街づくりの盟友であった市議会議員の二村真一君が先月逝去されました。 彼は一議員として「次代の架け橋を創る」を掲げていました。 そこには、子供たちへの深い愛情を感じましたが、改めて「子供たちのために」を心に刻んでいます。 また、彼はがんを患いながらも、市議会議員としての責務を果たすために、最後まで議場に立とうとしていました。 そこまで彼が頑張り通した議会とは何であるのか。 それは彼から頂いた宿題でもあり、自分なりに整理したいと思っていました。
そんな時、鎌倉市に本社のあるカヤックさんとビジネス上でやりとりがありました。 以前、そこの社長の柳澤大輔さんの著書「鎌倉資本主義」を街づくりの仲間たちで学んだことがありました。 その柳澤さんたちが取組む「カマコン」という街を良くする活動にも大変興味を覚えました。 参加者が街の課題を自分事として、みなでアイデアや意見を出し合い、互いに支援していく集まり。 カヤックの社員さんから、このカマコンに参加できると伺い、鎌倉に出掛けて参りました。
私が街づくりでベースにしていることは、五箇条のご誓文の第一条です。 「広く会議を興し、万機公論に決すべし」 今日の日本の社会で、この会議する、議論して物事を決めていくことが問われていると感じます。 それは、議会だけではなく、市民の集まりにおいても。これを次代につなげていきたい。 旅に出掛ける日の午前中に、同じく鎌倉市で活躍するリキタスさんが主催する集まり 「第2回 デジタル市民参画プラットフォーム・シンポジウム2023」にリモートで参加しました。
そこで、リキタスの栗本拓幸さんは「一人一人の影響力が発揮できる社会」を目指していました。 「一人一人が何か声を上げ、意見を表明をした上で、対話・熟議をして全体の合意形成・意思決定を図っていく。 言い方を変えれば、集合知を生み出し、それを合意形成・意思決定に生かそうという営みが民主主義。」 そのもとで、デジタル化に取り組む栗本さんは、デジタル化とは「あるべき論」が問い直されること。 本来のあるべき姿に戻るためにデジタルを使うのだと。
その集まりでは、鎌倉市長の松尾崇さんも登壇されていて、リキタスさんと提携して、市民参加型デジタルプラットフォームを構築していることを紹介。 その時に、市民力をキーワードに、鎌倉の市民活動の歴史を紐解いていました。 1915年に設立された社会貢献団体の鎌倉同人会を市民活動1.0として、1960年の鎌倉カーニバル等を2.0、 1995年のNPOセンターを3.0、2015年のカマコンを4.0、そして、リキタスさんとの取り組みを5.0としていました。
鎌倉市長が提示した鎌倉の市民活動の歴史
歴史を俯瞰することで、次代に継承されていることが分かります。 活動の一つ一つは、ある日突然起こったものではなく、先人たちの足跡にならって、またそれらに影響されて生まれて進められて来たもの。 そこには、先人たちへの敬意も感じられました。 また、大きく時代が変革している今日は、栗本さんが言われている「あるべき論」に返る、原点に返る時でもあると個人的に思いました。 何のための活動であるのか、深く考える時期でもあります。
加えて、その集まりでは、「こども意見反映でのデジタルプラットフォームの可能性」と題して NPO法人わかもののまちの土肥潤也さんが登壇。 こんな取り組みをされている方がいるのかと驚きでもあり、嬉しく思いました。 確かに、こどもたちの意見を反映させる上でのデジタルツールの可能性は大きいものと感じます。 ここでも、デジタルありきではなく、いかに子供たちの意見を反映させるかという問題意識から始まり、その手段としてのデジタル化が見えてきます。
この集まりを通じて、行政と市民の関係性を深めていくことに課題を感じました。 ある意味では、行政が頑張り過ぎてしまい、市民がそれに依存してしまっている。 行政を「お上」と呼ぶところからも、歴史的にも日本では、行政任せにしているところが強い。 価値観が多様化している今日、それでは停滞を招いてしまう。 そこで、本来の役割に立ち返ることで、今日的な問題の解決をはかることができる。 その追求とともに、行政と市民との信頼関係の醸成を求めたい。
それは、基本的には行政と市民は対等の関係性にあること。上下関係はないこと。 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と福沢諭吉が語っていたものの、日本の社会では、身分制社会の名残が今日もある。 さらに、そこにお互いの信頼がなければ機能しません。 信頼あるいは、お互いを人として尊敬していくこと。その前提があってこそ、平等や公平は実効性のあるものとなる。 その信頼が希薄ではないか。それは、時間をかけて地道に作り上げていくものでしょう。
そして、市民が主権者であれば、行政は、市民を見守ることが理想です。 行政とは、市民が自分たちの力で解決することを後押しするのが役割。 それは、子育てにも似ていると感じます。親がその子を見守ることが大切であり、市民が自分の力で自分らしく生きていくことが理想。 市民を温かく見守り、市民を育てていくこと。 それは、共に育つことであり、互いに成長成熟していくこと。 すなわち、互いに自身の尊厳および人への愛情を深めていくことだと思います。
その集まりが終わった後で、いざ鎌倉に!と新幹線で出掛けました。 夕暮れ鎌倉駅に到着すると、カヤックさんの本社ビルがお出迎え。 少し時間があり、会場近くのカレーショップに。すると、大盛ごはんのカレーが出てきてびっくり。 これが普通盛りとのことで、店員さんに伺うと、「学生たちにお腹いっぱい食べてもらうため」近くに学生寮があったとのこと。 以前、息子がお世話になる高校の父母の会主催の一泊研修旅行でここ鎌倉を訪れたことを思い出しました。
夕闇迫るJR鎌倉駅で、カヤックの本社ビル(写真中央)を撮影。
出発時に、あるお母さんが「子供をお腹に宿してから今日までノンストップで子育てが続いています。 この旅行では、楽しいひとときを持ちましょう。」その言葉に反応してか、 若宮大路を歩いていると、ワンピースを着た妊婦さんに出会いました。 そこは鎌倉駅前にある寺院で「安産」という看板があり、その妊婦さんのまだ見ぬ子への愛情を強く感じました。 そして、この若宮大路とは、源頼朝が妻の北条政子の安産を願って作った通りだったと後日知りました。
そして、いよいよカマコンへ。会場は鶴ケ崎会館という結婚式場でした。 そこには、何人かの制服姿の高校生たちが参加していたのが印象的でした。 今回私は、初めての参加でしたが、基本的にどんな人も参加できます。 定例会という月1回の集まりでしたが、最初の30分間は大型スクリーンを通じて 司会者の楽しげな進行でカマコンの紹介してくれます。 参加者みんなで「この街を愛する人を全力支援」そして「ぜんぶ、じぶんごと」と掛け声をあげました。
そして、その日は3名のプレゼンターがいて、街をよくする活動を順番にスピーチ。 集まった100名近くの参加者は、それを聞いて、そのプレゼンターに向けたアイデアを提供します。 この時、5〜10人程度の集まりとなり、その場でアイデアを次々に出して担当者が書き留めて行きます。 とにかく、沢山出すことが求められる。私の隣の方は、手をグルグルと回していました。 そうすると、アイデアが出てくるのだと。これが、カマコン名物のブレーンストーミング(ブレスト)でした。
今回私が選んだプレゼンターは、大阪万博で歌舞伎と落語を外国人たちに向けて紹介する方。 すでに、忍者のキャラクターを使ったり、落語も英語で行うなどの工夫が施されていました。 さらに人を集めるアイデアを求めていました。加えて、この場を児童養護施設の子供たちにも観覧してもらいたいと言われてました。 ここにも子供のことを想う心を垣間見ました。私も施設の子供たちを出演させたら。 演目にアルプの少女ハイジなど身寄りのない子供たちの物語を取り入れたら。・・・
ブレストの心得を丁寧に指導してくれました。
そして、グループごとの発表があり、その出たアイデアの数と、その発表者がこれと思ったものを一つだけ その場で発表します。加えて、この会のリーダー的存在である柳澤大輔さんが突如登場されて、面白可笑しく総括をされました。 最後に、出て来たアイデアを記載したものをプレゼンターに進呈します。 帰りがけに、その活動を今後サポートしていきたい方は、名刺を提出します。これがモットーの全力支援の一端。 それから場所を変えて、鎌倉駅北口のパスタ店で懇親会。
交流を通じて印象的だった方は、お医者さんで、若年認知症を患った方の訪問介護をされていました。 また、ホームレスの方のサポートもされているとのこと。国の制度でも支援が届きにくい皆さんに対して 主体的に自分ができることを求めていました。 同じ年の方とは二人遭遇。エール交換をいたしました。一人は、技術士の資格を生かして、これから独立すると。 もう一人は、鎌倉を起点として、禅思想をベースとした国際的な活動をされていました。
さて、翌日の早朝。由比ガ浜まで散歩して鎌倉駅前で一服。 朝の通勤通学時間と重なり、観光客とは違った賑わいを見せていました。 スターバックスコーヒーの2階席から、清泉学園のバスが何度も往復して 制服姿の小学生を運んでいる光景が目に留まりました。 その小学生たちの姿は、愛情を呼び起こしてくれる尊さを感じました。 先生や見守る高齢者の皆さんが挨拶をしてバスに乗り込んで行きます。 そんな大人たちの見守る姿も美しく「子供たちのために」を感じました。
その清泉学園は私立学校で、キリスト教精神に基づいて右を掲げていました。 「性・国籍・民族・能力・健康などの区別なく、一人ひとりがかけがえのない存在であり、 好きか、気が合うかではなく、その人を存在そのものとして大事にする心。 感謝する心。祈る心。ゆるす心。自分の弱さを知る心。どんな時にもあきらめることなく希望を持ち、喜びと感謝に満ちた日々を過ごせる心。 目に見える利益や結果より、目に見えない精神的価値を大切にする心を育てます。」
「その人を存在そのものとして大事にする」とありましたが、日本国憲法で主権者とされている市民は、主権を考える時です。 英語では、sovereignty。それは崇高性であり人間には全く及ばないと評論家の西部邁さんが語っていました。 そこには人間を越えた創造主が意図されている。 すなわち、キリスト教を背景に持つ近代人権思想では、創造主が人間に権利を授けたと信じる前提があります。 その創造主の眼差しに尊厳を思います。「私の目には、あなたは高価で尊い。」
その後、雨が降る中で予定が定まらず、鎌倉中央図書館に立ち寄りました。そこの郷土文庫を眺めていたら 「地域に根ざす民衆文化の創造 常民大学の総合的研究」(藤原書店)に目が留まりました。 聞きなれない常民という言葉。常民を歴史主体であると同時に批判概念であると規定。 常民大学とは、生活者が権力や公に対して批判精神を持ち続けながら主体性を確立するための運動体であったと。 そんな市民に成熟したいと思いましたが、そこに鎌倉の精神、息吹を感じました。
そして、傘をさして、カヤックさんの本社そばにある「まちの社員食堂」に立ち寄りました。 ここは鎌倉市内の飲食店50店に依頼して週替わりのメニューで飽きがありません。 カヤックさんの社員だけではなく、登録して会員会社になれば安価でランチが頂けます。 このようにカヤックさんは、ここでも街づくりにもコミットして、鎌倉駅北口にある御成通りの顔になっていました。 自分の商売と街づくりをクロスさせたいと願っている私にとって良いお手本でした。
帰りの新幹線で、車窓に映る富士山を車内から撮影。
今回の旅は、私にとって主体的なものでありました。関係者の皆さんにはご理解を感謝します。 そして、主体的に求めていくと、運命的な出会いが待っています。 さらに、それを単なる偶然とせずに、一期一会として受けて止めて、明日につなげていく。 また、冒頭の盟友の死を通じて、その意思を継承していきたい。 帰りの新幹線で、富士山が雲間から顔を出していました。 そんな富士山は、自分たちを見守ってくれている。一人ではないよ。富士山から全力支援を感じました。