愛想の尽きたるお登和嬢を大原のために取持たんは甚だ難事ながら親友の情誼(じょうぎ)とて 小山夫婦も大原の心を憐(あわれ)み、 ともかくも中川の同胞(きょうだい)を説き付けて充分に力を尽すべしとその夜はお登和嬢の手に成れる料理を飽食(ほうしょく) して大原を帰し、翌日主人小山が土産物の品々を携(たずさ)えて中川の家を訪(と)えり。
中川も妹にかぶれてや食物道楽に心を奪われ、今日も妹を対手(あいて)に御馳走の研究をなしいたるが 小山より心を籠(こ)めたる土産物を貰(もら)いしが何より悦(よろこ)ばしく 「小山君、僕もこれから心がけて諸国の名物を聚(あつ)めようと思う。 名物に美味(うま)いものなしというけれども決してそうでない。 その土地に適したるもので外の土地に出来ないものが沢山あるからね。 椎茸(しいたけ)の話で思い出したが九州や四国から出る乾海老(ほしえび)がその通りだ。 内地廻しというのは最下等品で上等品は皆(み)な支那へ輸出する。 乾海老の上等なのは尾がクルクルと巻き込んで決して長くなっていない。 それは湯煮(ゆで)る時に生きているから湯の中(うち)で小さく巻けてしまう。 支那人は尾の巻いた海老でなければ決して買わんよ。 死んだ海老を湯煮たのは尾がダラリと長くなっている。 それが内地廻しになるのだね」
小山「アハハ大概そんなものさ、うっかり物を買うと悪い品物ばかり押付けられる。 しかし君の家にはお登和さんがあるから非常に徳だね。 僕のワイフも追々お登和さんに料理法を仕込んでもらわなければならん。 昨日(きのう)は大分教わったそうだ。僕も昨夜(ゆうべ)章魚(たこ)の柔煮(やわらかに)や薩摩芋(さつまいも)料理を 賞翫(しょうがん)したが直段(ねだん)の安い品物を美味く食べるのは実に経済主義だ。 お登和さんを女房に持つ人は非常の幸福さね。
時にそのお登和さんの事について少し相談がある。ドウセ何処(どこ)へかお嫁に遣(や)るのだろうから 知らない人へ遣るよりもどうだねあの大原君に遣っては。大原君は非常の熱心だよ。 昨日も僕の帰りを待っていて懇々と僕に頼んだよ」と親しき仲とて言葉に飾りなし。 中川は先(まず)クスリと笑い「大原君か、道理で昨日も妙な様子だと思った。 跡(あと)で聞けば妹に不思議な半襟を持って来てくれたそうだ。 随分滑稽(こっけい)さね。大原君だって別段に悪い点もないが何(なに)しろあの大食では恐れる」
小山「大食だけがあの男の疵(きず)だ。その大食は自分でも害のある事を知っているからお登和さんが側にいて 追々矯(た)め直して行けば必ず直る。大食家でも二、三年洋行して西洋食事に慣れると日本へ帰朝した時 普通の人ほど食えない位に胃が小さくなる。だから大原君も習慣の付けようで大食が直るよ。 大食が直れば脳の働きもモー少し良くなる。僕は大原君を後生畏(おそ)るべき人物だと思う。 あの通り正直で律義(りちぎ)で自分から脳の鈍いのを言立(いいたて)て外(ほか)の人より 二倍も三倍も勉強するからああいう人が末に至(いた)って大成するよ。 それに第一誠実で、親切な心があって無邪気で物堅いから良人(おっと)に持(もっ)ては女の幸福だね。 才子肌(さいしはだ)の人や豪傑気取(ごうけつきどり)の人物は決して幸福な良人でない。 そういう人物に限って自分の家庭を不幸悲惨の地位に置く。 それでは社会に立って何の仕事が出来るかというに今までの不規律な乱世時代には僥倖(ぎょうこう)の成功も あったろうけれどもこれから先の進歩した社会には才子や豪傑ほど無用な者はない。
これからは品行方正で誠実に勉強する人物でなければ世に立つ事が出来ん。 大原君の如き人物こそ最も望みが多い。僕は公平に考えてお登和さんのために適当な良人だと思う」 と言う処(ところ)一応の理なきにあらず。中川も幾分か心の動きけん 「そうさねー、僕も妹の事については随分心を労しているがさて容易に極(き)められん問題さ」と頻(しきり)に思案する如し。