料理道具専門店 フライパン倶楽部

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スタッフ日記byフライパン倶楽部代表

人生とは、いかに生きるべきかを問いながら、自分とは何なのかを探す旅のようです。 お料理道具を売る現場で、地域との関わりの中で、家庭生活で、湧き上がった言葉を丹念に紡いでみた、明日への旅日記です。



高校の同窓会が東京であり、恩師や仲間たちと再会を果たしました。 温かな気持ちとなってニ次会を中座して、最終の新幹線に、品川駅から乗り込みました。 すると東京駅に向かっている。「しまった」と苦笑いが浮かびます。 そこで、駅員さんに相談すると、朝一番の新幹線なら振り替えることができる。 それでも、宿泊先をどうするか。その時、思い浮かんだのが三鷹の叔父と叔母でした。 11時近くでしたが、早速電話で事情を話したら、自宅までの道のりを丁寧に教えてくれました。 ところが、深夜のバスから降りて、道に迷ってしまいました。 すると、暗闇の中から、自転車を引く叔母が見えました。 「よっちゃん。」何だか私は、迷子になった子供時代に戻ったようでした。 ご自宅に到着した時は、日も変わっていましたが、布団も寝間着もすでに用意されていました。 翌朝も早くからお世話になり、無事豊橋に。 「どうしたらいいのか」の連続でしたが、とにかく求めてお願いしていくと、 不思議と道が開けて行きました。自分の足りなさとともに、支えられている自分に気づく旅でした。 2017年11月16日



今から500年前に、一人の修道士が、カトリック教会に異議を申し立てました。 それは、長い物に巻かれるのではなく、たった一人の個人がNOと告げて、自分の意思を明らかにした。 その意思こそが、自由のありかであり、日本国憲法の掲げる自由の源流がここにあるとも言えるでしょう。 やがて、思想家たちは、王政からの自由、保護国からの自由を人権と表現します。 それを論拠として、フランス革命やアメリカ独立戦争が勃発。 この自由を求めて、今日に至るまで、あまりにも多くの血が流されてきました。 その点で、我が国もまた、日清があり日露があり、そして先の戦争がありました。 ところが、今の時代は、そのような歴史に無関心であり、自由を履き違えて、放縦と解釈してしまう。 拉致被害者の家族が米国大統領と面会して、こんな言葉を残しています。 「これからは日本政府が主導的に解決に向けて歩みを早めてほしい。」 500年前の修道士のごとく、黙って従属するのではなく、自分の意思を明らかにする。 それが、自由を標榜する誇り高き我が国日本です。 2017年11月9日



晴れわたる青空のもと、青いスーツを身にまとい、国会に初登庁する後輩がテレビに映し出されていました。 前回の選挙では落選、浪人生活の彼をしばらく見て参りました。 冷たい空気が流れる中でも、明るく堂々と振舞っている姿が印象的でした。 そんな健気な彼の姿を見る時には、こうして政治家は、育っていくのだと思うようにしていました。 やはり、時に冷たく厳しい市民が政治家を育てるのでしょう。 彼とは、市民劇「ひとすじの会」でご一緒させていただくことがありました。 その市民劇は、群馬から豊橋にやって来て、製糸産業の発展に貢献した女性が主人公でした。 地元出身ではないことで、苦労も多かったことが分かります。 かたや、彼女を助ける地元の人たちが現れる。 どうやら、そのヒロインとご自分が重なったようです。 彼も同じく、外から豊橋にやって来ました。 上演後に「大変励まされました」と声を掛けてくれました。 昔も今も変わることなく、しっかりと汗を流すもの、天はしっかりと見ているのだと思いました。 さあ、これから共に、街を日本を創って参りましょう。 2017年11月2日



TBSドラマ「陸王」のロケが、わが故郷でありました。 マラソンの国際大会がある設定で、わが商店街が、ゴール地点でした。 その日は、早朝から三千人近くの市民がエキストラとして集結。 そして、夕方まで撮影は続いていましたが、商店街の沿道を埋め尽くした 市民は帰る様子もなく、最後まで応援協力していました。 演出家は「このシーンを撮るには豊橋しかなく、いいシーンが撮れました。」 わが故郷は、誰かを応援することでは熱くなり、評判を呼んでいるようです。 きっと俳優さんたちも、この街から勇気をいただいたことでしょう。 そして、そのドラマに登場する社長は、100年続く足袋屋の4代目。 同じく100年続く金物屋の4代目の自分と重なりました。 自分たちの存在意義は何であるのか。そして、果敢に挑んでいく。 事実は、小説よりも奇なり。 私たちは、ドラマよりも奇なる人生舞台を生きているのでしょう。 母校の応援歌では「陸の王者」を歌っていますが、それは人生の勝利者。 熱き人たちに囲まれて、私もドラマではない、リアルな陸王になりたいです。 2017年10月19日



青空が広がる季節を迎えています。 先週は、新潟県燕三条で、工場の祭典やトレードショウが開催されました。 それを機に、燕市にあるアイザワ工房さんの商品を販売させていただく小売店が集まり、 アイザワさんの関連工場をともに見学させていただきました。 はじめてお会いする方ばかりでしたが、同業者のよしみで、すぐに心が通じ合えます。 懇親の場があり、カラオケで私の心に響いて来たのが、ブルーハーツの「青空」でした。 大きい店小さい店は関係なく、円陣を組んで一つとなる。 誰が上、誰が下というものがない。青い空の真下では、みんな同じはずという歌詞には 福澤諭吉の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」が重なりました。 「生まれた所や皮膚や目の色で、一体この僕の何が分かるというのだろう」 澄み渡った青空を見ていると、そのメッセージが聞こえてくるようです。 その場で、気持ちよく歌わせていただいたのは、 きっと仲間たちも同じ思いを共有できていたからだと思います。 そこから、何かが始まる予感がしました。 2017年10月12日



突然の衆議院の解散と思いきや、突然の希望の党の登場、そして、突然の民進党の合流。 政治状況が目まぐるしく変わった一週間でした。 その時に思うのは、政党とは一体何だろうか。 単に政権を獲得するための集合体であるのか。 政党の前に、政治家という個人があります。 その個人が、どのような政治哲学をもっているのか。 それがあって、同志が集まり、政党は成り立つのでしょう。 新党への合流も、その考え方で振り分けていく作業をするそうですが、 あまりにも時間が限られています。 希望の党に希望を持ちたいものの、この状況下で即席に形成されることが残念です。 政党というものが非常に軽いものにも思えてしまいます。 このような状況を生んでしまったことを機に、 候補者一人一人は初心に帰り、自分の政治哲学を語っていくことが必要でしょう。 そして、有権者も、政党の意味を考えていくことが必要でしょう。 それは、政党を育てていくのは、安倍さんでも、小池さんでもなく、有権者の私たちだからです。 そこにこそ政治の成熟があります。 2017年9月30日



私の家のお墓は、寺院の敷地内にあります。 先祖代々、その寺院にお世話になって今日に至っています。 ところが、その背景にある檀家制度は、葬式仏教とも揶揄される信仰の形骸化を招いているとも感じます。 加えて、その制度によって、信仰の自由が制約されてきました。 もともと徳川幕府の禁教政策の中で確立された歴史があります。 果たして、信仰とは何なのか。 それは、他から影響されることなく、独立した個人が、自分の意思で決める行為と定義できます。 そこには自由の本質があります。 ところが、自分の意思で選ぶべきものが、初めから決められてしまっている。 これからは、お墓や家のことは、特定の宗教から分離して行くことが必要だと考えます。 かたや、それをずっと守ってきてくれた方への感謝も忘れてはならいでしょう。 そして、お墓や家という代々の繋がり、そこにある先祖の生き様や精神を継承していくことこそ本質です。 この自由な時代を生きる私たちは、信仰と同じく自分の意思で変えていく責任を負っています。 2017年9月23日



当店の隣に、バスケットボールプロチーム・三遠ネオフェニックスの豊橋ラボが開設されました。 これは、近くの豊橋公園内にチームのホームグラウンドとなるアリーナ・スタジアム建設を 目指すための拠点でもあります。 この構想は、もともと政府の成長戦略に由来します。 政府は、スポーツの成長産業化を見据えて、2025年までに全国20カ所に アリーナ・スタジアムの建設を目指す目標を掲げました。 そこで、豊橋市が三遠ネオフェニックスと提携して、この戦略にのる形で進められています。 今まで教育に重きを置いて来たスポーツのあり方を、この時代は変えていく必要があるようです。 また、商店も単に物を提供するだけではなく、体験や感動を提供することも求められています。 明日の商店街は、このスポーツの要素が加わることで、思い描きやすくなります。 そこには、故郷への愛が生み出されます。やはり故郷は「東三河は一つ」に行き着きます。 そして、それを主導するのは豊橋であり、豊橋の顔は、ラボが開設された豊橋駅前です。 2017年9月18日



私立中学校の職員室に伺うと、そこに旧約聖書の言葉が掲げられていました。 「私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」 それは、創造者が被造物を見つめる眼差しですが、 大人が子供を見つめる眼差しとも重なります。 その時、黒柳徹子さんを思い出しました。 「学校でも家庭でも人格を大切にしてもらったおかげで、自分が何ができるかは分からないけど、 何かできるだろうとずっと思ってきた。人は人って思えたのは、 自己肯定感を育んでもらったからだと思います。」 黒柳さんは小学校1年生の時に、注意欠陥と推測される問題児で、 当時の尋常小学校では手におえないとされて、私立のトモエ学園に転校します。 そこで出会ったのが小林宗作先生であり、その経緯が「窓際のとっとちゃん」に書かれています。 「あなたは、あなたのままでいい。」とっとちゃんは、注がれた愛情により、自分を信じることができた。 その後、マルチタレントとして今日も活躍されています。 黒柳徹子さんの魅力は、黒柳徹子さんだからです。 2017年9月11日



商用で浜松を訪れた時でした。帰り際、時計は18時をまわっていました。 浜松駅を目指して歩いていたものの、慣れない土地で、道に迷ってしまいました。 そんな時は、スマホも意外と役に立ちません。 その時に目に入ったのが、予備校前で自転車に乗ろうとしていた少年。 彼に道を尋ねると、微笑みながら「駅までご一緒しますよ。」 見ず知らずの人に対しての態度に驚きました。 とっさに、それは申し訳ないと思い、駅のある方角を教えてもらいました。 その方角に少し歩くと、すぐに浜松駅のシンボルであるアクトシティのタワーが見えました。 それを目指して、高架下を歩きながら、駅前の地下道の入口に出ました。 目の前は浜松駅です。ようやく着いたとほっとした時に、 あの少年が自転車の上で、私に微笑んでいるのです。 「わかりましたね。よかった。」 どうやら、先回りして私を見届けてくれていたようでした。 私を確認すると、夕やみ迫る街の中に、さっと自転車で走り去りました。 駅までの道だけではなく、人生の道まで教えてもらったようでした。 2017年9月1日



本日の朝日新聞で、児童精神科医の佐々木正美さんがお亡くなりになったことを知りました。 それは「子と親に寄り添い、包んだ」とする追悼の記事でした。 折に触れ、佐々木さんの著書「子供へのまなざし」を手にすることがあります。 このまなざしというタイトルに、佐々木さんの優しさを感じることができます。 絵本「ぐりとぐら」の作者である山脇百合子さんが描いた子供たちの表紙からも、その優しさが伝わって参ります。 響き合う心を育てるためには、大人たちが響きあう豊かな人間関係をつくることだと語っていました。 親同士の関係、先生と親との関係、親と地域の人たちとの関係、 その関係の豊かさの中で、子供の響きあう心が育っていくのだと。 いつも子供たちのまなざし、子供たちの視点に立っていたのが佐々木さんでした。 それは佐々木さんが、数多くの親子たちの苦しみや悲しみに寄り添って来た賜物だったように思います。 記事には、「義父の影響で無教会派のキリスト教徒であった」 佐々木さんのまなざしと、主のまなざしが重なりました。 2017年8月24日



お墓の前で、人は何を思うのでしょうか。 私の両親と弟家族、妹家族とともにお墓に出かけました。 そこで、感じたのは、同じ先祖をもつ一体感なるもの。 絆とも言えるでしょうか。 同じ人たちを想うことで、両親と兄弟家族とつながっていることが確認できます。 そして、先人たちが願っていたことは、きっと互いに欠点はあっても、 互いに許し合い愛し合っていくことのように思います。 ちょうど、この時期は、終戦の日とも重なりますが、 いろいろな意見の相違はあっても、日本が一つになれる時でもあるように感じます。 それは、みなで力を合わせて、平和で自由な国家を作りあげていくこと。 先人たちの想いと過去の事績を見つめることで、今を生きる私達がさまざまの恩讐を越えて一つとなれる。 先人たちの深い苦しみや悲しみに気づければ気づけるほど、そこに深い愛情を感じることができます。 いつしか自分よがりになっていないか。他への感謝や思いやりを忘れてしまっていないか。 お墓を前にして、自分の生き方を正して参りたいです。 2017年8月17日



全国私学の研修会に参加して考えました。 公教育とは何であるのか。公の目的によって行われる教育であり、それは学校で行われる。 その学校とは。教育基本法第6条では、学校が公の性質を持つことを規定していて、 その学校には、国や自治体だけでなく学校法人により設置・運営される私学も含まれる。 そして、その学校の教員は、公私を問わず全体の奉仕者。 すなわち私学は、公教育を担う存在。 かたや、私学とは、建学の精神に基づいて運営されて、国からの支配を受けない独自性をもつ存在でもある。 公教育を担っている点では、国からの財政援助を受ける立場にあり、 公平性の観点から言えば、私学の生徒は公立学校の生徒と同程度の援助を受けることが筋でしょう。 かたや、独自性を保つ上では、国に依存せず、独立した財政基盤を持つことが期待される。 しかし、私学は営利を目的とせず、公教育を担う存在であり、安易に授業料を上げること等はできない。 そんな私学の置かれている状況を理解してもらうことが必要でしょう。 2017年8月8日



全国私学の研修会が山口県であり、息子がお世話になる先生たちと旅を共にしました。 ある先生は、新幹線の中で、ストローから、本物そっくりのエビを作ってプレゼントしてくれました。 生物部の顧問でもあり、ゾウガメやイグアナを自宅で飼育されています。 私と同級生であることが分かり、ぐっと親近感が沸いてきました。 教師に至るまでのお話を伺い、中南米で10年以上も会社勤めをされて日本に帰ることを決意。 家族がいる中で、再就職には不安がつきまといます。 「真面目に生きる」が先生の信条であり、さまざまな状況の中で、不思議と道が開かれて行きます。 そこには助ける人が登場。 それは、少しづつ自分の天職に近づいていくようでした。 そして、そんな先生から教えをうける子供たちは幸せだと思いました。 いただいたエビを見て、エビはエビであることが素晴らしい。 先生は、エビだけではなく、子供たちにも同じ眼差しを注いでいると思いました。 そんな自分を生きている同級生から「真面目に生きる」を確認させていただきました。 2017年8月3日



息子がお世話になる高校の野球部は、昨秋の県大会で準優勝。 春の選抜は21世紀枠の県推薦校に選定されました。 今夏の大会では、シード権を獲得して、夢の甲子園が迫っていました。 そのチームを牽引するのが、3年生のエース投手。 昨日は、ベストエイトを目指す戦いがありました。 彼がストライクを取るたびに、太鼓の音とともに「いいボール」コールがおきます。 ところが、その日は思ったような投球ができません。 あっという間に5点を先制されてしまう。 それでも、あきらめることなく加点して追い上げます。 1点差に迫った9回表は、ここを抑えれば、その裏に逆転できる流れでもありました。 しかし、マウンドの彼の足もとに打球が直撃。 治療のために試合は小休止。しばらくして再びマウンドへ。4番相手に真っ向勝負に挑みます。 なんと悲痛のホームラン。涙の降板となります。その裏追い上げはしたものの力尽きました。 そんなエースの結末を見て、彼のこれからの人生では、 皆を驚かす「いいボール」が駆け抜けそうな予感がしました。 2017年7月24日



愛知サマーセミナーで、FC岐阜の社長であった恩田聖敬(さとし)さんのお話を伺いました。 恩田さんは、ALSという難病を抱えています。 しかし、恩田さんは、まんまる笑店という会社を興して、講演活動を行うなど、 ご自分のできることに精一杯取り組んでいました。 講演は、恩田さんの声の音源があり、現在の技術を駆使して音声が流れました。 恩田さんは、講演中ずっと前で座っていて、実際に話をされているようでした。 ところどころで、ご自分の生の声も聞かせてくれました。 体を動かすことができず、400字の文字を入力するにも2時間を要する。 そのような状態でも、ご自分の意思で人の前に立ち、ご自分の体験を語ろうとされる。 そこには、誰かの問題解決の役に立ちたいとの熱意がみなぎっていました。 「人生は、自分を好きになるためにある。」 そんな恩田さんという人間が、私の目には崇高に見えました。 まさに、そのお名前のごとく、聖く敬うべき存在だと思い、そのことを最後にお伝えすると、 ご自分の名前は大好きだと答えてくれました。 2017年7月18日



文藝春秋にナンバーというスポーツ雑誌があります。 その6月29日号のタイトル「桜の挑戦」という言葉が響いてきました。 それは、愛称がチェリーブロッサムズと呼ばれるラグビー日本代表の挑戦ですが、 私の中では、息子がお世話になる桜丘学園と重なりました。 今週末から、愛知サマーセミナーがあります。 30年前に、ひとりの先生の熱い想いから始まりました。 「教師は指導要領に縛られている。生徒は国が決めたひとつの枠の中で 同じ学習内容をなぞっている。大人も子どもも、窮屈な学びを強いられている」 「『学ぶ』ことは、本当は、もっともっと楽しいことなんだ。 授業の枠からはみ出して教えたいことは山ほどある。 『教えたいことだけを教えて、学びたいことだけを学ぶ』そんな学校ができたら…」 そんな夢の学校に挑戦してきたのが、桜丘学園をはじめとする愛知県私学の先生方でした。 高校野球もはじまり、全国大会に向けて子供たちも挑戦しています。 その時、大人たちが何かに挑戦する姿こそ、子供たちへの最大のエールとなります。 2017年7月10日



中学校時代の国語の先生が転任される時、色紙にメッセージをいただきました。 その先生の授業は独特で、教科書を朗読させて、「質問があるもの?」 熟語の意味を含めて、ありとあらゆることを聞くことができました。 私の記憶の中では、すべての質問に答えて、動く辞書のような存在でした。 その先生の授業となると、真っ先に質問していた生徒が私でした。 いつしか、先生に質問できることを喜びとして、しっかりと教科書を読みこんでいたのだと思います。 その色紙には、大小の魚のイラストと意味不明な「大きい魚も、小さい魚も海の中」と書かれていました。 それは、先生からの私への質問のようでした。「大人になったら意味が分かる。」 もはや先生に質問はできませんが、それを自分で悟ることが要諦だったのだと気づきます。 35年後の今日、こんな回答を出してみました。 「小さい魚と感じても卑下するな。大きい魚と感じても奢るな。 大小に関係なく、魚は自由に海の中を泳いでいる。おまえという魚は、おまえを生きるのだよ。」 2017年7月1日



最近のイチローの打率を新聞紙上で見るたびに、イチローの苦悩が伝わって来るようです。 4割近い打率を維持して来た選手が、2割前後の打率に低迷している日々。 それは、プロとしてのプライドがあるイチローだからこそ深いものがあるように感じます。 しかし、そんな苦闘するイチローから不思議と勇気をいただけます。 息子の通う高校のある部活では、なかなか勝てないライバル校が同じ県内にあります。 全国大会の出場は決めているものの、昨日も東海大会の決勝では星を落とす。 心のどこかで「勝てない」とあきらめているのかもしれません。 それを越えていくものとは何か。 勝つことがすべてではありませんが、どこまでも希望はもつべきです。 それは、ライバルではなく、まず自分に勝つ、自分を信じることでしょう。 そのためには、ともに戦う仲間と周囲の存在は大きく、その声援が後押ししてくれます。 そして、苦闘している大人たちの生き様からも子供たちは勇気をもらいます。 私たち大人は、今日も白球に向き合うイチローのようでありたいです。 2017年6月19日



元官僚が退官後に「行政の在り方がゆがめられた」と公言していました。 本来は、在職当時にこそ物申すべきでしょう。 官庁に関わらず、組織の中で、自由に発言できないことが日本社会を歪めているように感じます。 もちろん、組織の秩序を保つ努力は必要でしょう。 しかし、語るべき時は語る。 私がお世話になる大先輩は、100名を越える組織の長ですが、 周りからは時に「かわいい」と揶揄される、いじられキャラでもあります。 ところが、その組織は、大変風通しが良くて、人前でもお互いを笑いながら批判し合う。 そこまで言って良いのと一瞬驚きはするものの、不思議と嫌味がなく爽快感まで残ります。 その背後では、とことん議論し合っているのだと思いますが、 一人一人が自分の心を曝け出して、相手と素直に向き合っている。 批判の前に、その態度が相手を尊重することなのでしょう。 その時、その大先輩のあり方が、組織全体に浸透しているようにも感じました。 自由に物が言えるために、組織の長は、自分のあり方を見直すべきでしょう。 2017年6月12日



高校の父母の会で、最初の集りがありました。 そこでは、会堂一杯に集まる父兄たちの前で、生徒たちが自分の言葉で発表をします。 私は登壇しており、私の前にずらっと並んだ生徒たちの後姿を見ていました。 私の目の前は、和太鼓部の生徒で、ティーシャツの背後には、 手書きのメッセージが寄せ書きのように幾つか書かれていました。 その一つに、「あきらめるな。がんばれ。よっちゃん。」と書かれていたのに驚きました。 よっちゃんとは、その生徒のことでしょうが、私も由久(よしひさ)で 子供のころは、よっちゃんと呼ばれて来ました。 彼らの発表の後で、私が父兄代表で挨拶させていただいていて、 子供たちに声援を送って行きましょうと呼びかける予定でした。 もちろん、そのこともお話させていただきましたが、応援すると応援される、 そんな交換が生まれるのだと思いました。 私も人前で、子供たちのためにお話させていただくことが多くなりましたが、 そんな時は、子供たちが声援を送ってくれているようです。 「あきらめるな。がんばれ。よっちゃん。」 2017年5月29日



実店舗でフライパン講座がありました。 印象的だったのは、参加者からの「お料理の出来栄えは、その時の気持ちで左右される。」 気持ちにゆとりがない時は、失敗するとの発言。 まさに、その通りだと思いました。 その発言に共感していると、ふと思い浮かんだことがありました。 それは、食材が気持ちを落ち着かせてくれることです。 講座で目玉焼きを調理しましたが、その食材が美味しくなっていく様子をよく観察していると、 次第に気持ちが落ち着いてくるのです。 それは、その食材が自分の手元に渡るまでに、多くの人の労苦を経ていることが想像できます。 加えて、目の前の卵は、ひよこにならずに、自分の命を犠牲にして私たちにささげてくれた。 まさに、いけにえになってくれたとも言えます。 そんな献身的な姿を思い起こさせてくれて、感謝が沸いてきます。 すると、気持ちも落ち着いて、穏やかになれる。 お料理に潜む大切なことは、人と向き合うことで気付かされて行きます。 美味しさとは、お料理をよく観察することで生まれて来るのでしょう。 2017年5月21日



休日の昼下がり、裏山に登りました。そこは、松明(たいまつ)山と呼ばれて、豊橋の街が一望できます。 また、新幹線が浜名湖方面から豊橋の街中を横断していく様子を眺めることもできます。 頂上に到着すると、話しかけてくれた人がいました。 これからドクターイエローと呼ばれる黄色い新幹線が見えると教えてくれました。 通過する時間もお分かりで、それまでの時間、その方と雑談をしました。 ご自分の会社を立ち上げて、それを息子さんに引き継がれて、今は会社から身を引かれた。 その時「寂しいよ」という言葉が私の胸に響きました。 人は人に必要とされてこそ、生きる手応えを感じれるのだと思いました。 息子さんは私と同世代でした。 何となく私の父親と重なるところがあり、父親を大切にと教えていただいたようでした。 すると、時間通り、黄色い新幹線が現れました。 「これを見ると、幸せなことがあるよ。」 私からすると、その方にお会いできたことが幸せであり、 確かに黄色い新幹線が出会いを導いてくれたなあと妙に納得いたしました。 2017年5月18日



卓球部の息子の応援に駆けつけました。 初日は団体戦でしたが、息子たちは勝ちましたが、二人の仲間が惜しいところで負けてしまいました。 翌日の個人戦では、前日に勝った息子たちは敗れて、敗れた二人が勝ち進みました。 その二人の応援を2階の観客席からさせていただきました。 二人のうちの一人は、息子より一学年下で、確かな腕があるものの、感情面の起伏がやや目立ちました。 自信をもって当たれば、鮮やかなスマッシュを決めてくれます。 まだあどけなさの残る少年でしたが、彼の名前を呼んでは、 「いいぞ!」「負けるな!」「踏ん張れ!」「丁寧に丁寧に!」「集中集中!」 すると、試合後には、大変清々しい表情で、2階席の私のところまで来て、 「応援ありがとうございました。」頭を下げたのです。 私は驚きとともに感動してしまい、「君は、今度のエースだよ!」と肩をトンと叩いていました。 彼とつながった時でもありました。 そばで見ていた息子も、後輩の成長ぶりに嬉しそうでした。 今後も子供たちに声援を送って行きたいです。 2017年5月6日



4月30日に名豊ビルが閉館となりました。当店も新店舗建設時に2年間お世話になりました。 このビルは、私と同じ年に誕生して、同級生のような親しみを感じて来ました。 地下には、豊橋バスターミナル、階上にはお店が立ち並ぶハイショップ名豊、 かたや中日文化センターがあり、上階には宴会場と宿泊所をもつ豊橋グランドホテルがありました。 複合商業施設の先駆的存在であったと思います。 当時の人たちが、街中の活性化を願って、知恵を絞って作り上げたのでしょう。 そして、経済は低成長、少子高齢化の時代を迎えています。 いつしか、その時代を言い訳にして、街づくりが人任せになっているのかもしれません。 あるいは、先人たちの功績に胡坐をかいてきたのかもしれません。 もう一度、先人たちの熱い想いに学んでいく必要がありそうです。 その日の夕刻、名豊ビルのオーナーが頭を下げたまま、シャッターが下りました。 終わりは、始まりでもあります。 ここから新しい街が生まれて参ります。それを生み出すのは私たちの世代です。 2017年5月2日



息子の通う高校には音楽科があり、楽友会という卒業生や父兄で音楽科をサポートする集りがあります。 音楽科は昭和38年に開設されて、楽友会は昭和45年に結成されました。 ほぼ私の人生と歩みをともにする楽友会の総会に出席させていただきました。 その歴史をはじめて知るとともに、この学園の明るさは、この音楽科によるものではと思いました。 もともと学園の理事長の叔父にあたる満田(みつた)賢二氏が学園での音楽教育を目指していました。 ところが、道半ばで南京にて戦死。その志を兄である前理事長が継承して音楽科が開設されます。 その総会に出席するために、その日、学園内の駐車場で車を停めたところの背後に、生花が飾られていました。 それは、先の戦争で亡くなった学園の38名の先生と生徒たちの慰霊碑でした。 その事実も、その日はじめて知りました。 残された学園が背負った深い悲しみは、今日の子供たちへの深い愛情に昇華されたのだと思いました。 なぜ、あの日あの場所に車を停めたのか。それは天の計らいのようでした。 2017年4月23日



3人の子供たちの末っ子が高校3年生となり、子育ての総決算を迎えて参ります。 そんな折に、家内が只今の心境を綴ってくれました。 「昨年50才の誕生日を迎えました。北海道からこの豊橋に嫁いで、はや22年の歳月が流れました。 つい先月に届いた私の母校からの同窓会便りで映画『PとJK』を知りました。 母校を舞台に撮影が行われたとのことで、時間を見つけて一人で観て来ました。 大好きな高校。楽しかった3年間の記憶が次々と思い出されました。 校舎、校庭、教室、廊下、階段、講堂…。そして 生まれ育った函館の街並みに 懐かしさが込み上げて涙が溢れてきました。 何よりも驚いたのは、私が幼少期から自立するまで住んでいた古い市営住宅、 公園のブランコ、鉄棒も当時のままの姿で映し出されていて感無量でした。 かれこれ6年も帰っていませんが、この映画を通して故郷に行って来たような嬉しい気持ちになりました。 神様からのご褒美かな?ありがとう! 私は、この故郷を誇りに思いつつ、この街、豊橋でも輝いていきたいです。」 2017年4月15日



ようやく桜が満開を迎えた本日、小さな赤ちゃんがご両親とともにご来店下さいました。 関東方面から引越しをされる途上で、当店にお立ち寄りいただいたそうです。 お父さんに抱かれた赤ちゃんの名前は「くるみ」ちゃん。 その名前のごとくに、かわいい子で、初めてお会いした私にも優しく微笑んでくれるのです。 1時間ほど買物されていたのですが、終始静かに微笑んでくれていました。 その微笑みには、すべてを悟っているかのような神聖なものを感じました。 私たちは、さまざまなことで思い煩い、この世に翻弄されることもありますが、 そんなものをものともしない力強さと言えば良いのでしょうか。 その微笑みは、理屈を越えて、人に勇気を与える不思議な力が秘められています。 それは美味しさにも似ています。くるみを通じて、人はお腹を満たして心安らかにされます。 くるみちゃんは、チャイルドシートに載せられて、美味しさを作る道具とともに新居に向いました。 そして、桜舞うお店には、微笑みと言う贈物をそっと残してくれた余韻が響いています。 2017年4月9日



実店舗には、親子連れのお客様がしばしば訪れてくれます。 子供たちは、料理道具に大変興味を持ってくれて、「これは何?」と尋ねてくれます。 うさぎの耳をあしらったペッパーミルがあるのですが、 「うさぎの耳に見えない?」すると、「あひるに見えるよ!」 確かに90度傾けると、あひるのくちばしに見えました。 今までそのようには見えなかったのですが、「なるほどなあ〜」と感心いたしました。 そして、次々に興味をもってくれて、さらに生き生きと質問を浴びせてくれます。 疑問を感じて考える表情、分かった時の喜んだ表情。 どの表情にも魅力を感じてしまいます。 また、そのやりとりが深まると、時に安堵の表情なるものを垣間見せてくれることがあります。 その時、この子と自分がつながった喜びとともに、その子を愛おしく感じます。 かたや、その安堵の表情の裏側では、忙しい大人たちに気を使って、 寂しさを抱えているのかもしれません。 もしかしたら、お店と言う空間は、子供たちの声を じっと聞かせていただくところなのかもしれません。 2017年4月3日



ネット通販を始めて20年が経とうとしています。 やはり、商品を販売する醍醐味は、ユーザーの皆様との交流です。 折にふれて当店を思い出して下さり、心温まるお便りをいただくことも少なくはありません。 そんな皆様のところには、一度顔を出してご挨拶に伺いたいなあと思うこともございます。 その点では、メールや電話だけの顔の見えないやり取りには制約があります。 改めて商品を販売するとは。その意味を深く考えて参りたいです。 そこで今回はじめて、実店舗内で「フライパン講座」を開催しました。 私が講師となり、フライパンの正しい使い方やお手入れを実演しながら、 集まっていただいた6人の方々に顔と顔とを合わせてお話をさせていただきました。 たわいのない会話をしながら、質問を受けたり答えたりとの交流に、 ネット通販とは違った販売することへの手応えを感じました。 フライパン倶楽部という名前に、倶楽部が付いていますが、その部分なのだと思います。 そんな人と人との交流を大切にする商売の原点に返って参りたいです。 2017年3月26日



息子のお世話になる高校で、先生たちが生徒たちに向き合う姿に、 アルプスの少女ハイジが思い出され、ヨハンナ・シュピリの原作を読み直しています。 すると、活字に向き合うだけで、その世界に入りこんでしまい、ふつふつと涙が溢れてきます。 自分が子供のころは、テレビでアニメを楽しんでいたのですが、 子をもつ親となって、また違った見方ができるようになりました。 ハイジのおじいさんの背景を知るだけでも、あの態度に妙に納得してしまいます。 車いすのクララが自分の足で立ち上がるところは、 まさに先生たちが必死になって子供たちに声をかけている光景とも重なります。 また、背後で静かに見守るおじいさんは、人生の悲哀に打ちのめされながらも、 それを愛に昇華させて、ハイジとクララに豊かに注いでいる。 子供たちとは、愛情を引き出してくれる存在であり、子供とともに 大人は成長して行くのだと分かります。 来年度は、そんな愛情溢れる学園の父母会のお役を務めさせていただきますが、 子供たちを通じて私も成長させていただきます。 2017年3月19日



愛知県碧南市で白だしを製造する七福醸造さんの通販担当者とお会いいたしました。 七福さんの経営理念は、「私達のすべての基準は、それが世界中の子供子孫にとって 良いことかどうかです。」それに基づいて「子供達に自信を持って食べさせられる」 白だしを製造されています。 白だしとは、白醤油にダシを入れた万能調味料で、和食等の味付けが手軽にできます。 この白だしを最初に開発したのが七福さんです。 「お料理上手は幸せ上手」を掲げる当社と考え方が同じですので、 互いに提携できることを模索をしています。 そこで、七福さんが通販部門で一途に取り組まれている姿を垣間見て、 私が通販部門を立ち上げた当時のことを思い出しました。 いつしか、顧客と真剣に向き合い、顧客に尽くす真心を忘れていなかっただろうか。 小売業は、メーカーに比して、より顧客の側に立つべき存在であること。 メーカーも社員も大切ですが、顧客あっての小売業です。 今一度、顧客の幸せのために、メーカーと社員とともに力を合わせて参りたいです。 2017年3月11日



ベトナムで天皇皇后をお迎えする、白髪の小さな老婦人がNHKニュースで紹介されていました。 背筋をピンと伸ばして、その微笑みが何とも優しい。 皇后はその女性を抱きしめました。 その方は、元残留日本兵の妻で、夫は帰国するものの同行は許されず、 ベトナムに留まり4人の子供たちを育てながら夫の帰りを待っていた。 かたや、その夫は日本で再婚して、平成に入ってようやくベトナムに戻ります。 その時、その女性は穏やかに、その夫の帰りを受け入れたそうです。 途上では、ベトナム戦争も起こり、米国を支持した日本人の血をもつ 子供たちへの風当たりは強く、その苦難は測りしれません。 そんな人に天皇皇后が目を留められた態度にも、心を打たれました。 皇后に抱きしめられた時、その方はどれほど慰められたことでしょうか。 この世界は、不条理で溢れています。 しかし、それをぐっとこらえて、微笑んで前を向いて生きて行く。 天皇皇后のあり方は、背後でじっと見ているお方がいるとの示唆を与えてくれます。 信じるところに希望があります。 2017年3月3日



所属する街づくりの団体では、人員を削減したり、労働時間を短縮したり、 経営の効率化を図ろうと努めています。 その時、ある仲間が語ってくれました。 「街づくりに関わる人たちは、地域の宝だよ。」 すると、経営学の大家と言われるピーター・ドラッカーの言葉を思い出しました。 「人はコストではなく資源である。」 経営者として、赤字を出さない努力は必要ですが、人を生かすことが本質的に求められています。 共有する目標に向かって、適材適所を見極めて、 その可能性を開花させるのが本来の経営者の仕事でしょう。 その時、宝が輝きます。 かたや、働く人たちも、経営者の立場を理解する状況もあるでしょう。 その過程で、行き違いすれ違い、ぶつかったり、おわびをしたり 互いの人間性が高められて行きます。 しだいに、互いの信頼関係が構築されて行きます。 そこにこそ大きな価値があるように思いました。 その意味では、街づくりは、人づくりなのでしょう。 街づくりが、いろいろな問題に直面しているからこそ、街は輝きを増しているとも感じました。 2017年2月23日



ヤマト運輸さんの物流ターミナルとなる羽田クロノゲートを見学いたしました。 フライパン倶楽部は、ずっとヤマト運輸さんにお荷物をお委ねしています。 その理由は、荷物を丁寧に扱ってくれるからです。 先日海外の運送会社が商品を投げて仕分けている光景をテレビで観ました。 その点クロノゲートでは、スキャナで送り状の情報を読み取り、機械が自動仕分けをして、 ベルトコンベヤーの上を整然と荷物が流れていました。 商品を丁寧に扱うばかりか、早く正確に届ける物流システムを公開されていました。 そこで、宅急便は「face to face」を大切にするサービスでもあります。 デジタル化や機械化が進んでしまうと、かえって「face to face」が遠ざかるでしょう。 そんな中で、クロノゲートの中にあった小さなパン屋さんに、ヤマトさんらしさを感じました。 障がい者の自立と社会参加の支援を目的としたお店です。 そのお店にこそ、宅急便の父である小倉昌男さんの心を感じ、 会社が大切なものを忘れない錨のような役割を果たしていると思いました。 2017年2月13日



地元では馴染み深いコンビニ店が、いつのまにか別のコンビニ店に鞍替えしていました。 小売業界も、コンビニ店だけではなく、百貨店・家電量販店・ホームセンターも合併等をして、 耳慣れない店名になっていることが多い今日です。 合併することは、経営者の判断として尊重されるべきですが、その会社の存在意義とは何であったのか。 同じ小売店経営者として一抹の寂しさ感じます。 今日の新聞では、一部の私立大学が経営難で、公立大学に鞍替えするとのこと。 私学助成も行き過ぎれば、その私学らしさが失われてしまうことを危惧します。 その会社らしさ、その学校らしさを語れる経済社況にはないと言われるかもしれません。 しかし、時代は変われど、その創業創立の精神に立ち返って踏ん張ることも必要です。 わが国は、小さくても日の丸を掲げて独立を守ってきた苦難の歴史があります。 そして、合衆国がどうであろうと、おもねることなく、しっかりと自分の足で立って行く時です。 寄らば大樹ではなく、小さくても一人で立つのが日本人です。 2017年2月5日



NHKのETV特集「原発に一番近い病院 ある老医師の2000日」で、 御年八十一で召された高野英男さんを知りました。 高野さんは、福島第一原子力発電所から22kmしか離れていない民間病院の医師。 震災時にも避難はせず、入院患者さんとともに、そこにとどまります。 その後も、休みなく病院を開き続ける。 ある老婆の入院患者さんは、毎週水曜日の朝、手押し車を引きながら高野さんのもとを訪れます。 水曜日は高野さんの回診日で、栄養ドリンクと1枚の煎餅を紙に包んで渡しに来る。 その方もそこまで来るのがようやくの容体。言葉もなく以心伝心でやりとり。 患者さんたちも、ただ一人の常勤医で忙しくする老医師のことを心配しているのです。 淡々と仕事に打ち込む高野さんは穏やかに語っていました。 「この災害から義務感が加わった。とにかく体が動くまでやらざるをえない。」 そんな高野さんが、昨年末、一人で暮らす自宅の火事で亡くなりました。 「もう十分だよ」と天が召したのかもしれません。その死は、私たちに深く問いかけます。 2017年1月28日



会社の責任者となり、気持ちのみが先行してしまいがちの今日です。 地域活動や学校の父母会などの役職をできるだけ減らして、 会社に専念できるように努めましたが、それも行き過ぎがあったのかもしれません。 ある時、ある役回りを辞退することを決断して、それを申し出に伺うと、強く慰留していただきました。 相手が自分のことを思ってくれていることが胸に響き、私の気持ちは自然と動いて翻意いたしました。 そんな時に、朝日新聞で、最高裁判所元判事の藤田宙靖(ときやす)さんが天皇陛下について語っていました。 「退官後何をするかについてご質問がありましたので、 『どこにも勤めず、やりたいことをやろうと思います。』とお話ししたところ 陛下が『あなたのような人がそれではいけないのではないですか。』とおっしゃたのには恐縮しました。 ご自身の一存では辞められない、天皇という地位の厳しさを垣間見たような気がいたしました。」 その記事に、あの時が重なったのか、涙が溢れてきました。 自分の道を見極めて参りたいです。 2017年1月20日



地元の地方新聞「東日新聞」には、記事に記者の氏名が入っています。 昨年「市民とは何か」というタイトルで寄稿したことがあり、 その時に取次いでいただいたご縁で、ある記者のことを知りました。 その後、中嶋真吾さんの記事は、市民を啓蒙する視点では光って見えました。 そして、毎日のように中嶋さんのお名前を紙上でお見受けします。 今週新しい米国大統領が就任しますが、良きにつけ悪しきにつけ、新聞は大きな影響をもたらします。 民主主義国家では、市民が主であり、市民のレベルが政治のレベルとなります。 良い政治を求めるなら、良い市民となる必要があるでしょう。 その市民の成熟を担っているのが新聞なのだと思います。 現場に足を運び、問題を取捨選択、そこにある本質をとらえて、独立不羈の立場で分かりやすく伝えていく。 そして、市民には、新聞を育てていく役割もあるでしょう。 地元には、「東愛知新聞」もあり、先輩たちは、二つの新聞を育てて来ました。 正しい選択ができるために、新年も新聞に期待します。 2017年1月16日



今年頂いた年賀状で、私の心に響いたのが、西島株式会社さんからの年賀状でした。 「今があるのは先人たちのお陰であり、その感謝の気持ちを胸に 未来を自分たちで切り拓いていかなければなりません。」 西島さんの会社は、「一流の製品は一流の人格から」をモットーに、 先代からは「一生元気、一生現役」を掲げて定年なしのスタイルを貫いています。 社長の西島豊さんは、数年前にお父様がお亡くなりになり、 若くして会社を引き継ぎ、現在150名の社員を束ねています。 自らに言い聞かせるかのような言葉が続きます。 「会社には変えてはいけないものがある。それは創業者精神であり、社風である。 そしてそれを守る為に変えて行かなければならいないものがある。」 私の父親宛てでありましたが、最後に「今年も宜しくお願い致します 西島豊」と 手書きで添えてある言葉には、覚悟といいますか、強い意思を感じました。 同じく昨年会社を引き継いだ私にとっては、年賀状とは、新しい年に挑んでいく勇気を交換し合うものだと思いました。 2017年1月5日