工房アイザワさんの呼びかけで、 新潟の燕三条に行って参りました。 その名も、会座和(あいざわ)の会ですが、同業の仲間たちと一緒に製造現場を視察。 加えて、同業の仲間たちと意見交換をして、夜は製造者も交えて懇親を深める。 作り手の皆さんとの貴重な交流の場でもありますが、同業の仲間たちの交流の場でもありました。 同業の仲間たちは、互いに切磋琢磨し合うライバルでもありますが、 台所および食の文化を啓発・継承していく盟友たちなのです。
今回訪れた製造現場で感じたことは、明日へ継承していくことですが、 それは、私たちの売る現場でも同じです。 そのため、ひとつの会社、ひとつのお店を越えて、ますますお互いに連携していくことが 問われていると感じました。 その期間には、工場の祭典と 三条燕トレードショウが同時開催されていました。 ある意味で、これらは、メーカー間の連携であり、年々盛り上がりを増しています。 さらに二つが同時開催されることで相乗効果も生じている様相でした。
モノ作りを装飾性を削ぐ作業と表現する工房アイザワらしい商品の一つである 角長ランチボックス。仲間の皆さんと、アイザワらしい商品について意見交換をしました。
今回私にとって印象的な出会いと貴重な機会がありました。 それは、以前販売していたクックパルプライムのお鍋を製造されていた工場の専務に お会いすることができたことでした。 当社では、このお鍋が一時看板商品であり、数多く販売させて頂きました。 改めて、見えないところで、黙々と製造されていた無私の職人さんたちの ひたむきな姿を見せていただく感じでもありました。 その場を通じて、お世話になって来た御礼を申し上げることができました。
そして、このお鍋への想いを綴った文章が ホームページにありましたので、早速私のスマホから、それをご覧頂きました。 その時、思い出した人物が、株式会社ヨシカワの今は亡き吉川正芳さんです。 なぜ、あのお鍋が当社でよく売れたのか。 商品が売れるとは、その商品を愛する人の存在がある。それは吉川さんからの声のようでした。 クックパルプライムには、吉川正芳さんという人物がいました。 この人がいたからこそ、その人の想いがあったからこそ、売ることができた。
その人の存在とは、その商品への想い入れでもあり、単に商品を売るために人が介在することとは違います。 まさしく、自分の手で育てあげた子供のような存在として、その商品を見る眼差しがあるのです。 その想いを売り手が受け取った時に、買い手にもその想いは伝わっていくように思います。 それが、売れる瞬間でもある。吉川さんは、じっと見守るタイプとお見受けしましたが、 専務との出会い通じて、天から声を掛けてくれているように思ってしまったのです。
専務は、社長の娘さんでありましたが、社長が長く病床に伏していることも伺いました。 そんな中で、社員の皆さんと力を合わせて、この時代のモノづくりに真摯に取り組んでおられました。 「物が溢れる時代となり、何を作っていけば良いのか教えてほしい。」 改めて私たちは、使い手の声に耳を澄まして、それをメーカーに届ける立場にもあります。 そして、それを丁寧に行うことが、吉川さんの示してくれた商品への想いにも通じます。
今年4回目を迎えた三条燕トレードショウにも駆けつけましたが、これまでにない賑わい。 会場横の常設展示場で、ばったりお会いしたのが宮崎製作所の社長の娘さんでした。 そこには 十得鍋が展示されていて、「どのように並べると良いですかね?」お鍋に対する想いであり、愛情が漂っていました。 お子さんが生まれたことを伺っていて、「お子さんはいくつになりましたか。」「一歳十か月です。」お子さん同様に商品のことが気になっているようでした。
工場の祭典の方は、今年で7回目となります。 初代の実行委員長でもあったタダフサさんの工場を訪問いたしました。 第1回目の2013年、ちょうどタダフサさんが準備に忙しくしている時に訪れてしまいました。 当時のことは、こちらのページにまとめていますが、 あれから6年の歳月を重ねました。今日この工場の祭典は、燕三条の秋の風物詩になった印象です。 先代社長が、本体を柄に差し込む職人技は圧巻でした。 親子ともども元気なお姿を垣間見て、明るい未来を感じました。
そして、玉川堂(ぎょくせんどう)さんを 訪問しました。 丸い銅板から、叩くことのみで薬缶の形を作っていく職人技を惜しみなく披露されていました。 そこに社長夫人が、趣のある和室で、良く冷えた手作りの金属製コップのお茶で接待して下さいました。 娘さんが三人いることを教えて頂きました。 その一人の娘さんも、その場で接待されていて「この工場の祭典には、手伝ってくれるのです。」 親の姿を見て育っているお子さんを垣間見て、ここでも明るい未来を感じました。
今回の訪問先では、作り手の背後にある親子に不思議と目が向きましたが、 仲間たちとも、自分たちの子供のことが話題となりました。 そんな時は、心温まるひと時であり、仕事人の顔から、いつしか母親や父親の顔になっていました。 私も三人の子供の親であり、ようやく親心なるものがよく理解できる年齢となったのだと実感いたしました。 しかし、子供たちのことを見据えると、これからの売り方、これからの作り方の 道標があるように思いました。
このアイザワの会は、アイは会い、ザは座る、ワは和として、会座和の会と命名されていました。 仮の名前のようでしたが、私の提案でもありました。 商人にとって、会うこと、座ることが求められている。 特に、座ることには、この忙しい時代に抗い、じっくり話し合う意味合いを込めています。 そして、最終的に和を求めていくこと。 聖徳太子の時代より「和をもって尊しとなす」と先人たちが示してくれた道標です。 時代が厳しくなるほど、和は迫ってくるようです。