降誕祭を迎える此の季節、日の入りは早く、夜は長くなります。 しかし、街は暗くなるのではなく、かえって明るくなります。 当社のある駅前商店街周辺では、青い光のイルミネーションが輝きを放っています。 北風が吹きつける中で、学生たちが、大きな鍋を前にして「歳末助け合い運動にご協力下さい。」と 街ゆく人に声をかけています。
同じく、近くの「ラグーナ蒲郡」というレジャー施設でも、観覧車を中心に闇夜を明るく照らしています。 ここには、子どもたちが楽しめるテーマパークあり、ショッピングモールあり、 全寮制の「海洋学園」なる中高一貫の学校もあるのです。 この学園は、イギリスのパブリックスクールである名門イートン校をモデルとし、 JR東海やトヨタ自動車などの民間資本をバックに運営されています。 まだ、卒業生がいない新設校でもありますが、将来日本のリーダーとなる人材が現在進行形で育成されています。
これらが三河湾の海沿いに広がり、その小高いところをJR東海道本線や新幹線が走ります。 海に夕日が沈んだら、ラグーナのイルミネーションを車窓から楽しむこともできます。
今から約百年ほど前に、豊橋を訪れた十九才の少年が病に倒れます。 危篤状態に陥り、周囲の人たちは、葬儀の準備までしたそうです。 ところが、奇跡的に病状が回復。 そこで、蒲郡の海岸近くにあった漁師の家を借りて、しばらく療養をします。 そこは、畳みもない狭い家だったそうです。
当時、結核という病気には、感染を恐れて人は近づきません。 蓆(むしろ)の上で、ひとり横たわります。 蒲郡は温かな土地柄とは言え、冬にもなれば、寒さが身に沁みるでしょう。 しかも、妾(めかけ)の子という事情もあり、家族の助けもありません。 先行きの見えない彼の心には、寒風が吹きすさび、生きる力を失いかけていたことでしょう。
そんな時に、「コンニチワ!」と優しく微笑む宣教師が訪れます。 なんと、結核をもつ彼に添い寝して、2日間体を温めてあげた。 彼は、その温かさに、心打たれます。 そして、大正年間にベストセラーとなる自伝的小説「死線を越えて」を書き始めるのです。
まさしく死線を越えた彼は、その後わが身を忘れて、神戸の貧民街に入って活動を始めます。 やがて今日の生活協同組合(生協)を創設するなど、戦中・戦後の時代に大いに活躍します。 時を越えて今年、「賀川豊彦(かがわとよひこ) 蒲郡療養地記念碑」が立ちました。 あの寒い夜、彼を抱き締めた宣教師の愛こそ、闇夜を照らす光だったのです。
平成22年師走