朝のマイカー通勤時に、反対車線の向こう側で、黙々と草を刈っている作業着姿の西川さんが目に入りました。 近くにはバス停があり、子供たちの通学路でもあります。 その道を安全に通行できるのは、街の人たちの労苦が伴っている。 そんなことを想起させる後姿に心温められて、そのまま車を走らせました。
散策路に侵入したササを刈り払う西川さん
豊橋市の東部に位置する岩屋緑地は、わが故郷の里山と呼ぶに相応しい地であり、 市街地からほど近く、身近に自然と触れあえるスポットでもあります。 二つの小高い山をいただき、山頂に観音像がある岩屋山、その隣の大倉山の頂上には 展望台があり豊橋の街を一望することができます。 標高は100メートルですから、小さな子供でも楽しく頂上まで歩いて登れます。 途中にあるフィールドアスレチックの遊具などで楽しむこともできます。
また、南の麓にはプラネタリュームのある豊橋市視聴覚教育センターがあり、 少し足をのばせば、豊橋動植物公園や二川宿本陣資料館にも至ります。 この界隈は、教育環境にも恵まれています。 ただ、里山を管理維持することは行政だけでは難しく、 紆余曲折がありつつも、最終的には市民が立ち上がった経緯がありました。 その集まりが、「岩屋緑地に親しむ会」です。
現会長の西川収示さんは、平成13年の発会時から関わっておられます。 もともとは、豊橋市の「里山管理ボランティア養成講座」が出発点。 この講座を通じて、地元住民が主体となって取り組む活動が始まり、会則が規定されるに至りました。 「この会は、岩屋緑地を中心として、多様性のある森づくり・環境づくりなどの フィールドワークを行うとともに、これらの活動を通して 人間と自然の新たな共生関係を模索するとともに、環境教育の場を提供することを目的とする。」 地元を愛する熱い思いが、このような形で結実したとも言えるのでしょう。
その西川さんを中心に、今年の夏「灯籠で飾ろう二川宿」が開催されました。 岩屋緑地は、豊橋方面から二川に入る玄関に位置しています。 その二川は東海道の宿場町で、古い街並みが残ります。 地元の園児・小中学生たちの製作した灯籠などが、JR二川駅から旧東海道の通りに並ぶと幽玄な光が漂います。 日没の頃から午後9時までは、歩行者天国となり子供たちが友達や家族とともに練り歩きます。
通りにある氷屋さんには、赤い提灯がぶら下がり、長蛇の行列ができていました。 同じく通りにある二川宿本陣資料館の駐車場では、太鼓の音とともに盆踊りが行われています。 深編み笠をかぶり尺八を吹いている人も、この通りにはお似合いです。 西川さんは、街の子供たちのことを心に掛けて、「子供たちが自分たちの街に出てきて欲しい」 そんな願いが実現した日となりました。 このような催事を通じて、街への愛着や誇りは生まれるのでしょう。
また、この催事は、行政主体ではなく市民主体で行われたところにも価値があります。 私もお手伝いさせていただきましたが、 「自分たちの街は、自分たちで作る」という気概を感じることができました。 それは、子供たちへの最高のお手本です。 西川さんと初めてお会いした時に、「お宅の店の前にある池は、僕が作ったんだよ。」 当店のある広小路通りでは、電線を地中化する時に歩道を広くしました。 その時に、水の流れるモニュメントを作ったのですが、建設会社を経営する西川さんが施工担当だったのです。
西川さんは、優しい笑みをたたえている好好爺なのですが、 ここ一番の大切な時には、仕事人の顔つきになるのが印象的です。 「誠意をもって事に当たれば、何事も道は開かれる。」 若いころは、中堅建設会社で全国の現場を巡り歩いて来たゆえに、仕事の進め方を心得ておられます。 それらが生かされて、今日は住民が主体となる街作りに取り組まれています。 最近は人作りに重心が移られて、「私は、若い人と年寄りの橋渡し役だよ。」 それを聞きながら、ふと考えれば、私も橋渡しをしてもらっている一人だと気が付きました。
平成25年長月