当店ホームページがリニューアルいたします。 今回は、わが故郷のデザイナー、フォノンデザインの谷野大輔さんにホームページのデザインを依頼いたしました。 リニューアルを前にして、谷野さんとフライパン倶楽部代表の高津由久が対談をいたしました。
谷野さんデザインの当店看板
高津:
谷野さんには、5年前の実店舗改装時にファサードの看板をデザインいただきました。
この看板は、わが社の顔であり、誇りでもあります。ありがとうございました。
まず、こちらをデザインされた時のことを教えていただけますか。
谷野:
カラーではなく、モノクロで表現しました。色味で商品を具体的に宣伝すると言う
意図では無く、あくまで形状であるとか、フライパンのもつイメージを
そのままお伝えしたかったというのがその意図です。フライパンという言葉を聞いて
誰しもが思い浮かべる形状というのが大切で、表現に必要と感じたのは、
色彩情報ではなく、フォルムそのものだったからです。
高津:
フライパンのフォルムには、そのもので十分な魅力があるとも言えるのでしょうか。
谷野:
小さなお子さんに「フライパンの絵を描いて」と問いかければ、皆が必ずあの形
を描きますから、道具としての完成度は文句無く素晴らしいものだと思います。
足すことも引くこともできない造形というのには魅力がありますね。
できればそんなデザインしてみたいと思います。
高津:
谷野さんと話していると、商品をほめてくれることがしばしばあります。
それは私たちが見えていない魅力がすでに見えていて、
それを教えてくれているようにも感じます。
仕事での打ち合わせを通じても、自分および自分の店が何であるのかが見えてくる、
はっきりしてくるものがあるように感じます。
谷野:
私は、単純に道具が好きなのだと思います。
デザイナーの卵時代に読んだ本には、その昔、動物が石ころを手にした瞬間に
「人間」になったと書かれていました。
そして人間は生まれながらに道具をデザインしたとも描かれていました。
肉体的な機能はその他の動物に劣っていると感じますが、
我々は道具を駆使してその不足を補うことができます。
石ころを道具として見いだし、それを振り上げた瞬間に我々人間の歴史が
動き始めたとすれば、道具に愛着や興味を持つと言うことは、人間味あふれる、
ごく自然な行動だと思うのです。
ですから、道具商というのに憧れがあるのかもしれませんね。
谷野さんが建築設計して経営するカフェ「フォノン」
高津:
谷野さんは、こちらの要望をしっかりと聞いて下さるのが印象的です。
ですから、こちらの要望およびコンセプトをしっかりまとめるように心がけています。
加えて、打ち合わせ時に話すことを通じて、さらにまとまっていく感じもいたします。
谷野:
重要なのはデザイナー自身のイメージやコンセプトではなく、
依頼主のお話を伺う中で導き出されるものだと考えています。
自己の表現に陶酔することは私たちデザイナーには必要ではなくて、
言葉にもならないような些細なことを一つ一つ拾い上げる作業が主になると感じます。
また、想い入れの深さは依頼主の皆さんの真剣度の表れであると思うので、
依頼主には希望を可能な限り言語化していただくことを強いてしまいます。
私どもはその想いを可視化する裏方ですので、
デザイナーの名前が先行してしまうようなものは必要無いと感じています。
良いデザインやコンセプトというのは結果として、依頼主の「想いの量」だと考えています。
高津:
お料理でも「素材に聞く」という言い方があります。
自分でああしたいこうしたいではなく、美味しくなる原理は定まっていて、
それを見つけることが料理である。
ならば、料理人にもデザイナーにも本来は、本人たちのオリジナリティーなるものは必要とされない。
食材のオリジナリティー、商品のオリジナリティー
あるいは依頼主のオリジナリティーを追求するのがお仕事でしょうか。
その意味では、デザイナーの名前が先行してはなりませんね。
あの看板が出来上がった時に、谷野さんの名前あるいは会社の名前を
看板の下にでも小さく入れて下さいと提案したことがありましたが、
谷野さんは、結局お入れになりませんでしたね。
谷野:
はい、ご辞退しましたね(笑)
全く有り難いお申し出だったのですが、私どもの名前は必要のないものだと思い
ましたので。その節は大変失礼いたしました。
個人的に「誰々のデザインだから良い」であるとか「悪い」であるとか、何故か
そういうものに違和感を感じてしまいます。
昨今はそうしたデザイナー名先行型の売り方もございますね。
それはユーザーにとって判断基準の一つにはなろうかと思いますが、
私にとっては決め手になりません。「読み人知らずの詩」とでも申しましょう
か、そんなのが理想です。
高津:
まさに、それは人としての生き方であるとも思います。
宮沢賢治の「雨にも負けず風に負けず」に歌われる、そんな人を思い浮かべます。
「無私の人」とも表現できるでしょうか。
映画化された小説「永遠のゼロ」の零戦操縦士のように、私たちの先祖たちは、
そんな生き方を選んで来たのだとも思います。
しかし、その人たちは、自分を語りませんので、
周りにいる私たちが、それを意識的に知る努力が必要だと思います。
それが歴史を学ぶと言うことなのでしょう。改めて、デザイナーとは、素晴らしいお仕事ですね。
「フォノン」ではイッタラ社アラビアのカップを採用
高津:
当店の一つのコンセプトである「お料理上手は幸せ上手」に関して
個人的に何か感じることをお知らせいただけますか。
谷野さんはカフェを経営してお料理をご自分でも作られますね。
谷野:
デザインをしておりますと、1枚の絵を描き上げるのとは異なりまして、様々な
人の手によって最終形態へ至ります。ですから常に第三者に対して
「情報を伝達する作業」が主になるのですが、そんな中で私にとっては唯一、
お料理に関してのみ、最初から最後まで他者の介在無く「一人でできる」のがとても
クリエイティブであると感じます。子供の頃は自分の為に絵を描きましたが、
今は自分の為に作って自分が食べるということが、絵を描く行為に近く、
心が落ち着くのだと思っています。
高津:
より本質的なところでは、すべてを自己責任で行えるとも言い換えることができるでしょうか。
そこに今を生きていることの手応えや実感もある。
だから、落ち着くとも言える。
クリエイトとは、何か新しいものを作り出す行為と言うよりも、
自分で行うという主体性により重きがおかれた言葉のようにも感じます。
谷野さんの落ち着く理由もそんなところにもあるのでしょうか。
谷野:
はい、突き詰めると、生命を維持するために自ら加工して口にするのですから、
とてもプリミティブな行為ですよね。
高度な文明を享受する現代人でありながら、結局そうした根源的な行為というの
を捨て去る事はできませんし、これからも捨てられません。
ですから料理は私にとって肉体回帰の瞬間だとも思います。
大げさですけど・・・。
高津:
決しておおげさではなく、肉体だけではなく、精神回帰の瞬間でもあるように思います。
思考を働かせ、五感をフル動員して、決断を迫る。
いわば知情意のすべてを巻き込む営みは、他にはないと思います。
まさしく人間が人間になる営みとも言えそうです。
そこには、人間が人間である、自分が自分であるゆえの落ち着きを
感じることができるのかもしれません。
名古屋大学内には「フォノン」支店があります。 フェイスブックではランチを紹介しています
高津:
谷野さんが故郷で活動して下さっていることにも共感いたしています。
当店も東京の銀座ではなく豊橋の駅前にあること、そこに当店らしさがあると思います。
その部分を大切にしてくれると言いますか、
同じ風土で育った方ですから、自分を適切に表現して下さるとも思うのです。
デザインとは、普遍的な要素もあるかもしれませんが、
その人らしさ、その街らしさを表現するものでしょう。
故郷や風土と言うものがつきまとうものだと思います。
谷野:
育った環境や風土というものは、知らず知らずのうちに刷り込まれているのだ
と思いますので、私自身意図せぬ所で現れているのだと思います。
それは方言であったり、食の好みであったりに近いと申しましょうか、
自身のベーシックなのだと思います。
仮に、この街に無い様なものをデザインしたとします。でもそれを目にした時、
「この街にはないなぁ〜」と感じる意識そのものが、やはり地域性を帯びていると感じるので、
意識するというよりも、あらかじめ内包されてしまうようです。
ちなみに、よその土地での仕事の時は、その街を歩いて見る様にしています。
生活者の視線まではたどり着けませんが、その時は旅人の目線で解釈しようと試みます。
これが「らしさ」へ繋がると良いなと考えています。
高津:
「らしさ」というのは安心感につながると思うのですが、
デザインの上では、とても大切な要素だと感じます。
そこで、安心感とは、「らしさ」の表現だけではなく、
人と人との関係性から生じるところが大きいようにも思います。
自分を主張するけれでも、同時に他者を尊重するとも表現できるでしょうか。
谷野:
そうですね。「らしさ」というのは他者との関係性においてしか、
ひょとしたら存在しないかもしれませんよね。
他者が居なければ、自分の存在もあやふやなものになってしまいますしね。
高津:
安心感とは何なのか。さきほどの落ち着きとも表現できるかもしれませんが、
自分が自分であること、自己肯定感のあるところに生じると思います。
そして、人と人とが豊かにつながっていると言う要素がある。
お店で言えば、まずは、オリジナリティーあふれる個としての自分(店)があり、
加えて、メーカーやユーザーはじめ周りの人たちとの豊かな関係が伺える。
その両面をバランスよく持ち合わせていることとも言えるでしょうか。
谷野:
ああ、確かにそうですね。結果的な「連なり」というものがもたらす安心感なのでしょうか。
お店にとっての安心感は、そこにあるのかもしれませんね。
一方通行では、なかなか安心できないかもしれませんよね。
ぐるり手をつないで輪になるようなイメージということでしょうかね。
そんなお店とユーザーの関係というのは良いですね。
野菜ふんだんの「フォノン」定番サーモンブレッド(パンは野菜の下に隠れています。)
高津:
私たちの故郷は、海あり山ありの風土に恵まれた愛知県の豊橋および東三河ですが、
個人的な故郷への思い入れなどをお聞かせ下さい。
谷野:
実は生まれと幼少期が千葉県ですので、未だに「よそ者」の気持ちがどこかに
ございます。ただ、長い時間をこの地で過ごしていますので、この地に帰郷いたしますと、
やはり自分が東三河の人間であることに気づかされます。産みの親と育ての親といった所で
しょうか?育ての親には気を許してワガママ言う感覚、産みの親には感謝するも、
今では少し距離を感じます。
高津:
「気づかされます。」とありますが、
二つの故郷があることは、東三河の人間であることを、より強く意識できるように思います。
無意識の中にこもってしまうより、自覚できることは、表現者としては相応しいように感じます。
どんな時に、東三河の人間であることに気づかされたのか、そのあたりが興味深いですが。
わが故郷の場合は、もっと自己主張しても良いかもしれませんね。
谷野:
そうですね、千葉も下手くそですけどね。千葉にあるのに
「東京ディズニーランド」ですから。そんな二つの故郷を持ちましたので、
私も自己主張が下手なのかもしれません。
気づかされたのはですね、新幹線の豊橋駅のホームに降りた時の
微弱な「潮の香り」に心が落ち着いた時ですかね。
普段は気になりませんが、よその街から帰るとほんの少しですけど、潮の香りがするのですよ。
些細なことですけど、故にここが故郷なのだと感じました。
高津:
風土という言葉ですが、風と土ですから、そこには臭いを感じて良いはずです。
いわば、風土を感じられたとも言えるでしょう。
谷野さんが、よその街で歩かれるのも、それを感じるためなのかもしれません。
ただ、香りをホームページで伝えることは難しいですね。
だからこそ、実店舗の存在意義もあると思います。
また、それを難しいなりにホームページで表現するとなると、
やはり風土を感じている人にお願いすべきことになるでしょう。
そして、故郷を感じれるものは、よそ者の人でも落ち着くのだと思います。
フライパンがずらりと並ぶ当店実店舗内にて
高津:
デザインとは、見た目だけではなく、機能性もあわせもちます。
道具では使いやすさ、建物では住みやすさと言えば良いでしょうか。
当店看板では照明の付け方などに苦慮して下さいました。
今回のリニューアルでは、この点でのホームページの操作性をどのようにお考えですか。
谷野:
ユーザーインターフェイスの観点から見て、機能とユーザーを繋ぐ突端がデザインであると思っています。
ですから、デザインは機能を解りやすく伝達できているかが重要と考えます。
人種や性別、趣味趣向など関係のない普遍性を実現できるのが理想ですが、お店
の伝えたいことや個性を損なわずに表現するのはとても難い作業です。一部の
人がある特定の共通言語を用い会話している様な、そんな状況にならないよう、
フラットな目線でデザインできたらと考えています。今回はこれまでのことを
ゼロにするのでは無く、生かしつつ、ほんの少しだけ情報整理のお手伝いをさせ
ていただこうと考えています。
高津:
行きつけの店とは、馴染み客にとっては良いのですが、
初めてのお客さんにとっては、意外と敷居の高い時があります。
当店としては、どちらにも良いお店を目指すべきでしょう。
馴染み客を大切にしつつ、初めてのお客さんの目線を常に持ち合わせている店だと思います。
一部のマニアが楽しそうに集まっているだけではなく、
新しい方々も気軽に入れる雰囲気が大切だと思います。
ホームページでも、そのことを意識して来たつもりですが、
その点を、少し離れた立場での谷野さんに今一度チェックいただければ幸いだと考えています。
谷野:
うまくいくと良いのですが・・・。頑張ります。
わたくしのカフェもですね、そんな感じが理想です。
誰もが平等でフラットな関係性。目指したいですね。
高津:
ショッピングのホームページもさまざまですが、
私としては「買物とは何か」から入ってしまいます。
安いものをみつける方向性ではなく、いかに自分に必要なものを手に入れるか。
私の道具を選んでいただけることが理想です。
ホームページ上では、探すこととあわせて、考えてもらうことが重要ではと考えています。
そのあたり当店への期待を含めて教えていただけますか。
谷野:
人は誰しも、強い志向が存在する対象であれば、自らの意思で選択します。
ただ、生活の全てにおいてそれが発揮できることは、まれだと思います。
そうした時に専門店の存在はありがたく、選択の助けになります。
ですからお店は、物知りの友人に声をかけるような気軽さがあると良いなと思います。
そうした意味で、フライパン倶楽部は、一緒に悩めるような間柄、
そして常に「ユーザー代表」であって欲しいなと思っています。
高津:
物知りであるためには、勉強しなければなりません。
物知りであるゆえの専門店としての誇りをもちつつも、友人の相談に親身なって聞いてあげる。
そんな人間性が問われるように思います。
それが本来の意味での友人なのだと思います。「一緒になって悩める」絶妙な表現ですね。
谷野:
かつて、御社に一人のお客として立ち寄らせていただいた際に、
「絶対にこれにしなさい」と言われなかったのが印象的でした。
ユーザーそれぞれの使い方が存在するのだし、それを細かく聞き取っていただいて、
一緒に悩んで下さったのを覚えています。
「プロの人はこれが良いと言うよ、でも家庭で使うならこれだし、でも私はこれ
が好き」といったやりとりだったと思います。
上手だなぁと関心したのは、それだけお世話して下さったのに、
能動的に「自分で決めた」という思いで道具片手に帰宅できた事です。
選択肢は常にユーザーにありながら、あらゆる情報を基に良い答えを一緒に導き
出して下さったこと。
形態が変われど受け継いで行っていただきたいと、差し出がましくも思っております。
高津:
私も谷野さんにデザインをしていただきながら、そのデザインを体現したお店は、
自分でデザインしたかのように振る舞ってしまいます。
いや、谷野さんからすれば、それで良いのかもしれませんが。
自分とは何かと言う議論になりましたが、
やはり、自分とは他者との関係性の中にあってはじめて存在するものであり、
その点では何も自分を誇ることはできないでしょう。
誇ると言うよりも、その他者たちの存在に意識的に気づいて、
感謝していくことが正しい方向性のように思います。
その意味では、心の底からの「ありがとうございます」が響くお店こそ理想のお店です。
この対談も一人では成立しません。谷野さん、ありがとうございました。