料理道具専門店 フライパン倶楽部

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商人日記byフライパン倶楽部代表

人生とは、いかに生きるべきかを問いながら、自分とは何かを探す旅のようです。 お料理道具を売る現場で、地域との関わりの中で、家庭生活で、湧き上がった言葉を丹念に紡いでみた、明日への旅日記です。
今年1年を振り返り、実体験から感じたことは、自分の分をわきまえることでした。 それは、家族の中でも、会社の中でも、地域の中でも然りです。 新約聖書ローマ人への手紙12章が心に響いていました。 そこでは、人の集まりが体に例えられて、各人が器官だと見立てます。 「思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、 慎み深く考えなさい。」各人には役割があり、それを果たすこと。 その関係性はみな対等並列であり、互いを尊重しています。その集まりは生き生きと躍動します。 それが、きっと日本語の和であり、先人たちが追求してきたものなのでしょう。 そこを思い違えて、上下関係ができて縦列になってしまうと崩れてしまう。 今年逝ってしまった先輩が「人間関係は積木と同じで、積み上げてはいけないよ。」 人間とは、すぐに思い上がることを警告してくれています。 そんな時、さまざまな試みを通じて、心低くされます。痛みも悲しも苦しみも甘受する。 すると、自分の分が明確となり、周りの仲間たちとともに輝きを増すのでしょう。 2022年12月27日



母校の豊橋南高校が50周年を迎えて記念誌が発行されました。 「『厳にして自由』再考」とのタイトルで竹下裕隆元校長が想いを綴っていました。 このモットーを体現していたのが母校の應援團であったように思います。ちょうど應援團座談会が特集されていました。 独特の規律あるスタイルを堅持しつつ型破りな精神の自由に憧れました。 私語は一切語らない。自慢話を嫌味なく滔々と語る。撤収との言葉で悲鳴をあげて潔く退場する。 それは、隣の進学校および偏差値偏重社会に対する反骨心を代弁してくれていたようでした。 「俺を馬鹿にするなよ!」魂からの叫びのようにも聞こえてきました。 私が現役生であった時に就任された福尾富男校長が、この高校に来て、この言葉が誕生したと聞いています。 当時生徒会役員を務めていた役得で、先生のお人柄に触れることがありました。 お話は訥々としていたのですが、いつも心が籠っていました。今日振り返ると、先生は生徒を尊敬していました。 「君は尊い存在だよ」と聞こえてくるようでした。 その後若くしてお亡くなりになりましたが、先生の言葉は今日も語り継がれます。 2022年12月19日



豊橋市と姉妹都市である中国南通市出身の曹(そう)さんは、自宅横の倉庫を改築して、青空の家を主宰しています。 多文化共生を目指して、習字教室や中国語講座をはじめ、さまざまな皆さんが交流する憩いの場となっています。 はじめて、このお名前を伺った時に、ブルーハーツの「青空」の歌詞と重なりました。 「生まれた所や皮膚や目の色で、いったいこの僕の何がわかるというのだろう。まぶしいほど青い空の真下で。」 青空が多文化共生を導いてくれる。そんな曹さんが昨年末、新城市の四谷千枚田での農作業中に事故に遭い、大怪我をしてしまいました。 小学1年生の双子のお子さんをお持ちで、入院中はママ友たちが曹さんを支えていました。そこに多文化共生がありました。 1年経過して、快気祝いを兼ねたママ友たちへの感謝の会が開催されました。 そこで、曹さん手作りの餃子を、そこに集った親子と、いろいろなフライパンで焼いて楽しみました。 私は、入院中は何もできず、この集まりで少し貢献できました。 多文化共生のあるところ、手作り料理は、ますます美味しさを増すのだと思いました。 2022年12月10日



NHK「英雄たちの選択 私には見えている! 福澤諭吉 日本近代化の夢」を何気なく視聴していました。 明治14年の政変で、大隈重信が政府から下野しますが、国会を開設して、国民による統治を模索していました。 かたや、伊藤博文たちは、時期尚早と判断。大隈と盟友であった福澤諭吉は、国民あるいは個人を尊重していた。 この時、大隈が創設する政党に誘われた福澤は参加を見送り、あくまで言論人としてとどまる選択をします。 その意味では、福澤も時期尚早と考えていたのかもしれません。しかし、引き続き言論を通じて主張をして行きます。 今日のデジタル化も、同じく時期尚早としてとどめられることがあります。 その時、福澤のような態度が求められます。自分の分とともに、次代を見据えていくこと。 大学時代に強い印象のあった三田演説館が思い出されます。人の意見を聞けること、自分の意見を主張できること。 日本近代化は未だ途上かもしれませんが、それは育てていくものなのでしょう。 あせらず、あわてず、あきらめず福澤が夢見ていた人物に、そして日本に近づいて参りたいです。 2022年11月24日



家内に誘われて映画「桜色の風が咲く」を鑑賞してきました。9歳で失明、18歳で聴力を失う主人公を取り巻く、母親と父親、兄弟たち、 そして仲間たちが支えあう実話をもとにした物語でした。吉野弘さんの詩「生命は」が紹介されていました。 「生命は自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい。 花もめしべとおしべが揃っているだけでは不充分で虫や風が訪れて、めしべとおしべを仲立ちする。 生命はその中に欠如を抱き、それを他者から満たしてもらうのだ。」 人は誰も一人で生きてゆけない。誰かに助けられて、そしてまた誰かを助ける。 見えなくなる、聞こえなくなる重い現実とともに、そんな人々との関わりを丁寧に描いていました。 そして、主人公は見えないこと、聞こえないことの理由を求めます。 見えない人にこそ見えるものがある。聞こえない人にこそ聞こえるものがある。 タイトルの風が咲くという表現は、分かった気になってしまうのを戒めているのかもしれません。 私たちが知覚できる世界はあまりにも狭い。そんな世界を突き抜けて、幼子のようになりたいものです。 2022年11月14日



さまざまな事業に関わって、なかなか思ったように前に進んでいかない現実に直面します。 自分を磨いて自分を変えていくことだと感じます。 しかし、それを求めていくだけでは、つらくなってしまいます。 そんな時に、さだまさしの「いのちの理由」の歌詞が響いてきました。 「わたしたが生まれて来た訳は」と問いかけ、その理由を歌い継いでいきます。 「父と母に出会うため」「兄弟たちに出会うため」「友達みんなに出会うため」そして、「愛しいあなたに出会うため」 その時、事業そのものを見るのではなく、その事業にともに関わる人たちが立ち現れます。 どの事業でも、わたしを磨いてくれる人もいれば、わたしを支えてくれる人がいることに気づきます。 昨日の会合でも、答えが出ている訳ではないのですが、悩んでもがいているわたしを察して、 「ここで成果がでなくても、次の世代につないでいけばいいですよ。」 なにげなくそれを語ってくれたのですが、その人の優しさに心熱くされました。 「しあわせになるために誰もが生まれてきたんだよ」すると、どの人もかけがえない人だと見えて参りました。 2022年11月11日



NHKこころの時代で「問われる宗教とカルト」と題して、さまざまな宗教者が一堂に会して議論をしていました。 この時代、組織としての宗教は問われるものの、宗教の教えは必要とされていると感じます。 合衆国ではじまったSNSは花盛りです。さまざまな人と交流できるのは良いのですが、危うさも秘めています。 このSNSに違和感を感じる日本人は多いのだと思います。 それは、人の欲望をあおる要素が強く、自分の世界に没入してしまいやすい。 その時、飲まれないための自制が必要です。そこに宗教の教えの価値があります。 それは、秩序あるいは、礼と表現されるものが構築されます。 これが崩れてしまえば、結婚や家庭の崩壊に通じます。 この礼とは、歴史より生まれて来た人類の知恵とも呼べるでしょう。 その知恵とは、AIなどの機械任せにするものではなく、自らの頭で考えることでもあります。 宗教とは、何かを教え込むものではなく、基本的には自分で考えること、自立を促すことでもあるように思います。 そこで当店では、それを期待して、フライパン片手にお料理することを奨励して参りたいです。 2022年10月27日



横田めぐみさんが58歳の誕生日を迎えて、母親の横田早紀江さんが 「被害者が無事に帰国できるよう、日本政府には何とか知恵を出してほしい。」 この知恵とは何であるのか。その時、今年50周年を迎えた日中国交正常化の交渉を思い出しました。 時の交渉者は、中国側が周恩来首相に対して、日本側は田中角栄首相と大平正芳外相。 大平外相は、遺書をしたためて田中首相とともに中国に向います。 先の戦争の賠償問題、台湾の問題に対して、理と情をもって向き合います。 理の面では、「不正常な状態」という言葉で折り合う。 そして、情の面では、中国行きを決断。 大平外相は「日本と中国は、元旦と大晦日のように違う」近いけども、全く違うことを絶妙に表現しています。 ゆえに、忍耐と努力が必要である。しかし、心の深いところでは、同じ情をもっている。 田中首相と大平外相は、両人とも長男を亡くしていました。 子を失う深き悲しみは、相手を慮る大きな愛情に昇華していたのでしょう。 日本の官僚には幸い理があります。かたや、横田早紀江さんたちに寄り添いながら、相手国を思う情が問われています。 2022年10月11日



アントニオ猪木さんが逝去されました。 その追悼番組で、猪木さんが一貫したメッセージをもって行動されていたことがよく分かりました。 プロレス引退後に、参議院議員となられて国会の質問で開口一番に「元気ですか!」と叫び 「元気があれば何でもできる。質問もできる。」委員長から苦言を呈されていましたが、 自由闊達に議論される国会への問題意識があったのだと思います。 まさに、今日の日本の組織の中で必要とされている精神のように感じます。 膠着した状況を打破するものは、強い意思のだと受け取りました。 また、晩年は難病を患いながらも、病身をカメラの前にさらけ出して、病と戦い続けていた。 生涯、挑戦して戦っていたからこそ、今日戦っている人たちの胸に響く言葉が生まれてくるのだと思います。 引退試合では「道」という詩を披露。 「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし  踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」 闘魂注入と呼ばれる頬を叩かれたような言葉でした。「どうした!由久」猪木さん、ありがとうございました。 2022年10月6日



安倍元首相の国葬を通じて、この国は、弔意の自由、内心の自由を尊重していることが分かりました。 また、新型コロナウィルス対策でも、強制力をできる限り働かせず、自粛を基本としていました。 この自由こそ、伝統的にわが国が大切にしている価値なのだと思います。 個人の思想や信教に対して、強制してはならないとも表現できます。 あるいは、自分と異なる意見に対して寛容であること。 ちょうど、国葬儀の会場近くでは、国葬反対のデモが執り行われていました。 時同じくして、ロシアではデモが強制力によって封じられていました。 お隣中国でも、あるいはイランなどでも、同じような動きを見聞きいたします。 わが国では、自由にデモができるということは、先人たちが自由のために戦ってきたゆえだとも思いました。 また、昭和初期の戦時下で、その自由を制限してしまった痛切な反省がわが国にはありました。 今日、この自由を享受できる国は希少であることを知るべきであり、そこには責任があることも自覚すべきでしょう。 「この自由を守りましょう」安倍元首相の声が聞こえてくるようです。 2022年9月29日



豊橋総DX化計画という集まりが、豊橋商工会議所の青年部の主催で開催されました。 コロナ禍を通じて、デジタル化が加速しているのですが、 それによって人々がつながるというよりも、蛸壺のような狭い空間に閉じこもっているとも感じています。 豊橋という37万人の地方都市でも、各自がそれぞれ情報発信をしていて、多様性豊かとは言えますが、 統括して発信するところがありません。 統括が期待される豊橋市役所でも、担当部局の縦割りの状況は続いています。 問題意識はあるものの、なぜみなが一つにつながれないのか。 これは、デジタルツールの導入というよりも、市民の意識の問題だと感じています。 その蛸壺を打ち壊すためには、対等な関係性のもとで、若者・よそ者・馬鹿者はじめ誰に対しても心を開く人間性が求められます。 そして、みなを束ねて、その模範を示すリーダーの存在が必要です。 また、リーダーは分かりやすく目標を伝える。それによって、みなと同じ目標を共有する。 あくまで、リーダーとは偉い人ではなく、みなに仕えるサーバントです。 まずは商売人の私が、そんな成熟した人間となりたいものです。 2022年9月19日



ECサイトで進化を続けているのが「北欧、暮らしの道具店」さんです。 「フィットする暮らし、つくろう」を掲げて、2013年には、いち早くスマホファーストのサイトを手掛ける。 2014年にインスタグラムをスタート。 YouTubeでは上質な生活スタイルを提案。最近では、ネットラジオ、ドラマや映画製作にまで及びます。 また、これまでの販売ノウハウを生かして、他社のブランディングを支援。 かたや、オリジナル商品の開発では、生活雑貨を越えて、アパレルや化粧品にまで及びます。 そして、スマホアプリを開発して、買物に加えて自店のラジオ・動画が一元的に楽しめる独自の世界観を構築。 加えて、これまでの会社の経緯を社史としてネット上に掲載されています。 新しいことに挑戦してきたことが良く分かります。 その時「とりあえず小さく始めてみる」姿勢が、自店らしさとのこと。 この同業他社の歴史を振り返ることで、わが社の現状もよく見えて参ります。 自分らしさを磨くとは、人真似をしないことではなく、人から聞いて学ぶことであり、それを続けていくことでしょう。 私は、どこか勘違いしていたようです。 2022年9月3日



長男がお世話になった桜丘学園の父母の会は、子供が卒業しても卒業会派を父母が作って活動しています。 かたや、先生方は「子供たちの人生に責任をもつ」と言ってくれます。 毎年この夏の時期には、大型バス4台を動員して、一泊二日の研修旅行を父母と先生で楽しんで来ました。 ところが、この2年はお休みで今回もお休みとなってしまいました。 先日それに代わる集まりの中で、私が所属する会派「紬(つむぎ)の会」の名前の由来を紹介する機会がありました。 中島みゆきの「糸」の歌詞に想いを込めていました。 縦糸と横糸は、先生と父母であり、両者が出会い織りなされて、子供たちの傷をかばう布でありたい。 そんな中で、昨年11月に豊橋市まちなか図書館のオープニングイベントで、商店街代表としてトーク企画に参加しました。 その時の進行役が若手の学園卒業生。すると、その会場には、早くから当時の先生が駆けつけていました。 やはり、学園は本気で取り組んで下さっている。私たちも本気で先生方を支えて参りたい。 紬は、年を重ねるほど馴染んで味わいを増します。先生と父母で仕合せを表現したいです。 2022年8月25日



校区の納涼祭が、まちなか広場で行われました。 子供たちも加わって、宵から盆踊りが実施されました。 その時に流れたのが「マツケンのええじゃないか」 マツケンこと地元出身の松平健さんのキャラクターを生かしつつ、 この街で幕末に起こった民衆運動の現代版でもあります。 「ええじゃないか」のフレーズが何度も繰り返されて、見よう見まねで踊りながら、 先人たちも、その時その時に、人生のさまざまな問題に直面していたことが身に沁みてきました。 その重い現実に飲み込まれないように、楽しく前向きに進んでいこうとする意志を感じました。 すると、以前私の店の隣に、商店街組合の事務所があり、組合長であった私の父親から依頼されて世話役をされていた 河原さんのことが思い出されました。河原さんは和菓子職人であり傷痍軍人でもありました。 退職後に組合の仕事をしてくれていました。いつも明るく爽やかな方でした。 亡くなる少し前には、雨が降る中で、手土産をもって父親のもとに来ました。 「お世話になりました。」その後すぐに逝ってしまった。そんな律儀な生き様が、私の中で立ち上りました。 2022年7月23日



読売新聞の人生案内で「夫の言葉に傷つき別居」回答者の大日向雅美さんの言葉が心に響きました。 60代の女性が数年前に夫から「俺は誰も信じていない。お前のことも結婚当初から信じたことはなかった」 早く消えてなくなりたいと嘆く相談者に対して、 その夫の思いに今まで一度も気づかなかったのかと問い「そもそも言葉は必ずしも真実を伝えるとは限りません。 『言葉が人間に与えられたのは、考えていることを隠すためである』という名言もあります。 あなたが夫を信じられるか否かは、彼が放った一言ではなく、夫婦として連れ添ってきた時間の中での行動を 思い返してから、判断してはいかがでしょうか。」 愛しているとは、瞬間的なことではなく、時間を経てこそ確認できるものかもしれません。 逆に、一時感情が高まって甘い言葉を発したとしても、それが真実とは限りません。 男性は激高しやすく感情に飲まれやすい。この夫君も、自分の言葉に深く傷ついて、混乱しているのかもしれません。 言葉に責任はもつべきですが、時に、そのままを受け止めずに、大目に見た方が真実は見えてくるように思います。 2022年7月17日



デザインマネジメントの世界で活躍する欧米人の方が、宮沢賢治の童話にヒントを見出していたと伺いました。 そんな折に、地元レモン農家の河合浩樹さんたちが、農民藝術創造倶楽部を立ち上げて、 近くのエムキャンパスで屋上農園など新たな取組をされていました。 その名前の由来が、宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」という宣言文。 賢治がこの世界に残してくれたものは、巨万の富にもまさるもののようです。それは何であるのか。 その作風がよく似ている宮崎駿監督も賢治を慕っていたようです。 「千と千尋の神隠し」の主題歌である「いつも何度でも」では 「さよならのときの 静かな胸 ゼロになるからだが 耳をすませる 生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ」 この不思議に、賢治の世界が重なります。「自分とはいったい何であるのか。」 この世界こそ、賢治の世界ではないのか。そして、「永久の未完成これ完成である」 どこまでも答えはなく、それを求めていくことの価値を教えてくれます。 人間みんな同じ問題を抱えていることへの安堵とともに、自尊のもとに輝く生命がありました。 2022年7月1日



豊岡中学校で出張授業をして参りました。タイトルは「独立自尊とは何か」仕事のベースあるいは哲学の部分を 中学生と一緒に考えてみました。すると、中学生たちから本質をついた質問が出て、 私の中にあったものを言語化してくれました。 「どんなフライパンを売りたいですか?」 「これというフライパンではなく、その人にとって相応しいフライパンを売りたいです。」 「仕事の時に心掛けていることは何ですか?」 「思いやりです。従業員と取引先が喜び、顧客が喜び、社会全体も喜ぶ。みんなが喜ぶ仕事を目指しています。」 そんなやりとりを通じて、仕事とは、幸せを後押しすることであり、幸せになることの主体ではない。 あくまで幸せは、自分で求めて自分でつかむことが前提にある。 その時、仕事人とは、顧客と同じ方向(幸せ)を目指して、寄り添いながらサポートしていくこと。 また、その方向あるいはビジョンを具体的に示していくこと。 当社であれば、お料理作りを通じて、自立した人、明るい家庭、美しい街を作っていくこと。 私の中で、漠然としていたものが、生徒たちによって、明確になって参りました。 2022年6月16日



NHKみんなのうたで「ててて!とまって!」 という交通安全の歌を視聴して、非常な違和感を感じました。 本来、法令上自動車は横断歩道で止まるのは当たり前ですが、 止まれば歩行者から大きな感謝をされるまでのありがたいことになっている。 そもそも、自動車が公道を占拠して、歩行者が追いやられてきました。 その犠牲者が、自動車には乗れない子供たちでした。外で遊ぶところも制約されてきました。 歩道橋なるものは、その最たるもので、あそこまで上り下りを繰り返して渡らなければならない。 これは経済を優先する大人たちの都合に過ぎません。 すると、米軍の核の傘のもとにあり、米軍に「サンキュー!」と頭をさげている国民のあり方とも重なります。 私たちは、ちゃんと交通安全たる憲法9条を順守していますと喜ぶべきなのでしょうか。 そんな折、拉致被害者の会の横田拓也さんがバイデン大統領と面会して 「この問題を解決する当事者は誰かと言われれば、言うまでもなく日本政府。」 子供たちには、従順さだけではなく、世の中の矛盾に気づいて、横田さんのように堂々と発言する大人になってもらいたいです。 2022年5月24日



中日新聞の東三河版の記事「故川澄哲夫さん田原でしのぶ」を母親から手渡されました。 川澄先生が主宰する英語塾があり、中学校時代に数年通わせて頂きました。 母親も先生から英語の手ほどきを受けており親子2代でお世話になりました。 今年1月に逝去されたことを知り、謹んでお悔やみ申し上げます。 当時先生から、三浦按針ことウィリアム・アダムスのことを教えて頂きました。 日本英学史を研究されていて、ジョン万次郎に関しては、「私は万次郎よりも、万次郎のことを知っているよ。」 2013年に、先生の講演会があり、30年ぶりにお話を伺うと、私の目をじっと見てお話をされるのです。 それは、中学校時代と変わりませんでした。その時も、オランダ語の原書と訳文を比較して、 渡辺崋山がどのように理解していたのか。訳文だけではなく、原書にあたることを求めていました。 そして、当時の人たちが「リバティー」(自由)を正しく理解できていたのか。 晩年の先生の関心は、福沢諭吉と渡辺崋山にあったようです。 先生は英語の教師というよりは、私にとっては自由を教える教師でした。先生ありがとうございました。 2022年5月17日



家内の里帰りに同行して北海道へ行って参りました。 驚いたことは、飛行機代もホテル宿泊代も低料金、いわゆる格安。 コロナ禍の観光客減が拍車をかけている印象を受けました。 ちょうど知床観光船の遭難事故があった時でしたが、商売人に重い課題を突き付けているようです。 安全第一は当然とされますが、それを確保するには必ず大きなコストがかかります。 今回の事態でも、運航会社に責任があるのは当然ですが、今日の格安を是とする社会風潮も見直すべきでしょう。 単に価格だけを求める消費者に対して、商売人はしっかりと説明をしなければなりません。 手軽に旅行できることは良いのですが、命に直結する飛行機搭乗等は、格安で良いのかと問われるべきでしょう。 ますます物価が高騰する昨今、商売人はしっかりと向き合い、きちんと対価を頂きながら事業を続けていく必要があります。 その点で、行き過ぎた価格競争には警戒しなければなりません。 そのためにも、業界団体および行政とも連携をしながら消費者の理解を求めていく。 この連休も悲惨な事故を起こさないために、商売人は決断と行動をする時です。 2022年4月29日



旧約聖書のコレヘトの言葉を読み直していると「天の下には何事にも定まった時がある。」 その時とは、何であろうか。哲学者が探求してきた奥深いものでありますが、それは刹那あるいは一瞬ではなく、 時間を積み重ねること、結実・熟成といった意味合いを含むことと理解できます。 そんな時、テレビで井伊直弼(なおすけ)の生涯を紹介していました。 彦根藩主の14男として生まれた直弼は養子先もなく、城外の埋木舎(うもれぎのや)と名付けた屋敷で、 17歳から32歳までの15年間を送る。 埋木とは、地中に埋まり外から見えない樹木のことであり、世間から捨てられて顧みられない身の上のこと。 それでも直弼は腐ることなく、ここで文武の修練に精進する。 すると時が来て、藩主に抜擢、大老にまで上り詰め、幕末の開国という大きな問題にまで対処する。 商売をしていても、埋木と感じる時がしばしあります。 しかし、直弼のように真摯に向き合うと道が開けてくる。 時とは、待つこと、望むことを人から引き出してくれるものかもしれません。 そして、それができるのは、個人の力量というよりも仲間からの激励だと思います。 2022年4月19日



朝日新聞のオピニオン欄で「無料を選ぶ私たち」と題して、祇園藤村屋店主の一浦靖博さんがご自身のお店のホームページに アップしているそうです。「送料無料はありまへん」いわく「送料込みや送料当店負担なら、まだ分かります。でも、だれかが 配達しているんだから、送料が無料なわけないじゃないですか。」そして、「送料に限らず、今人の働きにお金を払わなくて なっていると感じます。」「買う時には必ず、売る人、運ぶ人といった人がいるのに、 ネット通販で見えなくなってしまったからでしょうか。」先日も、運送業の先輩社長が、ぼやいていました。 「今の時代、労働への対価が適正に払われていない。」ちょうど原材料が高騰していますが、 本来はきちんと値上げをしなければ、働く人たちにしわ寄せが行きます。 ところが、それを競争の舞台にのせてしまう。その結果、ますます利益は先細る。 この競争の名のもとに、消費者利益のみに偏重して、今の日本経済は疲弊してしまった。 まずは、従業員たちが適正な報酬を得られる社会を目指していくべきでしょう。 当店も今一度考え直してみたいです。 2022年4月9日



NHK「こころの時代」という番組で、大学時代の多分同級生であった若松英輔さんが、 ご自分の伴侶を亡くされた悲しみとともに、旧約聖書のコヘレトの言葉を紹介していました。 タイトルは、それでも種をまく。明日何があろうとも、今を徹底して生きよと。 かたや、YouTube「仏教に学ぶ幸福論」チャンネルでは、高校時代の同級生である 菊谷隆太さんが「桜ソングにみる仏教」と題して語っている姿をお見受けしました。 当時は本人も語っていたのですが、人とは会いたくない真っ只中にあり、その時の悩める彼しか知らないため、 はつらつと仏教を語る姿には驚きました。しかも、分かりやすいワードチョイス。チャンネル登録者が18万人には納得。 そこでは、桜より諸行無常を教えていたのですが、それは、旧約聖書のコヘレトの言葉とも通じていました。 親鸞聖人が出家を求めた時の歌「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」 桜と同じように、はかない人間であればこそ、明日ではなく今、出家得度を求めたと。 同級生のお二人が今を真摯に生きている姿に、私もまた、今を精一杯に生きたいと励まされました。 2022年4月1日



豊橋で介護通所施設「宅老所たんぽぽ」を運営されていた大須賀美恵さんがお亡くなりになりました。 大須賀さんとお会いした当時は、ご主人と義母さんのお二方の介護に取り組まれていた真っ只中でした。 そして、お二人を見送り介護保険が始まった75歳の時に、新しい事業を立ち上げます。 多くの皆さんを巻き込んで、ご自分の経験を生かして、ご自分と同じように介護で苦労している人たちを支援します。 私の祖母も晩年に通所してお世話になりました。大須賀さんは、その昔、祖母が運営する料理教室に通っていました。 そして、祖母がよく私をおぶっていたことをお話してくれました。 「高津君、高津君」と孫のようにかわいがって頂いて、私の前では、心の内をぽろりと出してくれました。 「はあ〜」と深く溜息をするのですが、その顔はいつも笑っているのです。 それは、たんぽぽの花のように、踏まれても踏まれても、また何事もなかったかのように起き上がる。 そして、周りの皆さんが大須賀さんを支えていた。 自分とは何者か。自分は何をなすべきなのか。たんぽぽで開花した大須賀さんにならいたいです。 2022年3月17日



アントニオ猪木さんが、闘病されているドキュメンタリーに涙しました。 モハメッドアリ選手との武道館での一戦は、私も当時テレビに釘付けでした。 その猪木さんが、病気と格闘している姿は、ショックでもありました。 思うようにならないご自身の身体に、真摯に向き合っていました。 あくまでカメラの前では、冗談を交えながらも、燃える闘魂たるアントニオ猪木なのです。 病身でも健気にアントニオ猪木を演じる猪木寛至さんに、プロレスラーとしての矜持を感じました。 そこにまた、違った視点での猪木さんの強さが表われていました。 そこで、猪木さんは、プロレスを通じて、人生への向き合い方を教えてくれていたのだと悟りました。 当時、その敵がタイガージェットシン、スタンハンセン、ハルクホーガンであろうと立ち向かっていった。 番組の最後で、闘病している猪木さんが映し出されて、あのテーマ曲が流れたのです。 もちろん、猪木(ボンバイエ)頑張れ!の気持ちはあるのですが、それはファンの我儘なのかもしれません。 もうメッセージは十分届いています。頑張らないで猪木寛至さんでいて下さい。 2022年3月4日



NHKのEテレ番組「Zの選択」に涙しました。1995年以降生まれをZ世代と呼び、 地元で働く理由のタイトルで、気仙沼で漁師になった若者のドキュメンタリーでした。 父親を尊敬して、中卒でその世界に入り、悩みながらも、ひたむきに生きている。 彼は、漁師という仕事に、また故郷の海という仕事場に憧れていました。 かたや、思うようにならない現実も素直に受け止めている。 印象的であったのが、自分が漁師になることを告げた時に、ご両親がため息をついたと。 しかも「深いため息だった。」寂しそうに、ぽつりと語っていたのです。 それを聞いた私も、深いため息が出てしまいました。 親の仕事を継承することがままならない現実に、親世代として申し訳なく思いました。 また、いわゆる、3Kと呼ばれる環境下での仕事は避けられていますが、 そんな環境で働いている人がいて、私たちの生活が支えられている。 そこに敢えて挑む若者こそ後押しするべきであり、そんな人たちが誇りをもって働く社会こそ健全だと思います。 「その選択、素晴らしいなあ〜」彼への敬意とともに、彼を抱きしめたくなりました。 2022年2月18日



豊橋まちなかスロータウン映画祭の20周年記念で俳優・役所広司さんのトークショーがありました。 司馬遼太郎の長編時代小説を映像化した「峠 最後のサムライ」が本邦初公開。 役所さんは、主演の長岡藩家老の河井継之助を演じていましたが、 映画「日本のいちばん長い日」で演じた阿南惟幾陸軍大臣と重なりました。 そこに覚悟するを思いました。徹底抗戦が叫ばれる陸軍内で敗戦処理の重い任務を全うします。 自決に及ぶ悲壮な状況の中でも、日常と変わらない態度である阿南惟幾を演じていました。 なぜ、あのように冷静でいられるのか。それは、役所さんの仕事である演じることに手がかりを感じました。 覚悟した人とは、客観的に自分を見つめて人生を俯瞰できる。 あるいは、もはや自分を諦めているから、その先の明日を見つめる自由を得ている。 かたや、演じるとは、自分の主観および感情に左右されない自由な境地に至れる。 そこに、能楽の舞のような静謐な覚悟が漂う。河井継之助曰く「カラスは光に向かって飛んでいく。」 この人生舞台で、高津由久を演じるために、自分を捨てて光を追求して参りたいです。 2022年1月31日



高校時代にお世話になった小笠原文武先生とは、35年以上も年賀状のやり取りが続いていました。 毎年、干支にちなんだ自作の版画。ところが、今年は、最後の年賀状と印刷されていました。 先生は、数学教師。図形とは。軌跡とは。それらを言葉で表現して暗唱させる。 証明問題は、結論から導いていく。ノートは整然と美しく書いていく。先生の指導スタイルは斬新でした。 そして、誕生日には「おい、高津、今日はおめでとう。」関わる全生徒に、この声掛けを通年実施。 また、先生は「おい、高津、生徒会立候補してみないか。」その言葉をきっかけに 前後期とも2期務めて生徒会にはまります。立会演説会では、真面目に演説したことを 見知らぬ先輩が朝日新聞に投稿。「おい、高津、曲者として載っていたぞ。」 卒業後も、豊橋商工会議所の機関誌で、私のことが記事になると 「おい、高津、嬉しかったぞ。」先生の最後の年賀状には「由久君には良い思い出ばかりです。」 私も先生には良い思い出ばかりです。 いよいよ困難な時代を前にして、先生の厳しくも真剣な眼差しは、あるべき態度や覚悟を教えてくれています。 2022年1月10日



新年明けましておめでとうございます。 お正月二日午後に、実店舗の火災報知器がなり、しばらくするとサイレンを響かせた消防車がやってきました。 店舗界隈は、物々しい雰囲気となりましたが、私もそこに居合わせたものの、幸い火災はありませんでした。 どうやら、火災報知器の誤作動であったようですが、年末年始の休みなく働く皆さんの貴き姿を垣間見ることができました。 ただ、この年始に駆けつけて下ったことに、何となく申し訳ない気持ちととともに、 改めて多くの皆さんの見守りがあることを覚えました。 平穏な日常は、多くの皆さんの尽力と犠牲があって守られている。 そんな皆さんのことを想うと、不思議と新しい年への不安が飛んでいくようです。 「あなたは、ひとりではない。」そんな無言のメッセージが聞こえて参ります。 消防士の皆さんは、寒風吹く中で2時間も原因究明にあたり 「またベルが鳴ったら出動しますね。」淡々とその場を去って行きました。 私も同じく、与えられた目の前の仕事に真摯に取り組んで行きたい。 お騒がせしたものの新しい年に挑む気構えを頂きました。 2022年1月4日