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スタッフ日記byフライパン倶楽部代表
人生とは、いかに生きるべきかを問いながら、自分とは何なのかを探す旅のようです。 お料理道具を売る現場で、地域との関わりの中で、家庭生活で、湧き上がった言葉を丹念に紡いでみた、明日への旅日記です。

今年1年、私の中で響いていた歌がありました。 それがマイケル・ジャクソンの「Heal the World」 この歌は、for childrenと子供目線で歌われます。 マイケルのライブでは、子供たちを舞台にあげて一緒に歌っています。 そして、この世界をいやすとは、You and for meとあるように、自分のためだと。 今年の春先に、市内の中学校で出張授業に参加して、自分の仕事について語る機会がありました。 子供たちを前にして、「自分を大切にしよう」と語らせていただきました。 そのメッセージは、子供たちに引き出してもらって、語った自分に返ってきたようでした。 福沢諭吉が、独立と合わせて自尊という言葉を掲げていました。 自分を大切にできる者が、はじめて他者も大切にできる。 独立だけが行き過ぎると、戦争を引き起こしてきた歴史もありました。 独立が自尊とセットになってこそ、平和が実現するとも言えるでしょう。 そんな福沢の偉大さを改めて思いました。 そして、自分を大切にすることこそ、クリスマスメッセージの核心です。 2015年12月25日



お店がぱっと明るくなった瞬間でした。 ベビーカーに載った双子の赤ちゃんがご来店下さいました。 私がじっと見つめると、きらきら輝く大きな瞳で嬉しそうに見つめ返してくれました。 お店のお客さんである中国生まれのお母さんも、日本の大学で研究を重ねて来た方でしたが、 子供たちを紹介できることが何よりも嬉しそうでした。 そんな母と子の姿には、もはや中国人あるいは日本人と言う区分けはなく、何か突き抜けているものを感じました。 今年もイスラム国のテロ事件から始まり、パリでのテロ事件で暮れてしまう一年でした。 合衆国では、異教徒は入国禁止という主張も是認される空気もあるようです。 しかし、母と子の姿は、忘れてしまったものを思い起こしてくれるようです。 肌の色ではない。何を信じているかではない。無条件で人間には気高き尊い価値がある。 互いがともに受け入れ合い、互いがともに手を取り合ってこそ、クリスマスは迎えることができます。 この時代も、幼子のつぶらな瞳は、静かに語ってくれています。 2015年12月18日



映画「杉原千畝」を鑑賞しました。 リトアニアの領事館領事代理として、国の訓令に背いて、ユダヤ人たちを救出するビザを発給いたします。 千畝(センポ)の苦悩は今日も伝わって来ます。 「訓令を受けた日、一晩中考えた。 果たして浅慮、無責任、我無者ら[原文のママ]の職業軍人グループの、対ナチス協調に迎合することによって、 全世界に隠然たる勢力を擁する、ユダヤ民族から永遠の恨みを買ってまで、 旅行書類の不備、公安配慮云々を盾にとって、ビザを拒否してかまわないのか。 それが果たして、国益に叶うことだというのか。 苦慮、煩悶の挙句、私はついに、人道、博愛精神第一という結論を得た。」 一個人の判断で国に背いたことは異論があるでしょう。 しかし、センポには、自由な意思がありました。 母校ハルビン学院のモットーは自治三訣。 「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして、報いを求めぬよう」 個人が自分で責任を負って自分で決断して行く。 わが国が標榜しているものこそ、その自由です。 2015年12月14日



私が所属する市民団体で、前橋市との交流がはじまり、前橋市役所の手島仁さんとお会いする機会がありました。 手島さんは、高校教師でしたが、市長からの召喚で、歴史文化遺産活用室室長となり、 大河ドラマ「花燃ゆ」の時代考証などを手掛けています。 手島さんから群馬の歴史を教えていただく中で、当時の基督教の影響力を知りました。 群馬県は、代表的な基督者であった内村鑑三や新島襄などを輩出しています。 当時の県議会を主導したのは基督者であり、はじめての廃娼県ともなったそうです。 また、女学校が創設されて、女工たちを教育していました。 前回の大河ドラマでは、富岡製糸場の閉鎖の危機が回避される場面。 自分の意思をもって嘆願する自立した女性たちが描かれます。 私なりに、彼女たちに「花燃ゆ」を感じました。 そして、現代に話題がおよぶと、手島さんの言葉の端には「今日の基督者は何をしているのか。」 そんな言外の声が私の中で響きました。この時代もその名に恥じない生き方をして参りたいです。 2015年12月5日



喫茶店で新聞を読んでいるおじさんがいます。 おじさんは、老舗飲食店の元オーナーですが、数年前に余命いくばくもない癌の宣告を受けたそうです。 おじさんのお店にいくと、いつもカウンターで采配を振るっていたのが懐かしいです。 今は、お店では見かけなくなりましたが、近くの喫茶店でお会いできるのです。 しかも、おじさんの血色はよく、大変元気そうです。 近くの席に座って声を掛けると、お店は娘さん夫婦に引き継いで、「裏方で毎日掃除をしているよ。」 床は拭き掃除までするそうです。 汗が出るまで、ハードに動いているご様子。 巡回する消毒業者からは、この地域では一二を争う綺麗なお店だと 太鼓判を押してくれたと嬉しそうに話してくれました。 「掃除は、手を抜くこともできるが、極めれば奥が深いね。」 その奥深さは、人間の心身のあり方にも及ぶようです。 おじさんは、病を通じて、掃除の奥義を極めたように感じました。 「今年も年を越せそうですね。」 にんまりしたおじさんとの会話が弾む夕暮れ時の喫茶店でした。 2015年11月27日



大学生の一人息子をもつ母親である信仰の友が闘病の身となりました。 余命わずかな状況で、お見舞いに伺うべきか迷いました。 しかし、迷ったら駆けつけるべきなのでしょう。 お会いして、心に浮かんだ言葉でお祈りさせていただきました。 その後、堰を切ったように、次々に仲間たちも駆けつけました。 結果としては、周囲のご家族の皆さんも好意的に受け止めてくれました。 人生のいろいろな問題に、ともに悩んで祈って来た仲間の存在に触れて、安堵していただいたようでした。 そして、彼女は、会社勤めをしながらも来る日も来る日も介護していたご主人に、にっこり微笑んで最後を迎えます。 彼女の信仰に理解のあったご主人は、彼女の信仰のもとでの葬儀を決意します。 本日の葬儀でご主人は、むせび泣きながら、生前のつながりに深く感謝されていました。 その時に、心熱くされて、主の言葉を思いました。 「あなたがたは、互いに愛し合いなさい。」 その互いの間の愛があるところこそ天国であり、彼女が召された先なのだと信じます。 2015年11月20日



ハロウィンの仮装が日本国内で年々盛り上がりを見せていますが、もともとは秋の収穫を感謝する祝祭。 それは、クリスマスにも象徴的ですが、本来の目的からそれて、楽しめれば良いとするものに変わってしまう。 この時期に恒例となる地元の催事も、回数を重ねることで、しだいに本来の目的からそれて行きます。 そして、いつしか組織そのものを維持することが最優先とされてしまいます。 その時、伝統や歴史というものがあると、続いて来たことだけに価値を求めて、 その目的を問うことをしなくなります。 その結果、議論は噛み合わず、誤解を生んで空虚な責任転嫁がなされます。 もはや理屈は通らず感情論に陥ります。 また、打ち上げと銘打ち、飲むことによってすべてを良しとして、問題を後回しにしてしまう。 今一度目的を明確にしていくこと。組織内の人たちとそれを共有していくこと。 責任の所在を明らかにしていくこと。そんな努力を重ねていくことが問われています。 これは何のためであるのか。今一度原点に返る時です。 2015年11月12日



私の友人は、地元にとどまり、母親の介護をされています。 彼は、今とは違った世界で活躍できる可能性を秘めていますが、 ぽつりと語ってくれました。「これでよかった。」 それは、母親の介護ができる心からの安堵のようでした。 また、私が所属するNPO法人で運営する地域文化施設で職員を募集していたところ、 現在の仕事を早期退職して、母親の介護をしながら働けるところを探している方がいました。 そんな中で、瀬戸大橋を渡る機会があり、杉田秀夫さんの生き様が思い出されました。 闘病中の奥様を看病しながら架橋の大仕事に当たります。 奥様は亡くなりますが、完成後は現場から退き、三人の娘さんを男手一人で育てあげます。 「巨大なものをつくったからといって、つくった人間の人生が偉大であるわけではありません。 技術的経験の深さと人生の深みとは全く別のことなのです。 人生の深みは、人間的な迷い、悩み、苦しみの深さを通して生まれるものだと思います。」 杉田さんが架けた、もう一つの偉大な橋を渡ってみたいです。 2015年11月1日



私学助成金拡充の署名活動を通じて、私学経営の認識を新たにしました。 憲法89条では、「公金その他の公の財産は、・・・公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の 事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」 その点で、私学とは公の支配に属していて、公教育を担っている位置づけとなります。 しかし、公立学校とは一線を画して、国の影響を受けず、独自性を確保すべき立場でもあります。 そのため、私学独自の余地があり、使われる公金が少なくなるのは必然だと思います。 より経費がかかる分は、質の高い教育を提供することで還元されるべきでしょう。 父兄もその部分を期待しつつ、相応の負担も必要です。 あわせて、私学経営の理解を広げて、民間で私学を支えていく土壌作りも必要でしょう。 署名活動の本質も、公教育の部分での公平性を求めていくことと、私学経営の実状を知ることにあるのかもしれません。 正解を出すことは難しいのですが、父兄が懸命に汗を流してこそ、子供たちの自助努力を促せます。 2015年10月18日



昨年度まで中学校PTAの役員を務めていましたが、嬉しかったことの一つは、 同じ志をもつ友人にしっかり引き継げたことです。 組織での最大の仕事は、後任の人事かもしれません。 任期半ばで、あるいは着任当初から、長たるものは自分の後を考えて行動すべきなのでしょう。 私の経験からは、後任者は、すでに天が定めていると感じます。 そして、ただ座して待つのではなく、その方を探し求めて、誠心誠意お願いすること。 そのためには、自分が誠心誠意、今の仕事に打ち込んでいることも大切で、 後任者はそれにならってくれるようです。 その友人は、今年の修学旅行で、旅立つ生徒たちにエールを送るために、 出発したバスが少し走ったところでご夫婦で待機していました。 「いってらっしゃい」のプラカードをもって見送ったのです。 すると、それを見つけた生徒たちが大きく手を振って応えたそうです。 その光景を想像しただけで、私の心は熱くなってしまいます。 その話は学校長から伺ったのですが、いろんな苦労が吹き飛んでしまいます。 2015年10月10日



今年のプロ野球で心配されたのが小川泰弘投手。 わが故郷の田原市赤羽根町の出身で、彼が成章高校3年生の春には、 21世紀枠で久し振りに東三河からの甲子園出場を果たしてくれました。 その後、大学で活躍してヤクルトに入団します。 大リーガーのノーラン・ライアンを参考に、左足を大きく上げる投法を取り入れて今日に至ります。 本日の読売新聞に彼の手記が掲載されていました。 「投げやりになるなよ。地道にやれば必ず結果は付いてくるから、最後まで頑張れ。」 苦闘していた八月前半に、大リーガーの上原浩治投手から届いたメールを紹介していました。 「ご自身は右手首を骨折したばかりなのに気遣ってもらって。すごく心に響いて前向きになれた。」 そんな彼は強運の持ち主のようで、優勝のかかった昨日の試合の先発に起用されます。 そして、魂こもる「ナイスピッチング」で応えて、チームの優勝を手繰り寄せました。 振り返れば、入団以来チームは最下位が続きます。 そんな中でも、よくぞ踏ん張り、耐え抜く三河魂が表出しました。 2015年10月3日



会社の代表権を父親から継承することになりました。 入社した当時は、「引き継ぐ」という気持ちはなく、「手伝っています」と周囲に語っていました。 そんな自分を振り返ると、どこかに甘えがあり、他人依存だったように思います。 やがて、人生は好きなことをすると言うよりも、むしろ責任や義務を果たすことと考えるようになります。 そうであれば、もはや好き嫌いの問題ではありません。 しかし、それを覚悟して前に進んでいると、感情も変わって来るようです。 その覚悟を諦観と表現できるのかもしれません。 目の前の現実を感謝して受け入れる。 それは信仰にも助けられますが、特攻隊員の境地とも重なります。 そこに、自分を生きることの根があり、人生の味わいや喜びが生まれるのでしょう。 ようやく、その境地が理解できて来たので、この時に至ったのかもしれません。 「その責任は、私が負いましょう!」 結局、自分が自分であるためには、自分で責任を負うことに至ります。 そこから逃げているうちは、実は自分を生きていないのです。 2015年9月26日



与野党の攻防が続く安全保関連法案で論拠となった最高裁判所の判決は、 自国の戦力保持は留保して「アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。」 憲法9条とは、自分の国を自分で守れない条文とも読めます。 戦後70年の平和とは、憲法9条と言うよりも、アメリカ軍によるものでしょう。 そして、これを継続するのであれば、限定的ではない集団的自衛権を認めて、対等な同盟関係を構築するのが筋です。 合衆国であっても、自国に危険が及ばない限り、軍隊は発動しないと主張できます。 そこで、基地を提供しているのだから対等だとする考えもあるようです。 ならば、その基地のほとんどは沖縄にあります。 沖縄あっての安全保障条約です。 ところが、沖縄県知事は今日、基地移設に断固反対しています。 いつしか、本土の私たちは、合衆国や沖縄の心情を汲み取れず、身勝手になっていないか。 平和と安全保障の問題は、法案の成立で終わったのではなく、これからが主戦場。 私たち主権者が、考え抜いて責任ある行動をとる時です。 2015年9月18日



中国の最高指導者が、日本の総理大臣と握手をした時の表情に驚きました。 しかも、抗日戦争勝利記念という名の式典に、敗戦国の首相を招待する。 身近な人間関係でも、このような態度をとられてしまうことがあるものです。 そんな時は、相手を責める前に、自分を省みる時なのでしょう。 冷淡な態度をとられるのは、自分もいつか同じように冷淡になっていないか。 先週、塾の大先輩であり、カトリック信者の小林陽太郎さんがお亡くなりになりました。 小林さんは、小泉首相の靖国神社参拝に対して、 「中国の理解は得られない。やめていただきたい。」と直言されて自宅前に火炎瓶を置かれたことがありました。 聖書の言葉が思い浮かびます。 「まず、自分の目から梁をとりのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」 小林さんは、経営者と従業員が一体となった経営を唱えていましたが、そこには人間愛が溢れていたのだと思います。 それは、平和を希求していた小林さんの遺言のようです。 2015年9月11日



小学校2年生の甥は、夏休み中に、店にやって来て、休憩室で一人絵を描いていました。 その絵は、色合いといい、構成といい、私の心に響いて参りました。 「こうちゃん、いいねえ〜。」 昨日、豊橋美術館で「太郎×正義」の特別展で、岡本太郎の言葉に出会いました。 「子供を見ていて、不思議に思うことがある。仲間が表でワアワア、 キャアキャアいって、面白そうに遊んでいるのに、一人で、わき目もふらずに絵を描いていたりする。 そばにおいしいお菓子があっても、ふり向きもしない。その目つき、手つきは、小さい炎のようだ。」 その言葉に、甥が重なりました。 特別展では、日展に抗って「東京展」を開催した岡本太郎と豊橋出身の中村正義との作品が展示されていました。 日展という一つの物差しだけでは、自由な創作はないのでしょう。 大人こそ、一つの物差しに気を付けて、無条件に子供を受け入れるべきです。 太郎と正義がしたかったことは、日本の画壇を変革すると言うよりも、 子供たちの生命の輝きを消したくなかったのでしょう。 2015年9月3日



バス4台を出して、息子の高校の先生方と父兄たちで一泊二日の旅行に行って来ました。 出発時に、あるお母さんが「子供をお腹に宿してから今日までノンストップで子育てが続いています。 この旅行では、楽しいひとときを持ちましょう。」 二日目は鎌倉の街を散策しましたが、駅前に寺院があり、そこからワンピース姿の妊婦さんが出てきました。 そこにあった看板には「安産」とあり、心に深く響くものがありました。 それは、子供の無事と成長を願う気持ちが伝わって来たからだと思います。 その旅先でも、先生方や父兄たちとの交流を通じて、その気持ちに敏感になっていたのでしょう。 その鎌倉で活躍したのが御台所と呼ばれた北条政子でした。 改めて政子の生涯をたどると、長女を失い、頼朝に先立たれ、そして長男と次男は殺されてしまう。 それでも、自分の責任を全うして、武家政権を守る。 そこにも、子供たちへの思いが溢れていたと思います。 あの妊婦さんに心打たれたのは、そんな空気が今も鎌倉には流れているからでしょう。 2015年8月28日



お盆と終戦記念日が重なっているのは、偶然ではなく摂理だと感じられます。 日本人は、しばし立ち止まって、戦争はもちろん、先人のたどった過去に思いをいたします。 そして、自らの今日を問う。 その時、自分を棚に上げてはなりません。 過去を見つめることは、現在を見つめること。 すなわち、現在を生きるのは自分です。 それは、自分の心の闇に気付いて、おののくことでもあるでしょう。 そんな自分をいかに律していくべきか。 私の場合は、それが信仰への門となりました。 国家間の関係と言うよりも、まず、身近な人間関係に目を向けます。 私の場合であれば、家族に対して、同僚に対して、友人に対してどうであるのか。 まず、隣人たちとの平和が問われています。 それを突き詰めれば、自分の現実を認めて、お詫びすることかもしれません。 そんな人に成熟してこそ、確かな平和は創られます。 Kiroroの「未来へ」の歌詞が響きます。 「ほら足元を見てごらん これがあなたの歩む道 ほら前を見てごらん あれがあなたの未来」 2015年8月16日



夏に生まれた娘の誕生祝いに、両親がうなぎ店でご馳走をしてくれました。 すると、そこのうなぎ店は、私の幼稚園時代の同級生の店でした。 わが家とも同じで、家族で仕事に取り組んでいました。 店の前に公園があり、当時遊んだ記憶がよみがえります。 店を出るときに、「茂君元気ですか。」と声を掛けると、 カウンターの向こうに、お父様と共に、焼き場に立つ彼が微笑んでいました。 40年ぶりの再会でしたが、すぐに分かり合い、お母様も覚えてくれていました。 そこに、奥様、そして子供たちも顔を出していて、「仔羊幼稚園に通っている。」と教えてくれました。 その幼稚園は、当時私たちが通っていた園です。 家族総出で見送りの様相でしたが、家族でともに店を営んでいる姿は麗しいと思いました。 この暑い時季に、火の前に立って、うなぎをひたすら焼く。 そんな彼の姿に畏敬の念を抱きました。 やはり、その味は素晴らしく、暑さに負けない力をもらいました。 進路に迷う娘も、そのご家族に触れて、勤労の尊さを感じたことでしょう。 2015年8月6日



わが故郷には、高校生たちが夏休みに震災復興支援に出掛ける事業があります。 今年は、出発前に、気仙沼市生まれのシンガーソングライター熊谷育美さんを招いてコンサートを開催しました。 私もそれに参加して、最後に全員で「僕らの声」という彼女の歌を合唱しました。 「平成のただ中を生きる僕らの声が 何年先も何百年先も響いていますように」 声が響くためには、声をあげる必要があります。 それは、他人ではなく自分で行うという主体性が本質なのでしょう。 声をあげてこそ、この世界に足跡を残すことができます。 それが後の世代に伝わります。 その点では、私たちも先人たちの声を聞いて来ました。 声をあげることは、生きることそのものであり、自分が自分になれる瞬間だと思います。 生まれて最初に行うことであり、人間としての原点のようです。 それぞれに、響かせる美しい声があります。 高校生たちにとって、被災地に旅立つことが、この声をあげる初めの一歩となりますように。 「歩いて行こう。一緒に行こう。真っ直ぐ未来へ。」 2015年7月30日



高校3年生の娘が進学で悩んでいますが、当時の私も同じでした。 そのころ、内戦の続くアフリカで何か自分を生かせないかと漠然と考えます。 結局、私は政治学に導かれました。 先日、アフリカに在住していた同級生と交流する機会があり、当時の自分を思い出しました。 彼はかの地で、いろいろと体験をされて、自分の価値を正しいとする態度に敏感でした。 大航海時代から違った価値を押し付けて来た歴史もあるのでしょう。 しかし、価値が多様化する中で、深刻な問題を抱えるアフリカに無関心であれば良いのか。 それは、子供を育てることにもつながると思いました。 子育ても、親の価値を押し付けてはなりません。 しかし、自分で考えて、自分で選べるという自立あるいは自由の価値は、普遍的なものだと信じます。 そこで、彼に「アフリカと子供たちは同じだね。」と投げかけると 「愛情が違ってくるよ。」そこが、本質なのだと思いました。 聖書が語る「愛なくば、すべてむなしい。」 自分の娘だけではなく、広く隣人を愛する人間に成熟して参りたいです。 2015年7月23日



安保関連法案が衆議院を通過しました。 首相は、集団的自衛権を隣家に入った強盗で説明していました。 安保関連法案は、あくまで自分の家にも危険が及ぶ時に、隣家を助けることができる。 自分の家に危険が及ぶと言う条件が付いており、 その点では従来の憲法解釈を踏襲しているのでしょう。 その時、憲法9条の本質が見えて来ます。 すなわち、自分に危険が及ばなければ、相手を助けることができない。 しかも、同盟のお相手には、相手に危険が及ばなくても助けを求めて当然としている。 この自分の安全しか考えない態度は、子供たちにはどう映るのか。 そして、子供たちにとっての幸せとは何なのか。 東京大学の南原繁総長の岩波新書に手がかりがありました。 南原は、卒業式で語っていました。 「私は諸君の将来に対し、あへて世のいわゆる幸福な生涯を望みはしないであろう。 ただ、その中に生き、同胞と苦難を分ち、真理と正義のために戦ったという人間として生き甲斐ある 満足な生涯を持たれんことを心より祈る者である。」 2015年7月16日



学生時代にお世話になった牧師夫妻に久しぶりにお会いしました。 ご主人は当時、音響機器メーカーに勤務されながら家庭を開放して教会を主宰されていました。 ここ数年は、若者と寝食をともにする神学校に通い直したり、 大学院に進み論文を書かれたり、今日も変わらず職務を忠実に果たされていました。 そんな牧師夫妻の視点は、日本の教会全体、さらに世界の教会全体でした。 今回も世界宣教会議の決意表明文を読むように助言下さいました。 時同じくして、なでしこジャパンの主将が 女子サッカーを「ブームではなく文化にする」決意を語ります。 彼女も日本の女子サッカー界全体のことを考えていました。 私の属する家庭用品業界も同じく、一店だけの繁栄ではなく、業界全体のことを考えることが必要です。 国家レベルにおいても然り。国全体のこと、さらに世界全体のことを考えることが必要です。 そのために一個人が成熟して、叡智と愛情に溢れた人間になることが求められています。 それが、日の丸を背負う主権者なのでしょう。 2015年7月9日



自衛隊が創設61周年を迎えました。 自衛官だった叔父が、米軍海兵隊のことを語っていたのを思い出しました。 「彼らは国民から尊敬されている。」 その背後には、自分たちは違うという諦観を感じました。 ここ最近、吉田茂の著書を読んでいます。 新憲法を審議する国会で、東大総長の南原繁が質問します。 「最小限度の防衛をも放棄されると云いふことを為さらうとするのであるか。 若しそれならば既に国家としての自由と独立を自ら放棄したものと選ぶ所はないのであります。」 吉田の答弁は、「今日は日本と致しましては、独立を回復することが差追つての問題であります。」 そして、晩年には痛恨極まる心情が綴られていました。 「世界の一流に伍するに至った独立国日本が、自己防衛の面において、 いつまでも他国依存の改まらないことは、いわば国家として片輪の状態にあるといってよい。」 それでも、自衛官たちは、事に臨んでは危険を顧みずと誓っています。 そんな吉田は、今日の状況を見たら一喝するかもしれません。 「バカヤロー!」 2015年7月2日



SNSが何かと話題となる今日、私の娘にちょっとしたトラブルがありました。 アカウントなるものを誰かに乗っ取られた可能性があるとの事態でした。 私もそれに登録してみて、まず感じたことは、自分が自分でない危うさです。 自分の名前と写真が掲載されていたとしても、それは別人でも自分を登録できてしまう。 また、その視点では、知り合いたちから届く友達リクエストですが、 その名を名乗る別人の可能性もありえます。 顔を合わせれば、本人であることを特定できるのですが、 ネットワーク上のみでは、その危うさはつきまといます。 日本人は、憲法に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とありますが、 国家を守る上では、したたかになる必要があるのだと思います。 その点で、今日のわが国の状況は、善意を過信して、人間の醜い現実に 目を閉ざしているのかもしれません。 改めて自分とは何か。自分とは、自分という身体を持ち、選択する意思をもった存在です。 友達とは、顔と顔とを合わせて交流できる幸せを噛みしめて参りたいです。 2015年6月29日



わが街には、その昔、寛永通宝を鋳造していた銭座がありました。 その歴史を掘り起こして、子供たちに伝える取り組みが行われています。 そこで、私の父親は、総理大臣に「新銭座」という文字を豊橋筆で 揮毫してもらうことを思いつき行動に移します。 地方創生をすすめる政府の方針とも合致したためなのか総理はあっさりと快諾。 先週、父親一行は、お上りさんのごとく首相官邸に出掛け、 子供のごとく意気揚々として帰って来ました。 また、私の妹の義父は、この時期大きな灯篭を作ります。 これは、夏の夕べ、二川という古い街並みが残る宿場町の通りに灯篭を飾って、 ぶらぶらと練り歩く行事の一環です。 この大きな灯篭は、「大好き二川」という企画で、故郷の好きなところを当日ペンで書いてもらう 「みんなで作る灯篭」。 義父に頼まれて、この企画に私も加わっています。 そんな二人の父親をそばで見ていると、街を愛する熱き思いが伝わって来ます。 「自分たちの街は、自分たちで創る」お手本を見せていただきました。 これぞ、地方創生です。 2015年6月25日



18歳選挙権が施行されて、わが家の娘も有権者となります。 そんな折、私がその年頃に憲法を学んだ先生の著書を読んでいます。 先生は、30年来の改憲論者ですが、日本国憲法の本質は、 「すべて国民は、個人として尊重される。」憲法13条にあると言われます。 「各人は、ひとりの人間として生まれてきたが、 それゆえにそれだけの理由で、最高に尊い存在である。」 これは、教会の講壇から聞く説教のようです。 聖書の「私の目には、あなたは高価で尊い。」創造主が被造物に語っていることと通じます。 憲法の背景にある欧米の人権思想は、その尊厳を賦与された創造主が意識されています。 しかし、条文のみを輸入した日本では、その主語が欠落している。 福沢諭吉は、創造主を天という言葉で曖昧に翻訳しています。 そのためか、主権者意識まで曖昧になっているようです。 この尊厳を守るのが憲法であり、主権を委ねられた国家です。 そして、日本の国を守る主語は、日本です。 それを示せれば、選挙権の意義が娘にもよく伝わるでしょう。 2015年6月22日



息子がお世話になる高校の父母の会で、父兄仲間から「お兄ちゃん」と呼んでいただいています。 不思議な言葉で、呼んでいただく方々まで弟妹のように感じてしまうのです。 昨年度、中学校のPTA役員をしていて、小学校のPTA役員とも交流がありました。 振り返ると、お兄ちゃん気取りをしていたのかもしれません。 懇親会などでは、少し背伸びをして「学校任せにせず、父兄主体の活動をしよう」と呼びかけていました。 そのために、私も数年間役にとどまりました。 ちょうど小学校のPTAの役員選出方法は、時代にそぐわない面が生じていました。 すると、若き父兄たちは、率先して改革に取り組んでくれているのです。 先日もその会合があり、私も呼ばれて、お兄ちゃん冥利を感じていました。 そんな時は、弟妹あってのお兄ちゃんを感じます。 そこで、お兄ちゃんとは。その名を呼ぶ人から責任を負うことを期待されて、 ついて行きますよと信頼を受けている男子。 かわいい弟妹のために、喜んで責任を負えるお兄ちゃんでありたいです。 2015年6月19日



大学時代に、勉強熱心な学生たちが集まる講義がありました。 講壇上からは、義手のための白手袋と、見つめる眼差しが鋭く輝きます。 講義の後、質問にいくと、「君は、たまに居眠りしているね。」 大教室にも関わらず、よく観察されているのです。 そんな厳格さとともに、人間味溢れる優しい一面もお持ちなのです。 ある時、ご自分の奥様は美人だと私たちの前で豪語されました。 人が何を言おうが、私の中ではそうなのだと。「彼女は美人だ。」 そのこだわりは、何とも清々しく強烈でした。 そして、あの白手袋に、先生の過去を想像していましたが、 先生は人間の弱さを熟知していたのだと思います。 そんな先生が、国会の参考人として、憲法学者の立場から 安全保障関連法案は違憲だと発言されていました。 あの眼光の鋭さは変わらず、学生時代に戻ってしまいます。 「おお、ようやく眠りから覚めたか。自分の国の憲法は、自分で考えなさい。」 そんな声が聞こえてくるようです。しかし、その根底には、温かいものが流れているのです。 2015年6月15日



店舗マンションを管理する不動産会社が創業50周年を記念して 「まちの『これから』を考えてみる」シンポジウムを開催しました。 今後50年を見え据えた2065年会議と名付けていました。 その中で、豊橋駅前の再開発を手掛けた建築家の北山孝雄さんが、木や花を植える提言をしていました。 ちょうど、わが商店街に、ムクドリが群れをなして街路樹にやって来ています。 歩道には糞を垂らして、夜遅くまで鳴き声を響かせる。 そのため、木を剪定して、網を掛けよとの声があがります。 その結果は、葉の茂らない、なんとも貧相な街路樹と成り果てます。 そこで、街路樹とは何なのか。広くは街とは何なのか。 それを住民たちが考え直すように、お互いに話し合ように、 ムクドリが訴えているように思えてきました。 木や花を植えるとは、問題が伴うことも含めて、そこに人の手がかかります。 しかし、その手の向こうには、街への想いが醸成されている。 50年後の街とは、手間暇をかけて悩んで育てるものでしょう。 50を前にして育ていただいた私と同じです。 2015年6月11日



佐伯啓思さんの「従属国家論」という新書本で、従属する国家に従属する人間が重なりました。 進学で就職で結婚で、さまざまな場面で私も決断をして来ました。 しかし、それは自分の意思であったのか。 もちろん、人間は、良くも悪くも周りに影響されて存在します。 周りと反対であれば、それが自分の意思であることは分かりやすい。 かたや、周りと同じである時は、単にまわりに同調したにすぎないかもしれない。 その時、そこに責任および覚悟があるか否かで見極めることができます。 ですから、それは、決断した時点のことではなく、その後が問われている。 日本国憲法は、日本の意思であったのか。合衆国の意思であったのか。 それは、憲法が制定された当時のことと言うよりも、戦後70年を生きる日本人たちに委ねられている。 それを守ることも変えることも今日の私たちの手の中にあります。 誰が決めようとも、今日責任を持てれば、そこにこそ自分の意思が表れます。 若き特攻隊員たちが示した「諦念と覚悟」こそ、私たちの道標です。 2015年5月29日



広小路三丁目には、寛永通宝という貨幣を造幣していた銭座がありました。 昭和33年までは、新銭(しんせん)町という町名でした。 そこで、私の父親たちが、その歴史を発掘して、街作りにつなげる取組みをしています。 その一環で、アベノミクスが話題になったこともあり、安倍首相に扁額の揮毫をお願いしたそうです。 首相は快諾した上で、豊橋への感謝を添えたと伺いました。 「豊橋で自信を取り戻した。」 それは、自民党が下野していた2012年の総裁選挙。 首相は突然辞任した過去があり、自信がもてない状況だったようです。 そんな中で、朝の豊橋駅前で街頭演説会がありました。 私も駆けつけましたが、マイクを握った安倍候補には、聴衆からの真剣な眼差しが集まっていました。 集団的自衛権の話に至ると大きな拍手が起こります。 ちょうど先週は、ドラゴンズの藤井淳志選手が、地元豊橋で大活躍しました。 逆転のホームランは、割れんばかりのフジイコールの賜物でしょう。 わが故郷の声援は、日本を変える力をもっているようです。 2015年5月25日



大阪市長の晴れやかな表情を拝見しました。 「市民はいろんなことを考え、悩まれ、非常に重い判断をされたと思う。 日本の民主主義が相当レベルアップした。」 今回の住民投票を通じて、眠れる大阪市民は、市民としての自覚、当事者意識を 呼び覚まされたように思います。僅差での結果であったことは、 それでも投票しなかった市民たちにも訴えるものがあったことでしょう。 住民投票の本質は、都構想の是非を問うよりも、まずは土俵にあがることなのだと。 他人任せにせず、自分たちの街は、自分たちで考えて悩む。そして、自分たちで決める。 主権者とは、市長でなく市民である。 それを示すことができたので、あの表情が浮かんだのだと想像します。 かたや、市長は語ります。「こんなに大層な喧嘩を仕掛けたのに命を取られない。 民主主義という政治体制は本当に素晴らしいですね。」 しかし、命が取られないからこそ、覚悟も責任も軽薄になってしまいやすい。 市民もいつしか眠ってしまう。そこに民主主義の危うさも潜むのでしょう。 2015年5月19日



中日新聞の地方版に、地元中学校PTAではじめた交通安全ステッカー運動が掲載されました。 この記事ができるまでには、いろいろな方のご尽力がありました。 まず、市役所で記者会見を開きました。そのために、地元の市会議員が橋渡しをしてくれて、 市役所の担当者と段取りを付けてくれました。 ちょうど、その担当者もPTAに関わる方で、話も円滑に進みます。 会見用の原稿を作りましたが、感情的な言い回しになっているところを事前に 学校長が適切に助言下さいました。当日、会見に臨むと、もう一人の地元の市会議員が 同窓会会長という立場で同席してサポートしてくれました。 ちょうど、その日は春の全国交通安全運動がはじまったばかりの日でもあり、 ステッカーの緑色も、今の季節にマッチしていました。 この運動は、震災のあった年から構想していた4年がかりのもので、当初は なかなか進みませんでしたが、風が吹くと、あれよあれよと進んでしまいました。 爽やかな五月の風とともに交通安全の風が吹きますように。 2015年5月15日



今年度は、地域自治会の組長となりました。 少々驚いたことは、自治会では、地元の宗教団体である神社の運営を一部担っている状況があります。 それは、昔ながらの一般的慣習ということで、 憲法上の宗教活動にはあたらないという理解なのかもしれません。 また、信教の自由とは、裏を返せば、信教の責任でもあり、 他者の自由を尊重することが求められています。 自由には、前提条件としてお互いを尊重することがあるのだと思います。 私の場合は、基督者であれば、日本の社会で根付いている仏教神道等の宗教由来の文化や 慣習に対して、尊重しつつも賢く対処していくことが必要でしょう。 また、自分の信仰的な立場を明らかにして、周囲に理解を求め続けていく地道な努力も必要でしょう。 いわゆる世俗での責任を果たして、かつ自分の信仰を全うして行くことが求められています。 これは、基督者はじめすべての信仰者に与えられた課題でもあり使命とも言えるでしょう。 この一年、地域の皆さんと共生を目指して参りたいです。 2015年5月9日



今春退職を迎えたお二人の先生の感謝会を父兄仲間で開催しました。 英語と数学の先生です。 幹事役となった私が、教え子からの手紙を思いつきました。 しかも、お二人の教え子が、ごく身近にいたのです。 一人は、高校時代の後輩。英語の先生が彼の消息を聞いて来たことを思い出しました。 早速、後輩に手紙をお願いすると快諾いただきました。 英語が大嫌いだった彼が、今や英語の達人となった盛過ぎの愉快なお手紙でした。 もう一人は、今春晴れて国立大学の数学科に入学した知り合いの息子さん。 彼の卒業をお祝いした時に、数学の先生への感謝を語っていたのを思い出したのです。 同じくお願いすると、中学校の数学の先生を目指している便りを送ってくれます。 この感謝会は、すでに天が準備していたようです。 この2通の手紙だけで、もはや感謝会は大成功を予感いたしました。 お二人の教師人生が充実していたからこそ、感謝が溢れたのでしょう。 出会いの妙と言いますか、人生の美しさに心打たれた皐月の夜となりました。 2015年5月4日



今回の統一地方選挙は、今の日本をそのまま映し出しています。 すなわち、過去最低の投票率。それに対する痛みも反省もない。 いつから、この空気が生まれたのでしょうか。 私たちの世代も、日本国憲法の三原則の一つとして国民主権を 耳が痛くなるほど学んで参りました。 どうやら、国民主権は、頭だけで理解するものではないようです。 主権があることは責任と義務が伴います。 それを負っているのですが、その自覚は希薄で、この投票率が実状です。 いつしか、国民は自分の意志をもてず、他人任せの風にふわふわと流されているようです。 民意なるものがあればまだしも、それは付和雷同と言った方が相応しいでしょう。 首相が合衆国議会で演説していましたが、 寄らば大樹の陰になっている雰囲気すら感じてしまいます。 壱萬円札から日本を見つめる大先生は、溜息をついているようです。 「愚民の上に苛(から)き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。 ゆえに今わが日本国においてもこの人民ありてこの政治あるなり。」 2015年4月30日



郷土の会誌で別所興一先生が「戦争体験と戦争責任」という論文を掲載していました。 先生は、私の高校時代の社会科の先生でしたが、当時近代の歴史を語れなかった事情も綴っていました。 いわゆる戦争責任とは、戦争を遂行した当時の人たち、 および国家レベルにおけるものを差すのだと思います。 国家レベルの方は、私たちの世代までつながっています。 そこで、責任とは何か。それは、過ちをなどを犯して罪を償うことと合わせて、 より広い意味では、未来に向けて、自分の天命を生きることなのでしょう。 天よりの命に応える。 その命は、過去とつながっているので、歴史を学んで、現在の立ち位置を知る必要があります。 そんな時、南太平洋の島々に慰霊の旅をされる陛下の言葉が身に沁みます。 「その人々の死を無にすることがないよう、常により良い日本をつくる努力を続けることが、 残された私どもに課された義務であり、後に来る時代への責任であると思います。」 ふと、思いました。時代を越えて、別所先生の授業は続いています。 2015年4月18日



小学2年生となった甥っ子が、漢字の練習をしていて、「親」という字を書いていました。 横から私が、「親はね、木のところで立って、子供を見ているんだよ。」 明日からの統一地方選挙で、同級生2人が立ちます。 先日事務所に駆けつけると、本人不在で、同級生のお父さんが接待してくれました。 2度の憂き目を経験しているので、息子にも厳しい見方をされていましたが 「息子をよろしく」という言葉には、切実な思いが伴っていました。 後日、彼の演説会に顔を出すと、別の選挙で同じ党から出るもう一人の同級生のお父さんが 早くから席に着いていました。日ごろは、このような場には顔を出さない方だと思います。 その同級生は、お父さんが創業した会社で働いていましたが独立します。 親子の確執もあったことでしょう。 しかし、今日は息子の選挙を心配されている様子がひしひしと伝わって来ます。 何があっても、傍近くで見守ってくれている人たちがいる。 甥っ子が、その漢字を理解するのには、まだ少し時間がかかりそうです。 2015年4月11日



PTAの集まりで、自分あるいは子供の名前の由来を紹介しあいました。 私は、「由久(よしひさ)」ですが、「自由よ永久に」と自分なりに解釈していて 自由を追求していると紹介しました。 確かに、この日記でも、最近は自由に関する内容が多いように感じます。 自分の名前に返り、本来の自分に近づいているのかもしれません。 その集まりでは、ある方が、総会に向けての事業計画案とは違う意見を表明いただきました。 このような場面では、会の進行なるものを考え過ぎるあまりか、 意見表明はなく、そのまま流れてしまうことが多いものです。 敢えて、素朴な疑問を出してくれたことで、会の雰囲気が変わりました。 私なり、そこに意志および自由を感じたのです。 その時、福沢諭吉の言葉を思い出しました。 「自由の気風は唯(ただ)多事争論の間に在りて存するものと知る可し」 丸山眞男さんは、補足しています。自由の気風は「必ず反対意見が自由に発表され、 少数意見の権利が保証されるところにのみ存在する」 引き続き、自由を追求して参ります。 2015年4月6日



八十五で逝去されたお隣のおじさん。 すでに五カ月が過ぎ去った今日、おばさんが俳誌を届けてくれました。 おじさんが俳句を詠むことをはじめて知り、おじさんの特集が組まれていました。 おじさんは、四十三のご長男に先立たれます。 五十句が並んだ中で、私の心に留まった句です。 「二人して亡き子を語るクリスマス」 「逆縁の吾子二人して墓洗う」 「金婚の妻と二人の雑煮膳」 「二人居の会話途切れる冬の夜」 「寄り合ってまた離れゆく水すまし」 そこには、夫婦で支え合う美しい姿とともに、それを越えた人の孤独が感じられます。 そして、辞世の句は「ラストワードさがし求めて冬の星」 俳誌の主宰者がおじさんを讃えていました。 「真底、心のあたたかい人であった。相手の心の領域に、無断で踏み込むことは、決してなかった。 中国の荘子は、〈君子の交わりは淡きこと水の如し〉と言った。 君子の交際は、水のようにあっさりとしているが、それ故に長続きするという意味である。」 それでも、今となっては、もっと色濃い交流をと悔やまれます。 2015年3月28日



本日結婚20周年を迎えました。 20年前の結婚式前日には、地下鉄サリン事件が発生します。 首謀者たちは、宗教団体に属する私と同世代の人たち。 顧みると、組織の危うさとは、カリスマ性のある特定の人間に隷従してしまうこと。 神仏などの信仰対象というよりも、その組織の指導者などに過度に依存する。 そこには、あこがれ等も伴っているのでしょうが、いつしか自分という分までを喪失する。 自分で考えたり、自分で選んだりする自己決定権を放棄してしまう。 自分で決めることは大変なことであり、他人任せにしておいた方が楽なのでしょう。 それは未熟とも言えますが、悲しいかな、習い性ともなりかねません。 しかし、自分の分を生きる、成熟することを望んでいるのも誇り高き人間です。 宗教とは本来、それを正しく導くことなのでしょう。 そして、結婚とは、他人任せに決別して、二人が自らの力で立つこと。 結婚式前日に、あの事件が起こったことは、私たちへの戒めのようです。 自分たちを生きよ。その原点に返りたいです。 2015年3月21日



評論家の村上兵衛さんが、滞米中の出来事を別冊正論で紹介していました。 ディズニーランドを訪れた時のことでした。 国歌が園内に流れて、星条旗が降ろされる。 すると、今まで遊んでいた人たちが、急に身を正して直立する。 その光景を目の当たりにして涙します。 「彼らの注目する星条旗の彼方には、あの戦争を含めて、戦争で斃れた人々の姿もある。 彼らは、それに対する敬意を失っていない。けれども、あの戦争で斃れた日本の将兵たちは戦後、 一度でもこのような敬虔な思いを、国民から捧げられたことがあっただろうか。」 先週、中学校の卒業式がありました。 来賓を代表する祝辞で、壇上の日の丸の前に立ちました。 子供たちに伝えたかったことは、日の丸の彼方にあるものでした。 先人たちの苦しみや悲しみに思いをいたしてこそ、自立があるのだと思います。 校歌を作曲した信時潔(のぶとききよし)は、準国歌と扱われた「海ゆかば」も作曲しています。 日の丸を前に、胸を張って校歌を歌った卒業生たちに幸多かれと。 2015年3月10日



大学同窓会の総会があり、中学校PTAで取り組んでいる交通安全運動を ピーアルする機会をいただきました。 しかし、懇親の真っ只中で、話をさせていただく雰囲気ではありませんでした。 とっさに、私の口から出て来た言葉は、「塾生注目!」との応援団風の声でした。 すると、条件反射のように会場から「なんだ〜」と声が掛ったのです。 これは、母校の伝統と言えばよいでしょうか。 新入生歓迎の場で自己紹介を行う時の常套句なるものでした。 そのやりとりに、その場の雰囲気がしだいに変わり、耳を傾けてくれたのです。 会の締めには、恒例ですが、円陣を組んで、「若き血」という応援歌を歌います。 その歌を通じて、先輩後輩の別なく一つとなれるのです。 帰り際に、交通安全のステッカーを販売する出店を開いて協力を呼びかけました。 八十を越えた大先輩方も、多くは語りませんでしたが、 「ご苦労さま。」とさりげなく声をかけて浄財を差し出してくれました。 これまた、母校の伝統たる「社中協力」をかいま見た瞬間でした。 2015年2月27日



信仰の友であるご婦人のお見舞いに夫婦で伺いました。 歌心のある方で、一句をしたためて、差し上げました。 すると、小学校6年生の時に作った歌を教えてくれました。 「粛々と 無言の凱旋 雪の中」 これは、戦地から骨箱のみが帰ってきた光景を子供心に歌ったそうです。 寂しさをいっそう引き立てますが、亡き人への真心が感じられるためか、 降る雪に心癒されます。 四季折々の自然は、人の心を慰めてくれているようです。 それが言葉として表出されると、深く心に響いて参ります。 言葉とは、同じく人を励ますためにあるのでしょう。 その後の人生も波瀾万丈で、終戦時には朝鮮半島から男装して 逃げ帰った経験をお持ちです。今はお孫さんだけではなく、 曽孫(ひこ)たちにも囲まれて幸せな日々を過ごされています。 しかし、御年(おんとし)九十を前にしての入院は、 何かと心細いことを率直に打ち明けてくれました。 ただ、信仰を通じての希望を共にする間柄ですので、冬の桜に思いを込めました。 「春のぞみ 風雪しのぐ 桜かな」 2015年2月20日



帰宅すると、妙に家族のテンションが高く、いつもと違う空気が流れていました。 その顛末を聞くと、お隣の飼い猫が、突然わが家に飛び込んで来た。 家内も子供たちも、悲鳴をあげたそうです。 それに猫も驚いてしまったようで、2階に駆け上がり、部屋の中に入ってしまいます。 対応に苦慮した結果、飼い主を呼ぶことにしたそうです。 「ふーちゃん」と飼い主が呼ぶのですが、「いないみたいですね。」 「そんなことはありません。」 よくよく探していただくと、椅子の下に固まって震えていたそうです。 その数分後に、私が家に戻ったのですが、家人たちは興奮冷めやらぬ様子。 しかし、私は、震えていたふーちゃんに何だか同情してしまいました。 飼い主の懐の中で、さぞ安堵したことでしょう。どうして、わが家に入って来たのか。 新美南吉の「ごんぎつね」が思い出されました。 兵十のように、ごんの善意を知らずにいただけなのかもしれません。 もしかして、不審者を追い出すために・・・。 誰かを責める前に、まず事実をよく見極めることです。 2015年2月12日



先生たちの先生たる存在で、地域の長老である藤城和彦先生がお亡くなりになりました。 先生とのお付き合いは、小学校時代のバスケットのクラブチームからでした。 振り返ると、贔屓にされた生徒のように、可愛がっていただきました。 先生は絵を描かれる趣味があり、「私も絵を描いてみたいです。」 すると真顔で、「高津君は、文を書くんだよ。」 卒業式の祝辞などでスピーチをすると、「素晴らしかった。」と絶賛して下さいます。 私が、引越したり、PTAの役を一旦下りた時には、寂しげな表情で「残念だなあ。」 PTAに返り咲くと、誰よりも喜んで下さったのも先生でした。 そんな先生に喜んでもらうために、役を受けてきたのかもしれません。 先生に褒めていただいて、調子にのって成長させていただいたようです。 昨年末の子供を護る会という会合が、お会いした最後となりました。 すでにその日も調子が悪かったようなのですが、決然として語っていました。 「地域の子供たちは、地域で守る。」先生の意志を引き継いで参りたいです。 2015年2月6日



アルジェリアの武装集団の襲撃によって命を落とした同級生。 その事件から2年を迎えようとした時に、今度はイスラム国によって、 後藤健二さんが命を落とします。 アフリカを忘れるな。中東を忘れるな。そんな天からの呼び声が響きます。 いつしか日常のことに明け暮れて、かの地で苦悩する人たちのことを 私たちは忘れてしまっていたようです。 彼らは命を落とすことで、自分の責任を果たしたように思います。 後藤さんの訃報が入った日曜日の午後、息子と二人で田原の池ノ原公園を訪れました。 そこには、東郷平八郎揮毫の「崋山先生玉砕之跡」なる石碑が立ちます。 渡辺崋山は、藩に迷惑を及ぼさないために自決したと語られます。 しかし、それだけではなく、日本人を覚醒させるための決断だったように思います。 吉田松陰も然り。身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂。 その責任と覚悟のもと、幕末の志士たちと近代日本が生まれます。 継承されて来た死を無駄にしないのが、私たち日本人の使命です。 2015年2月3日



外国人観光客による特需のために、商品がメーカーから入荷しません。 メーカーの体制にも課題はありますが、これを経験すると、納品の有り難さが身に沁みます。 メーカーあってこそ、小売業は成立します。 ところが、消費者偏重の時代になると、その真理を忘れてしまうようです。 とにかく消費者が喜べばよい。 そんな時に、新潮45という雑誌で「出版文化こそ国の根幹である」が特集されていました。 本や雑誌の売上は、一時期の半分に落ち込んでしまい、街の本屋さんも激減。 その原因は、消費者たる読者を神様にしたてた結果のようです。 新刊本も図書館ですぐに予約できて、リサイクル店で購入できてしまう時代。 読者に好都合であれば、これらが是認されてしまう。 時同じくして、スカイマークも、消費者のためにと出発しましたが経営破綻。 どこの業界も同じようです。消費者だけでは偏るのです。 一部でなく全体を見る。当座でなく先を見る。 その上で、それを正々堂々と主張できる人が、どの業界にも求められています。 2015年1月30日



憲法の前文で掲げる「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」 という一文は崇高なものです。 首相が展開する外交は正しい方向性だと思います。 イスラエルとパレスチナを仲介できる立場にこそ、日本の存在意義はあります。 しかし、今回のような人質事件が起こると、9条の条文を言い草にして逃げてしまうようです。 聖書には、よきサマリア人の話があります。 死にそうになっている旅人が道端に横たわっていた。 ユダヤ人や宗教指導者は、そのそばを通り過ぎます。 しかし、ユダヤ人たちには嫌悪されていたサマリア人は、 自らが責任を負って、その旅人を介抱します。 アフリカや中東で、悲劇が起こっているのに、 「わが国には、憲法9条がありますので。」したり顔で通り過ぎてしまう。 断固とした決断を政府ができないとしたら、国民の覚悟が足りないのだと思います。 少なくとも人質となった人たちには、その覚悟があったのだと思います。 今回の事件は、首相ではなく、国民一人一人の覚悟が問われています。 2015年1月24日



32歳という若さでした。加藤良介先生が1年4か月の闘病の末にお亡くなりになりました。 昨年度の秋、授業の合間に吐血されて、教壇から離れます。 中学3年のクラス担任でしたが、先生不在の卒業式を迎えます。 そして、奥様は、小学校の先生ですが、春を迎えて2人目をご出産。 それでも、病状は芳しくなく、とうとう訃報が届きます。 一昨日のお通夜には、卒業生はじめ子供たちが会場溢れるばかりにやって来ます。 あちらこちらに、学生服やセーラー服姿の涙目の子供たち。 絶え間なく続く焼香の列に、ある場面が思い出されました。 アニメ「母をたずねて三千里」でマルコが進退窮まった時でした。 店に集まった人たちが、次々にお金を出して、祖国イタリアの歌を歌い出します。 その善意で道が開かれる。 その時のマルコの表情に奥様が重なりました。 最後の奥様の挨拶は、教師魂に溢れていました。 「良ちゃんは、どこまでも前を向いて生きて来ました。」 さながら命の授業。しかし、授業が終わっても、奥様の嗚咽は静かに響いていました。 2015年1月16日



今年の箱根駅伝では、地元の子供たちが活躍していました。 優勝した青山学院のアンカーは、豊橋の岩田小学校出身。 昨日の小学校での成人式では、新成人の彼が優勝報告で花を添えたようです。 かたや、早稲田の主将は、地元進学校から浪人して一般入試で大学に入ります。 4年生最後の年は、1年2年時にも任された難所の山登り5区。 思ったような走りはできなかったものの、主将として走りきりました。 先週は、母校の高師台中学校の始業式に駆けつけて、生徒たちの前で夢を語ったそうです。 これら故郷の子供たちがすくすくと育っているのも、教育長の功績が大きいと思いました。 教育長は、3期目ですが、任期途上で浜名湖の野外研修で中学生が命を落とします。 教職員のトップとして、この事故対応に、今日まで真摯に取組んでおられます。 そして、成人式の答辞で聞いた言葉として、新成人たちに紹介していました。 「責任というレンズを通し、自由という二文字が見える。」 子供たちは、大人たちを見て育ちます。 2015年1月12日



今年いただいた年賀状の中で印象的だったのは、退職された元校長先生からの言葉でした。 「命(めい)は人力人智の及ぶ所に非ず。故に是れを天に帰し天命と云(い)ふ。 天命なる上は天に任せ置きて人は只管(ひたすら)道義をのみ守りさへすれば、 死生窮達(困窮と栄達)、順受素行、驚くにも恐るるにも及ばず。」 吉田松陰の言葉を引用して、天命に従いたいと。 先生は、一昨年病に倒れましたが、無事復帰いたしました。 子供たちが通学する毎朝、交通量の激しい横断歩道で、旗を持って立ち番をされています。 その道路の安全対策には、並々ならぬ思いをもって今日も取り組んでおられます。 復帰できたのも、まさに天命であったと思いました。 天命とは、天から授かった命(life)、天よりの命令(order)とも読めます。 使命は「命を使う」と書きます。 命(life)がなければ命は使えません。今年も命(life)があり、生かされている。 その命を使うことが、命(order)とも言えるでしょう。 天とは。命とは。今年も求道者のごとく深く考えて参りたいです。 2015年1月10日

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