一人の善良な隣人を何とか救いたい。 この時期、イスラム国に拘束された同胞の安否が気遣われます。 市民を巻き込むテロ事件、母国を追われる人々、路頭に迷う子供たち、・・・・ 世界で起こる悲劇に対して、私たち個人はあまりに無力です。 時に、その最前線で活躍する人たちには、あこがれを感じます。 私にも、何かできることがあるのでは。 台所にいると、ついついそんなことを思ってしまうのかもしれません。 しかし、今ひとたび冷静になって考えてみると、我に返ることができます。 行きつくところは、まず台所なのです。
「世界平和のために私達は何をしたらいいですか?」 その質問に対してマザーテレサが答えました。 「家に帰って家族を大切にしてあげて下さい。」 この言葉に道標があります。 まず、私たちは海の向こうのことではなく、身近なことにこそ目を留めるべきでしょう。 家族を大切にするとは、具体的には、今日の食事を整えることでもあります。 お料理を作って、家族とともに食べる。 そこに、人が育ちます。健康な体はもちろん、愛や勇気という心も養われます。 人が育ってこそ、平和に貢献できます。
そして、育つとは、言葉を換えれば自立することです。 他人に依存せず、自分の力で立つことができます。 それは自己満足ではありません。 自立してこそ、今度は他人を助けることができます。 自立とは、人を愛するために立つのでしょう。 国家レベルでも同様に、独立ができて、はじめて他国を援助することができます。 そこで、福沢諭吉は語ります。「一身独立して一国独立す」 一国の独立とは、国民一人一人の独立があって成立します。 その個人の独立、自立は、やはり正しく食べることに始まります。
その時、美智子皇后は、お手本だと思います。 御結婚をされて、皇后はご自分の台所を持ちました。 そして、ご自分で作った料理で子供たちを育てたと言われています。 さらに、皇后の生き様は、祈りという言葉で表現できます。 「陛下のおそばにあって、全てを善かれと祈り続けるものでありたい。」 皇后はどこで祈っていたのか。その聖所こそ、台所だったと想像するのです。 お料理を作りながら祈ります。後片付けをしながら祈ります。 陛下のために。子供たちのために。国民のために。そして、世界平和のために。
お料理の香りとともに、その祈りは天にまで昇るのかもしれません。 そこから世界が変わります。 そんな気概をもって台所を守っていたのが、かつての大和撫子だったのでしょう。 世界平和のために今できること。 それは、台所で今日の食事を整えることではないでしょうか。 お料理を作るとは、明日の世界平和を作ることとも言えます。 その偉大さを知れば、果てしなく続く務めにも、喜びをもって挑むことができるでしょう。 そして、暗雲漂う世界を前にしても恐れません。ひるむことはありません。 さあ、時間です。今日も台所に、いざ行かん。