(本日安倍元首相の国葬儀が執り行われましたが、地元新聞に掲載頂いた店長の追悼文です。 自分たちの街は、自分たちでつくる。その生き様はDJスタイルにも通じますが、わが街との交流をご紹介させて頂きます。)
安倍晋三元首相が銃弾に倒れた。謹んで哀悼の意を表するとともに、安倍氏との豊かな想い出が駆け巡る。安倍氏が体調不良により首相を退き、返り咲きに挑んだ自民党総裁選挙の街頭演説会が豊橋駅前で行われた。車上でマイクを握った安倍氏に対して、朝の比較的早い時間にも関わらず沿道埋めつくすばかりに集まった豊橋市民は、温かな声援を送った。「安倍さん、頑張れ」安倍氏は総裁に返り咲き、ほどなく首相にも返り咲いた。
安倍氏は、その豊橋市民の熱き声援を忘れていなかった。それは、広小路3丁目にある白山比盗_社内にあった貨幣鋳造所である新銭座の扁額揮毫を市民たちが依頼した時であった。地元選出の根本幸典議員の仲介で安倍氏にお願いしたところ、秘書を通じて、本人が豊橋市民に感謝していたことが分かった。あの豊橋駅前での演説会で安倍氏は息を吹き返したのだと。豊橋市民は、誰かの応援となると人一倍熱くなるところがあるようだ。
そのため、小さな町の小さなお願いに、当時現職の首相が快諾して、豊橋筆を握って「新銭座」の三文字を大書した。しかも、その地元の関係者を首相官邸まで呼び寄せて直接贈呈を行う。異例の待遇を顧みると、安倍氏の豊橋市民への恩義はもちろんのこと、「自分たちの街は、自分たちで作る」そんな市民を応援したい気持ちが強くあったのだろう。地方創生とは、上から与えられるものでなく、市民の手で行われることを熟知していた。
白山比盗_社内「新銭座」扁額
安倍氏の政治信条は、自分たちの国は自分たちで守ることであった。祖父の岸信介氏が目指していた自主憲法制定の継承でもあり、米国との対等な関係、独立国家としての矜持を追求していた。それは、福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」という思想ともつながる。まずは、一人の身から、そして、それは地方の街から、それが国家の独立につながっていく。そんな気構えを、豊橋市民から感じとり、よしと筆をとられたと想像した。
安倍氏が安倍氏らしいのは、市民の前ではつらつと街頭演説をしている姿ではなかろうか。祖父の岸信介氏も暴漢に襲われて痛手を受けたが、安倍氏も政治家として常に覚悟を定めていたのだろう。恐れることなく、ひるむことなく語る。今回、街頭演説中に生を全うしたことは、強い憤りとともに大きな衝撃を受けた。その最後は、私たち市民への安倍氏からのエールのようにも響く。恐れるな、ひるむな、力の限り走れ、走れ!(2022年7月12日東愛知新聞掲載)