
さくらの開花とともに、晴れて入学を迎える季節となりました。 さくらが祝福するように、周りの人たちも激励を送ります。 そんな祝福と激励を胸に、新しいスタートを切れる日本人は幸いです。 当社のある広小路商店街にも、当社筋向いにある三井住友銀行さんの前に 五本のさくらの木があります。広小路のさくら。
商店街にさくらがあるのは、珍しいことだと聞きました。 虫がつきやすく管理に手間がかかるためでしょうか。 しかし、地元商店主たちの強い希望で、この銀行前の植樹が実現したそうです。 その「住友さん」とさくらは良く似合います。 千円札や百円玉をイメージするからでしょうか。
住友さんとは、昔から長いおつきあいをさせていただいています。 個人的にも、私が大学に入学する時でした。 支店長さんが足を運んで下さり、入学祝いに箱入りのボールペンを届けてくれました。 突然のことで驚きましたが、そのような思い出は忘れないものです。
この地域は、銀行とは縁が深いのです。そのゆえか、三河人はよく貯蓄をします。 その由来は、豊橋出身の中村道太さん。 慶応義塾で「帳合(ちょうあい)之法」という複式簿記をいち早く習得します。 その後、日本初の株式会社であった丸屋商社(現在の丸善株式会社)に入り、 そこで簿記を使った会計を実践する。
やがて、中村さんは、日本初の外国為替専用銀行である横浜正金(しょうきん)銀行(後の東京銀行)の 初代頭取に抜擢されます。 開港後の横浜で日増しに盛んになる貿易を堅実に円滑にする試みでもありました。 また、外国商社や外国金融機関に対抗して、国内産業や国内商社の権益を守る 重要な役回りを果たしたとも言えるでしょう。
まさに、日本金融界の先駆者であり、広くは日本経済の大恩人です。 しかし、時の政変に巻き込まれて、中村さんの商才は花開かず、道半ばにして表舞台から去ります。 かたや、悲運の実業家とも呼べるでしょうか。
この季節、桜が舞う豊橋公園には、中村さんの石碑肖像がひっそりとたたずんでいます。 刻まれた文字は、才を惜しむ人たちの「嗚呼(ああ)」。 しかし、ご本人の顔はそんな悲運何処吹く風よ。 「君たちが、私の蒔いた種を咲かせなさい」優しく見守っているようです。
平成22年卯月





































































