豊橋市民にとって大切なものは豊橋駅です。
豊橋駅は民衆駅の第一号として、1950年(昭和25年)四月に開業しました。
民衆駅とは、日本国有鉄道(現在のJR)の駅舎の建設を地元と共同で行い商業施設を設けた駅ビル形態の施設。
この方式が日本全国に広まりますが、その始まりが豊橋駅でした。
この民衆駅の歴史に、豊橋市民と豊橋駅の結びつきの強さを感じることができます。
私どもの店舗は、この豊橋駅にある商業施設・豊橋ステーションビル(現在のカルミア)に支店がありました。
それは、55歳の私がまだ小学生の時でしたから、40年以上前のことになります。
当時は母親が店長となり、スリッパやタオル、マットなどの家庭用品を販売していました。
私の母親の帰りを待ちかねて、豊橋ステーションビルまで母親を迎えに行っていた記憶が懐かしいです。
やがて、私が地元の高校を卒業して、東京の大学に新幹線で旅立った日は、1987年(昭和62年)四月でした。
ちょうど日本国有鉄道がJRとして出発する日と重なりました。
また、当時のJR東海のテレビCM「ファイト!エクスプレス」が印象的で、佐野元春のSOMEDAYをバックに、
旅立つ若者に、いろいろな人たちが声を掛ける。まさにその若者が自分と重なりました。
そして、クリスマスの時期には、「シンデレラエクスプレス」として、山下達郎のクリスマス・イブをバックに、
男女二人が新幹線の駅で待ち合わせて、すれ違いがあったり、ようやく出会えたりといった泣き笑いを描いていました。
素直な乙女心を真っ直ぐに演じていた深津絵里が印象的でした。
旅立ち、そして別れと出会いを象徴するのが駅であり、新幹線でした。
さらに、今回のCM「いこう。待ってる人がいる。」では、
わが街・豊橋が最後のシーンで立ち現れます。
JR東海によると「『新幹線が“まち”と“まち”をつないでいる』と伝わる映像をと考え、
東京から新大阪まで撮影した中から担当者がラストシーンにふさわしいと選んだ」とありました。
この四月、素敵な道具たちとともに、わが街・豊橋でご来店をお待ちしています。