消費者と小売業者との関係、買う人と売る人との関係は健全だろうか。 「お客様は神様です」と言われるような時代です。 さながら、消費者は王様で、小売業者はそのしもべ。 封建時代のような上下関係が、いつのまにかできてしまっているようです。 この消費者偏重とも呼べる事態を考え直してみる必要があります。 どうして、これを招いてしまったのか。 ひとつには、価格競争の荒波を受けた小売業者の弱体化があげられます。 小売業者が誇りと自信を失っている。 本来、小売業者は、商品に関する情報において、量の面でも質の面でも、 消費者にまさっている存在です。 小売業者は、売る商品のプロであり、消費者は素人なのです。 そして、小売業者は、その情報を分かりやすく消費者に伝えることが責務です。 それがきちんと果たされた時、小売業者は、誇りと自信にみなぎり輝きはじめます。 消費者も本来は、それをのぞんでいます。
しかし、今日の小売業者は、商品においてのプロ意識が極めて希薄です。 商品に関して、知らない。ならば、何をしているのでしょうか。 いかに安く売るかで暮れてしまう。 セールを企画し、ポイントや特典をつけることに躍起になります。 価格競争も激しさを増して、安く売ることが最優先事項となります。 それも多少は必要でしょう。しかし、本質が置き去りになっているのです。 裏を返せば、消費者に、誇りと自信をもって商品を伝えられないのです。 そうなれば、もはや、価格でしか消費者に納得してもらえない。 結果として、消費者に媚びへつらうことにも至るのでしょう。 ならば、消費者は言いたい放題、したい放題です。 甘やかされて、ダダをこねる子供のようです。 小売業者の弱体化が、自立できない消費者を生んでいるとも言えるでしょう。 もう一度、原点に返って、小売業者は勉強して、誇りと自信を取り戻すことが求められています。
かたや、消費者です。 ちょうど、リバーライト社が 「消費者基本法」を教えてくれました。 リバーライト社では、この法令を順守するように徹底しているそうです。 そこには、消費者の責務も明記されていました。 「消費者は、自ら進んで、その消費生活に関して、必要な知識を修得し、 及び必要な情報を収集する等自主的かつ合理的に行動するように努めなければならない。」 私も小売業者ですが、外に出れば、すぐに消費者に様変わりします。 自戒したいのですが、消費者も努力しなければならないのです。 さらに、法令の条文では、消費者は自立していくことが期待されています。 いつの間にか、消費者という立場に安住してしまい、 自立どころか、いつまでも子供のままでいるばかりです。 あくまで、消費者は素人です。ですから、勉強に励み、賢く小売業者から教えを請うべきです。 素人というよりも、一書生というような気概が必要です。
人と人との関係を考える時に、壱万円札の大先輩の言葉にヒントがあります。 福沢諭吉は、実力によらない形ばかりの上下関係に疑問を感じて、本来の人と人のあり方を語りました。 「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず。」 士農工商なる上下関係は終わりを遂げました。 しかし、この時代の売り買いの関係という、ごくごく身近なところに、 封建社会の名残のような関係があるのは、なぜでしょうか。 そこで、福沢諭吉の主眼は、その言葉の後にありました。 すなわち、その言葉が綴られた書のタイトルでもある「学問のすすめ」なのです。 勉強をすることです。怠けずに努力することです。 それによって、上下関係を根絶して、本来の関係を末永く維持することができるのだと。 逆に、努力をしなければ、この上下関係は、のさばります。 商品が溢れるこの時代、先人たちの恩恵に浸るばかりで、学問を怠っていないでしょうか。
翻って、売る人と買う人の関係をもう一度考えてみます。 健全な関係とは、福沢諭吉の言葉に表れている対等な関係が前提です。 さらに、お互いがお互いを必要として、感謝し合う関係だと思います。 お互いに尊敬し合う関係とも言えるでしょう。 もちろん、互いに権利ばかりを主張する、敵対関係ではありません。 一方だけが喜んでいる関係でもありません。 お互いに相手の立場を考えて、お互いに助け合う関係です。 つまるところ、どの人間関係でもこれを志向しています。 そのためには、どうしたら良いのか。 何もせず、座しているだけでは、この関係を作り、末永く維持することはできません。 それぞれの立場で、一生懸命に努力することです。 まず、プロである小売業者が、先導役を果たして勉強をしていくことだと思います。 そこに、自立した消費者が育って参ります。 その時、消費される商品たちも、生き生きと輝くのではないでしょうか。