料理道具専門店 フライパン倶楽部

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精読「食道楽」春の巻

第三十三 東坡肉(とうばにく)

略式の角煮(かくに)は聞き得たり。この上は本式が知りたしと客の小山 「中川君、角煮を本式にするのはどうだね」 主人「本式は随分面倒だよ。全体この角煮は宋(そう)の蘇東坡(そとうば)が工風(くふう)した料理だといって支那人は東坡肉と号するが、 最初は今いった通り杉箸(すぎばし)の通るまで湯煮(ゆで)てそれを冷却(さま)しておく。

それから別の鍋へ胡麻(ごま)の油と砂糖とを半分ずつ入れて火の上で煮立てるが油と砂糖はなかなか混和(まじ)らない。 それを混ぜるためホンの少しばかり酒を加える。多く加えると油がパチパチ刎(は)ね出して大変だ。 そこがなかなかむずかしいので、上手に酒を加えると油と砂糖が互(たがい)に溶け合って鼈甲色(べっこういろ)に透通ったものが出来る。 それを長崎で色付油(いろつけあぶら)という。しかし焦(こ)げ過(す)ぎると黒くなって苦くって役に立たん。

その色付油の中へ豚の皮ばかり小さく切って炒(い)り付けて火から卸(おろ)して冷却してからその皮を出してしまう。 今度はその色付油を深い鍋へ移して水一升に酒一合の割で水と酒を加えてその中へ湯煮た豚の肉の四角に切ったのを入れる。 それからの煮方は略式の通りだが出来上ったら火から鍋を卸して地の上へ置いて一旦冷却してイザ食べようという時に再び煮て出すのだ。 今日拵(こしら)えたら今夜一晩地の上へ置いて明日再び温めて食べるのが一番佳(い)い味になるね」

と込入(こみい)りたる手続に客は失望し「そんな面倒な事はとても出来ん。先ず略式から試してみよう」 と角煮を喫しおわりし時お登和嬢が二(ふたつ)の小皿を持て出で来りぬ。 客の小山今度は逃すまじと「お登和さん、どうも色々御馳走さまです。モー先刻(さっき)のお話は申上ませんからいらっしゃい。 今日の御馳走はいずれも珍らしゅうございますが、殊(こと)に角煮は頬が落ちそうでした」 と頻(しきり)に礼を言う。

お登和も張合ありて心嬉く「このお皿のは昨日(きのう)奥さんにお話し申した西京(さいきょう)のお多福豆です。 三日前からかかって今日やっと出来上りましたから一つ召上って下さい」と一つの小皿を前に置く。 小山がいまだそれを賞翫(しょうがん)しおわらざるに別の小皿を食卓の上に載(の)せ 「これも昨日奥さんにお話し申した百合(ゆり)の梅干和(うめぼしあえ)です」 客は一々箸を着くるに忙(いそがわ)しき処へ今度は下女が持ち出す大きな皿、主人が取次ぎて説明し 「小山君、パンの食べ様(よう)は多くバターをつけるばかりだが 僕の家ではこういう風(ふう)にする。これは薄く小さく切ったパンを少し焼いておいて、鍋へ牛乳を沸かして塩と砂糖とバターを入れて 米利堅粉(めりけんこ)かあるいは葛(くず)を溶といてそれへ加えて汁をドロドロにした処を火から卸して玉子を入れて 掻(か)き廻すとかけ汁が出来る。その汁を焼きたての熱いパンへかけたのだ。 遣(や)ってみ給え」

客「色々ドウも忙がしくって食べ切れない」と頭を挙ぐる暇(いとま)もなきにお登和嬢が台所へ往(ゆ)きて チョコレートと蜜柑(みかん)のジャムを持ち来たる 「小山さん、これはココアでなくって上等のチョコレートへクリームを加えたのですから召上って下さい。 蜜柑の方はジャムの下拵(したごしらえ)のようなもので皮ごと薄く切って一晩水へ漬けてその水で沢山のお砂糖と一所に 始終掻き廻しながら一時間ばかり煮詰めたのです」と一々講釈の付いた御馳走、小山も応接に疲れたり 「なかなかお講釈が沢山で一度には覚え切れません。いずれ家内を稽古に出しますからよろしくお教えなすって下さい」 と御馳走に飽(あ)きず講釈に飽きぬ。

注釈:
○支那料理の東坡肉は一寸四角に切らず、大きなる肉を皮付のまま煮て客の前へ出し箸にてちぎりとるが御馳走なり。 皮付の豚肉は横浜にて発売す。東京にては豚を剥(は)がして馬具屋へ売る故皮付肉なし。
○豚の上等なる脂肪肉は蛋白質が百分中一割四分余、脂肪が二割八分より三割七分ほどあり、その余は水分なり。
○蚕豆(そらまめ)の上等は百分中に蛋白質が弐割八分余、脂肪が一分三厘、含水炭素が四割九分、繊維が一分二厘、余は水分なり。 その下等は胃のために極く不消化なる繊維が九分余もありて蛋白質は寡(すくな)し。
○百合は百分中蛋白質三分三厘余、含水炭素二割四分なり。

コメント:
本式の角煮である東坡肉は、手間暇かけて出来上がることが分かります。 そのため、その説明も長いものとなってしまい、問いかけた小山は、その講釈に少々疲れ気味のようです。 それこそ、その講釈でお腹一杯になった感じかもしれません。 やはり、御馳走を頂く時は、講釈はほどほどで、美味しさをじっくりと味わいたいもの。 さすが、中川家の人たちは、料理に造詣が深いため、講釈したくなってしまうのかもしれません。 しかし、接待とは、その来客者の状況に合わせて、講釈を長くしたり、短くしたりと変えていくべきもの。 また、来客も「お講釈が沢山で一度には覚え切れません。」それとなく言えることも大切です。 加えて「いずれ家内を稽古に出しますからよろしくお教えなすって下さい」と添えるところが紳士です。