実店舗のある広小路通りのお隣に位置する花園通りの入口に、 ロシア料理店「バイカル」さんがあります。 1979年(昭和54年)の開店ですので、かれこれ34年を迎えています。 わが故郷のような地方都市で、西洋料理のお店を経営し続けるのは難しいことだと思います。 しかも、メジャーなフランスやイタリアではなく、ロシア料理です。 まだ商店街に活気が残っていた時代から今日まで商い続けているのは、 マスターの内藤享(とおる)さんの人柄と料理に対する真摯な姿勢が地元の人たちに 支持されて来たゆえだと思います。
その看板メニューであるロールキャベツには、それが表れています。 ロールキャベツの中の具は、牛肉、玉ねぎ、お米と伺いましたが、 この玉ねぎは下処理で、フライパンを使って1時間30分炒めます。 そして、茹でたキャベツに具をはさみ、ソースに浸してオーブンで6時間。 その後、味を染み込ませるため24時間寝かせる。改めて鍋で温めて出来上がり。 職人気質のマスターは、34年間変わることなく、このロールキャベツを創り続けているのです。
ロールキャベツが出来るまでを想像します
今回は、わが故郷とロシアのつながりについてご紹介します。 わが故郷には、ロシアに本部があるハリストス正教会があります。 その聖堂は、国の重要文化財に指定されていて、わが故郷の顔の一つとも言えるでしょう。 市内電車の市役所前駅からほど近く、その一帯は静かな佇まいを醸し出しています。
その教会は、1879年(明治12年)に最初の会堂が建てられていますので、 1904年(明治37年)の日露戦争を経ています。 そこには、いろいろな悲喜劇が生まれたと想像しますが、 軍都でもあったわが故郷には、ロシア人捕虜の収容所もありました。 関屋(せきや)町の悟真寺(ごしんじ)と今日の高師(たかし)緑地公園あたりの2箇所です。
そして、ロシア人捕虜たちは、この教会に来て礼拝することが許されたようで、 その中の一人が描いたイコン(宗教画)が今日まで残されています。 どのようなやりとりが当時あったのか分かりませんが、 教会の人たちは、きっと捕虜たちを温かく迎えたのでしょう。 そして、故郷のガルブツィと呼ばれるロールキャベツでもてなしたのかもしれません。 そのプレゼントされたイコンからは、戦争の憎悪から癒された心を感じとることもできます。 そんな歴史のあったわが故郷だからこそ、やがてキャベツの産地となり、 ロシア料理店が生まれたとも言えるでしょうか。
先日「レ・ミゼラブル」の映画を観ましたが、放浪していたジャン・バルジャンが教会で ご馳走をいただきました。その場面の雰囲気と、内藤さんのお店が重なります。 そして、その料理は、ジャン・バルジャン改心への導火線だったように思います。 内藤さんのロールキャベツのようなご馳走をいただけば、自然と憎しみは溶けてしまい、 人を赦せる心が生まれるのでしょう。 雄弁な説教よりも、お料理には人を変える力があるのだと思います。 そんなことを感じさせる、わが故郷のロールキャベツです。
平成25年弥生