが登場。 ご本人も「待ってました!」というお気持ちではなかったでしょうか。 18才の水谷選手など楽しみですね。 バスケット部であった私は、ご本人にお会いする機会がなかったのですが、 街中でお会いできる日も来るかもしれません。 その時は、日の丸を長年背負ってきた松下さんに 「お疲れさま〜」と声をかけてみたいですね。 2008年3月7日



それは、風も強い、肌寒い日曜の午後でした。 近所の子供たちが部屋の中でカードゲームをしていました。 そこに、変わり者の私が、「山に行く人?」の掛け声に 「は〜い!」とすぐに4人の子がのって来ました。 5歳の子が「よ〜し!クワガタ見つけるぞ!」と張り切っています。 やはり、「子供は風の子」外で遊ぶのが好きなようです。 残念ながら、我が家の子は忙しいようで、その日は欠席。 早速、すぐ近くにある岩屋展望台へ出かけました。 展望台までの里山は、ボランティアの皆さんのご尽力で 見事に整備されています。自然に親しめるお勧めスポットです。 ぶらぶらとおしゃべりしながら、古木や岩の下をのぞきながら、 標高100mあまりの展望台まで登って行きます。子供の足でも20分程度で到着。 「着いたぞ〜」とささやかな達成感を感じつつ、視界には、大空が広がっています。 その下には、新幹線が豊橋の街を走り抜ける美しい眺望が楽しめます。 冬眠中のクワガタは発見できませんでしたが、 みんな口々に「楽しかった!楽しかった!」とこぼしていました。 ふと、親以外の大人たちとの交流って、 この子たちにとっても大切だよなと感じました。 彼らにとって「良いおじさん」でありたいと思った一日でした。 2008年3月1日



団塊世代の牧師がポロッとこぼしておられました。 「男性は弱いですよ。女性の方がよっぽど強い。 先日も奥さんを亡くしたご主人は、後を追いかけるように すぐに逝ってしまった。ひとり残された男性は、本当に寂しそうですね。」 何か実感がこもっていて、今でもその言葉が心に残っています。 ぐるりを振り返ると、いろんな人たちを思い浮かべ、そうかもなあ、なるほどなあと 否定する事ができませんでした。 団塊の人たちは、私の目からみると、仕事に明け暮れ自信満々で、 何か近づきにくい印象がありました。 しかし、今は、定年退職などを迎え、一線を引いている事もあるのでしょうか、 うつむき加減な殿方が多いように感じます。 一方、同じ世代の女性の皆さんは、元気印に見える方が多いのです。 あのエネルギーは何処からと感じることもあります。 そこで、思い出したのが、「レディーファースト」。 イギリス人のジェントルマンたちは賢いかもしれません。 小さなころから女性を大切にしていますので、最後までしっかりと支えてもらえる。 「レディーファースト」とは、男性の自己保身の知恵のようにも感じてしまいました。 そこには、「男性は弱いもの」という正しい認識があり、 女性を大切にすることは、すなわち自分自身を大切にしていることなのでしょう。 2008年2月23日



市営児童クラブの会合に出席しました。 聞きなれない方もおられると思いますが、 小学校低学年児を放課後に預けるところです。 私の小学校時代にはありませんでした。 年々預けられる児童の数が増えているのです。 そこで、「活動するスペースを広くして欲しい。 午後6時までを7時までに延長して欲しい。」 などの意見が飛び交います。 市民の言われるままに、どんどんと いわゆるサービスが向上して行くのでしょうか。 子をもつ親として、歯がゆく感じました。 いろんな事情がありますので一概に言えないのですが。 ただ、現状は、行き過ぎてしまっていないでしょうか。 子供の視点に立てば、学校から帰って来て、 迎えてくれる誰かがいるのは、やはり嬉しいことです。 特に、低学年までは、親と一緒にいたいものです。 それは、決してお金ではかえられません。 近年女性の社会進出が叫ばれ、保育サービスの拡充は、 際限のないものを感じます。それが是とされる風潮もあります。 一方で、子供たちを寂しくさせることに拍車をかけているのなら、 何のためのサービスなのか。 子育ての主体は、あくまで親です。それは、譲れません。 子どもたちは、親がだいだいの大好きなのです。 もう一度、子供にとって何が良いのか。 検討の余地、工夫の余地はあると思います。 2008年2月19日



明るい家庭づくり推進大会に参加しました。 今年で25回目を迎えるそうです。 こんな大会があるのを知ったのも、PTAの役得のひとつです。 主に子供たちの作文や壁新聞の表彰が行なわれます。 行政が主体となっていますので、豊橋市長が来賓で挨拶をされました。 作文は、読書から。 ここまでは順当な話でしたが、その後の話に魅かれました。 それは、速読ならぬ遅読のすすめでした。 世には、速読術のノウハウ本などが氾濫していますが、 スローライフ、スローフードならぬスローブックと言ったところでしょうか。 市長のオリジナルではなく、ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんの発案だそうです。 説得力が増しますね。 生まれてこの方、本は早く沢山読むべしと刷り込まれていましたので、 非常に新鮮に感じました。 また、決して読むのが早い方ではないので、ほっとしました。 そう言えば、熟読吟味という言葉も日本語にはあります。 それは、速読ではなく、遅読からもたらされるものでしょう。 そうなれば、何を読むかもじっくり選びたいところです。 このホームページも遅読していただける内容である事が 問われているのかもしれません。 日々更新のみにとらわれず、味わい深い情報を提供して参りたいですね。 2008年2月14日



田原の街に家内とぶらりと出かけました。 街に入ると「祝甲子園出場 成章高校」の垂れ幕。 藩校上がりの伝統をもつ県立高校が21世紀枠を勝ち取りました。 平日午前中の高校にも足を運ぶと、さすがに物静かでした。 成章高校のまわりは、田原の中心部で、数多くの史跡があり、散策して楽しめます。 おすすめスポットです。お隣の池ノ原公園は、渡辺崋山が自刃した屋敷跡。 その歴史がよくわかるように整備されています。 旺盛に西洋事情を研究し、鎖国の非を唱えたかどで幕府より国元での蟄居を命ぜられます。 田原藩の家老でもあった崋山は、藩にも悪影響が及ぶことを危惧し、 絶筆の書「不忠不孝 渡辺登」を遺して散って行きます。 まさに、板ばさみでした。藩や幕府にも忠実に仕えつつも、 幕府の非にも気づいていた。外国船打払令に対して、時機を慎むべしと 「慎機論」をしたためていたのは、鋭い洞察です。 時同じくして、すでにアヘン戦争が勃発。 崋山の死は、明治維新の夜明けを感じる出来事でした。 この死を機に、日本が物凄い勢いで走り抜けて行きます。 崋山は、今の時代をどのように見ているのだろうか・・・ ともかく、その精神を受け継ぐ、成章球児の活躍を楽しみにしています。 2008年2月9日



最近のマイブームが「アルプスの少女ハイジ」です。 子供たちの枕元で読み聞かせ。 すると、いつの間にか、眠ってしまいます。 翌日の朝には、「どこまで覚えてる?」と聞いたりしています。 日本でハイジと聞くと、多分、宮崎駿さんが関わった あのアニメのハイジをまずイメージするのではないでしょうか。 また、一昨年は実写で映画化されて話題になりました。 ところが、意外とアニメや映画では知っていても原作を知らない。 私もその口でした。 そんな時、ある雑誌で、知人のお母様の記事に目がとまりました。 それは、原作のハイジの魅力を綴っていました。 そこで、早速書店で購入して読んでみました。それが、実に、素晴らしい。 アニメなども、本当によくできていると関心していたのですが、 目から鱗で、ハイジを見直しました。 アニメや映画のみで判断し、知ったつもりになっていた事を反省。 原作に触れることの大切さを知りました。 この作品は、私が子供たちに伝えたいことを 実にわかりやすく、おもしろく、魅力的に描いています。 「お父さん、ハイジ読んで!」と評判も上々。 子守唄のようにすぐ寝てしまうので、 しばらく、枕元での読み聞かせが続きそうです。 2008年2月2日



小学校で「エキスポ」がありました。 万博ではなく、いわゆる学習発表会です。 10才になる4年生たちは、「2分の1成人式」を行ないました。 テーマは「いのち」で、自分が生まれた時のことを母親に聞いて、その様子を発表します。 お母さんには感謝の手紙を渡します。 そして、小さいころの写真がスクリーンに映し出され、 ひとりひとりが、立派な大人になることをめざして、将来の夢を宣言します。 最後に、みんなで「スマイルアゲイン」という歌を合唱。 非常に力強く声がでていて、私も心動かされました。 声がひとつになる。合唱って本当に素晴らしいですね。 多くのお母さんたちが涙を流しておられました。 その「スマイルアゲイン」の歌詞も、曲も素晴らしく、 だれが作った歌なのかなと興味をもちました。 そこで、インターネットで検索。作詞作曲とも都立小学校の先生。 中山真理さんという方でした。子供たちのために歌を作っているようです。 こんな先生がいるのかと、嬉しくなりました。 それにしても、良い企画でした。小学校には感動が待っているようです。 ふと、この歌、卒業式に良いかも〜と思いました。 すでに、次なる感動を予感しています。 2008年1月28日



小さな親切は、いつまでも忘れないものです。 私が小学校低学年の時に、 よく冷たいお茶をもらっていたクラスメイトがいました。 ちょうど、今年の暑い夏に、その方を見かけた瞬間でした。 「ああ、あの子の水筒から冷たいお茶をいただいたなあ。 あのお茶は、おいしかったなあ。」 同じく、商店街の歩道で、補助輪なしの自転車にのる練習をしていました。 ヨロヨロと動かしながら、しだいに調子にのってきました。 ところが、曲がり角にあるお店の前で、バーンと派手に転倒。 すると、その店のおばさんが、私の方にすぐに駆けより 「大丈夫」と親切に介抱してくれました。 今もそのおばさんは、同じお店で働いています。 先日も、おばさんと自転車が同時に目に入りました。 すると、30年以上前の記憶が急によみがえりました。 「ああ、あの時、助けていただいたなあ。おばさん、優しかったなあ。」 改めて、小さな親切の大きな価値を知りました。 そんな隣人の親切を受けて、今の自分がある。 今度は、私の顔とフライパンを見て、すがすがしい思い出がよみがえる。 そんな小さな親切の種を蒔いて行きたい今日この頃です。 2008年1月17日



親子で「大草原の小さな家」を楽しんでいます。 何回となくNHKで放映されていたアメリカのホームドラマです。 昨年ようやく、念願のDVD発売となり、年末から順番に観ています。 西部開拓時代のストーリーですが、扱いっているテーマは 今の時代にも当てはまるものばかりです。 アルコール中毒の父親が一人息子を虐待します。 街の人たちは、教会に集まり、なんとかその子供を助けようと相談をします。 そして、主人公の父さんが、その父親と共同生活をはじめて更生をはかります。 何か問題が生じた時に、街の人が集まって、みんなで助け合う。 例え問題が解決しなくても、ともに悩み、ともに悲しみ、ともに喜びを 分かち合える仲間を持てることは、素晴らしいですね。 「地域力」の価値を改めて思いました。それにしても、「大草原の小さな家」 どの作品も充実したストーリーで多くを教えられます。 NHKがあれほど再放送したのも頷けます。「古き良き」かもしれませんが、それが伝統。 アメリカの底力なるものを感じます。 2008年1月10日



明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 年末年始の挨拶は、堅苦しいように感じることもあります。 しかし、この日本の礼儀作法を「芸術」と感じた人がいます。 その名は「小泉八雲」(こいずみやくも)とラジオで紹介されていました。 イギリス人で後に日本国籍を取得した文豪です。 明治時代のことですから、平成の今とは違っているかもしれません。 それでも、親戚やお取引先などとは 「明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。」と改まる習慣は続いています。 その挨拶の背後にある心を整理してみました。 その心こそが「芸術」の核心でしょう。 「あなた様のお陰もあり、新年を迎えることができましたよ。 本当におめでたく感謝でございます。 どうか、今年も同じようにお力添えをいただき、ますます よろしくお願いいたします。」 人を前にして謙虚になり、感謝できる心。 その時、それが挨拶として表現される。 そんな美しい挨拶をめざして、 この新年にのぞんで参りたいものです。 2008年1月4日