狭き家とてお登和嬢は小山の談話を尽(ことごと)く聞きたるなり 「モシ兄さん」と呼かけたる一語は如何(いか)なる心の先駆なるか。 大原を嫌いて嫁入(よめいり)の事を拒まんとするか、それとも小山の説明に大原の真価(ねうち)を悟りて 自ら心の進みけるかと兄の中川は妹の心を測り兼ねて重くるしく「ハイ、何だえ」と返事する。
お登和の言出す事は少しく案外なり「兄さん、今のお話を聞きますと世中(よのなか)に 誠実な人は滅多(めった)にないようですがマサカあんなでもありますまいね。 大原さんばかりが誠実で外(ほか)の人は皆(み)んな不誠実というような事はありますまい。 私にはどうも小山さんのお話がよく解りませんよ」と誠実の問題に疑問あるなり。
兄は無邪気(むじゃき)なる妹の心中さこそあるべしと頷(うなず)き 「なるほど、和女(おまえ)はまだ世中の事を知らんからそう思うのも無理はない。 しかし段々社会の事を経験すると分るが、今の世人に一番欠乏しているのは誠心実意だ。 といって今の世人が誰も彼も悪意邪念を持っている訳ではないが昔しからの習慣上不誠実という事に馴(なれ)て知らず知らず悪徳を平気で行う。 和女が今まで人に逢って見ても悪人らしい人は一人もあるまい。親しく交際(つきあ)うと誰でも善人に違いないが さてその善人が社会に向ってする事はどうだというのに物を約束してもなかなか当(あて)にならず、 事が起ると他人の迷惑を顧みないで自分の勝手ばかりしたがるし、商売人の品物を買っても確実と信用すべき者は殆(ほとん)どなし、 公共事業に従事する者が更に公共の利益を図る心がない有様(ありさま)だ。
外の事はともかくも女の身として観察しても、まだ結婚しない男子は妙齢婦人の機嫌を取ろうと思ってさも親切らしく 熱心らしく愛情を濺(そそ)ぐような顔して、一旦その人と結婚した後は酒道楽や女道楽勝手次第自分の妻や子に対して 一片の温情がない人も沢山ある。 自分の一身を修め自分の一家を斉(ととの)える事も出来ない人が一国の政治を論議するなんぞと大(おおき)な顔をしているし、 自分の家庭を神聖高潔にする事も出来ないで青年男女を教育すると威張っている先生もある。 文学界の人は殊(こと)に何事も感情任せで蝸牛角上(かぎゅうかくじょう)の争(あらそ)いをしているから 文筆を以て天下に貢献するような仕事は出来ず、実業界は道義全く地を払って更に信用の重んずべき事を知らん。 一々世中の事を点検してみたら誠実という分子は殆どないね」
とこの人もまた世に慨する所あり。妹は初(はじめ)て驚ける如く 「そうしてみるとあの大原さんはそれほどに貴いお方でしょうか」 中川「先ず貴いといわざるを得んの。あの男が学校にいる時分頻(しき)りに心の礼という 事を主張して支那や我邦(わがくに)の礼式は虚礼なり実礼にあらず、 西洋の礼式も虚実相半(あいなか)ばしている、社会の文明を進めるのは心の礼を世間の人に教えなければならん、 心で人を貴び人を敬し人を愛し人を憐(あわれ)むのが人の道だ、 しかるに今の世人は口で人を貴んで心で人を賤(いやし)むという風(ふう)がある、
譬(たと)えば学生の事にしても教場で教師の前へ出ると先生先生と尊重しているが寄宿舎へ帰ると教師の事を、 彼奴(あいつ)は依怙贔負(えこひいき)ばかりしてしようがないなぞと彼奴呼(あいつよ)ばわりをする人がある、 これこそ心の礼を知らん事で人間の悪徳だと大層そういう事を攻撃した。 大原ばかりは朋友と話す時にも教師の事はいつでも誰先生と尊敬していうし、 独語(ひとりごと)にも先生先生という。最も感心な事は朋友の事をも決して呼捨(よびず)てにしない。 私だってあの男の噂をする時には大原がこうだと呼捨にする癖があって困るが大原は私の事を人に話すにも中川君がこうしたという風だ。 あの男に化せられて学生の風儀が大層好くなったから教師もそれを愛してお情けに卒業させたのだろう」 妹「お情けの卒業は少し困りますね」