人の無情は怨(うら)むに由(よし)なし。 大原はせめてお登和嬢の手料理を飽食(ほうしょく)してその心を迎えんと 「お登和さん、あんまりお手料理が美味(おいしゅ)うございますからお汁(つゆ)をモー一杯お更(かわ)りを願いたいもので」 と苦しさを耐(こら)えてお更りの催促。娘は賞翫(しょうがん)されるほど張合あり 「ハイ何杯でもおかえ下さい。ついでにそぼろと角煮もモー一皿ずつ召上ったら如何(いかが)です。 豚饂飩をお更(か)え下さい」 大原「ハイハイ何でも戴きます。貴嬢(あなた)のお手料理とあるから格別の味が致します」 妹「どう致しまして誠に不出来でお恥しゅうございます。国の母がおりますとモット美味しく拵(こしら)えますけれども」 ととかく返事が横に外(そ)れる。大原は戻(もど)かしそうに 「イイエ貴嬢のお拵えなすったのが何よりです」と言葉に力を籠(こめ)て言えど 娘はよくも聞取らずして台所へ立って行く。主人の中川大原の言葉に答え 「君、僕の母は料理が上手だよ。妹如(ごと)きものでない。母の手料理を君に食べさせたいね」
大原「イヤ僕は御令妹のに限る」と言う処(ところ)へお登和嬢がお更りの品々を持ち来きたる。 大原手を出(いだ)して盆の上より受取り「これは憚(はばか)りさま、今度は最初よりも沢山ですね。 少しお待ち下さい、もはや酒の刺撃力が利かなくなりましたから甚(はなは)だ失礼ですけれども少々御免を蒙(こうむ)ります」 主人「何をするのだ」大原「御令妹の前で甚だ相済(あいす)まんけれども折角の御馳走を戴くために 今袴(はかま)を脱(ぬ)いで帯を弛(ゆる)める。先刻(さっき)から帯が腹へ喰い込んで痛くって堪まらない。 帯を弛めるとまた二、三杯は食べられる」 主人「驚いたね、腹の皮はゴム製に違いないが君のはもはや弾力を失て伸たら縮まらん。 お登和や、あんまり沢山お盛りでない。もしや大原君の腹の皮が破裂すると大変だ。 しかし大原君、君の腹の容積にも限(かぎり)あるだろうが、よくそんなに入るね。 一朝一夕に胃袋を拡張させようとしても到底そうはなれる者でない」
大原「全く子供の内の習慣だ。僕の田舎では赤児(あかご)がまだ誕生にならん内から飯(めし)でも 餅でも団子でも炒豆(いりまめ)でも何でも不消化物を食べさせる風(ふう)だから 大概な赤児は立つ事も碌(ろく)に出来ないで茶漬飯(ちゃづけめし)を茶碗に一杯位食べるよ」 お登和「オホホ」と思わず笑い出す。主人はおかしさよりも気支(きづか)わしく 「それでは腹部ばかり膨満(ぼうまん)して身体(しんたい)が発達しまい」
大原「勿論(もちろん)さ、大抵な小児(こども)は脾疳(ひかん)という病気のように 手も足も細く痩(や)せて腹ばかり垂れそうになっている。 赤児というものはこういうものと僕は信じていたが東京へ来て始めて手足の肥った赤児を見た。 それでも御方便(ごほうべん)なもので十歳以上まで生長すると山の奥の寒村だから 自然と山や谷を飛び歩くようになって手足も始めて発育する。 その代り十歳位な小供でも東京辺の大人位食物を喫(きっ)するね。 大きくなったら三倍ないし五倍だろう。女でも大概一升飯を平らげる。 誰だっけ僕に話したよ、僕の地方へ来て農民が重箱よりも大きな弁当箱を腰へ下げているから 家内中の弁当を独りで持って行くのかと思ったが食べる時見たら一人で平らげたと驚いていた。 僕なんぞは国へ帰るとまだ少食の組だよ、僕ら位の年の者は雑煮餅の三十枚位平気だからね。 外の家へ御馳走のお客にでも往ってみ給え、お強鉢(しいばち)といって倒れるまで食べなければ承知しないから」 と地方到る処(ところ)この弊(へい)あり。
注釈:
○小児の時胃袋を拡げたるが生涯の病となる。親たるものはよく注意すべし。
○我邦の習慣として小児が茶碗の中の飯を残すと勿体ないから食べておしまいと母親が強しいて
小児に容量以上の物を食せしむるは最も大害あり。
牛乳が少しコップへ残りてもモー少しだから皆んなお飲みと強い附けるもその害は同じ。
小児は正直なものにて食物胃に満つればイヤと言う。その上を強ゆれば必ず胃袋を拡張す。