有名ホテルや百貨店での食品虚偽表示が明るみになった一年でした。
関係する業界では、独自の表示基準を設けるなどの対策に追われているようです。
また、景品表示法の改正を視野に、国も動いています。
そこで、消費者は、それらを監視していれば良いのでしょうか。
この問題は、偽装表示をした会社や業界および法令の問題だけではなく、もっと根の深い問題のように思います。
それは、消費者の食のあり方に対する警告のように思われるからです。
本来、口に入れるものは、命に関わることであり、何を食べるかは大変重要なことです。
ところが、相手を信頼するのは良いのですが、言い方を変えれば、他人任せになってしまっている。
すなわち、他人に作ってもらうようになった。
そこで、信頼できる他人とは誰なのか。
それは、損得を抜きにして、それを食べる人に対する愛情をもつ存在に至るでしょう。
ビジネスを否定する訳ではありませんが、ビジネスには損得がからみます。
その点で家庭とは、偉大なり。損得を超越した神聖なところなのです。
以前は、「お台所を守る」という表現があったと思います。
それは、その家族が口に入れるもの、食べるものに責任をもっていたのです。
「男子厨房に入らず」という言葉は、裏を返せば、厨房には入らせない存在がいたのでしょう。
それくらいの心意気をもって、昔の人たちは、台所に立っていた。
いつしか、お台所は、守られるものではなく、オープンキッチンなる言葉もあり、
誰でも気軽に調理できるような雰囲気となっています。しかし、責任の所在が不明です。
食品スーパーは、もはや出来合いの総菜、デリカなるものが主力商品となっている様相です。
いつしか食材を売るところではなく、食材を加工するところに変貌しています。
それは、それを利用する消費者の必要がある結果なのでしょう。
今回の問題は、単に有名ホテルや百貨店だけに非があるのではなく、
食べるものへの責任を持とうとしない依存的な消費者にも非があるように思えます。
消費者は、この問題の矛先を自分にも向けるべきです。