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代表者のエッセイ

2012年12月14日

明日の商店街を考える

今秋の豊橋まつりには、ミッキーマウスが駆けつけました。 ミッキーたちを乗せたおしゃれなバスが、商店街の道をゆっくりと走ると、 沿道には「ミッキー!ミニー!」の大歓声があがります。 今までに見た事のないような人だかりが出来て、最盛期の商店街を彷彿させる瞬間がありました。 いや最盛期以上の様相でした。

しかし、ひとたびミッキーが去れば、潮が引いたごとく、さっと人もどこかへ消えて行きました。 商店からこの光景をみていると、不思議な感覚を味わいます。 あの人たちは、どこから来てどこへ行ってしまったのか。 もちろん、それをもって、商店街に往事の賑わいが戻って来たとは言えないでしょう。 そんな時に、商店街に大変思い入れも強く、商店街とともに歩んで来た父親が一冊の本を勧めてくれました。 それが、「商店街はなぜ滅びるのか」【光文社 新雅史(あらたまさふみ)著】という新書本。 いわゆる商店街の誕生から今日に至るまでの経過を、政治・経済・社会状況を加味しながら、 分かりやすく整理されていました。 著者は私と同じく商店街で育った新進気鋭の若手社会学者で、共感できるところも多々ありました。 そこで、こちらの内容をご紹介かたがた、商店街で小売業に二十年ほど携わって来た 私の視点を織り交ぜて、タイトルと同じく「なぜ商店街が滅びるのか」、そして、明日の商店街および明日の街について論考してみます。

商店街ではなく、小売業が滅びに向かっている

まず、商店街というよりも、「なぜ商店が滅びるのか」の視点で考えてみたいのです。 商店街と言う商店の集まりを問う前に、商店街を構成する個々の商店の生業である 小売業を問う必要があります。 それは、商店街というよりも、小売業が滅びに向かっているとも言えるからです。 そのため、滅びると語れるのは、何も商店街だけではありません。 合併を繰り返す百貨店、ホームセンター、家電量販店然りです。 比較的新しい形態であるコンビニエンスストア、インターネット通販でさえ安泰ではありません。 昨今は価格競争に巻き込まれて、ますます商品単価は下がり、利益を出すことはままなりません。 ここで、時間軸の視点で小売業を眺めます。 小売業は、一般的には物資が不足して、経済が成長していた時代には繁栄するのでしょう。 物資が行き渡り、人口が減少して、経済成長も安定すれば、縮小するのは必然です。 ですから、戦後から昭和30年40年代のような商店街と今日を比較するのは検討違いと考えます。 その全盛時の再興や賑わいを夢見るのは幻想だとさえ思います。 その幻想のもとに、行政も様々な政策を試みますので、一過性のもの、ばらまきとなりがちです。 個人的には、夢のない話で恐縮ですが、冒頭のミッキーはただでは来てくれません。 商店街の活性化のもとで、それに多額のお金を投入する事には疑問を感じるのです。 すなわち、明日の商店街は、かつての小売業の賑わいを目指すような方向性ではないと考えます。 その意味では、商店街というよりも、より広い意味での「街(まち)」という括りで考えるべきでしょう。

創業時の独立心を喪失してしまった

著書では「商店街は20世紀に創られた人工物」であるとして、 第一次世界大戦から昭和の不況を通じて誕生したと紹介しています。 ちょうど今から100年ほど前で、当社の創業とも重なります。 当時は、まだまだ農業に従事する人が多かったようで、 深刻な不況のため農業では生活できなくなり、多くの人たちが、都市部に流れ出る。 わが街でも製糸業が最盛期でしたので、工場および会社に就職する人たちも 数多くいたようですが、一方で、自分で商売を始める人たちが起こります。 しかも、少ない資本ではじめることが出来たのが、小売業だったようです。 この時期、いわゆる独立自営業者たちが雨後の竹の子のように勃興する。 ところが、暴利を貪る商人たちもいたようで、安定した価格を求めて、 時同じくして、生活協同組合や公設市場なども生まれます。 また、百貨店も登場して話題を呼んでいました。 そこで、小売業者たちが、これらに対抗するために、商店街を創造した。 その時、私の視点で敬意に値することが、自分で商売を始めた人たちの気概です。 厳しい時代の中で、小売業者たちが独立自営業者として自己責任で仕事をすることに挑んだのです。 すなわち、小売業者は、誇り高き独立自営業者だったのです。 それは、明治や大正の気骨をもった人たち、福沢諭吉の「学問のすすめ」や スマイルズの「西国立志編」などに感化された人たちとも言えるでしょうか。 それがなければ、自営業をはじめることも、商店街を創造することはなかったのでしょう。 その誕生の経緯を考えると、商店街が滅びるのは、 この誇り高き独立心を喪失してしまったゆえだと思えて参ります。

みんなのためという公の精神は何処へ

独立心がなくなると、結果として、他への依存が強くなります。 昭和30年代40年代の全盛期を体験した商店街の人たちは、 自分たちのことしか見えなくなってしまったようです。 平家物語の盛者必衰の理(ことわり)がよぎります。 いつしか、商店街として集まるための意義が、既得権の確保および補助金などを獲得する 志の低いものに変貌してしまったようです。 私が小学生のころ、ダイエーやイトーヨーカドーなどの大型店の出店に反対する運動が起こります。 商店街の人たちは自助努力を怠り、既得権を守ることに懸命になるのです。 その象徴が大型店の出店を規制する法令だったのでしょう。 その時、商店街および商店の原点とは何であったのか。 それは、本当にシンプルなことのように思います。 隣人のために何ができるのか。隣人は今何を必要としているのか。 物資の乏しい時代は、物資そのものだったのでしょう。 そこに小売業および商店街が生まれたのです。 それは、自分というよりも、まず、みんなのことを考える。 それを公という言葉で置き換えることができます。 公と言う発想で考えていくとしたら、そこに存在意義を見つけやすくなります。 例えば、当社のある商店街は、豊橋駅に近いと言う立地があります。 その立地にある商店街を考えると、自動車を自分で利用できない人たち 、高校生までの子供たちやお年寄りにとって存在意義のある場所であると見えて参ります。 この人たちのために、できることは何であるのか。 その点では、教育、福祉、医療などのキーワードが浮かんできます。 また、当社も18階建てのマンションとなり、その1階部分に店舗と事務所があります。 駅近くに住みたいとうニーズがあるのです。 そのため、商空間から住空間にも変貌しています。 このように、時代の変化をつかんで、商を越えて、公を考えて行くことが求められていると思います。

人と人とがつながる商店街の心は滅びない

もはや、かつてのような商業の時代ではありませんが、 商店街と言う響きには何かノスタルジア(郷愁)を感じます。 それは、私が商店街で育ったゆえかもしれませんが、それだけではないとも思います。 戦後昭和の原風景と言ったらよいのでしょうか、映画「三丁目の夕日」が数年前に話題を呼びました。 著者も序章で「商店街の可能性」と題して、東北の被災地での支援活動から筆を起こします。 宮城県石巻市の商店街では、地域住民とボランティアたちが汗を流して復興活動に励んでいた。 かたや、イオン、ヤマダ電機、マクドナルドの郊外型店舗では、ボランティアは見当たらなかった。 そこで、著者は災害時に商店街の魅力が現れたと右のように表現します。 「商店街は商業地区であるだけではなく、人々の生活への意志があふれている場所である。」 そこには、単に物を売り買いするだけではない、人と人との温かいつながりがありました。 これこそが商店街の本質だったと言えるでしょう。 個人的に、子供時代にお世話になった商店街の人たちを思い浮かべると、 「薬屋のおばさんは、いつも何か買うとおまけをくれたな。」 長時間立ち読みした本屋さん。グローブを何度もはめかえては買った運動具屋さん。 いつも小銭で楽しませてもらった駄菓子屋さん。 いろんな大会を開いてくれた玩具屋さん。などなど あの店この店と、次々に記憶がよみがえるほど、多くの人との交流がありました。 商店街は、子供たちを育てる学校でもあったのかもしれません。 もし、商店街が滅びるとしたら、それは人と人とのつながりが絶えてしまったとも言えるのでしょう。 ですから、明日の街とは、きっと人と人との絆を再生させることだろうと思います。 そして、その再生の鍵こそ、かつての商店街の人たちがもっていた、独立と公の精神なのでしょう。

その時、私たちは、疲弊した小売業の実状に、下を向いたままであってはなりません。 時代を見据えて、知恵を絞りつつ、しなやかに行動して行くことです。 想像力を働かせれば、先人たちの時代の方が、よほど厳しかったことが分かることでしょう。 どんなにか泥臭く汗臭かったことでしょう。時には、血も流される壮絶な事態もありました。 もし、この時代に心を暗くしていたら「この馬鹿野郎!甘えるな〜」 かつての商店街にいた頑固おやじの雷が落ちてくることでしょう。 著書のタイトルは「商店街はなぜ滅びるのか」ですが、私の視点からすると 「商店街に関わる人はなぜ滅びるのか」とした方が相応しいように思います。 今年1年間の実店舗便りは、 故郷を開拓してきた先人たちをご紹介して来ました。 松平信明、渡辺崋山、神野金之助、小渕志ち、中村道太、近藤寿市郎、司忠・・・・ 「今度はおまたちの番だよ!前を向け!そして前に踏み出せ!」と 熱き激励の声が聞こえてくるようです。それに応えてこそ、明るく輝く明日の街があります。