和食とは、単にお腹を満たすものではなく、生き方にも及びます。 それは、日本語の生きる「生」という漢字の真ん中の縦棒が的確に表現していると思います。 だらりと寝ころぶのではなく、ピンと腰骨を立てる。 それが生きること。和食の道具が教えてくれているようです。
まずは、お茶の道具です。和食と言えば、お茶は欠かせません。 茶の文化は、茶道の流派や家元だけではなく、家庭でも継承されています。 お茶の道具を前にすると、腰骨を立てることができるのでしょう。 そこには、道具から漂う凛とした雰囲気と道具の作り手への敬意があります。 お茶の席で、寝ころぶことができないように、気を引き締められるものがあるのです。 そこで、白山陶器のティー土瓶はじめ湯のみをおすすめします。 わざわざ茶托という道具があるのも一考の価値があるのかもしれません。 白磁の風貌が、心の清らかさを表現しているようで、お茶の色合いが引き立ちます。 心整えてお茶を味わえるのも、これら道具の佇まいゆえとも言えます。 食事の終わりには、デザートと言うよりも、一杯の温かいお茶が心を癒してくれます。
続いて、お椀です。木製で漆が塗布されているものが受け継がれてきた道具です。 こちらも、お茶の道具と同じように、その道具を作った職人たちの心意気を感じて、心豊かにされるのです。 かたや、道具にそのような点を感じられないから、単にお腹を満たすだけの食事に陥ってしまうのでしょう。 道具には、想像力を膨らませる力があるのだと思います。 それは、一つ一つに丹精を込めた道具であれば、より強く思いを感じることができるように思います。 そこで、おすすめするお椀が、銘木椀 桜 漆塗りです。 このお椀を前にすると、腰骨を立てたくなる雰囲気があります。 そして、それを手にして、ぐっといただく薫り高き味噌汁は、やはり明日を生きる力ともなるでしょう。
最後に、お盆です。なくてもなんとかなる道具とも言えるかもしれませんが、 腰骨を立てる視点からすると、このような道具の価値も見えて参ります。 そして、毎日のことであれば、お盆一つで段取りがよくなり、生活にゆとりが生まれます。 さらに、そこに載せる道具を丁寧に扱う心が感じられます。 それは、その道具で食べる人への思いやりにも通じるのでしょう。 すなわち、道具というよりも、その道具を使う人への配慮なのです。 いつしか、そんな心を忘れて、お腹を満たすだけの食事に陥ってしまっているのかもしれません。 しかし、道具がそんな心を呼び覚ましてくれるとも言えるでしょう。 そこで、おすすめするのがブナコのオーバルトレイです。 まさしく、来客があった場合のおもてなしに相応しいのですが、家族の皆さんにもお役立ていただけます。
和食の道具とは、それを味わえることへの感謝を思い起こさせるもののようです。 道具を作った人たちからはじまって、料理を作ってくれた人たち、 そして、食材を作って調達してくれた人たち・・・ これらの人たちへの感謝の思いが、「いただきます。」と「ごちそうさま。」に込められているのでしょう。 そこに、腰骨を立てて前に進む、明日を生きる手がかりがあります。