今年で開館100周年を迎えた豊橋市図書館。 今月をなぜ文月と呼ぶのか。 個人的には、夏休みになると、現在の中央図書館で自習をしていたことが懐かしい思い出です。 よくクーラーが効いていて快適に勉強ができるのです。 そこの2階には、司(つかさ)文庫というコーナーがあります。 主に洋書が置かれていて、特徴的なのは、80カ国以上の海外の教科書が閲覧できます。 海外の多彩な絵本や図鑑も楽しめます。
この文庫は、司忠(つかさただし)さんの寄付から始まります。 司さんは、わが故郷出身で、 洋書販売を手掛ける丸善の社長でした。 戦後の混乱期であった昭和22年から25年間も社長の職にあり、 戦後復興とともに歩んできた仕事一筋の企業経営者。
司さんは社長職を受ける時に、「万事独裁でやるがよろしいか。」と注文したそうです。 それに対して「よろしい。」という言葉をもらって引き受けた。 司さんは、以下のように述懐しています。 「すべてを失った丸善を再興するには、いちいち計画を会議にかけていたのでは、 議論百出して収拾がつかないと思ったし、また一番若くて末席の重役だった私としては、 先輩重役のなかでいろいろ仕事がやりにくいこともあろうと考え、 引き受ける以上は思いきったことができるようにと、生意気な念を押したわけである。」
独裁であるとは、すなわち責任は自分ですべて負うという覚悟であったと思います。 そこに、わが故郷の気風が垣間見えるようです。
この丸善は、わが国初の株式会社でした。 この会社の設立には、福沢諭吉も関わります。 福沢門下生の早矢仕有的(はやし ゆうてき)が創業者です。 そして、福沢諭吉が書いたとも言われる会社設立趣意書であった「丸屋商社之記」には、 実業への大きな志を読みとることができます。 現代語訳で以下の様なくだりがあります。
「しかし今この貿易・商売の権益を外国人に独占され、黙ってこれを傍観するのは 日本人である私の義務に背くと言わざるを得ない。 一度、貿易の権益を失い、それが外国人ににぎられると、外国人に依頼して元金を借り、 外国人の会社で働かされて、あるいは、わが国の会社に外国人を招聘してこれを尊重し仰ぎみて、 その指示の下に奔走するといった情勢に陥ることになる。 もしもそんな事態になったら、国家の災害としてこれ以上のものはない。」
その独立の気概のもとで、商品の販売だけではなく、外国為替銀行として 政府と民間の出資で発足した横浜正金(しょうきん)銀行の設立に参画します。 その初代頭取は、わが故郷出身の中村道太。 また、社員の福利厚生から生命保険会社を設立して、これが後の明治生命となります。 その設立に関わったのが、これまた、わが故郷出身の阿部泰蔵(たいぞう)。
丸善という会社は、単に洋書を販売する会社ではなく、日本の実業界を形作ってきた先駆的な会社だったのです。 そして、戦後にバトンを引き継いだのが司さんでした。 司さんは丸善の復興を果たして勇退しますが、自分の財産を故郷に捧げて司文庫が誕生するのです。 司さんは、ご自身の経験から「企業あっての社会ではなく、社会あっての企業」と言われていました。 その司さんの汗と涙の結晶である書籍からは、独特の薫りが漂います。 それは、中村道太や阿部泰蔵から継承していた独立の気風も含んでいるのでしょう。 私をはじめ、わが故郷の人たちは、この書の薫りの中で学に勤しむのです。
平成24年文月