当社店舗とオフィスのある「キャンファーローレルタワー豊橋」は、 豊橋駅前再開発のもとに建設されました。 1階部分は店舗ですが、2階から18階は住宅マンションとなっています。 もともと7件の店舗および病院等があったところでしたが、当社も含めた地権者が協力して 一つのビルとなりました。しかし、そこに至るまでは、紆余曲折がありました。 何度も行き詰まりそうになったものの、常に前を向いて進んで行けました。 そこには、お隣り浜松市の建築士である大澤稔(みのる)さんという大きな存在がありました。
大澤さんの作品である浜松地ビール工房で
大澤さんは、私たち地権者一同に、再開発の意義や内容を 納得の行くまで分かりやすく丁寧に教えて下さいました。 また、地権者それぞれの固有の問題にも、丁寧に耳を傾けて、共にその解決に向けてご尽力いただきました。 傍で見ていた私は、物事をすすめていく上でのお手本を見ているようでした。 そんな大澤さんは、浜松市をはじめ多くの街づくりを手掛けてきて、 今日は私の背中までさりげなく押してくれます。 「豊橋駅前を東三河地域全体の顔たる玄関にしなさいよ。」
大澤さんは、もともと生まれは東京本郷ですが、お父様のお仕事で戦時中に豊橋にやって来られました。 お父様は土木技師で、豊橋にある海軍最後の航空基地の橋を作っていました。 今は交差点標識のみ残る伝説の海軍橋です。こちらの記事も参照下さい。 時の戦争には反対する態度をとっていたため常に特高が付いていたそうです。 その後、浜松に移り住みます。 トンネルを掘ったり、ダムを造ったりとお父様の仕事を若かりし頃は手伝っていたそうです。 しかし、人里離れた山の中で仕事をするよりも、 家族が一緒に過ごせる街の中で仕事がしたいと思うようになり、今日の道を選んだのだそうです。
大澤さんは、コミュニケーションをとても大事なものと考えています。 「住宅を設計する時には、そこに住む人とよく話しをして、よく理解し合わないと、よい建物は造れません。」 私をそんな大澤さんの姿を間近に見て参りました。 「住民こそ地域の建築家であり、地域のことを考えるのは地域の住民である。 都市というのはそこに住んでいる市民以上にも以下にもならない。市民のレベル、それが都市だ。」 一住民として非常に心痛いところですが、ズバリ真理を言い当てています。
大澤さんの口癖は、「一人では何もできない」 私たちのビルでもそうですが、一人ではできることが限られています。 しかし、みんなで力を合わせれば、地域にまで大きく貢献できるようになります。 そんな思いのもとに、「賛同人建築研究所」と言う名称をつけたのだそうです。 確かに、賛同人の集まりから街づくりは始まるのだと思います。
暑さ残る日に、浜松駅に大澤さんを訪ねると、大澤さんが手掛けた作品を幾つかご紹介いただきました。 駅前にあるアクトタワーの展望レストランからは、浜松駅前が眺望できます。 駅前とは、その街の歴史や文化などのアートの集積地であり、 その街のアイデンティティが表出しているところだと教えてくれました。 「歴史や文化を掘り起こせば、浜松よりも豊橋の方が魅力はあるかもしれないね。」 微笑みの向こうで、もっと自分を磨きなさいと優しく諭してくれているようでした。
平成25年葉月