この春も豊橋商業高校の生徒が、職場体験に来ています。 当社がお料理道具を扱っている関連で、まず食べることについても考えてもらっています。 考えるとは、読むことであり、書くことでもあります。 そこで、お料理研究家の辰巳芳子さんの「いのちの食卓」という本を読んで、 レポート用紙1枚に感想文を書いてもらっています。 今年の感想文も秀逸でしたので、この場でご紹介いたします。 毎日のお料理作りをしている人たちへの応援歌のようにも感じました。
高校生の感想文:今まで私は「食べる」とは、どういうことかと考えたことがありませんでした。 「食べる」ことをあたりまえのように思っていたので、 「食べる」ことで私の身体や心にどんな影響が与えられるのかなんて考えたことがありませんでした。 「食べる」ことで私が感じていたのは、 「美味しい」と「不味い」ただこの2つだけだったと思います。 季節ごとの旬な食べ物を気にしたことも、あまりありませんでした。 祖母が旬の素材を使った料理を作ってくれても、 今その素材が旬だということを知ろうとしないで、 ただ「美味しいな」と思いながら食べていました。 そういう食べ方ってすごく損しているなあと反省しました。
本に書いてあった「食べることが生きることそのもの」 という一文がとても印象的でした。 当然のことですが、人は食べていかなければ生きていけないのだな、 人は生きるために食べているのだなと思いました。 そう思ったら、無理なダイエットをしている人って自分の身体に酷いことをして、 自分のことを大切にしていないと思いました。 そして、それはすごく勿体無いこと。 例えば、お米などの炭水化物を食べないようにしたり、 食べる量を減らしたり、ずっと同じ物を食べ続けたりなど、 体重や体型ばかりを気にして重要な自分の体内のことを考えてあげていません。 すぐに痩せたいからなどと、結果ばかりに気をとられて 食べることを怠ってしまっていると思います。
身体に良いものを食べ続けていると、 ふとした瞬間に、自分の体内・体外・気分などに良い影響が与えられていることに気づいていく。 そうすると嬉しくなって、食べることも楽しくなって、料理することも楽しくなると思います。 私の母親は「もう昼だ」「もう夜だ」「何食べたい?」「ご飯作らなきゃ」 などの嘆きに近いことを度々言います。 この本を読んで、母親は大変な思いをしていたのだなと私は気付きました。 毎日三食、それが延々と続くわけですから何を作れば良いのかと考えるのが 日課になってしまっているのですね。 確かに、母親を見ている限り、料理することに苦を感じてしまっているような時があります。
私は自分が料理に興味があるかと聞かれたら、きっと「いいえ」と答えてしまうような人間なので、 料理を一緒にすることもなく「ご飯は母親が作ってあたりまえ」と思っていました。 でも、その考え方は間違っているということにも気付きました。 「食べることは生きることそのもの」なんだから、 私はもっと自分の食べるものについて知らなければならないし、 自分の身体や心を良くするために、 自分で作るということを覚えなければいけないなと思いました。 食べることは自分の命を守っていくための重要な行為だと気付けて良かったなと思います。
スタッフからのコメント: 延々と続く毎日の三食作りというのは、大いに共感してしまう人も多いでしょうね。 しかし、いや、だからこそ、お料理を作る、あるいは食べることの意味を考えることが重要です。 食べることを、自分の人生でどのように位置付けるか。 そして、食べることが、いかに大切なことであるかに気付ければ、 きっと作ることへの荷も軽くなることでしょう。 それは、暗闇で路頭に迷っていた人が、ひとたび灯りを見出して、 それに向かって喜び勇みながら走りだす姿とも重なります。 何のためという目的は重要です。 しっかりと作る意味がつかめていれば、それは、しっかりと生きる意味がつかめていれば、 例え苦しくとも、それは、作りがい、生きがいに変わっているのだと思います。 だから、当たり前の風に流されないで、しっかりと考えることです。