豊橋駅の西側にある羽田八幡宮そばにある静かな住宅街。 通りから少し奥まったところに、以前は診療所であった古い家屋が建ちます。 そこの扉を開くと、落ち着いた喫茶店のような空間が広がっていました。 その真ん中には大きなテーブル。その向こうにはカウンター。 定刻になると柱時計の時報が響きます。 玄関そばには暖炉があり、2階まで吹き抜けになっていて、天井からは古風な電燈が垂れています。 窓はステンドグラスで、穏やかな光が差し込みます。 下界をしばし忘れるほどの、ゆったりとした時間が流れていました。
ここ「豊橋・生と死を考える会」の皆さんの交流の場に、木枯らし吹く晩秋の午後にお邪魔いたしました。 「コーヒー、紅茶、それとも日本茶」と尋ねられ、「日本茶をお願いします。」 そのカウンター奥のキッチンでお茶を用意してくれていたのが小栗節子さん。 高校時代の後輩のお母様であり、久し振りにお会いしました。 風の便りで闘病中と伺っていましたが、元気なご様子に驚きました。
この家で心温まる交流の輪が広がっています
キッチンをのぞくと、小栗さんの前でケトルから湯気が出ていました。 そこで、しばしの立ち話。 ご自分が病気の宣告を受けた瞬間に「当たりくじをひきました。」 私は耳を疑い、聞き直しました。「当たりくじですか。」 それも満面の笑顔で「当たりくじです。」 それは心の深いところから出てきている言葉だと感じました。 多くの場合、がんを宣告されたのであれば、「どうして自分が?」と思い悩んでしまうものです。 小栗さんは全く違ったのです。 私なりに、この勇ましくも明るい言葉が出てくる理由を考えました。
小栗さんという人は、日ごろから人のために生きてきた。 その延長線上にある言葉なのだと思い至りました。 以前小栗さんにお会いした時に、お父様がモルヒネを使い、安らかに最後を迎えた話を伺いました。 その時、お世話になった浜松市の聖隷(せいれい)病院の看護師さんたちの態度に感銘を受けます。 そこで、看護師さんに、自分の思いを伝えてみると、名札の裏側を見せてくれた。 そこには、「隣人愛」と記された3文字。 その病院では、すべてのスタッフの名札の裏に、この3文字が刻まれているのだと。 それが小栗さんにも伝染したようです。まさしく、小栗さんの原点が、この隣人愛。 そして、それを体現していた一つが、ここを拠点とする「豊橋・生と死を考える会」の活動だったのでしょう。
この会の由来をお尋ねすると、1994年にさかのぼりました。 島津禎久(よしひさ)さんの英国ホスピス写真展が名古屋で開催されていました。 その写真に感銘を受けた小栗さんの盟友である主婦の田中史佳(ふみか)さんが、 皇族とつながりのある島津さんに近づいて直訴します。 「豊橋でも写真展をお願いします。」 この田中さんの熱意が実り、その写真展はわが故郷でも開催される。 そこから「豊橋ホスピスを考える会」が立ち上がります。
まずは、わが故郷にホスピスを設置する活動が始まったのです。 なお、ホスピスとは、死期の近い人たちのために、身体的苦痛を和らげ、精神的援助をする医療施設。 その結果、わが故郷にもホスピス病棟が設けられました。 そして、さらに活動を広げるために、上智大学名誉教授のアルフォンス・デーケンさんを 名誉顧問にお招きして、今日の「豊橋・生と死を考える会」が2002年に発足します。
その後も田中さんは、島津さん同様に積極的に声を掛けて行きます。 佐藤初女(はつめ)さん、渡辺和子さん、柳田邦男さん、山崎章郎(ふみお)さん、谷川俊太郎さん、 鎌田實(みのる)さん、柏木哲夫さん、曽野綾子さんなどなどの著名な方々をお招きして、 年に1回のペースで講演会を開催して参りました。 そこには、田中さんの行動力が光ります。
会の2年目から加わった小栗さんは、活動を通じて人の生と死を深く考えて来られたのだと思います。 その時、いつも小栗さんの心に響いていたのが、隣人愛という「人のために生きる」ことであったのでしょう。 やがて、あの名札のごとく、ご自身に隣人愛が身についてしまったようです。 そんな小栗さんが、ある日突然、急性リンパ性白血病の宣告を受ける。 「当たりくじ」とは、「今度は、がんで苦悩する人たちの隣人となれる。」 そんなお気持ちがあったのでしょう。
小栗さんは、その宣告をご自分でも驚くほど冷静に受け止めることができた。 そして、抗がん剤治療にも果敢に挑まれる。 現在では、94%あった白血病細胞が0.1%以下になり、抗がん剤の副作用を抱えながらも意欲的に生活されています。 ここに至り、市民レベルで、がんを語り合いたいとの思いが強くなり、 がんになった当事者と関係者の人たちが体験と思いを語り合う 「がんを語り合う会」を開催します。
小栗さんにとっての市民とは、自分で考え自分で行動し、自分のとった行動に責任を持つことでした。 そんな話に及ぶと、「若い人たちにもっと頑張っていただきたいね。」 病人とは思えないほど熱く語りはじめてくれました。 ついつい私の口から、「小栗さん、ボルテージが上がっていますね。」 すると、笑いながら「私は何回も輸血したから、武闘派の血も流れているのよ。」 そんなユーモアは、デーケンさん譲りでしょうか。
他人と隣人とでは語感が違います。 他人という言葉は、どことなく冷たく、自分とは関係がないという無関心が含まれているようです。 かたや、隣人という言葉は、隣にいるという物理的なつながりだけではなく、 「あなたのそばにいつでもいます」という温かさを感じます。 お二人の活動は、周りにいる人を他人ではなく、隣人とすることだと思えて参りました。 そして、その隣人愛は、伝染する。そこに、明日の明るいわが街があります。
平成25年師走