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精読「食道楽」春の巻

第三十六 心の礼

兄はここに至りて大原の事を弁護せねばならぬ場合となれり 「お情けの卒業はありがたくもないが、しかし私も近頃に至って始めて心の礼という事に感服したよ。 以前学校で大原の説を聞いた時分はナンダそんな迂遠(うえん)な事を言って何の役に立つものかと 軽蔑したが社会へ出て今の世人の有様を見ると実に心の礼の欠乏しているのに驚くね。

先年或る高等官が大病に罹(かか)った時、私の友人の学者連が二、三人で病気見舞に往(い)ってその帰りにここへ寄った。 その時の話しに驚く。あの人はモー駄目(だめ)だ、今度こそごねる、あの人が死ねば何某(なにがし)がその職を亜(つ)ぐだろう、 その時は此方(こっち)も位地を進めてもらえる、今日はついでにその人の処へ行って御機嫌を伺(うかが)っておこうと 一方の病気見舞は一方の御機嫌伺いと変(へん)じた。それが学者とか先生とかいわれて社会の先覚者たるべき人物だから酷(ひど)い。 何のために病気を見舞うのだ。病気全快を祈る心で見舞うのでない、早く死ねばいいという心で病気の見物に行くようなものだ。 心の礼を知らぬにも程(ほど)がある。私はその事に呆(あき)れてその人の見舞に往かなかった。 どうせ病人に逢えないのにその家人(かじん)をして応接に忙殺せしむるのも気の毒だから私は御見舞に出ないけれども 先生の御全快を祈って窃(ひそか)に衷心(ちゅうしん)を苦(くるし)めておりますと見舞状を出しておいた。 その高等官は幸(さいわい)にして全快したけれども私の方の心の礼と外の人の形の礼とをいずれが悦(よろこ)ばしく思ったかしらん。 世間の事は多くそんなものだ。

外(ほか)の社会も定めしその通りであろうが文学社会には殊(こと)に心の礼がない。 未熟な青年輩(はい)が老成の大家に向って讒誣罵詈(ざんぶばり)の文字を並べたり、 独(ひと)り天狗になって他人を攻撃したり、こういう人は殆ど先輩や長上(ちょうじょう)を尊敬するという道も知らん。 近頃の文章にはよく「世間という奴(やつ)とかく云々(うんぬん)」というような文字が見えるが 罪のない世間にまで奴呼(やつよば)わりをしないでもよさそうなものだ。 ヤレ自然の美だ風韻(ふういん)だのと大層高尚(こうしょう)らしい事を唱える癖に 今の文士は極(ご)く下品な卑しい忌味(いやみ)な文章を書きたがる。 文士の筆として世間という奴という如き文字を綴(つづ)るのは心の礼がないばかりでなく筆の礼も知らない。 その外面(ま)のあたり人に媚(こ)びて退いて人を誹(そし)るとか、表面(うわべ)で尊敬して 裏面(りめん)で排撃(はいげき)するとか社会の人に心の礼のない事は歎ずるに余りあり。 大原君をして何の仕事をなさしめずともこれから社会に向って心の礼という説ばかり主張させたら国家のために大利益がある。 あれは決して軽蔑すべからざる人物だ」

お登和「そうおっしゃれば昨日(きのう)の事を考えてみてもあの不思議な半襟(はんえり)を持って来て下すった処は 心の礼が充分に籠っているのですね」 兄「そうだとも。男が女に向っても形の礼より心の礼を重(おもん)じなければならん。 子が親に向っても妻が良人(おっと)に向って心の礼がなくっては如何に形ばかり神妙にしても役に立たん」 お登和「それで大原さんは今何をしていらっしゃいます」 兄「今は原書を反訳(ほんやく)して書物屋(ほんや)へ売ったり雑誌へ投書したりしている。 劣等生だから売口は悪いけれども他日あの男が心の礼を天下に主張する時代が来たら 外の優等生や先輩の不誠実家は忽(たちま)ち屏息(へいそく)するに至るだろう」 妹「してみると末はなかなか有望なお方ですね」 兄「ウム、だから和女(おまえ)が強(し)いてイヤと言わなければ大原と親類になってもいい」 と兄妹の相談はここに至りてほぼ決しぬ。

コメント:
反面教師という言葉がありますが、他者と出会って、わが身を省みることでもあります。 そのごとく他者は、鏡のようであり、自分の姿まで映し出してくれます。 中川は、友人たちのお見舞いとご機嫌伺いに遭遇して、はたと気づきました。 それは、大原の生き方に触れたからこそ、気づけたのかもしれません。 その場では「ナンダそんな迂遠な事」と思っていても、しっかりと心の中に刻まれていた。 心の礼という生き方は、時間が経過してから、その実が表れるとも言えそうです。 それは、子育てにも、商売をはじめ、すべてのことにも通じます。 その時には、理解されなくても、やがて気づく時が来る。 ですから、一喜一憂することなく、淡々と信じることを行うべきでしょう。 実は、それこそが、お登和の心を変えるまでの力をもっているようです。