今年1年間で一番よく売れた本は、佐藤愛子さんの「九十歳。何がめでたい」であったそうです。 この時代に、人生を九十年以上経験された方の智慧に学ぶ気運が高まっているようであり、 その裏返しとして、それだけ若い世代が、生きる本質を見失い、路頭に迷っているのかもしれません。 家庭のお料理においても然りで、ご高齢の料理研究家の皆さんの著作が目立つように感じます。 そんなお一人が、御年九十二の桧山タミさんであり、そのお言葉は含蓄に富んでいて、多くの示唆を与えてくれます。
いのちを愛しむ、人生キッチン(桧山タミ著・文藝春秋)
ご自分が選んだ明るい布地の割烹着を身にまとい、ご愛用の銅鍋を抱えた92歳の現役料理家は今日も、微笑みながらキッチンに一人立つ。
その著書が、「いのちを愛しむ、人生キッチン」(文芸春秋)です。 タミさんは、結婚6年目で31歳のご主人と死別されます。 それでも、小学校入学前の双子の息子さんを育てながら、ご自宅で料理教室を開いて料理家の道を歩まれる。 「人生の道ゆきは予測不能」その悲しみが、私なりに、料理家のタミさんの原点であったようにも感じられました。 タイトルの「いのちを愛しむ」とは、そんな死別の悲しみを通じて生まれて来たようにも思われました。 そして、お料理がタミさんを励まして来たのでしょう。
38歳の時に、師匠の江上トミさんから世界各地を4〜5か月かけて巡る、食の視察旅行に誘われます。 その時、自分の心は「行く」と即決だったそうですが、小学校6年生の息子さんたちが反対したら止める心積もりだった。 ところが、「お母さん、行くべき!」と力を込めて送り出してくれた。 その経験は「人生の宝物」となり、その後の料理人生の大きな糧となったと言われます。 その時に悟ったことが、「”ほんとうのこと”は、自分の目で見るのが一番」 それは、日々のお料理が教えてくれていることとも重なります。
そして、台所仕事の第一歩は、鍋炊飯、鍋でご飯を炊くことだと言われています。 それは、火加減を機械任せにせず、自分の感覚を使うからだと。 「自分の感覚を使って、自分の口に合うごはんを炊けるようになると、料理の新しい道が見えてくるはずです。」 この自分の感覚がキーワードであり、他人の感覚ではありません。 お料理は、五感をフルに使う作業として、人を人にしていく、人を自立させていく要素があるのだと思います。 鍋炊飯を推奨するフライパン倶楽部としても、考え方が同じで、大いに共感いたしました。
さらに、道具についても語ってくれます。フランス人に自慢したい道具として、すり鉢、竹ざる、馬毛の裏ごし器、おひつ。 「日常に使う道具で、人の感性は変わります。料理道具が変わって、失くしてしまう 心配があるのが『気』の遣いよう。便利に慣れ過ぎてしまった最近の人たちは、『気働き』が鈍くなったように感じます。」 「何でも機械に頼り過ぎていると、気働きや気遣いの感性が衰えてしまう。 五感を使う手の道具を愛用していると、頭と手を使います。 そうした『気』を働かせる知恵を、道具が教えてくれるんです。」
そして、自分の感覚を使うことで、自分の味が生まれてくる。 それを家庭の味、おふくろの味、わが家の味とも呼べるのでしょう。 そこで、裏を返してみると、便利なものに頼り過ぎてしまうとは、自分の味がなくなってしまう。 「レシピとは、あくまで見本です。最初は参考にしても、自分や家族の好みで好きな味に変えていっていいの。」 この自分で変えていく。自分で選べることが重要でしょう。 実は、それをサポートしてくるのが、道具であったと読めて参ります。その意味では、道具が自分を自分にしてくれる。
「日常の食事は、『さっとつくれるごはん』でいいんです。」「主食のごはんと汁もの、それに旬のおかずが一皿か二皿あればよい」と、
やはり一汁一菜を唱えています。料理家といえ、ごく普通の料理です。
そこには、自分で考えて、自分で選べる人間になって欲しいとの願いを感じました。 あとがきには、「やさしさ」について語られます。 「やさしくなるというのは、ただ他人任せに甘えることではありません。 人にやさしくするためには自分の心身に強さを持って、そばにいる大事な人たちを 温かく応援できるということ。」 そこには、人生の厳しさというものを、さりげなく優しく語ってくれているようにも感じました。 そして、お料理を作る時と同じように「この読者を幸せにして下さい。」 そんなタミさんの祈りが聞こえてくるようでした。