スタッフ会議byフライパン倶楽部代表
お料理を食べれることは、素晴らしい。お料理を作れることは、もっと素晴らしい。 それは、明日を生きる力です。明日を生きるとは、いかに生きるべきかを問いながら、 自分とは何なのかを探す旅のようにも感じます。 生まれ育った故郷で、お料理道具を売る現場で、家庭生活で、 湧き上がった言葉を丹念に紡いでみた、明日への旅日記です。

今日の明け方ごろ、布団の中にもかかわらず、寒くて目を覚ましました。 こんな冷え込みは、この地域では珍しいのです。 すると、路上で生活をしていた、あるおじさんのことが脳裏を離れませんでした。 「あのおじさんは、どうなったのかな〜」 その方は、駅前の地下道で生活していました。 今日と同じく特別冷え込む夜に、ダウンジャケットを片手に おじさんのところに駆けつけました。いつもの場所には、いません。 商店街を探しまわると、暗闇の中で、一人ぶらぶらと歩いていました。 ジャケットを渡すと「ありがとう。ありがとう。」にっこり微笑んでくれました。 一緒に缶のおしるこを飲んだこともありました。 ところが、いつの間にか、いなくなってしまいました。 寒い夜は、いつも心が痛みます。 幸い豊橋には、路上生活者を支援するサマリヤ会があります。 代表の高島史弘(ふみひろ)さんは、「社会にもう少しの思いやりがあって、 みんながほんの一歩踏み出すだけで多くの人が救えるはず。」 できることは限られていても、できることは必ずあるのです。 2010年2月5日


建築家の伊東豊雄さんが朝日賞を受賞しました。 当社の実店舗の看板は、フライパンとお鍋のモノクロの写真です。 これをデザインして下さったのが、豊橋出身の若手建築家のホープ谷野大輔さんです。 しっかりと当社の要望を聞いて下さって、それを形にしてくれました。 その谷野さんが尊敬するのは、レム・コールハースというオランダ生まれの建築家。 早速、レムさんに興味をもって、本を買い求めました。 その本の中で、日本の伊東さんが、ご自分とレムさんの違いを語っていました。 レムさんは、自分の意見を通すタイプ。いや、仕事をだすクライアントを説得させてしまう。 かたや、伊東さんは、対話を重視する。 その時、「こんなものを創ってもらいたい」 そのコンセプトが明確であれば、伊東さんにお願いしたくなります。 それが漠然としているなら、レムさんの方がよいかもしれません。 谷野さんは、伊東さんのような仕事をするから、レムさんにあこがれるのかもしれません。 かたや、この時代、まずクライアントの夢が問われています。 2010年1月30日


最近、土をいじり野菜を育てています。 先日、子供たちと楽しくジャガイモの収穫をしました。 それをお母さんたちが、肉ジャガに。 自分たちで掘ったものは、そこに愛情が生まれるようです。愛おしい。 やはり、いと美味しい。休日に土をいじれるのは爽快です。 眼前には、そびえる山を仰げます。明るい光と心地よい風。 土と草の薫りと温もり。寒さも忘れ、ひたむきに汗を流せます。 中国人経営者の宋文洲(そうぶんしゅう)さんが新聞社のインタビューで答えていました。 「物作りという日本人のDNA」という記者の言葉に疑問を呈します。 「それは、明治時代以降のことで、弥生時代はどうだったのか。」 なるほどと思いました。すると、自分の中でひらめきました。 日本人のDNAと言われれば、それは、農業だろう。 これは、日本人に関わらず、ユニバーサルなものかもしれません。 聖書でも、最初の人、アダムの仕事は、土地を耕すことでした。 そして、人はやがて、その土に帰ります。 帰農という言葉ありますが、これは明日への道標のようです。 2010年1月26日


家内の好きな曲は、ヴィバルディの四季です。 今日新聞で知りましたが、ヴィバルディは孤児院に37年も関わり、 孤児たちに音楽を指導していたそうです。 やはり、孤児院に勤めていた家内の心に響くのかと思ったのです。 私は、両親とも今なお健在で、共に働いている境遇。 しかし、昨年末に良い経験をいたしました。 年末年始に帰る家のない施設の子を、我が家にお迎えしたのです。 名前は、サキちゃん。施設に迎えに行くと、開口一番「今日はカレーが食べたいな。」 私のことを「お父ちゃん、お父ちゃん」と慕ってくれました。 遊びに行くと、二人手をつないで歩きました。 そして、施設に帰る車の中。「今日もお風呂に入ろうね。」 「今日の夕ごはんは何かな〜」家族は、みんな沈黙です。 すると、「花〜すべての人の心に花を〜」のBGMが流れます。 「泣きなさい 笑いなさい いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ」 運転しながら、涙が溢れてきます。まさしく、サキちゃんに捧げる歌でした。 車から降りると、元気に走って行きました。 2010年1月23日


牧師経験40年以上の初老の牧師夫妻を婦人の集まりでお招きしました。 ご婦人に囲まれつつ、私もお手伝いで、肩身狭くもその会に参加。 タイトルは喜ぶべきか「男性を理解する」 会社では真面目に働いているのに、家庭では居場所がない。 本来なら、安らぎの場に勇んで帰ってくるところを、 飲み屋で無為に時間を過ごす。なぜか。 悪いことには、自分の内面をうまく説明できない。 そして、プライドが強いのか「私は寂しい。」とも言えない。 意外にも、心を打ち明けれる友もいない。 子供は母親と結びつき、父親は、ますます孤独に。 深いところでは、女性と違う生理的な喪失感の問題。 年の功でしょうか、私なら気恥ずかしいことも、さらりと。 数多くの夫婦をご覧になっているので、問題の核心を外しません。 もともと男性は未熟なのです。 それを覆い、それを包み込み、本来の男性に変えてくれる存在が必要です。 女性あっての男性。最後の瞬間に「苦労かけたね。ありがとう。」 「ご苦労さま。ありがとう。」そんな二人でありたいです。 2010年1月21日


小林投手と江川投手との確執。そして、数年前の和解。 小林さんの急逝の報に、時を逸することなかれと思いました。 人と人との間には、行き違い擦れ違いがつきものです。 その時、同じ人を見つけては、擦り寄り、自分を正当化させます。 しだいに、グループが形成され、ますますお互いに近寄りがたくなります。 こうなると理屈ではなく、感情の領域に入ります。 何を語っても、平行線です。埒があきません。 毎週教会の礼拝で唱える「主の祈り」では 「私たちに負い目のある人たちを赦しました。」と宣言します。 赦すとは、わだかまりを捨てることでしょう。 そして、相手のために祈る。それが、愛することです。 そこに、平安が待っています。 人は愛されるために生まれたと言われます。 より正確には、人は愛するために生まれたのです。 これには、秘訣があります。救い主の十字架です。 そこには、こんな自分を赦して下さった事実があります。 赦されている者のみが、赦すことができる。 この良き知らせをご存知ですか。それが福音(ふくいん)です。 2010年1月18日


日本航空再建に税金を投入。来るべきものが来ました。 かたや、顧客のマイレージ・ポイントを保護する。複雑です。 今回の問題の根は、自由競争も一因だと思うからです。 小売業も明日は我が身かなと、航空業界の後を追うようです。 いや、すでに教訓はあったのです。ダイエーさんが思い出されます。 価格下落で荒らされた市場を、去りゆくものは戻してくれません。 残った会社は、さらに薄利の中で苦戦を強いられます。 消費者のみ喜べば、すべてが良い風潮です。 最近はポイント流行りですが、安売りの隠れ蓑のようです。 これこそ、販売店からしたら、最後は自分の首を絞めるものとなります。 消費者も結局、今回のように後でツケを支払う。 ならば、順序として、買っていない人ではなく、買った人こそまず 痛みを負うべきではないでしょうか。 日本全体が、この点で消費者には、非常に甘いのです。 売る人の責任はもちろん、今後は、買う人の責任も問われるべし。 会社の経営よりも、消費者べったりの社会こそ見直すべきでしょう。 2010年1月16日


北九州の方が、「博多と北九州は違う」 私も、「名古屋と豊橋は違う」とこだわります。 同じ県内であれば、知名度のある街と同じにされてしまうのが悲しいところです。 江戸時代までは、愛知県も西の尾張、東の三河と分かれていました。 より正確には、豊橋を含め蒲郡、豊川、新城、田原は東三河となります。 この「東三河は一つ」を訴えているのが、神野信郎(かみののぶお)さんです。 中部ガスという燃料会社の会長さんでもありますが、 ココ豊橋の街づくりにも広く貢献されています。 お祖父様の金之助様は、遠浅の海を干拓して耕地にした「神野新田」(じんのしんでん)の開発者。 豊橋人であれば小学校の社会科でみんな習うのです。 地元紙の新春インタビューで八十歳になる神野さんが言われていました。 「立国は私なり、公にあらざるなり。」福沢諭吉先生の言葉を引いて、 「日本と地域のあるべき姿を自ら考える。 地方主権とは、市民一人一人がその自覚に立ち、責任と義務を負うことだ。」 その通りと大いに共感しました。これぞ三河人! 2010年1月12日


新年を迎えて、漠然とした不安が心を覆います。 新しくなるとは、今までとは違うことであり、先行きが分からないゆえでしょうか。 ちょうど10年前のことでした。 息子が生まれてすぐに、入院したことがありました。 深夜の豊橋市民病院に駆けつけて、医者から「かなり重症です。」 夫婦に緊張が走ります。 集中治療室のボックスに入れられ治療が始まります。 眠れぬ夜を過ごして、ひとり車で帰りました。 「これから、あの子はどうなってしまうのか・・・」 そんな重い心を抱えながら、国道1号線を運転していた時でした。 進行方向の東の空から、朝日が輝いていたのです。 ガラスごしの顔一杯に、その光を浴びました。 あ〜なんとも温かい。 すると、不思議と心が落ち着いて来ました。まさに、癒されました。 幸い息子は、一ヶ月後に退院して、今月十歳を迎えます。 今朝ちょうど東の空を仰ぐと、燦々と朝日が輝いていました。 「新年、大丈夫・・・」それは、天からの声なき応援歌のようでした。 私たちの国は、聖徳太子が示した日出(い)ずる国、日本です。 2010年1月8日


フィギュアスケート女子の五輪代表争いは、熾烈な競争と報道されていました。 同郷の鈴木明子選手は、軽快に滑っていたのですが転倒。 「あ〜」という溜息が私の口からも。 しかし、変わらず笑顔で立ち上がります。 すると、ウエストサイド物語の軽快なリズムに合わせて、ますますノリノリに。 フィナーレを決めると、日本では稀なスタンディングオベーション。 点数が出る前から、私の目頭も熱くなりました。よくぞ、やってくれました。 滑れるだけで幸せと語っていた彼女は、大好きなスケートを楽しんでいたのです。 しかも、天からのご褒美。大逆転で五輪の切符を手にします。 何もかもが競争となって、本当に大切なものを教えてもらったようです。 彼女の演技には、スケートができる幸せが満ち満ちていました。 もはや、点数だとか、代表だとか、あくせくする世界がちっぽけに見えてきます。 生きるって素晴らしい。「生きているだけで丸儲け」とは、明石家さんまさんの言葉。 バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」の旋律が聞こえてくるようです。 2009年12月29日


高校の修学旅行で訪れたのが、倉敷の大原美術館。 そこに、エル・グレコの大作「受胎告知」がありました。 結婚前の女性が身ごもるとは、当時の社会では、死に値します。 周りにいた人たちは、マリヤに冷たい視線を浴びせたことでしょう。 この時代にも、同じような人がいます。 日の丸を背負い、日本代表のクローザーとして登場したダルビッシュ投手。 最後の打者を三振で打ち取った瞬間、テレビ画面前の私も、思わずガッツポーズ。 日本中から温かな目が注がれた彼にも、暗い過去があったようです。 ドラフト一位で指名された高校在学中に、パチンコ店で喫煙。 世間からの猛烈なバッシングが吹き荒れます。 みんながみんな冷たい視線を浴びせたようです。 その中で、温かな眼差しを向けた人がいました。 「それは、終わったことだし、仕方ない。おれは待っているから。」 その人物が、ヒルマン監督。今日も、じっと見守っている方がおられます。 監督の背後におられ、マリヤが見上げていたお方です。 クリスマス、おめでとうございます。 2009年12月24日


数年前の日曜日のことでした。 教会の礼拝に、アフリカ人の女の子と学校の先生が 突然やって来られました。 言葉も分からないこともあり、こちらも気持を察することができず、 女の子の表情は終始硬かった記憶があります。 今年に入って、同じ学校の留学生が行方不明になったことが報道されました。 どうして、逃げ出してしまったのか。 かたや、その学校の駅伝部は全国2連覇を果たしました。 紆余曲折があったものの、留学生と一丸となった生徒たちを、まず褒めてあげたい。 おめでとう。それでも、留学生頼りの大会に、何か心残りがあるのです。 留学生も一人の高校生であり、優勝の請負人ではありません。 優勝とは、優しく勝つのです。私がほっとするのは、男子の豊川工業高校です。 ここ数年、準優勝3位入賞を果たしてきました。 しかも、希少な日本人のみのチームです。 たとえ、優勝には届かずとも、優勝以上に価値のある偉業に思えます。 順位を落としても、豊川工業の姿勢にこそ、 三河人の心意気を感じてしまいます。 2009年12月21日


豊橋市で発行している小学生向きの小冊子に フィギュアスケートの鈴木明子さんが紹介されていました。 花田小学校という母校を訪れての先輩インタビュー。 「夢は、はっきり口にしよう」とありました。 口で語ることによって、責任が生じる。どうしたら達成できるか、真剣に考える。 そして、ライバルは、真央(まお)ちゃんでも、美姫(みき)ちゃんでもない。 あくまで、自分自身。たとえ、他の選手が失敗して勝っても嬉しくない。 スケートの世界では、よくあるのだそうです。 人と競るのではなく、めざすは、自分のベストの演技。 そして、バンクーバーが最終地点ではない。 摂食障害を乗り越えた今は、滑れることだけで嬉しいのだそうです。 このような構えで、オリンピックに挑まれている姿に、これぞ豊橋人と思いました。 「青年よ、ほらをふけ!」と大学時代の先生がよく言われていました。 いつのまにか、ほらさえも聞こえなくなりました。 夢を語る分には、慎みは無用でしょう。いや、小学生だけでなく、大人も然り。 正々堂々と大きな夢を口で語りましょう。 2009年12月17日


今回、脚本を書いて素人の舞台劇に挑戦いたしました。 何かを挑戦する時には、周りの人の励ましが、いかに大切なものかを実感しました。 改めて、励ましてくれる人たちがいて、この作品があり、今の自分があるのだと感謝しました。 そして、私の脚本を一番よく読み込んで、私のメッセージを直に受け取ってくれたのは、 演技した主人公の中学生だったと思います。 観客の誰にもまさって感動していたかもしれません。 ふと、この舞台劇は、観客よりも彼のためにあったのかもと思えて来ました。 しかも、舞台劇の内容にもまさって、演じる人たちを応援しようという気持ちや真心が、 会場には漂っていたのです。 それが、例え今ではなくても、やがて人のために貢献できる大きな働きとなって実を結ぶ。 このたび年末のお忙しい中、30分以上も前から来て下さったのは、 彼が通う中学校の校長先生でした。 ぽつり座っている校長先生の後姿に、人を育てる真髄を教えていただいたようでした。 私も先生にならい、挑戦する人たちを応援したくなりました。 2009年12月14日


年も四十を越えて、子供たちにも伝えたいことが形をとるようになりました。 小説家の三浦綾子さんが、ちょうど今の自分と同じころ、 小売業をしていた傍らで、ご主人などに励まされて、小説を書きました。 それが、「氷点」(ひょうてん)という作品です。 大作家に自分をなぞらえて恐縮ですが、共通項が多いもので、思い切って筆をとってみました。 処女作「約束 クリスマスに架かった虹」を書き上げました。 今の時代を描きたい。そして、今の人に訴えたい。 すると、結婚というテーマが浮かび上がりました。 「健やかなる時も、病める時も、愛することを約束しますか。」 結婚は、生涯の約束事であることを前提に、言葉の重さについて考えてもらいます。 太宰治の「走れメロス」とディケンズの「クリスマスキャロル」に着想をいただき、 何よりも、十字架を背負われるイエス様の姿に想像力を膨らませました。 すると、教会の仲間たちが加勢して、それを舞台劇にしてくれました。 心温まる手作りの上演を目指して稽古に励む日々を送っています。 2009年12月7日


大学サークルの五十周年の感謝会がありました。 大きな問題に直面したり、学生が集まらなかったり、 曲がりくねった道を歩んで来ました。 何度も解散の危機に見舞われながらも、 ここぞという時には、必要な人材が与えられる。 そして、今日を迎えることができました。 それは、メンバーの一人一人が自分の立場をわきまえて、 自分の義務を果たしたゆえだと思いました。 権利ばかりが主張される世相ですが、義務こそ明日の道標ではないでしょうか。 司馬遼太郎さんの小説「坂の上の雲」がようやくNHKでドラマ化されました。 戦争を美化してはなりませんが、海軍軍人の生き様には教えられます。 海軍兵学校の校長でもあった井上成美(しげよし)提督は言われていました。 「デューティの観念があって、レスポンシビリティを身につけた人間ならば、 そのまま戦争に出しても使えるという信念を、私はもっていた。」 デューティとは、義務。レスポンシビリティとは、責任と訳せるでしょう。 海軍の真っ白な軍装は、責任と義務の象徴に見えました。 2009年11月30日


料理道具の街でもある、新潟県燕市から営業の方が定期的に来店してくれます。 このところは、経済状況が一段と厳しく、商談も深刻になりがちです。 しかし、燕市には、ネットワークがあり、お互い業者間で助け合っている伝統があるのです。 燕市産業カレンダーなるものがあり、業界でひとつのカレンダーを作っています。 ひとつが繁栄するのではなく、みんなで繁栄しよう。 そこに、明日への手がかりがありそうです。 そんな折に、新聞の全面広告で「三河つくだ煮」がドカンと紹介されていました。 ココ豊橋周辺は、つくだ煮の産地でもあり、そのブランドをアピールする試みです。 それは、ひとつの会社ではなく、八つの会社が協同して、 さらに商工会議所も加わっての取り組み。 歴史をたどると、日本人は欧米人のように競争しなくても、 経済を維持発展させてきたと思えます。その資質をもっている。 明日への道標は、競争ではなく、共生とも言えそうです。 それを和の精神と呼ぶならば、今こそ原点に返るべしです。ひとりではなく、みんなで。 2009年11月21日


サッカー日本代表で、私が気にかかる選手に中村憲剛(けんご)選手がいます。 彼の転機となった言葉があったそうです。 高校時代の先生から「自分で考えなさい。」 彼は、背の低い選手ですが、それを補うために自分で考えたそうです。 どの世界にも通じるのだと思いました。 その時、これは子育ての要諦だとも悟りました。 その模範を、天皇陛下から最近教えていただきました。 将来の皇室のあり方について、 「皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要と思います。 二人は長年私と共に過ごしており、私を支えてくれました。 天皇の在り方についても十分考えを深めてきていることと期待しています。」 子供たちが、自分自身で考えれるように導いてあげる。 自分の考えを押し付けず、自分の後姿のみを見せて、しかも期待をしている。 あるいは、じっと見守っているとも言えるでしょうか。 そして、尊重できるとは、それに相応しい子供に育て上げたきた自信を そこに感じることができます。 これぞ子育て、これぞ親の務めでしょう。 2009年11月20日


ミシュランガイドの大阪・京都版が発売されたようです。 日本の伝統料理を、ヨーロッパ生まれのミシュランがどこまで評価できるのか。 きっと欧米と日本での尺度は違うでしょう。 その時、その評価はあくまで絶対的なものではありません。 何が美味しいかは、基本的に人によって違います。 目安にはなりますが、それを自分で判断しないことに問題が潜みます。 人の評価だけをあてにして、すべてを決めてしまうのです。 買物でも、ブランド品だから良いだろうも、同じ系列です。 フライパン倶楽部が言うなら良いだろうも、一面では気をつけてもらいたい。 それは、あくまで、他人の評価に過ぎません。受け売りです。 最終的には、それを自分で判断することが重要です。 特に、料理に関しては、もっと自己主張すべしです。 そこに、私の味があり、我が家の味が生まれます。 かたや、そこには責任も伴うので、舌も研ぎ澄まされるでしょう。 このようなガイド本が手放しに流行るとしたら、 それは、日本人の味覚が鈍感になっている裏付けかもしれません。 2009年11月19日


天皇即位二十年の式典を祝う新聞の写真。 サイパン島のバンザイクリフの断崖絶壁の岬で、天皇皇后おふたりが 海に向かって黙礼している。 そこは、敵軍に追い詰められて、「天皇陛下万歳!」と両手を挙げて 日本兵が身を投げたところ。 戦後六十周年の夏、両陛下は慰霊のため彼の地を訪れました。 私は、静かに頭(こうべ)を垂れる後姿に、目頭が熱くなりました。 今回の記者会見での陛下の言葉。 「私がむしろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということです。」 その時、今は亡き日本語研究家の大野晋(すすむ)先生の 心配と重なります。「美しい言葉より、まず正しい言葉を」 そして、天皇皇后の言葉を思いました。 お二人とも軽率には語れないお立場でもありますが、 じっくりと言葉を選らんでおられる。 誰よりも、言葉というものの重さをご存じなのだと思います。 陛下は非常に控えめな方ですが、それが一層大きな人物に見えてしまいます。 象徴のお立場とは言え、明君の中の明君だとさえ思えます。 2009年11月12日


本日クックパルのお鍋をご愛用の方からお電話をいただきました。 その方は、ふとしたことから、メーカーの営業担当の吉川さんと親しくなりました。 ミスターとして、私がクックパル・ストーリーでご紹介している方です。 ところが、数年前ミスターが突然亡くなります。 それを、この日記にも記載したところ、驚いて当社に電話を入れて下さいました。 最後にお会いできなかった事を悔やんでおられました。 その時は、連絡先などをお知らせするだけでしたが、 最近パソコンを本格的に始められたご様子。 改めてクックパル・ストーリーを読まれて、感慨深くなったそうです。 そして、本日お電話でご注文の折りに、しばらくミスターの話に花を咲かせました。 私がびっくりしたのは、その方は一人のユーザーなのです。 ここまで深い繋がりを一人のユーザーと築かれたミスターに敬服いたしました。 ユーザーから、亡くなっても惜しまれる。そんな仕事ができているだろうかと反省いたしました。 ミスターは死すとも語っています。一人のお客様を大切に。 2009年11月10日


今朝起きると、新聞の写真に目が釘付けでした。 久しぶりに、良い顔だな〜と感嘆。しばらく眺めてしまいました。 それは、トロフィーを持ち上げた松井選手。 今年のワールドベースボールは、イチローに始まり、松井に終わる。 二人の侍に、日本人は希望をもらったことでしょう。 二人はどちらも、黙々と静かに努力を重ねるタイプのように見受けられます。 若い選手とは違い、三十も半ばで結果を出せるのは、 生まれながらのセンスもあるのでしょうが、やはり努力の賜物。 怪我や病気に苦しんでも、周りが誹謗中傷しようとも、ひたすら素振りをしている。 天は自ら助くる者を助く。それが示された一年とも言えます。 野球の神様とも表現されますが、天はしっかりと報いてくれる。 二人には、まさしく最高の舞台が用意されました。 それは、どの世界にも通じると思います。 天はしっかりと、私たちの生き様を見ておられます。 そして、一人一人に確かな報いを与えてくれます。 そこで、日本人びいきかのように、天は語られる。 黙って素振りをすべし。 2009年11月6日


インターネットの情報は、原則無料です。 大手新聞社のサイトなども、閲覧することは無料です。 すると、紙媒体の新聞をやめて、ホームページで情報を得るようになる。 ネット広告もあるのでしょうが、ホームページを充実させればさせるほど、 購読者が減ってしまう。努力する者が報われない、おかしな状況となっています。 これでは、記者たちの意欲はくじかれ、良い記事を期待できません。 良い情報をいただいたのなら、その対価をしっかりと支払うべきです。 どうも購読者は、そこまで考え及びません。 「もうかった。得をした。」と新聞社のことを思いやることなく 自分の損得勘定だけをはじいてしまう。 自由競争社会の中で、いつしかサービスを受ける人たちは自己中心になり果てています。 サービスを提供する側のことを推し量るべしです。 個人的に新聞社には、頑張ってもらいたい。 購読料とは、株式投資のような要素もあるでしょう。応援料です。 今までは会社でのみ購読していましたが、 今月から自宅でも新聞を購読することにしました。 2009年11月5日


秋の夜長に、我が家で映画を観ました。 1939年製作「チップス先生さようなら」 英国パブリックスクールに赴任した男性教師を描きます。 旅行中に最愛の人との出会いがあり結ばれます。 学校にも新風が吹くのですが、その夫人は出産時に亡くなります。 やがて、チップス先生は校長となりますが、第一次世界大戦の渦中で、多くの生徒たちを失います。 そして、最後を迎えます。「生徒たちが、私の子供だった。」 この映画の中では、良き理解者であった夫人との別れが、切なくやりきれません。 終わった後に、じわじわと涙が溢れてきました。 すると、数年前の運動会を思い出しました。 小学校の教頭先生と子供たちをじっと見つめています。 「先生の息子さんは?」「実は、息子、亡くなりました。」 その瞬間、時間が止まったのです。 当時の私の息子と同じ年頃に亡くなったと伺いました。 先生にとっても、生徒たちが息子。 「さようなら」には、深い意味が秘められているようです。 先生の深い悲しみは、生徒への深い愛情に昇華されるのでしょう。 2009年10月29日


小学四年生の息子とぶらりと訪れたのが、お隣の湖西市にある豊田佐吉記念館。 トヨタ自動車社長の曾祖父が豊田佐吉翁。 もとは大工であり、独学で織機を発明して、世界のトヨタに羽ばたきます。 実物の織機の展示をはじめ映像等を通じて、その経緯がよく分かります。無料です。 それは、「西国立志編」という一冊の本から始まります。 英国の大工が、苦労に苦労を重ねて紡績機を発明したことに目を光らせます。 自分にもできる。そして、努力に努力を重ねて、英国の会社からも認められる自動織機の発明に至ります。 その無駄を排した物作りは、トヨタ自動車に受け継がれます。 佐吉の織機は、まさに汗と涙の賜物。日本の物作りの原点を見るようでした。 この時代、不況といえど当時の貧しさの比ではありません。 いつしか、この泥臭さを忘れていないだろうか。 「がんばらなくてよい」という言葉も流行りますが、かたや、 一生懸命がんばる価値を見下げてはなりません。 佐吉の言葉。百を忍んで千を鍛えれば事遂(つい)に全うす。 2009年10月24日


当社ビルは、キャンファーローレルと名付けられました。 豊橋の木であるクスノキの英名。 そして、豊橋公園のそばにある「クスノキ通り」はご当地自慢です。 それは、質実剛健な豊橋人を象徴しています。 その幹は太く逞しく、その葉は年中生い繁るエバーグリーン常緑樹です。 塩害を受けて、ケヤキ並木が軒並み枯れる中、このクスノキが気にかかります。 そこで、いざ「クスノキ通り」へ。思わず、唸ります。お見事なり! 台風何処吹く風よ。風雨を一切ものともせず、いつもと変らず、青々と繁っていました。 隆々とした幹は、泰然自若とドッシリ構えています。 どんな嵐がやって来ても倒れない。枯れない。 ひたすら、日差しから風雪から、黙ってみんなを守っている。 なぜ、斯くも頼もしや。それは、地下深く根を張っているゆえでしょう。 雨降らずとも、いつも地下水より豊かな水を吸い上げている。 やはり、見えないところが肝心要です。 目立たずとも、此処一番に頼れるクスノキ。 雨にも負けず、風にも負けず、そんな豊橋人に私もなりたい。 2009年10月19日


街をぶらぶら歩くと、紅葉するはずの街路樹の葉が、枝についたまま枯れています。 ケヤキ並木は、それは、それは、哀れな色合いなのです。 今年は何か違うぞと感じ始めていたものの、ようやくその原因が分かりました。 先週上陸した台風の猛烈な風によって、海の飛沫(しぶき)が混ったのです。 とにかく猛烈な風で、海から10km離れた内陸地でも、潮水を浴びた形になりました。 もちろん、街路樹ばかりか、農作物への被害も膨大のようです。まさしく、塩害でした。 一夜の風雨によって、見事にわが街の景色が変貌してしまったのです。 大自然の力は恐るべしと改めて思いました。 それでも、来年になれば、街路樹は再び紅葉してくれるでしょう。 しかし、農家の方にとっては、大きなダメージです。 学生時代に観た映画「風と共に去りぬ」の場面が思い浮かびました。 前半部のラストシーンだったと記憶します。 荒涼とした大地を見て、腹這い、立ち上がって叫ぶスカーレット。 そして、この物語を貫く名台詞。「明日には、明日の風が吹く。」 2009年10月16日


郷愁というのは、秋の心と書きますが、私の家内もこの季節、 そんな思いに駆られるようです。 ちょうど、義母が入院したのを機会に、里帰りを先日果たしました。 そんな折に、さだまさしさんの「望郷」という歌を教えてくれました。 さださんは長崎で、家内は函館です。 どちらも異国情緒漂う港町でよく似ています。 家内の好きな歌詞は、「選ばぬ言葉で話せる町」だそうです。 ずっと故郷にいる者にはピンと来ないかもしれません。 ありのままを受け入れてもらえる。 背伸びしない。自分が自分でいられる。 そこに重荷を下ろせる。ほっと一息できる。 さださんの一つの一つの歌詞に故郷の魅力が凝縮されていました。 結びの歌詞にも魅かれました。 「夢見て破れ 恋して溺れ 裏切りまた裏切られ 知らず知らずに 汚れるこの身 恥じながらも唄うこの唄」 そんな私達をなおも受け入れ、優しく覆ってくれるのが故郷。 そこには、父や母たちの大きな愛が待っているのだと思います。 この秋、故郷から離れている人達の望郷の念に寄り添いたいものです。 2009年10月9日


伊勢湾台風から50年。 当時と同じようなコースで愛知県に台風が上陸しました。 猛烈な強風が吹き荒れて、明け方には久方ぶりの停電。 多くの人が眠れぬ夜を過ごしたのでは。 しかし、八時も過ぎると、日が差してきたので、車で会社に向います。 なんと信号が消滅。恐る恐る運転しながら、木が折れ、看板が崩れ、ガラスが割れ、 台風の爪跡があちらこちらに。 子供たちは、今日はお休みと嬉々としていました。 ところが、無残にも暴風警報が解除。 正午からの登校にブーブーです。 その気持ちもよく分かります。ちょうど、昨夜読んでいたのが「自由と規律」という 英国パブリックスクールを紹介した岩波新書。 そこでは生徒たちに、自由も与える一方で、かなりの不自由を生活の中で強いる。 それが、我慢のできる大人、ジェントルマンを育て上げる。 日本では、規律なき自由、大人が子供の言いなりになっていないだろうか。 バランスも必要ですが、いやなことでも、じっと我慢をさせて送り出す。 実は、親の方こそ、じっと我慢が必要なのでした。 2009年10月8日


戦争を語らなかった祖父母たちのことを前回の日記で書きました。 すると、その日記を読んでいただいた方からメールをいただきました。 その方のおじい様がソ連の捕虜だった。 今度は私の方が、戦争の歴史を語り継いでくれた方を思い出しました。 それは、中学校時代の校長先生。 同じくソ連の捕虜だったのです。 全校朝礼で、シベリアに抑留された過酷な体験をお話下さいました。 そこで、日本語に訳されたドストエフスキーの「罪と罰」に遭遇する。 それは、それは、貪るように読んだそうなのです。 食べ物の飢えがあるように、言葉にも飢えがあると。ならば、言葉とは。 「日本語練習帳」の大野晋(すすむ)先生は、言葉とは何かを生涯追究されていました。 先生の著作より、私なりに、言葉は愛するためにあると直感。 では、私たちは、愛するために言葉を使っているでしょうか。 言葉に飢えるとは、すなわち愛に飢えている。もしや、食べ物も同じでは。 言葉や食べ物はあっても、そこに愛がないなら、 この時代も飢える人は溢れるでしょう。 2009年10月2日


地域の運動会で、お年寄りの方と話す機会がありました。 そのお父様は、ガダルカナル島からの帰還兵。 しかし、戦争のことを語ることは一切なかったそうです。 そこで、ご自分で調べたのでしょう。ガダルカナルの悲劇を伺いました。 戦後、多くの人が口を閉ざしてしまったようです。私の祖父母も。 学校の授業でも、近現代史は足早に通り過ぎて行った記憶もあります。 かといって、蓋を閉ざしたままでも良いのでしょうか。 子供が走るのを脇目に、「粗食だったから、長生きできた。子供たちは可愛そうだ。 ジュースに、スナックに、日本人の寿命は縮むよ。」 政権交代の話に至り、いろんな事を危惧されていました。 「僕らの世代は、何をなすべきでしょうか。」 その方は、嬉しそうに、ひと言「歴史を学びなさい。」 先が見えない時こそ、お年寄りに教えていただく必要があるでしょう。 悲惨な戦争を乗り越えた人たちは、まさに知恵の宝庫。 ちょうどその方と同じ年頃の半藤一利さんの「昭和史」に目が留まりました。 天の声とばかりに読み始めました。 2009年9月25日


新聞や雑誌の言葉は、読み捨てとなりがちです。 しかし、文学作品のように、後世に残るものもあります。 この時代は、ネットやメールも拍車をかけて、言葉が次々に生まれては、次々に消えて行く。 かたや、聖書のように、二千年の歳月を経てもなお、 今日も読み継がれている言葉があります。 その違いは如何。例えば、時の人と言うことで、出版社の思惑とも重なり、 怒涛のごとく著作が出る現象。同じようなタイトルばかり。 しかし、読者としては、1冊にまとめてもらった方が有り難い。 やはり、言葉は簡潔明瞭を旨とします。 個人的には、じっくり時間をかけて書くような作家が好みです。 言葉を慎重に選び、何度も推敲する過程をへて、言葉は磨かれて簡潔明瞭になります。 そこにこそ、時を越えて人の心に触れ続ける、いつまでも残しておきたい 本物の言葉が生まれるのだと思います。 生涯一作品という作家があっても良い。ひとつを究める。 果たして、フライパン倶楽部の言葉は、後世に残るのだろうか。 じっくりと言葉を選んで参りたいです。 2009年9月19日


JALと言えば、憧れの会社でした。 TVドラマ「スチュワーデス物語」を思い出します。 当時スチュワーデスも輝いて、あの鶴のシンボルも光っていました。 それが、いつの間にか、深刻な経営難に陥っています。 1987年の民営化が分水嶺でしょう。 日本のみならず、世界的に航空業界は、自由競争の大波を受けて、 厳しい状況にさらされています。 誕生日割引に、超割、早割、マイレージ。 航空料金は安くなりましたが、果たして、それで良かったのか。 安くても、安全面では大丈夫なのか。 安くても、パイロットやスチュワーデスは誇りをもって働けるのか。 安くても、その会社は存続できるのか。 マイレージがたまっても手放しには喜べない状況です。 ならば、JALとANAの合併はいかが。文字通りの全日空、ALL JAPANです。 この業界には、国策も必要だと思います。 シンガポールは如何。航空会社は、その国の顔でもあります。 本来の日本は、シンガポールにも劣らぬサービスが可能なはず。 ともあれ、市場原理を過信すべからずです。 2009年9月15日


「いらっしゃいませ〜」と響く声は、四角いボックスから。 売り買いが終わると、「ありがとうございました。」 日本全国に溢れている自動販売機がしゃべり始めています。 声はあっても人はいない。人の介在しない売り買いが日常となりました。 通信販売も、ネットで注文して、宅配ボックスに入っている。 果たして、これで良いのか。 売り買いとは、物が流れるだけではなく、本来そこに人と人との交流がありました。 昨今の人間関係の希薄さは、売り買いの変化に由来するものかもしれません。 単に損得だけで、売り買いを見なしてしまう。 商店街が花盛りだった昭和ノスタルジアのような光景、 人と人との温かなつながりを懐かしむ人は少なくありません。 そして、富山の薬売り商人のように、お客様のもとに自分の足で出かけて行く。 お客様と世間話をしては、お客様と一喜一憂しながら、お客様に必要な品を提供して行く。 そこには、物を売り買いする原点があります。 便利な四角い画面の前でも、目指すべきは、温もりのあるフライパン倶楽部です。 2009年9月11日


人と人との関係で、微笑みは必須だなあと痛感しています。 家庭の中でも、仕事の中でも。 微笑みのあるところ、安心感があります。 自然と心が開かれて、いつしか信頼が芽生えています。 微笑みが与えてくれるものは測りしれません。しかも、無償です。 マザーテレサも、過酷な仕事をしている シスターたちに口を酸っぱくして語っていました。 「スマイル、スマイル、スマイル」 マザーこそ微笑みの力を誰よりも知っていたのでしょう。 そして、赤ちゃんの微笑みは特別素晴らしい。こちらにも伝染します。 赤ちゃんは、天からの授かり者。微笑みを忘れないでねと教えてくれているようです。 微笑みは、心の井戸から自然に湧きあがるのがベストかもしれません。 信仰者は、救い主に愛されていることが根底にあります。 それが微笑みの源泉です。 そして、この浮世では「喜ぼう」と意志を働かせることも必要でしょう。 聖書では「いつも喜んでいなさい。」喜びを選びとる意志です。 私たちの世界は、微笑みだけで、まだまだ明るくなれる余地があります。 2009年9月8日


拉致被害者の蓮池薫さんの著作がノンフィクション部門の賞を受けたと知りました。 「半島へ、ふたたび」のタイトルで、蓮池さんがご自分の「自由意志」で 朝鮮半島に旅立った手記です。はじめの旅は、「自由意志」ではなく、強制でした。 私たちの日常では、ぴんとこないのが「自由意志」です。 そこには、人間が人間である根源があるように思います。 しかし、それを当たり前のものとして、享受していることにも気づかない。 北に拘束された特異な体験が、図らずも、この「自由意志」への気づきと感謝を生んだのでしょう。 蓮池さんは文筆家の道を歩み始めました。 北で覚えたハングルを捨てるのではなく、それを生かして、翻訳を手がけました。 今回の著作も、救出を待っている仲間たちへの応援歌でもあります。 その特異な体験は、真実を気づかせ、生きるべき道をさえ開いてくれる。 私たちも、つらいことを体験したならば、不満や愚痴で終わってはなりません。 あきらめずに希望を持ち続ければ、きっとそこに真実なものが見えてくるでしょう。 2009年9月3日


どうして、あんなに負けてしまったのか。 自民党への不満が爆発したようです。 この4年間を振り返れば、当然の結果だったかもしれません。 無責任極まる、内閣の丸投げ。 郵政民営化を争点にして勝利した議席を、他のことにまで最大限に使い切る。 その郵政民営化で除名されたはずの議員が、いつの間にか大臣になっている。 あげくは、国際会議で泥酔会見をする財務大臣。 いつしか、圧倒的な議席に溺れて、国民の側に立つことを忘れてしまったようです。 やはり、忘れられた国民は、冷徹に判断を下しました。 そのことは、原点に返るチャンスをもらったと喜ぶべきかもしれません。 しっかりと頭を冷やして、国会に帰って来てもらいたいものです。 かたや、民主党は消去法での勝利の感があります。 なぜ勝てたのかをよく分析して、自民党の轍を踏まず、国民の側に立つべきでしょう。 いずれにしても、国民あっての政治。 根本的には、与野党の争いではありません。 国会はひとつ。与野党が結集して、明日の日本を創造していくことです。 2009年8月31日


いよいよ選挙です。ココ豊橋は激戦区のようで、総理も民主党の代表もやってきました。 また、公明党代表の太田さんも駅前で演説をしていました。 党派や考え方は別として、太田さんは豊橋育ちの三河人です。 三河の気風をどことなく感じることができます。 太田さんは、三河人を質実剛健とも表現していました。 悪く言えば、生真面目とも、馬鹿正直とも言えます。 私も自分の中に、そんな一面があると感じます。 あるいは、その典型かも。最近も、あまりにも真っ直ぐ過ぎて、かえって人を傷つけてしまいました。 ほどほどにして、何もしない方が良い場合もあります。 そのあたりの見きわめが、どうも分らないようです。 徳川家康に、何があっても従って行った三河侍を評価する人は少ないでしょう。 しかし、福沢諭吉先生は、痩せ我慢の説で、二君に仕え賢く振舞った 勝海舟や榎本武揚を散々批判していますが、三河侍を激賞しています。 見ている人は、見ているのだと思いました。 そんな三河人の生き方に、私は誇りを感じてしまうのです。 2009年8月28日


大学のサークルが50周年を迎えて記念誌を出版することになりました。 久し振りに連絡を取り合う機会が与えられました。 学部の卒業は私と同じでしたが、卒業時に 成績優秀で金時計をもらったと記憶する先輩がいます。 今は、アフリカ研究をする大学教授としてご活躍。 ネット上のホームページでお顔を拝見して、 そこに記された自己紹介の言葉に目が留まりました。 「誠実、心の真のありのまま、これ常にいかに尊きかな。 実際に自己の心の中に存することを語る者は、 その方法いかに拙劣なるも、必ずや彼に聞かんと欲する人あるべし」 常日頃思っていた事が、見事に表現されていました。 思わず、「アーメン、その通り!」 内村鑑三先生のこの言葉が、先輩の好きな言葉でした。 当時、旅先の船上から葉書を送ってくれました。 「基督者は、イスラム世界を知るべし」 それを実現する旅の途上でした。 そして、時を越えて本日、先輩から西アフリカのリベリアからメールが届きました。 「昨日もスラムのなかの小さな教会で礼拝を守りました。」 2009年8月24日


今年はプロテスタント宣教150周年の年です。 カトリックは、ザビエル宣教師が戦国時代にやってきた時に始ります。 かたや、プロテスタントは、その後の禁教令もあり、幕末まで時を待ちます。 開港された1859年に、ローマ字を作ったヘボン宣教師らがやってきました。 その記念行事のひとつに、東京日本橋から京都三条大橋までを1ヶ月かけて歩く催しがありました。 今週参加者の方が、ココ豊橋に立ち寄られました。 その中に宣教師がおられて、白人なのですが、日本語はとても流暢なのです。 すると、「ゆで卵」と教えてくれました。見た目は白いけど、中味は黄色い。 言葉だけではなく、文化も習慣も、そして考え方まで日本人になっている。 まさしく宣教師魂。お父様も宣教師で、「僕はmade in JAPANです。」とユーモア一杯。 日本にある教会は、宣教師たちの労苦の賜物ですが、未だ宣教師に依存していないだろうか。 個々の教会は、そして教会員は、しっかりと自立できているだろうか。 明日は、海外で「バナナ」が増える事を祈ります。 2009年8月22日


映画にもなった書籍「一リットルの涙」をご存知でしょうか。 実話で主人公の木藤亜也さんは、ココ豊橋の出身です。 彼女は、脊髄小脳変性症と呼ばれる難病と闘いました。 その同じ病気を現在進行形で患う横浜の工藤良一牧師が豊橋に来られました。 発病して平均5年10年の余命と言われる中、 今日まで涙に暮れず21年生かされています。 なんとか立って話す事はできますが、歩く事には介助が必要です。 明日の命も分らず、不自由な生活の中でも、牧師は希望で溢れていました。 「平凡」の中に潜む幸せに気づかれ感謝していました。 また、人前で話をすることが、リハビリと言われます。 私は、話の内容以上に、発声すら不自由なお体の中で、 ひたむきに語っている姿にしびれてしまいます。 牧師は、小さな子供のように、一挙一動をイエス様により頼んでおられます。 もし、その難病が癒される事を奇跡と呼ぶならば、 その難病の中ですら希望をもっている事こそ奇跡と呼びたい。 ふと、木藤さんも。あ〜イエス様を知っていたらなあ〜。 2009年8月20日


地震があった翌日に、弘前まで葬儀に出掛けました。 新幹線の旅で、東京から八戸までは、立席しかとれず、デッキで座り込み。 ふと手にしたのが、新潮文庫の「山椒大夫」。 騙された親子が引き離され、人身売買される。 安寿の犠牲によって、弟の厨子王が、山椒大夫のもとから逃れる。 そして、生き別れた母の玉木を探します。 ついに盲目となった母は、けなげにも安寿と厨子王の名前を呼んで歌っていた。 その歌声で厨子王は、母であることを知ります。 息子を前にして、涙がポロリと落ちた時に、母の目が開かれます。 私の目からも、ポロリポロリと涙が流れてきました。 こんなことがあって良いのか。 しかし、北の国に囚われて、未だ引き離されている安寿と厨子王が、 この時代にもいます。その帰りを今日も待ちわびている玉木もいます。 けど、それを他人事のように、痛みを感じれない自分の心の中にも、山椒大夫が潜んでいるようです。 到着した弘前では、ともに寄り添い、ともに涙を流せることに、 一条の光が差したようでした。 2009年8月17日


中学校の同窓会が無事終わりました。 今回は、司会進行役を引き受けました。 25年ぶりの再会に、ゲームにクイズに、知恵を絞ったものの、 いざ、はじまって見ると、なつかしさの余り、雑談がとまりません。 舞台上は別世界で、一人相撲で司会進行をしている感じでした。 ただ、終盤の校歌斉唱で、ようやくひとつになれました。 経験のない応援団員に挑戦してみたのが幸いしました。 インターネットのサイトで動きを確認して、 海でひとり、大声をあげて練習しました。 すると、スムーズに事が進みます。 母校は、伝統の太鼓を貸してくれました。 また、学生服屋さんも、新品のジャストサイズを、貸してくれました。 そして、当日。腹の底から「オース」の掛け声。 三三七拍子では、力の限り太鼓を叩きました。 恩師と仲間へのエール交換では、ありったけの声を出し尽くしました。 そして、最後の校歌斉唱。手を前に横に振り振り、思わず最後のフレーズ 「たのし 豊橋中部中」を3回も繰り返してしまいました。 これで一転、ようやくひとつになれました。 2009年8月10日


地域の納涼祭のお手伝いをしました。 私の担当は、舞台の音響です。 演奏者から、CDやカセットを預かり、それを指示通りに流します。 2日間の舞台で、ひときわ感激したのが津軽三味線でした。 豊橋市の雅(みやび)会というグループで、師匠らしき方は、 職人肌の風貌で迫力がありました。 脇にいる、私の方に厳しい視線を向けて、手を上にあげます。 そして、望んだ音量になると、頷いてくれました。 次に、おとなしそうな小学生が、掛け声とともに独奏を始めました。 その容姿とその音が非常に対照的でした。 西洋の弦楽器にはない、独特の迫力ある音です。 バチと呼んでいましたが、それを片手に弦をかき鳴らします。 そのバチさばきは、凄まじい。 背後には、かなりの猛練習があったのだと伺えます。 彼は、全国大会優勝の実績を持っていました。 まさしく、三味線一筋なのです。 それは、ピアノやバイオリン等のメジャーな楽器にも劣らない魅力でした。 楽器というよりも演奏者。 どんな楽器でも、一筋に打ち込むと、輝きが放たれます。 2009年8月6日


ラオスに農業指導に行かれている方とお会いしました。 年は同じで、17歳の時に、信仰をもったのも同じです。 飢餓で苦むアフリカの人たちを映像で見て、海外で働くことを当時決意したそうです。 その後、青年海外協力隊と国際飢餓対策機構を通じて、 只今は組織を離れてご夫婦で活動されています。 ずっと志を曲げずに歩み続けています。 今回、聖書の「一粒の麦」について教えてくれました。 それは、「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。 しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」 麦が死ぬとは、どのようなことだろうか。それは、次の命のための種となること。 しかし、それを死と表現しているのはなぜだろうか。 志の強い人こそ、とかく柔軟性を欠いてしまいがちです。 彼は、その言葉に出会い、自分の考えや計画に死んだそうです。 すると、新しい展望が開けてきた。 米作りをしている彼にとっては、「一粒の米」だそうですが、 自然の中には真理が秘められています。 「高津さん、米作り面白いですよ。」 2009年7月25日


同窓会に出席いただく先生方に、ご挨拶のお電話を入れていました。 当時と全く変らず溌剌としたお声をいただいた先生のお一人が、保健体育の女性の先生でした。 先生は、教育の現場で問題意識をお持ちになり、今は市議会議員としても活躍しています。 初当選の時から、先生には、お似合いのお仕事だと思いました。 本日解散。世襲が話題となっていますが、何をしたいのかが見えにくい。 実社会を知らないままでは、果ては自分の栄誉栄達を求めがちです。 しかし、現場上がりの先生の動機は、より純粋で分りやすい。 その強い問題意識こそ、政治力です。 このような人たちこそ、政治屋ではなく、政治家だと思います。 教育は、政治の根幹。特に、地方行政レベルでは、最重要課題かもしれません。 先日も、先生は午後の公園前の大通りで、ひとりマイクを握り、 道行く人に語りかけていました。 今できることを精一杯されている姿は、当時と変りません。 その姿に、今日も生徒として、生きることを教えていただいているようでした。 2009年7月21日


中学校の恩師を卒業以来はじめて訪ねました。 車を1時間ほど走らせた自然豊かなところにお住みでした。 25年ぶりのことでしたが、先生は元気でした。 現役から退き、土をいじっている日々とのこと。 そのお姿を拝見した時、ほっとしました。 ご夫妻で「よく来てくれたね〜」と満面の笑みで迎えてくれました。 なんだか、放蕩息子が、ようやく家に帰って来た時のような歓迎ぶりでした。 「これ、わたしが作ったのよ。食べて、食べて。」 初めてお会いする奥様は、イチジクを干したお菓子を振舞ってくれました。 話が当時のことになると 「43年の教師生活で、あんなにショックだったことはなかったなあ〜」 先生の表情が、はじめて曇りました。 それは、同級生が不慮の事故で当時亡くなったのです。 ちょうど同じ時期、夏休み前のプールで起こった悲劇でした。 そして、他の同級生の消息を聞いてきます。 帰り際に大きなスイカを持たせてくれて、 お二人揃って、私が見えなくなるまで見送ってくれました。 庭先の山百合が、それは見事に花を咲かせていました。 2009年7月16日


25年ぶりに中学校の同窓会を開くことになりました。 商店主の息子ということだけで、この街にとどまることを見込まれて、 卒業時に世話役に選任されていました。 初めての会合の席では、当時は話したこともなかった面々が。 当時とはまた違った印象で、彼らを見直してしまいました。 それは、年の功か、彼らも私も成長したということかもしれません。 その席でも話題になるのが、あの人どうしていると同級生の消息です。 そんな時、風評には気をつけなければなりません。 悪い方の噂は、一人歩きして膨らんで、虚像を作り上げます。 疑心暗鬼という言葉の通り、鬼実在せずとも、 われらの軟弱な心の中に生まれるものです。 同級生だけでなく、そのような勝手な思い込みは、日常も多いものです。 実際に会ってみれば、骨折り損で、何も心配は要らなかった。 やはり、百聞は一見に如かず。見ることが、一番確かです。 いろんな怪物や妖怪が徘徊しているなら、実際に会ってみることです。 同窓会とは、鬼退治のためにあるのかもしれません。 2009年7月9日


わが故郷の書家であった大澤華空(かくう)さんの創設した会の 展示会が豊橋美術館でありました。 そこで、「ごんぎつね」で有名な新美南吉さんの 無題「大人が」という詩にめぐりあいました。 〜大人が子供にいつた、「この美しい本をあげよう」と 子供は喜んで訊ねた「いつくれるの」大人「来年になつたら」 子供は早く来年になればいいなと思つた しかし次の日大人がいつた 「もうこの本をあげないよ」子供はそつと唇をかんだ そしてとほくの雲を見ていた  大人はちよつとすまなく思つた しかし大人は考へた 「何も文句はない筈だ 何一つ損したわけぢやないのだから」 なるほど子供に文句はなかつた だが子供は何も損しなかつたらうか  人の言葉を信じるといふ 尊い心を少うしばかり 子供は失ひはしなかつたらうか〜 メモもとらず、その場を去ったので、その詩が日増しに気になります。 ネットでも検索できません。新美さんの市販の詩集にも掲載がありません。 求めなさい。そうすれば、与えられます。ようやく、図書館で再会を果たしました。 2009年7月3日


グローバル包丁の六本木にあるショールームを訪ねました。 新幹線で東京駅に降り立ち、約束までに十分な時間があります。 そこで、歩いて行くことを決断します。 皇居の二重橋で、若いお巡りさんに「六本木は、どちらの方角ですか。」 「それは、無謀ですよ。」しかし、指差してくれました。 すると、国会議事堂が見えてきました。 再び桜田門の交番では、「この前の桜田通りを、まっすぐ行くと分りやすいですよ。」 そこは、霞ヶ関の官庁街。虎ノ門、神谷町を通り、東京タワーの芝公園で一休み。 赤羽橋で曲がって、麻布十番を抜けると、テレビ朝日、六本木ヒルズです。 もう、到着したも同然と安心していると、はたと迷宮入りです。 そこで、みたび麻布署で尋ねます。 すると、地図を開き、電話帳まで開いて住所を確認して教えてくれました。 無事の到着です。 さすが首都の真ん中ですから、いたるところにお巡りさんがいました。 それでも、どのお巡りさんも親切なのには驚きました。 安心安全な東京の街には、お巡りさんがよく似合っていました。 2009年6月30日


スーツを買いに私が選んだ店は、イトーヨーカ堂です。 もとは、北千住の洋品店だった会社です。 いくつかのお店を飛び越えて、ここで敢えて買うのも、このお店の歴史と創業精神に敬意を感じるからです。 ところが、その系列会社のセブンイレブンが公正取引委員会から命令を受けました。 売れ残り弁当を値引するように。 それは、値引の問題ではなく、本部と加盟店の内部問題だと思います。 安易に値引をすれば、仕入にも緊張感がなくなります。 「売れ残っても、原価で売れれば、損はない」 そうなれば、どんどん安易な方向に流れるものです。 それは、もともとのヨーカ堂さんの売り方ではありません。 時代は変わっていますが、だからこそ、 北千住の原点に返るべき時ではないでしょうか。 創業者の伊藤雅俊さんは語っています。 「商売にとって一番大事なものは、信用を築き上げること。」 本部と加盟店に問題が生じるのは、ヨーカ堂さんらしくありません。 ポールスミスのスーツよりも、私にはヨーカ堂のスーツが誇らしく思えるのです。 2009年6月23日


テレビを見ていると、盲目の小学生がキーボードを手に街角で熱唱していました。 はじめは、数人だけが、しだいに人だかりとなります。 「花〜すべての人の心に花を」 聞きなれた歌なのですが、彼の花は違ったのです。 その歌声に、涙が溢れて来ました。 そして、10年。木下航志(きしたこうし)君の歌声は多くの人に感動を与え続け、 今や歌手として活躍しているそうです。 教会で歌う賛美歌の多くに、作詞ファニー・クロスビーとあります。 彼女も盲人でした。小さい頃に、医者のミスで失明しました。 しかし、彼女の賛美歌により、どれほど多くの人が勇気と力を頂いたことでしょう。 光を失うことは、想像するだけでも心が痛みます。 けれど、その暗闇を乗り越え、たくましく生きている姿に、希望の光を見るようです。 自分の悩みなんぞが、いかにちっぽけなものかも悟れます。 先日の辻井伸行さんの快挙も然り。 神様は、各人に賜物をお与えになっています。 後日ファニーは、その医師に優しく語ったそうです。 「神様には、失敗がありません。」 2009年6月22日


しょうがの皮むきが新聞で紹介されていました。 このところ、アイデアグッズに近いお料理道具がブームなのでしょうか。 そこには、遊び感覚も存在します。 価格も手ごろであれば、新鮮な気持ちで、楽しくお料理にものぞめそうです。 そこで、お料理と遊びについて考えてみました。 特に、子供の場合は、遊びの要素があると長続きもします。 そして、お料理の場合は、遊びで終わらず、食べる楽しみも待っているオマケ付き。 周りも喜んでくれます。 任天堂のWiiという新しいゲームも、遊びで終わらず、ある程度体を動かせる。 もしかしたら、今度は遊びながら、お料理もできてしまう。 そんな生活密着型のゲームが登場するかもしれません。 いや、待てよ。お料理そのものが、素晴らしいゲームの可能性を秘めているのでは。 何も任天堂さんの頭脳にお任せすることもありません。 お料理は、手や目や耳だけでなく、舌も、鼻も含めて五感をフルに使います。 その点では、Wiiにもまさります。 極めれば、お料理こそ、至高のエンターテイメント也。 2009年6月15日


良く晴れた日曜日の午後に、教会のお墓にでかけました。 そこは、高山(たかやま)という豊橋市が一望できる小高い山の中腹にあります。 さながら、故人が天国から下界を眺めているような心持でした。 その石碑には、百合の花が描かれて 「私は、よみがえりです。いのちです。私を信じるものは、 死んでも生きるのです。」イエス様の言葉が刻まれています。 繁る青葉に囲まれて、うぐいすの声が聞こえてきます。 その時、一陣の爽やかな風が吹き抜けました。 それは、「千の風になって」のように。 「私のお墓の前で、泣かないで下さい。そこに私はいません。眠ってなんかいません。 千の風に、千の風になって、あの大きな空を吹きわたっています。」 信仰者は、肉体は朽ちても、霊は朽ちないと信じています。 風は見えません。しかし、肌で感じることができます。 同じく、霊も見えません。しかし、心で感じることができます。 聖書の原語では、霊と風は同じ言葉が使われます。 初夏の風をうけて、やがて訪れる天の世界に、しばし思いを馳せました。 2009年6月12日


巨大な自動車メーカーが破綻。アメリカ在住の友人に聞きました。 「どうして、あのようになってしまったの?」 「自動車は、部品の集合体。それを自社で作らず、外注して組み立てる。 一見効率の良いように見えるけれど、自分がなくなってしまった。 その点、トヨタやホンダは、エンジン等のポイントでは自社製にこだわっている。」 なるほどと頷いてしまいました。 売上や効率を求めるあまりに、受け売りに走り、自分を見失ってしまった。 これは、小売業にも通じる真理だと思いました。 百貨店や量販店が典型かもしれません。 自社で売らずに、他社に場所を提供して売る。 それなら、小売業ではなく、不動産業かもしれません。 ネット販売も然り。自社で売っているのでしょうか。値段で売っている様相です。 それなら、小売業ではなく、金融業かもしれません。 小売業の本道は何か。見つめ直すべき時です。 それは、人間の生き方にも通じるものでしょう。 受け売りに暮れて、自分がない。 そんなお面をかぶった生き方は、随分とつまらないものです。 2009年6月6日


就業体験に来ている高校生が、辰巳芳子さんの 「いのちの食卓」を読んでレポートを書いてくれました。 〜私は、食は深い!!と言うのを第一に受けました。 しかし、「深い」という表現がしっくりしないので考えてみました。 食べる事は、生きる事とものすごく近いもの。 生きているから食べていると言うよりか、食べているから生きている。 食べる事は、人間の何よりの土台のような気がします。 だから、私たちは、そんな当たり前すぎることを、いちいち考えることもなく 生活しているので、この本を読んだ時に感じた「深い」という印象を 何か不釣合いに感じたかもしれません。 だから、毎日の家族の食事を作るお母さんたちも「一日三回の仕事」みたいに 気が重く感じてしまうのかもしれません。 そして、将来私が母親としての立場になった時には、この本で学んだ事を 思い出して料理して行きたいです。〜 「一日三回の仕事」という絶妙な表現。 当たり前の中に潜む奥深さへの気づき。 お料理の真髄を教えていただき、大きな花丸をつけたくなりました。 2009年6月4日


この季節、クローバーをいたるところで見かけます。 すると、四葉がないかなあ〜と条件反射的に探し始めてしまいます。 小さい頃からの習性のようです。 先日も本腰を入れて探してみると、すぐに4つほど見つけてしまいました。 「あった〜!」すると、大方その近くにもあることが多いです。 四葉のクローバーは、なぜ、愛されるのでしょうか。 調べてみると、十字架に見えることから、幸せを運ぶと言われているそうです。 それでは、なぜ、十字架が幸せなのか。その意味を知る人は、ほんの一握りでしょう。 それは、沢山のクローバーがある中で、四葉のクローバーが稀であるのと似ています。 しかし、同じように、求めるものは、必ず見つけることができます。 決して難しいものではありません。 四葉のクローバーの本来の意味を知ることができれば、 すなわち、十字架の意味を知ることができれば、幸せになれると信じます。 それは、私自身が実体験しているからです。 幸いなる哉。私は、高校時代に、その四葉のクローバーを見つけました。 2009年5月30日


豊橋動植物園には、バラ園があります。 この時期に、いろんな種類のバラが開花しています。 個人的には、花に鼻をつけて、芳香を楽しみます。 香りには、思い出が詰まっているのでしょうか。 バラの香りは、なぜか幼稚園時代を思い出すのです。 山のふもとにあった自然豊かな幼稚園でしたので、 園内いたるところに花が咲いていたと思います。 「おへそと太陽」を合言葉に、運動場の園児たちは上半身はだかでした。 はだかの幼稚園ですが、仔羊(こひつじ)幼稚園です。 創立者の園長先生は、鼻にイボがあったので、 園児からは「園長チョコチョコボール」と慕われていました。 ふと卒業文集を開くと、先生の言葉に目が留まりました。 「君たちが大きくなったら、聖書という本を読むように・・・」 私は高校時代に、聖書に触れましたが、先生の奨めを越えて、そこに祈りを感じました。 すると、香りと祈りが一つとなりました。 どちらも、天まで昇り、今も絶えることがありません。 バラの香りには、園長先生の熱き祈りが秘められていたのでしょう。 2009年5月28日


GDPという国内経済の規模を表す指標があります。 景気の後退を受けて、どんどんと規模が小さくなっています。 それをもって悲観することもないでしょう。 ある意味では、人の体と同じです。その大きさは、水脹れかもしれません。 それを引き締めて、お腹にある贅肉が削がれれば健全な体になります。 体重の多いことが、良いことではないのです。 ローレル指数や体脂肪率のような指標といえば良いでしょうか。 その身の丈にあった、ベストな体重があるのです。 今の日本の経済は、身の丈に相応しいのでしょうか。 アメリカの浪費にも近い消費に対して、過度に輸出をしてきた結果とも言えます。 規模のみ大きくなれば、破綻するばかりか、資源は枯渇して、ゴミの山。 日本人が大切にしてきた自然も失われます。 フライパン屋でも、樹脂加工のような消耗品ではなく、 末永く使える鉄のフライパンをお勧めしたいです。 物を大切にする消費スタイルは、そこに慎みが生じます。 健全な体にも慎みが必要なように、経済にも慎みが必要です。 2009年5月21日


「高津君に、母親のような優しさがあると良いよなあ〜」 幸い私には、このように声をかけてくれる方がいます。 私の身近にいる人には、頷ける言葉なのです。 しかし、当の本人は、自分のことが見えていない。 自分が自分のことを一番知っているつもりなのですが。 夏目漱石が「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」 智も情も意地も、人間の人格をなす働きであり、どれも重要なものです。 しかし、それらが過ぎてはならない。偏ってはならない。では、いかに。 この3つの調和です。 よく耳にする全人格教育とは、まさにこの調和が目標でしょう。 聖書にも「厳しさと優しさ」あるいは「力と愛と慎み」という並列の言葉があります。 これも調和を教えていると思います。 いや、愛というものこそ、この調和を意味しているようです。 その時、イエス様こそ、調和のとれた全人格をお持ちだと気づきます。 とかく人間は偏ります。しかし、人の声によって救われます。 また、私の祈りの課題が増えました。 2009年5月19日


「受け売り」という言葉があります。 辞書で調べると、それはメーカーや卸店から買った商品を転売すること。 それは、皮肉にも、今の弱体化した小売業を指しているかのようです。 しかし、本来の小売業は、受け売りではありません。 自分で商品を選別して、自分の言葉で売ります。 商品や情報が溢れると、ますますこの受け売りが主流になります。 何といっても、安易で楽ですから。 お料理でも同じです。お料理本やレシピに書いてあることをそのまま鵜呑みにする。 自分で考えない。自分で判断しない。すべて他人まかせ。 いかにも、分っているかのように振舞います。 その実、自分の味が全くない。 100年前に夏目漱石も悩んでいました。 当時の学問も、西洋の受け売りだったようです。 その時、自分本位という言葉によって、この受け売りから解放されます。 それを漱石なりに、「私の個人主義」と呼んでいます。 大先輩は、きちんと要諦をおさえていました。 それは、自分の足で立つ、独立に至ります。 小売業も大人になるべしです。 2009年5月16日


ある時、突然メールが入って、実店舗を訪れた人がいました。 大学の後輩にもあたり、親近感を覚えたものの、 ウェブ上の新規事業を立ち上げ、苦闘していました。 コミュニティサイトで、いかに利益を出して、運営をしていくかが当面の課題でした。 その後、事あるごとに、彼の名前を聞くようになって、 そのカテゴリーでは、国内最大のサイトにまで成長しました。 しかし、そんな話を聞くと、自分の中には複雑な思いも芽生えていたようです。 素直に喜ぼうとしない感覚。 同じサイト運営を手がける立場で、後輩に先を越されたしまったような一抹の寂しさでしょうか。 裏を返せば、いかに自分への執着が強いものかが見えてきます。 内村鑑三氏は、その著書でご自分をヨナタンXと呼んでいました。 聖書によると、ヨナタンは王子の立場にありました。 しかし、実力と人気のあった友人ダビデに嫉妬することなく、かえって彼を祝福します。 やがて、ダビデは王となります。 この時代も、ヨナタンのように、心から人の成功を喜べる器が求められています。 2009年5月12日


ココ豊橋は、書店文化が花盛りかもしれません。 当社筋向いには、耕文堂(こうぶんどう)さんがあります。 子供の頃、長時間立ち読みしていたのが懐かしいです。 そして、少し足をのばせば、駅前には精文館(せいぶんかん)。 こちらの蔵書数は素晴らしい。大方ほしい本は手に入ります。 豊橋人には、なくてはならない存在です。 もう一件、豊橋公園のそばに、豊川堂(ほうせんどう)さんがあります。 こちらの店内は、落ち着いた雰囲気で、文化の薫りが漂います。 店主おすすめ本のコーナーもあり、また違った魅力を感じれます。 最近、中学2年生の娘が映画「余命1ヶ月の花嫁」に興味をもちました。 そこで、これはチャンスと本の贈物を思いつきました。 早速、豊川堂さんで、単行本を見つけてレジへ。 にこやかに、さらりと店員さんが「こちら、文庫本もありますよ〜」 3分の1ほどの価格ですが、こちらで十分でした。 「じゃあ、文庫本で。」浮いたお金で、他の子供たちへの本も買えました。 こんな地域の本屋さんを応援したい今日このごろです。 2009年5月9日


「子供のため」という視点は、問題の扉を開く鍵のようです。 もう一度、その視点で見つめ直してみます。 すると、今まで見えなかったものが見えてきます。 明日への道標です。「子供のため」は、真に大人のためでもあることに気がつきます。 例えば、酒やタバコを飲まない。 シンプルに考えれば、大人にとっても良いことです。 ところが、「大人は、どうして飲むの?」 子供はその点では、実に鋭く率直です。 濁った大人の目でなく、澄んだ子供の目こそ、真実が見えるように思います。 いろんな理屈はつけれますが、大人の矛盾ということです。 「法律で決められているのだ。」と諭す前に、 その素朴な指摘は、大人たちが自らの生き方を反省すべき時のように思います。 そこで、子供のように素直になれれば、大人が自己変革をする機会となります。 しかも、「子供のため」は党派を越えて、大人たちの力を結集できます。 子供は偉大です。イエス様も子供たちが大好きでした。 「幼子らを許せ、我に来るを止むな。天国はかくのごとき者の国なり。」 2009年5月5日


教師の有形力行使に、はじめて最高裁判所の判断が下されました。 わがままな子供を口だけで諭すことは至難の技。 そのまま放任させれば、子も親もさらに混乱をきたすでしょう。 わがままと自主性の違いも熟考すべしです。 聖書には「愚かさは子供の心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。」 底流には人間観も関わります。 最近の中学生は、有形力行使に戸惑いがある教師の隙も突きます。 いかにも知能犯。もし、彼らが生命に関わる重大事をしでかしたら、 有形力行使が相応しい場合も十分ありえます。 校内暴力で荒れていた我が時代は、毅然とひるまず叱っていただいたものです。 今とあの頃は違うようです。 その時の、先生の真剣な眼差しは、今でも焼きついています。 それは、怒りの暴発なんかではありません。 立派な人間になってもらいたい、一途な愛情の発露でした。 今日、叱れない教師や親こそ、逃げや甘さがあるかもしれません。 有形力行使が本質ではありません。信頼と愛情の不足こそ大問題です。 2009年5月1日


販売店にとって、安売りは良いことなのでしょうか。 顧客のためでも、それが過ぎると、利益がなくなり、販売店は運営できません。 インターネット上の安売りは、過ぎています。 モール上のサイトでは、価格の安い順に店名が表示されます。 安売りを助長していますが、販売店は疲弊しています。 モールから撤退したくても、もはや余力がないのかもしれません。 そのため、いよいよ安売りは加速します。節度なき安売りが横行します。 その流れは、実店舗にもまで及びます。 高額なものを百貨店で購入する人はいなくなるでしょう。 それが、日本の小売業全体の現実です。 お互いに利益を食い合って、共倒れとなる。 適正な価格とは何でしょうか。それは、販売店が末永く運営できる価格です。 買う人だけでなく、売る人も納得できる価格です。 本日、フライパン倶楽部は、ルクルーゼ鍋の販売から撤退します。 「節度なき安売りは、破滅の道だ!」販売店は、もっと主張すべきです。 顧客のためとは名ばかりで、結局顧客のためならずです。 2009年4月30日


近くの豊橋商業高校から、就業体験で高校3年生がやってきます。 今回は、クッキング部の部長さんでした。 いつも最初の時間は、「働くとは」を考えてもらいます。 「何で働くのかな〜。」そう問いかけながら、自分も原点に返っています。 すると、新たな発見。その答えから教えてもらっています。 今回は、お料理に興味のある方でしたので、「食べるとは」も考えてもらいます。 これは、ホームワークです。辰巳芳子さんの「いのちの食卓」を読んでもらい、 レポート用紙1枚に感じたことをまとめてもらうのです。 そのレポートから、改めて私も教えられます。 いつも思うのですが、教える人は、教えを受ける人から学ぶ。 教師は生徒から。親は子供から教えられます。 この時期、ボタンの花の真ん中で、たっぷりの花粉をまとって蜂が蜜をもらっています。 蜂の減少が問題となっています。 実は、受粉のお手伝いを蜂にしてもらい、花も実を結ばせている。 お互いに助け合っている関係なのです。 今年も、高校3年生に教えていただく日々が始まりました。 2009年4月28日


豊橋動植物園には、長野県飯田市からいただいたリンゴの木があります。 この時期、とても可憐な白い花が咲いています。 その時、映画「サウンドオブミュージック」で歌われた エーデルワイスを思い出しました。 そこでは、「small and white」と歌われて、同じく白い花なのです。 白い花には、何か魅力があります。歌詞の続きは「clean and bright」です。 すると、乙女をイメージしました。花嫁がバージンロードを歩きます。 その道ばかりか、ドレスも、ブーケもやはり白です。 その通りの汚れなき乙女が、花婿のもとにやってくる。 花婿にとって、花嫁が乙女であることは、最高の贈物。 もちろん、花嫁への清き花婿も然りです。 お互いが自分の体を守る。貞操を守る。その生き方の象徴が白い花に思えました。 白い花を咲かせれば、周りの人を生かす、赤く美味しい実がなります。 やはり、清らかな二人が築く家庭には、豊かな実が結ばれます。 雨にも負けず、風にも負けず、今日も白い花を咲かせている。 それは、祝福の王道を示していました。 2009年4月23日


最近、聖書を読んでいて、薄っすらと涙を浮かべた言葉がありました。 それは、創世記24章という、美しい花嫁物語です。 ユダヤ人の祖であるアブラハムの息子イサクとリベカが結婚に至った経緯が 1章をかけて事細かく書かれています。 父親のしもべが花嫁探しに出かけるのですが、不思議な導きがあり、リベカと出会います。 なんと、そのしもべに出会った翌日には、花婿イサクのもとに出発するのです。 もちろん、リベカにとって、花婿はまだ見ぬ人。 しかし、リベカは、その不思議な導きを、自分なりに熟慮したと思います。 家族は、すぐに出るのをひきとめ、リベカに問います。 「この人といっしょに行くのか。」すると、「はい、まいります。」 この言葉に打たれました。 そこには、うら若い乙女の精一杯の決断が含まれているように思えました。 この決断こそが、父母のもとを離れる真の独立でしょう。 結婚とは、独立への門のように思えます。 ちょうど、天皇皇后両陛下の金婚式が行なわれました。 50年前の美智子さんとリベカが重なりました。 2009年4月14日


サクラ舞う豊橋公園をぶらぶら歩いていると、 タンポポがひときわ沢山咲いている場所がありました。 午後の日差しに向って、きょとんと微笑んでいます。 どうして、ここに密集しているのかなあ。不思議に思いました。 ちょうど、その場所は公園の裏手で、人目につきにくいところです。 桜並木の小道があり、すぐそこには、朝倉川という川が流れています。 良く見ると、子供の頃から、心に焼きついている一つの石碑がありました。 4人の男たちがボートを漕いでいます。 それは、昭和41年に朝倉川が集中豪雨で氾濫した時に、 孤立した住民を助けに出かけて殉職した4名の警察官の記念碑です。 その石に刻まれた4名の姿は、実に格好良い。男の美学すら感じます。 「人その友のために己の生命を棄つる、之より大いなる愛はなし。」 聖書の言葉を髣髴させる、大変インパクトのある石碑なのです。 そこに桜が舞い、タンポポたちが精一杯に花を添えている。 花たちも、咲くべきところを選んでいるようです。 それは、偶然ではないように思えました。 2009年4月9日


サクラの開花とともに新年度が始まります。 一斉に満開となるサクラを見て、「強く明るく」という言葉を思いました。 歳月とともに、人の心は、弱く暗くなってしまいやすいものです。 見るもの聞くものに、いつしか影響されてしまいます。 その時、サクラは日本人に、原点を教えてくれるようです。 強い心をもて。明るい心をもてよ。よく景気の気は、気持ちの気と言われます。 景気とマインドとの関係を調べてみると面白そうです。 巡り巡って、サクラの時期を迎える度に、日本人は心を新たにして、 時代の荒波を乗り越えて来たのかもしれません。 そんな時、首相のメールマガジンに目が留まりました。 「強く明るく」がタイトル名で使われていたのです。 周りはいつもブーブー言うものですが、そんな声を一切ものともせずに、 定額給付金や高速道路の割引など、実生活に密着した政策を淡々と実現しています。 そんな姿に「強く明るく」生きる首相を感じている人も増えているようです。 そこで、自分と首相への応援歌です。サクラ咲く 強く明るく やまとびと 2009年4月4日


イチロー選手の生き方は、イソップ物語を思い出します。 ロバを売りに行く親子に、周りから声がかかります。 「ロバに乗ればよいのに。」子供をロバに乗せます。 「親だけ歩かせて生意気だ。」代わって親が乗ります。 「子供がかわいそうだ。」今度は、二人で乗ります。 「ロバがかわいそうだ。」そこで、ロバの足を縛って担ぎます。 「ロバをかつぐなんて、頭がおかしい。」町中が大騒ぎになり、最後はロバが 暴れだして川に落ちてしまう。 周りの声に振り回されて、自分の意志をもてない人の結末を教えています。 名前を鈴木ではなく、「イチロー」と登録したのは画期的でした。 その時も、周りの人はブーブー言っていたことでしょう。 プロの世界に入る時も、大リーグに行く時も、 「おまえにはできない。やめた方がよい。」そんな声もあったそうです。 イチロー選手が野球少年たちに語っていました。 「重要なポイントが来た時に、自分の意志で何かを決められる大人になってほしい。」 自分の意志を貫く人の結末こそ、あのセンター前ヒットでしょう。 2009年3月28日


「豊橋・生と死を考える会」という素敵な集まりがあります。 そのお世話をしている田中さんが実店舗の方に寄ってくれました。 もともとは、終末期医療のホスピスを考える会から始まり、 「よりよく生きること」を真摯に模索しています。 私のおにぎりの先生と仰ぐ佐藤初女(はつめ)さんを皮切りに、 渡辺和子さん、柳田邦男さん、山崎章郎さん、鎌田實さん、 アルフォンス・デーケンさん、曽野綾子さんなどなど 大変多忙な人たちを豊橋にお呼びして、講演会を開き続けています。 まさしく継続は力なり。その地道な活動ぶりには頭が下がります。 谷川俊太郎さん親子や千住真理子さんの詩や音楽を交えることもあります。 お招きする人たちの人選やその企画も素晴らしい。 それでも、ご婦人やご年配の参加者が多いのが気がかりです。 もっと若い世代にもと、惜しむ気持ちがあります。 本物の話は、世代を問わないと思うのです。そこで、親子での参加もお勧めです。 今週の土曜日は、がんになったホスピス医の細井順さんが豊橋にやってきます。 2009年3月24日


日曜日の午後に、太平洋が眺望できる近くの潮見坂の海に出かけました。 波打ち際で遊んだり、凧揚げをしたり、サッカーをしたり、 カニを採集したりとバリエーションは豊かです。 その日、友人が大アサリをもって来てくれました。 大アサリは、このあたりの名物でもあります。 砂浜で火をおこして、網焼きに。パカッと開いたら、醤油とバター。 潮風をうけながら、子供たちは、次々にペロリと食べてしまいました。 また、この太平洋でも、少なからず、潮干狩りまで楽しめるのです。 ちょうど同じころには、北海道からホタテが送られてきました。 これも、大喜び。どうやら、みんな貝好きのようです。 小泉武夫さんの著書「食と日本人の知恵」には、「貝を食して快となる」という項目があります。 その栄養もさることながら、昔の人は、貝を装飾品に、また貨幣にもしていた。 漢字を見ると頷けます。財、賃、費、貴、貿、貨、貯、購・・・ どれも貝がつきます。やはり、子供たちも、貝拾いに夢中になります。 貝は美味しいばかりか、不思議な魅力があるようです。 2009年3月19日


「韓国のお母さんになります」と拉致被害者の 田口さんの息子さんを抱きしめた金賢姫(キムヒョンヒ)さん。 死線を2度も越える波乱万丈な人生が現在進行形です。 大韓航空機を爆撃して自殺を図った時。 そして、死刑の宣告を受けた時。しかし、今生きている。 多くの人の命を奪ってしまった境遇の中で、 いかに生きて行けばよいのか。それは過酷な問いのようです。 幸い彼女は、獄中で聖書に出会う。 そして、洗脳の呪縛から解放されて、劇的な改心を果たします。 その時に、生きているのではなく、生かされていると悟ったのかもしれません。 北朝鮮の実父を含む家族は、強制収容所に入れられているようです。 その意味では、今回の面会も、相当の覚悟があったのでしょう。 同じ信仰をもつ大統領も加勢して、あくまで彼女個人にとっては、 命をかけた決断のように思えます。今、自分がなすべきことは何か。 親子の絆を断ち切られた田口さんを眼前にして、 あえて、ご自分の親子の情を断ち切る。涙の彼方には、希望の虹が輝いています。 2009年3月12日


ぶらりとお店に寄ってくれたのが、びわこフキンでお馴染みの朝倉さん。 有元葉子さんが激賞するフキンをココ豊橋で作っています。 このフキンは、わが町の生糸の歴史にも由来します。 その昔、小渕志ち(おぶちしち)さんが豊橋の二川地区で、製糸工場をはじめます。 さなぎが二つ入った屑繭から、生糸を繰る技術を開発。 一躍わが町の製糸業が盛んになります。 当時の製糸工場と言うと、「ああ野麦峠」の世界。 ところがドッコイ、「豊橋には、女工哀史がなかった!」 小渕さんは女工さんと食事をともにする。 そのため、大家族のように生き生きと働いていたそうです。 そんな故郷の歴史の語り部としても朝倉さんは活動しています。 私もふと、同時代を生きたお隣の湖西市出身の豊田佐吉さんと 小渕さんのつながりにも興味をもちました。 クリスチャンの大先輩でもある朝倉さんは、 ホームレスの方へのボランティア活動をはじめ、 ご自分のできることを日々淡々とされています。 びわこフキンのタワシを片手に「今度、これを二川名物にしたいよ」 2009年3月7日


ウズラの卵は、本当に小さな小さな卵です。 この小さなものを、毎日毎日、誠実に生産しているのが 豊橋のウズラ農家の皆さんです。 その現場を見学してみたくても、管理が徹底しているので立ち入ることができません。 しかも、内部の人でさえ、なかなか入れないことでも有名です。 今回の検査にしても、自発的に名のり出ているほどです。 ここまで、管理が徹底していての今回の事件。 変死したウズラは一匹もいません。しかし、何十万羽が処分されます。 その処分に手間取っているのも、ウズラが元気だからなのです。 非常に複雑です。未知のことであり、その対応は慎重が期されるべきでしょう。 かたや、地元農家の皆さんを覚えたい。 安易に棚から引き上げる地元販売店を残念に思います。 私は、あの事件があっても、なお棚に並んでいたウズラ卵を見て、 その店に心で拍手しました。風評に流されない「それでこそ、豊橋人だ。」 そして、一番確かな情報をもつ知事と市長こそ、ウズラ卵を公衆の面前で、にやりと食べていただきたい。 2009年3月3日


北海道から親戚のおばさんが豊橋に来てくれました。 ところが、ちょうど寝込んでしまい、思うように接待ができません。 そんな時、ご近所の方が、家内のもとへ「おばさんに、このイチゴを食べてもらって。」 家内からは、その方から「いちごをもらったよ。」とだけ伺い、 私は自分のためと思い込んで、パクパクパク。 「いちごって、こんな美味しいんだ〜」 暗闇の中で、その赤いイチゴが、赤いハートに見えていました。 そのイチゴのおかげもあり、翌日はおばさんの接待もできるまでになりました。 それで、そのご近所の方に、率直にお礼をしました。 「あのいちごは、ハートに見えましたよ〜」「・・・・・」 その話を家内にすると、「え〜。あれは、私が買ってきた別のいちごだよ。」 よく話を聞かずに、早とちりをしてしまったのです。 家内はすっきりせず、お詫びしたところ、「とにかく、喜んでもらえれば良いのよ。」 いや〜、気恥ずかしい。このようなすれ違いってありますね。 しかし、あのハートに見えたいちごは、家内のもので良かったと感謝しました。 2009年2月28日


若き水谷豊さんが小学校の教師になるドラマ「熱中時代」を久し振りに観ました。 私は生徒たちと同世代で、当時も楽しみに見ていました。 ところどころ記憶の断片が蘇りますが、視点は変わってきますね。 熱中先生を取り巻く人たちの温かいつながりに憧れます。 あのつながりは、どこに由来するのだろうか。 いつの間にか、この国が失ったもののように思えてなりません。 このドラマ、いっしょに食べる光景が多いのです。 熱中先生は、校長先生のお宅に、他の先生たちと下宿しています。 夕方には帰って来て、みんなで食事をするのです。 そして、朝も。その中で、学校であったことを共に喜んだり悲しんだり、時には相談しあったり。 その光景が、実にあったかい。 かたや、今日では、ワンルームマンションのコンビニ弁当でしょうか。 NHKの「今日の料理」のレシピが、この春から4人分から2人分になるそうです。 お料理は、たくさん作って、たくさんで食べる方が美味しいのです。 熱中先生のあのフィーバーぶりも、手作り料理の賜物でしょう。 2009年2月24日


道産子の家内がいつになく激賞していたのが、 ココ豊橋の和菓子屋お亀堂さんの「あんまき」です。 時同じくして、和菓子職人を親にもつ、三重県出身の方からも 「お亀堂のあんまきは、最高に美味しい!」 家内以上の惚れ込みように、何だか、自分のことのように嬉しくなりました。 このあんまきは、1つ七十円也。一口サイズで、もっちりとした皮に、 こしあん、つぶあんがさりげなく包まれています。 餡(あん)は、どれも同じように思っていたのですが、 餡こそ手間隙かかる職人技と知りました。 チャレンジ精神旺盛で、こだわり肌のお亀堂さんならばこその餡の出来栄え。 やはり、このあんまきは、その筋で表彰も受けているほどの逸品。 開発までのストーリーも聞きたくなりました。 豊橋に来られたら、ちくわも良いですが、お土産には お亀堂さんの「あんまき」をおすすめします。 実は、この2日間ほど寝込んでしまったのですが、 妙に食べたくなったのが、このあんまきでした。 パクリパクリと、その甲斐もあり、今日から復帰いたしました。 2009年2月19日


春めいた温かな日となり、本日味噌を仕込みました。 砕いた大豆と米麹を混ぜ合わせて、琺瑯容器に重石をのせ収めます。 それだけの作業でしたが、一汗かきました。 混ぜ合わせ仕込むだけでも、かなりの力が必要です。 終わった後は、ホッとするとともに、ドッと疲れを感じました。 味噌を作るには、大豆を煮込むことからはじめ、それを仕込み、 それを寝かせておくなど、かなりの労力と時間を必要とします。 その過程では、目に見えませんが、作り手の力が込められ、 さらに熟成させることで、天然の静かなる力が蓄えられて行くようです。 そして、口に入れるものは、味噌に潜んだこの力をいただき、此処一番で踏ん張れる。 この時代に、大人も子供も我慢ができず、踏ん張りがきかない。 それどころか、心の病になる人も増えている。なぜか。 それは、とりもなおさず、本物の食材を失ってしまった結果かもしれません。 土俵際に追い込まれても、あきらめない気力は何処より。 それは、労力と時間がそそがれた、本物の食材から訪れます。 2009年2月14日


昔わが家の書棚にずらっと並んでいたのが、山岡荘八さんの「徳川家康」でした。 その冊数に、ひとりの人から、こんなに物語が生まれるものかと 子供心ながらに関心しました。ところが、その冊数に圧倒されてか 読んでみる機会もありませんでした。同じ三河地方の出身であり、お料理道具を長年扱ってきた わが家の先祖たちも家康の生き方から多くを学んでいたと想像します。 「腹が減っては、戦ができぬ。」と言葉があるように、戦国武将は 食べることに大いに関心をもっていたようです。 その時、食べることに並々ならぬ関心をもっていたのが、家康なのです。 「そうじて、人は朝夕の呑み食うものが大事なるぞ。」 信長は、鉄砲に目をとめましたが、家康は、胡麻や味噌に目をとめた。 いくら最新の武器があっても、人に気力や体力が備わっていなければ、宝の持ち腐れ。 まず、人ありき。まず、食ありき。 家康は、いろんな経験の中で、それを悟っていたようです。 人を治めるは、食にあり。この家康の開眼に、この時代も倣いたいものです。 2009年2月12日


地元で食品スーパーを経営する社長さんが、ぶらりと店に寄ってくれました。 「即席カップラーメンって、見えないけど、たくさんの油が入っている。 あまり店にも置きたくないんだがね〜。」 そこで、社長さんから一冊の本をご紹介いただきました。 「食品の裏側」で話題になった安部司(あべつかさ)さんの最新刊です。 その名も「なにを食べたらいいの?」 いわゆる食品添加物の現場で働いていた著者の食まわりの実態と提案です。 もともと、ご自分が肉団子なるものを開発して、 お子さんが誕生日にその肉団子を食べているの見て、ショックを受けた。 それで、潔くも翌日会社に辞表をだす。 それほど、その食品は食べれる代物ではなかったのだそうです。 便利になった食まわりですが、代償も大きそうです。 社会の中にはまってしまうと、いつしか真実が見えなくなります。 私がこの本で一番心に留まったのは、「子供のために」という視点です。 それが、真実の扉を開けてくれるようです。 そして、手作り料理にまさるものなしと再確認できました。 2009年2月7日


豊橋で警官が威嚇発砲する事件があり、その対象は体格の良い14歳でした。 学生時代に、勉強をみてあげていた、当時14歳のたかしを思い出しました。 彼も体格は良く、動きはゆっくりでしたが、勉強はそれほど得意ではありませんでした。 しかし、数学でわからないところがあると、真剣にずっと考えている。 理解は遅くても、一生懸命さが伝わってくる少年でした。 彼はどのような大人になるのかなあと不安な面と、 「たかし、がんばれよ〜」と声援をおくりたくなる、ひたむきさを持ち合わせていました。 その後、彼は柔道に取り組み、輝きを放ち始めます。 彼の体格から、柔道が強くなったとは頷けます。 わが道を得たように、やがて都の警察官になり、今は刑事をしているのです。 「お〜たかしがそこまで成長したのか」と感慨深く、その知らせをいただいた時に嬉しくなりました。 刑事とは、命を張っているのです。 たかしが、命を張って仕事をしていることを考えると涙が出てきます。 同じ街に住む迷える14歳に、たかしが重なってしまいました。 2009年2月5日


ママさん宇宙飛行士に、ようやく日本も登場かと喜ぶべきでしょうか。 ご主人をはじめ周囲の方々の理解と協力の賜物だなあと恐れ入ります。 かたや、どうもすっきりしないのは、小さなお子さんの存在です。 子どもがママを応援するほど、健気な声に響いてしまいます。 時同じくして、「弁護士白書」なるものに、日本の女性弁護士は、まだ全体の14%止まり。 欧米諸国からすると遅れていると新聞にありました。 何も欧米諸国と比べることありません。それで、結構なのです。 日本の女性は、欧米諸国と違って、子育てや家事を片手間にできるとは考えない。 それに、十分な価値を見出しているのです。いや、楽しんでいるのです。 宇宙飛行士が、「1年後にシャトルに乗れることに、ワクワクしています。」 それも素晴らしい。しかし、私たちは、子どもの1年後の成長に、 もっとワクワク胸を高鳴らせるのです。間近でその様子をじっと見守れることこそ、最高の幸せなのです。 大人の視点ではなく、子供の視点に立つと、違った世界が見えてきます。 2009年1月30日


学生時代に、牧師婦人から一冊の本を薦められました。 「私は、これで信仰をもったのよ。」 気になって、読んでみたところ、嗚咽し涙があふれました。 それが、ストー夫人の「アンクルトムの小屋」。 主人の非情な扱いにも関わらず、黒人奴隷のトムが最後まで 清く正しく生き抜いていく。 まさに、トムは自由を高く掲げる合衆国の理念を生きていました。 同じくその本に打たれたのは、当時のアメリカ人でした。 このままではいけない。それが、国を二分する戦争にまで至ります。 その一人のリンカーン大統領も、ストー夫人に「あなたのような小さな方が、 この大きな戦争を引き起こしたのですね。」 昨日、オバマ大統領が伝えたかったことも同じでしょう。 もう一度、原点に返ろう。 打たれた私も、自分の結婚式の記念品に、「アンクルトムの小屋」を選びました。 出版社にお願いして、聖書の言葉と二人の名前を入れていただきました。 私たちも罪の奴隷であることは変りません。本当の自由とは何なのか。 人としての原点を教えてもらえる一冊です。 2009年1月22日


箱根駅伝をテレビ観戦しました。 今年のお正月は、連日爽やかな晴天日となり、富士山が見事でした。 私がうるうるしてしまったのは、早稲田大学の往路の最終ランナーが、 ゴールインした瞬間でした。その全身がくずおれたのです。 まわりの人たちがタオルで抱きかかえてあげる。 しばらく、立ち上がれません。 往路の最終コースと言えば、難所でもある箱根の凄まじい上り坂です。 そして、追いつ追われつのデッドヒートを繰り広げて、 絶景の富士が見つめる芦ノ湖でテープを切る。 その全力を出し尽くした瞬間は、魂を揺さぶります。 「あ〜あんな生き方をしたいなあ」そんな憧れが潜んでいました。 年末に家族一緒で観た「30人31脚全国大会」も、うるうる状態でした。 小学生30人が力と心を合わせて、懸命に50メートルを駆け抜ける。 そこにも、「あ〜あんな生き方をしたいなあ」の羨望がありました。 涙は、そこに戻れ。泣くは、そこに立て。と漢字で書きます。 うるうると涙の流れるところ。それは魂が求めている、明日への道標のようです。 2009年1月17日


ウェッジウッドが経営破綻。 当社でも扱いのあった英国の高級食器メーカーです。 それでも、国産のノリタケさんの方が作りは良いよなあ〜と、 冷めてノリタケ派でもありました。 ところが、最近は、ノリタケさんも砥石の方が主のようで、 食器の方は往時の精彩を感じません。 堅実に食器のみを手がけれれば良いのですが。 メーカーの規模が大きくなり過ぎて、 市場が縮小した時に、迷走が始ってしまうようです。 ウェッジウッドの湯のみが出てきたり、お鍋が出てきたり、 専門店としては興ざめでした。ウェッジウッドは、やはり洋食器なのです。 ブランド名のみを頼りに、他のものまで手がけてしまう。 やはり、「餅は餅屋」という言葉のごとくに、 自分を見つめていくことが重要です。 フライパン倶楽部とは何なのか。 最近、子供が何気なく、口ずさんでいる歌に、はっとしました。 未来の自分に書いた「手紙〜拝啓十五の君へ〜」という歌です。 その歌詞の中に「自分とは何で、どこに向うべきか。」 その問いかけが、今日こそ必要とされています。 2009年1月10日


明けましておめでとうございます。 年末から新年にかけて、3人の子供たちは楽しんで 年賀状を書いていました。 パソコンもプリンターも使わない。アナログのペンと色鉛筆です。 一つ一つに時間をかけて、きちんと手書きで書いている姿に教えられました。 私の年賀状と言えば、未だデジタルの産物。 そこで、今回は子供たちに幾分見習って、初めて筆をとりました。 子供の習字道具を借りてきて、年頭の思いを書き上げました。 「牛歩の如く」と5文字。それでも、これをスキャナーにかけて印刷。 ただ、一筆部分を設けて、署名は一つ一つ手書きにしました。 やはり、子供たちの年賀状には及びません。 携帯メールで新年の挨拶を済ませる人も増えている様ですが、 便利さになれて心が失われている様にも感じます。自戒したいです。 いただく年賀状を見ても、子供たちの年賀状は、 個性豊かに字が曲がっていても、心が感じられ魅力的です。 新年は、まさしく牛歩の如く、時間をかけて、 心のこもった手紙を書いてみたくなりました。 2009年1月5日


昨年クリスマスの時期に空き巣に入られました。 子供たちの部屋にも侵入して、貯金箱からお金も引き出されていました。 娘も相当衝撃を受けて、しばらく夜は一人で寝れません。 ところが、半年後に、犯人が捕ったと警察から連絡が入ります。 そんな経過を娘が文章に綴り、しかも、おまけが付いて、 市内の作文コンクールで賞をいただきました。 その事件を通じて、わが家の防犯意識は高まり、子供たちなりに、 いろんな事を考えたようです。 その当座は、悲しい出来事でしたが、結果としては 良かったと思えます。 聖書のなかに「すべてのこと相(あい)働きて益となる」という言葉があります。 人生で起こる一つ一つのことには意味があり、 すべてのことを感謝して受けとめると、すべて良きことに変えられます。 その意味でも、この1年間を感謝して参りたいです。 良かったことは、もちろん。悪く思えたことも。 いや、かえって、人の目に悪く見えることの背後には、 神様からの贈物が隠されているように思えます。この1年間のすべてを感謝します。 2008年12月30日


クリスマスの日は、雨が降りました。 しかし、午後には晴れ上がり、豊橋の空には、美しい虹がかかりました。 その虹は、しっかりと弧を描き、7色がくっきりと見える。 さながら、豊橋市民へのクリスマスプレゼントのようでした。 聖書によると、ノアの箱舟の時代にさかのぼり、 「創造者が約束を果たす」シンボルが、虹だったのです。 本来、約束とは、必ず果たされるもの。 結婚も、二人の約束で始まります。 「健やかなる時も、病める時も、愛することを約束しますか。」 「はい、約束します。」と交わされます。 そのシンボルが、指輪です。 お互いに指輪を見て、その約束を思い出します。 しかし、人間のいかに軟弱なことか。 短い生涯でたった一つの約束も果たせず、反故にしてしまう。 その時、何千年のスケールで救い主の誕生を約束していたお方がおられます。 その約束を果たしてくれた日が、クリスマスなのです。 人は変りますが、そのお方は変りません。 雨上がりの空にかかった「クリスマス・レインボー」は、 新年の希望を約束しているようです。 2008年12月26日


クリスマスは、美しい夫婦の物語でもあります。 中学校時代の英語の教科書で、オー・ヘンリーの「賢者の贈物」を知りました。 妻は夫のために、自分の髪を売って、懐中時計につける鎖を買う。 夫は妻のために、自分の懐中時計を売って、櫛を買う。 この行き違いが、最も賢明な行為だったと結ばれます。 見つめ合って微笑む二人には、信頼が輝いています。 そして、イエス様の誕生にのぞんだ夫婦が、マリヤとヨセフ。 まだ二人が一緒になっていないのに、マリヤが子供を宿す。 それを知ったマリヤとヨセフの苦悩。 しかし、心安らかにされたのは、天よりの言葉でした。 私の結婚も同じでした。牧師から結婚話をいただき、 その相手のことは全く知りませんでした。 食事も喉を通らないその夜に、聖書の言葉が聞こえて来ました。 「恐れないで、あなたの妻マリヤを迎えなさい。」 神様がヨセフに語った言葉でした。同じように、この言葉にすぐに従いました。 二人の信頼のあるところに、救い主は誕生しました。 クリスマス、おめでとうございます。 2008年12月24日


高校時代の国語の先生に、書店でばったり再会しました。 「やいち先生ですね。」 「お〜、こんなところで何している。」その雰囲気は変りません。 すると、先生のありし日の「高瀬舟」の朗読が蘇りました。 安楽死をテーマにした鴎外の短編です。 独特の抑揚のある語りで、朗読の名手でした。 母校をこよなく愛し、ライバルの伝統校をいつも目の敵にして、 その語りで葉っぱをかけてくれたのが懐かしいです。いつも教室は大爆笑。 ある時、やいち先生と草取りをしていると、 「たかつ〜、おまえ、どこの大学を志望しているの。」 率直に「東京大学です。」と答えました。 「お〜素晴らしい。おまえなら大丈夫だぞ〜。」 ニコニコしながら答えてくれました。 遠い大学が、急に身近になりました。 このよく晴れた運動場での会話は、未だ記憶に鮮明です。 結局、その大学には入れませんでしたが、その言葉だけで十分嬉しかったのです。 「先生、何かおすすめの本がありますか。」 「お〜この納棺夫日記がいいぞ。それより、今度家に遊びに来いや!」 2008年12月22日


天才という言葉を見聞きすると抵抗を覚えます。 その言葉によって、天才たる当人が錯覚して、人間離れするのを危惧いたします。 その果ては、天災に遭ったような惨めな結末が待っている。やはり人間ゆえですが。 日本人全般は、すぐに人間を神様にしてしまう傾向があるようです。 しかし、人間はどこまで行っても人間。 そんな訳で、優秀な子供がいたら、「天才」や「神童」などの言葉は慎むべきでしょう。 もし、天才と呼ぶのなら、「あなたの能力は、あなたのものではないよ。 神様がみんなの益のために天から与えてくれたのだよ。」きちんと教えてあげるべきです。 その子の明日を思いやり、みんなで大切に育てて行く。 天才呼ばわりされて、どれほどの人材が潰れてしまったことでしょう。 それこそ、国家の大損失。マスコミも周囲も心すべしです。 最後の海軍大将であった井上成美(しげよし)さんが日露戦争で功績のあった 東郷平八郎さんについて晩年語っていました。 「人間を神様にしてはいけません。神様は批判できませんからね。」 2008年12月19日


わが街でも、海外から移住された方が多くなりました。 住み心地も良いのでしょうが、自動車産業をはじめ、働く場も多いからだと思います。 最近は不景気で、帰国される方も見かけますが、文化の違い故さまざまな事を教えられます。 先日も、日本に来て一番印象深かったことはの問いに、 「お水が美味しいです。」と意外な答えを頂きました。 コーヒーやお茶にまさって、毎日おいしく水を飲んでいるそうなのです。 そこで、料理の命は水とすれば、日本という国は 美味しい文化が花咲いてしかるべきなのでしょう。 海外からの旅行者も増えているようですが、お目当てはやはり食物だそうです。 昨年、子供が卵の殻を使って、日本地図を作りました。 その時、気がついた事は、日本は四方を海で囲まれた海洋国家。 殻を青く塗った海がキラキラ輝いています。 そのただ中に浮かぶ国は、さながら水の国のようです。 そこで、「昆布と鰹節のだし」を紹介したくなりました。 この水の恵み。ごくごく身近でありふれたものが、実は高価で尊いものでした。 2008年12月15日


いつもお世話になっているクロネコのヤマト運輸さん。 緑の台車が街のあちらこちらを行き来しています。 最近、その台車に「子供見守り隊」のステッカーがキラリと光っています。 私の自家用車にも貼ってあるのですが、子供たちを不審者や交通事故から守る目的のものです。 もともと私の住んでいる豊橋の校区から始った活動でした。 わが校区でも不審者による連れ去り事故があったことが、このステッカー活動のきっかけでした。 昨年は全国のPTAで表彰されて、その輪も全国に広がっています。 そして、今度はヤマトさんが自発的に加勢してくれました。 管轄の営業所もその活動を通じて社内表彰を受けたと伺いました。 「何かできないないだろうか?」とみんなが知恵を絞る。 そして、みんなが小さな一歩を踏む出す。 その積み重ねが、明日を切り拓く。 ありし日、ヤマト創業者の小倉昌男さんは、会社人である前に人たれと、強く戒めていました。 「会社に損を与えてもいいから、人間の倫理に外れた行動は、絶対に取らないでもらいたい。」 2008年12月6日


老舗の料理店を訪れました。 地元ならではの料理を振舞ってくれるので、 遠方よりの来客に喜ばれます。 しかし、老舗ゆえに変なこだわりが目につきました。 変なこだわりとは、頑固さかもしれません。 顧客には媚びない、もちろん流行にも左右されない。 それは、それで老舗らしいのです。 しかし、時代に取り残されてしまっている。 このままでは、どんどん顧客が離れてしまう。 もちろん、昔からの伝統を曲げない強さは必要です。 かたや、変る時代に対しての柔軟さも必要だと思うのです。 そこが、老舗として今後も生き続ける分岐点でしょう。 速水優さんが日本銀行総裁の就任時にコメントした言葉を思い出しました。 「神よ変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を与えたまえ。 変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。 そして、変えることのできるものと変えることのできないものとを見分ける、知恵とを与えたまえ。」 経済の舵取りも、店の舵取りも同じでしょう。 わが店も自戒したいです。 2008年12月1日


子供たちが絵画コンクールで入選に入りました。 今度は特選をめざして張り切っています。 ただ、それが行き過ぎても行けないと感じます。 賞はあくまで、その審査員の目から見たもので、絶対的な評価ではありません。 ちょうど、映画「ALWYAS 続・三丁目の夕日」を観ていて、 芥川賞をめざしていた主人公がよぎりました。 賞からは漏れましたが、周囲の人たちには感動を与える作品でした。 また、「フランダースの犬」のネロ少年が、おじいさんを描いた絵もそうでした。 その絵は、もはや評価される対象でありません。 いろんなことがあり、いろんな思いが詰まった渾身の大作であったと思います。 最後の場面にでてくる、ルーベンスの十字架の絵よりも価値があったのかもしれません。 少なくともイエス様は、ご自身の絵よりも、その絵を喜ばれたでしょう。 賞というのは、そのような作品を否定してしまう恐ろしさもあります。 ひたむきに、真剣に打ち込んだ作品は、賞を越えて、 とにかく世界で一番素晴らしい。ぼそっと、子供たちに伝えてあげました。 2008年11月25日


おせち料理に挑戦しています。 まず、伊達巻・栗きんとん・黒豆を作ってみました。 そこで、発見したことがあります。 それは、レシピに記載のあった砂糖の量です。 「こんなに、砂糖が入っているの〜!」 レシピの間違い?とも思いました。 たまたま甘党のメニューだったかもしれませんが、 おせち料理は、かなりのカロリー高。 もともと保存食なので、砂糖を使って持ちを良くしたのかもしれません。 また、甘いものこそ、最高のご馳走だったのかもしれません。 そこで、自分なりに砂糖の量は、調整してしまいました。 その分、早めに食べた方がよいかもしれませんが。 その時、出来合いのおせちなど、味は良くても、 カロリーたっぷりで、体のことはあまり考えられていないようにも想像しました。 手作りすると、そのあたりが、見えてきます。 おせちに限らず、出来合いものは、どれだけ砂糖を使っていることか。 砂糖の量は見えないゆえに、気をつけなければなりません。 やはり、おせち料理も、体に心を配ってくれる、家庭の手作りものが一番だと思いました。 2008年11月22日


できる仕事人は、道具を大切にする。 数年前にNHK「プロジェクトX」で薬師寺宮大工の 西岡常一(つねかず)さんが紹介されていました。 未だに私の記憶に残っているのが、西岡さんの道具箱。 スタジオで、重く静かに輝いて見えました。 西岡さんの道具に対する思い入れは強く、一度は途絶えてしまった 「ヤリガンナ」という道具を復活させたそうです。 先日トイレ掃除を指導いただいた時にも、私の目に留まったのが、美しい道具箱でした。 やはり、素晴らしい仕事が待っていました。 そして、最後は、きっちりと道具を手入れして終わる。 道具に始って、道具に終わる。これは、お料理にも通じます。 道具に愛着をもち、道具をよく手入れしているなら、 美味しい料理が生まれて来ます。 大方、道具の状態を見れば、そのお料理も想像できてしまう。 その時、お料理道具の販売店として、いかに道具に愛着をもっていただくか。 それは、まず販売する人が、道具に愛着をもつことでしょう。 できる料理人は、店を選ぶ。そんな店になりたいものです。 2008年11月17日


朝日新聞の天声人語で柳宗悦(やなぎむねよし)さんが紹介されていました。 「手仕事の日本」という著作があり、手と機械の違いについて語ります。 手は、心とつながっている。 手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えていて、 働きに悦びを与えたり、また道徳を守らせたりする。 まさしく、手仕事とは、心の仕事にほかならないと。 新聞を読みながら、実に的確な表現だと、大いに共感してしまいました。 時同じくして今度は、中日新聞の読書欄。 「柳宗悦と朝鮮」の著者の言葉でした。柳が感じた美とは何か。 「名もない職人が作った民芸品の中には、うまく作ろうという作為はなく、 ただ無心に作った物から、自然なぬくもりや、生活の中から受け継がれてきた 美の深さを感じたのではないでしょうか。」 家庭料理も「手料理」とも呼ばれ、同じなのだと思ったのです。 手料理の美味しさを裏付けてくれている様です。 そして、今日はじめて知りました。柳宗悦さんのご長男が、 なんと、当社でも長いことその商品を扱ってきた柳宗理さんでした。 2008年11月11日


小学校の親子ふれあい教室に参加しました。 トイレ掃除を「豊橋掃除に学ぶ会」の皆さんにご指導いただきました。 総勢10数名の皆さんは、ボランティア。 イエローハットという自動車用品店の社長であった鍵山秀三郎(かぎやまひでさぶろう)さんが 唱導した会でした。数年前に、鍵山さんが書いた「凡時徹底」という本を、 タイトルに魅かれて読んだことがありました。 今回はじめて、素足、素手になって便器を磨きました。本と実践では違いますね。 意外に子供たちも勇敢。素手でも嫌がらず楽しげにやっていました。 小便器の黄色く染まったお皿を前にして、「ああ〜、自分の心はもっと汚いのだ」と悟りました。 そして、しだいに綺麗になって行く様に、自分の心まで洗われるようでした。 その日は、寒い日だったのですが、不思議と寒さを感じません。 何か真実なものに触れた時間でした。 玉川学園の創立者である小原國芳(おばらくによし)さんの言葉を思い出しました。 「人生の最も苦しい、いやな、辛い、損な場面を、真先に微笑をもって担当せよ。」 2008年11月10日


一人暮らしのお年寄りと話す機会がありました。家族はいるのです。 奥様は痴呆のために老人ホーム。お子さんたちは世帯をもって別居。 何より困るのは、毎日の食事だそうです。 昭和一ケタ生まれで「男子厨房に入らず」という教えがあり、 お料理は一切できない。 「どうして、あんなことを言ったのかな〜」と悔やまれていました。 ただ、当時はきちんとした役割分担があり、 三世代が一緒に暮らしていたので、お互いに助けあって行けたのでしょう。 ところが、核家族化となると、そうも行きません。 「早く男子厨房に入るべし」でしょう。 仕出のサービスもあるのですが、飽きがあったり、 栄養が偏ったり、家庭料理にはかないません。 それにしても、一食分作るのは、わびしいですね。張り合いもない。 沢山作った方が味も良いし、効率も良い。 やはり、みんなで食べるから美味しい。お料理は一人の世界ではないようです。 そこで、問題なのは、核家族化。これが問題の核かもしれません。 超高齢化社会を迎えて、家族のあり方が問われています。 2008年11月6日


中学校時代の校長先生は兵東政夫先生でした。 全校朝会での先生の話は、一冊の本にもなっています。 シベリアに抑留されて、日本語に飢え渇き、 そこで見つけた日本語の「罪と罰」を貪るように読んだお話など 今でも記憶に残っています。 昨年そんな先生が、「軍都豊橋」という本を出版されたと伺い、 地元の書店で購入。ところが、その出版と時をほぼ同じくして先生は 逝ってしまいました。もう一度お会いしたかった。 先生は、入学した時に、全校生徒一人一人に直筆で書いた表札を プレゼントしてくれました。「中部中 高津由久」 私の家にも掲げてありました。 自分の名前に誇りを持てと、教えていただきました。 名前とは、他と自分を区別するものであり、 自分が自分であることのシンボルでもあります。 自分を大切にするとは、自分の名前を大切にする事でもあります。 そして、正々堂々と自分の名前を掲げて生きる。 そこには、逃げはなく、責任が伴います。 匿名が蔓延するネットの闇世界。名前こそ、光を灯す明日への道標です。 2008年10月28日


「ウォーターボーイズ2」というTVドラマを子供たちと観ていました。 女子が圧倒的に多い高校で、肩身の狭い男子たちが シンクロに挑戦して、男らしくなっていくストーリーです。 今の時代を映し出しているようでした。 そう、最近気になるのが、男の子です。 優しくはなっているのですが、男らしくない。逞しくない。 悪く言えば、軟弱です。かえって、女の子の方が積極的で、逞しく感じられることが多い。 大学で勉強ができるのは女子。会社でも定着するのは女子。 ついに、「ボーイズクライシス」(男の子の危機)という言葉も出現しているようです。 それは、女親が過度に甘やかしているのかもしれません。 男親が不在で、模範を示せないのかもしれません。 そんな時、大学時代に出会った宣教師を思い出しました。 シャーペンと聖書を手に、「BE A MAN!」(男になれ!) 当時このシリーズの文房具があり、学内の部室で「購買で今日素晴らしいものを見つけた!」と シャーペンに記載されていた3文字から熱弁を振るってくれました。BE A MAN! 2008年10月21日


私の散歩のコースになっているのが、豊橋動植物公園。 入場料は大人600円ですが、幸い年間パスポートがあるのです。 なんと、2000円。これで自分の庭のようになってしまいます。 まさしく、動物園の近くに住んでいる特権です。 この時期は、遠足に来る幼稚園児や小学生たちが目立ちます。 子供たちの歓声は、耳に心地よいものです。 その少し離れた園内で、秋の七草フジバカマが見頃を迎えています。 毎年この花を目当てに、園外からの飛来客がやって来ます。 それが、渡り鳥ならぬ、渡り蝶です。 「今年も来ているかな〜」とのぞいてみると、期待通り、ひらひらと舞っていました。 アサギマダラという大きめの蝶です。 しかも、この蝶は人が近づいても逃げないので、優雅に舞う姿をじっくりと観察できます。 そして、その優雅さからは想像できないのですが、 1000kmも旅をすることがあるそうです。 動物園の檻の中ではない、大空のもと自由に舞う蝶の姿に、 何かほっとするものがあり、生きている喜びも伝わってくるようでした。 2008年10月14日


「チョッピリ肌寒い」この感覚が函館生まれの家内には、懐かしいのだそうです。 しかも、何かウキウキしてくるのだと。 ふと、その懐かしさとは、郷愁なのかなと思いました。 その時、気づいたのですが、愁の字は秋に心と書きます。なぜか。 やはり、故郷は、秋に感じることが多いのでしょうか。 そして、この漢字は、なにか物悲しい意味合いも含まれています。 しかし、ウキウキとは違うな。何だろう。 そこで、最近目覚めているのが百人一首。 改めて吟味してみると、まず驚いたことが、 男女の恋歌ばかり。しかも、かなわぬ恋で物悲しい。 そして、次に、秋と月の歌が多い。やはり、秋の心なのか、どちらも物悲しい。 すると、百人一首の心は「愁」なのかもしれません。 そこで、家内の感覚を考えると、この愁の対岸にあるもの。 物悲しさだけで終わらず、そこに優しさが生まれ、希望と変っているような。 そこで新たな一首。「冴えわたり 凛とみなぎる しろき朝 北のをとめの 心ときめく」 2008年10月7日


ご近所のお米屋さんを招いて 「おいしいご飯の炊き方講座」を実店舗で開催しました。 そこで、改めて家庭料理の魅力を悟りました。 単にお料理であれば、プロ職人の料理もあります。 しかし、頭につく家庭にこだわりたいでのす。 家庭料理の魅力は何でしょうか。ご飯と同じで不思議と飽きが来ませんね。 三ツ星レストランの料理でさえ飽きるかもしれません。 有名なお料理研究家も然り。彼らも家庭料理には適わないと思うのです。 何が違うのでしょうか。お米を炊きながら考えました。 ズバリ、家族を思う気持ちです。 家庭料理の魅力は、そこに損得勘定がなく、そこに報いを求めず、 ひたすら美味しいものを食べてもらいたい、一途な気持ちが詰まっていることです。 そんな純粋な気持ちをもてる場所こそ、神聖なる家庭ではないでしょうか。 だから、信じること、望むこと、愛することが育まれる。 家族を誰よりも大切にしている気持ちがある限り、 そのお料理には、もっともっと自信を持って良いのです。 なぜなら、お料理は、愛情ですから。 2008年9月27日


愛知県内の学校給食に事故米が使用されていた事件で、 子供が学校からプリントをもらって来ました。 幸いココ豊橋は、その事故米は使用されていませんでした。 そのプリントで「ご飯は100%豊橋産のお米を使用している」ことを知りました。 基本的に、わが故郷の給食は、地産地消を推進しています。 豊橋産学校給食の日を設けたり、青果物はすべて国産なので、バナナは献立に上がりません。 その青果物では有名な土地柄ですが、基本のお米が地産であることに嬉しく思いました。 他県ブランド米も良いですが、やはり、お米も地元のものを見直してみるべし。 と言うのも、地産地消は、新鮮であることに加えて、 今回のような事件からも守られます。 それにしても、食の不安を招く事件が後を絶ちません。 それは、便利さになれ、口に入れるものを安易に考えすぎた代償を払っているようです。 信じる信じないの問題以前に、安易に何でも頼らない。人任せにしない。 自分の体は自分で守るという、自立の問題が根底にあるように思います。 2008年9月23日


祖父の23回忌を機会に、集まった親戚の家系図を作ってみました。 これが、意外と好評でした。 顔は知っていても、どのような繋がりがあるのかを知らない。 しかし、この家系図で一目瞭然。 しっかり、みんな繋がっていることが分かります。 そして、祖父の思い出を語って頂きました。 私の一番の思い出は、祖父の最後でした。 旅立つ前日、祖父は枕元でキリストに祈りをささげ、さながら天使の様でした。 私の手をしっかりと握り、キラキラ輝いた目で見つめてくれました。 高校生の私なりに、その瞳を見て、「天国って本当にあるんだ〜」と直感。 それは、私の信仰への門となりました。 ある建築家が理想の建物について語っていました。 「完成した時が、一番美しいのではなく、歳月とともに深みを増し、 倒れる直前に、最高に輝く建物。」 そして、人間も同じだと思ったのです。 その意味では、祖父は最後に一番輝いて人生を全うしました。 祖父の後を追い、私もそんな最後を迎えたいです。 2008年9月15日


地域の運動会に参加しました。 町内対抗の年代別リレーで小学校の運動場を1周します。 私はアンカーにバトンを渡す役回り。 白い鉢巻を締めて、久し振りの全力疾走です。 なんと、私たちの町内は、みんな早いこと早いこと。 最後のプログラムに、場内も刻々と盛り上って行きます。 こちらも、気合が入りました。いや、入り過ぎたかもしれません。 1番でバトンを受取りました。あとは、全力で走り抜けるのみ。 そして、最後のコーナーをまわって、直線に入った時でした。 よもや、よもやの大転倒〜。バトンを持ったまま、頭からの滑り込み状態。 目の前に運動場の土が見えました。 「しまった!」私の中で、時間が止まりました。 次の瞬間、立ち上がり、走ろうとすると、足がもつれて、再度転倒。 最後は、這ったのでしょうか。なんとか、バトンだけは渡りました。記録は2位。 皆に詫びるのですが、「よく走ってくれた。怪我は大丈夫。」 かえって、優しく励ましていただきました。 しかし、いくら気持ちは若くても、相応の体力を見極めるべしでした。 2008年9月9日


旅先で出会ったのが、井口喜源治(きげんじ)先生でした。 信州のペスタロッチとも呼ばれ、子供たちをこよなく愛されました。 明治31年に研成義塾という学校を開き、自らの手で800人の卒業生を育て上げます。 国からの援助には頼らず、清貧な生活に徹します。 幾多の経営危機を乗り越えて、病に倒れるまで教え続けました。実に、34年間。 先生の口癖は、「偉い人ではなく、良い人になれ」 その志は今日に受け継がれ、安曇野の中心地に、 「井口喜源治記念館」が建っています。そこが、私の出会いの場でした。 そこで手にした本に、私の心を捉えた言葉がありました。 「今与えられていることにベストを尽くせ。しからば天職は自然に明らかに知られるようになる。」 井口先生はこの言葉をひいて、生徒に教えていました。 「青年時代は、誰でもその方針に迷うものであるが、 今与えられている仕事に最善を尽くせば、必ず善き道が開けて行くものである。」 それは、私に語っている言葉のようでした。時を越えて、私も井口スピリットをいただきました。 2008年9月6日


安曇野ちひろ美術館を訪れました。 黒柳徹子さんの「窓ぎわのトットちゃん」の挿絵が懐かしいです。 いわさきちひろさんの絵は、今でもよく見かけますので、 まだご健在なのだろうと漠然と思っていました。 ところが、お亡くなりになって34年が経過。 トットちゃんが出版された時は、すでに他界していた訳です。 それにしても、今も生きているかのように、その絵をよく見かけるのは、 それほど愛されているゆえでしょう。 実は、この美術館が、ちひろさんの絵にも優って素晴らしい。 私がそこで衝動買いしたのが 「ぼくが安曇野ちひろ美術館をつくったわけ」という一冊の本でした。 著者は館長さんですが、なんと、ちひろさんの一人息子。 松本猛さんが、お母様の遺産を受け継いで、お母様の美術館を作られたのです。 ちひろさんの息子という特別な境遇をいただき、 それをしっかりと受けとめて、きちんとご自分を生きている。 その生き方は、松本さんにしかできなかったでしょう。 分かりました。松本さんが、ちひろさんを今日も生かしていたのです。 2008年9月4日


夏休みの最後に、家族で松本に行って来ました。 昔から、松本という町にひかれてきました。 そのきっかけが、34年前の仔羊幼稚園のお泊り旅行でした。 園長先生が松本とつながりがあったようです。 紅葉の美しい山並みの中を、みんなで楽しく歌いながら、 バスでぐるぐると周っている。その記憶が今でも鮮明なのです。 松本は、本当に美しいところです。 そんな松本で暮らしているのが豊橋出身の河野義行さん。 14年間の闘病生活の末に、先日奥様がお亡くなりになりました。 サリン事件だけでなく、マスコミ報道や刑事捜査の被害者になった 河野さんのお話を講演会で伺ったことがありました。 奥様をどこまでも愛すること。加害者を恨むことなく前向きに生きていること。 その事件や経験を通じて、今自分が何をなすべきか。 そのご自分の使命に、とても敏感で忠実な人だと思いました。 それらのことは、あの松本の大自然が、河野さんに教えてくれたのかもしれません。 そして、その悲しみもきっと、あの大自然が癒してくれるでしょう。 2008年8月30日


年の功か不幸か、相手を知りつつも、視線を外してしまうことがあります。 社会生活の中で、必要なこともあるのでしょう。 しかし、面識のある方、あった方には、 きちんとアイコンタクトして、挨拶をして行きたいものです。 電車やバスの中でも、この視線を外す仕草をよく見かけます。 知らないもの同士であれば、思いやりでもあります。 本当に皆さん上手に視線を外します。その結果、お互いに落ち着きます。 しかし、その延長線上で、面識のある方に対しては、誠に失礼千万となります。 そして、気をつけたいのは、面識のあった方に対してだと思います。 幼馴染のご両親などは、結構、顔を覚えているものです。 その時、声をかけようかなと頭の中でグルグルと走り回ります。 ところが、即答できず、視線を外して通り過ごしてしまう。 しっかりと目を見て、微笑んで「こんにちは!」とたった一言で十分なのです。 もし、驚かれれば、「息子さんの友人の高津です。」と添えれば良いだけです。 場をわきまえつつも、この視線外しには気をつけて行きたいです。 2008年8月26日


「練習ハ不可能ヲ可能ニス」 慶応義塾塾長であった小泉信三(こいずみしんぞう)先生の言葉です。 塾内では福沢諭吉のみ先生で、小泉君となりますが、 私としては、福沢先生同様に小泉先生が相応しいです。 先生は、天皇陛下の教育掛でもあり、美智子様との結婚を仲介し、 ご夫妻からも大変慕われていました。 最近、地元の財界史を読んでいたら、小泉先生の奥様が 豊橋出身だったことを知り、嬉しくなりました。 本日、その先生が登場する映画「ラストゲーム/最後の早慶戦」が封切り。 戦地に赴く学生たちのために、軍部などの反対をおさえて、試合を敢行します。 戦時下の塾内には「善を行ふに勇なれ」と掲示していたそうです。 まさに率先垂訓、権力に媚びない気風は、塾に脈々と流れています。 そして、上の言葉が、「陸の王者」の由来であり、 奇しくも、この夏の甲子園の活躍を生んだと言えるでしょう。 息子に「サッカーノート」をプレゼントしました。 表紙には、私の渾身の直筆で綴りました。 「練習ハ不可能ヲ可能ニス」 2008年8月23日


知多半島の先端にある美浜町小野浦に行って来ました。 三浦綾子さんの小説「海嶺」のモデルとなった音吉のふる里。 14歳の鎖国時代に、船で遭難して14ヶ月太平洋を漂流。 アメリカ原住民の奴隷となったところ、奇特なイギリス人に助けられ、中国のマカオへ。 そこで宣教師との出会いがあり、聖書の日本語訳に協力。 そして、アメリカ人の善意で、丸腰のモリソン号にのって待望の故国へ。 ところが、悲痛にも砲撃を浴びる。帰還ならず。 この事件を受けて、渡辺崋山らが幕政を批判、黒船来航の導火線ともなり、 やがて開国が実現。なぜか、音吉は日本に戻ろうとしません。 英語を学んだ彼は、あの事件以来、漂流民を助けることを決意。 自分の事をお上に隠すように約束させて、多くの漂流民を日本に無事送り帰します。 キリストの愛を知った彼だからこそ、故国を捨ててまで犠牲者となりえたのでしょう。 そんな時、横田めぐみさんのことが重なりました。 まさしく見えないところで、厳然と生きている海嶺のような巨人たちです。 2008年8月16日


ああ〜素敵な言葉だな〜に久しぶりに出会いました。 それは、昨日の新聞。 北京オリンピックで惜しくも金メダルを逃して銅メダルに輝いた谷亮子選手。 そのご主人のコメントでした。 「目標にしていたメダルの色は違ったけれど、僕には金色に輝いて見えます。」 お互いを理解し、お互いに支え合っている、美しい夫婦の姿を見せていただいたようでした。 「金色に輝いて見える」まさしく、見えたものをそのまま表現したのでしょう。 がっかりしている谷選手の写真も掲載されていましたが、 一夜明けた今日、笑顔で記者会見とありました。 きっと、ご主人の言葉に一番感動したのはご本人だったのでしょう。 もし、金メダルをとっていたら、この言葉にめぐり会えなかったかもしれません。 金メダル以上に価値のある銅メダル。 いや、メダルではなく、夫婦や家族の絆を悟った瞬間ではなかったでしょうか。 そして、日頃の彼らの生き様が、この言葉を生んだのでしょう。 こんな夫婦が、わが国にいることを知り、オリンピック3連覇よりも誇りに思えました。 2008年8月11日


故郷の川は、夏の水遊び利用者全国一といわれる豊川です。 おととしの夏に、その上流にある新城市の桜淵公園にやって来ました。 小さな息子を背に負ぶって、なにげなく川の中に入りました。 ところが、しばらく泳いでいると、突然足をとられました。 水を飲み、バタバタと溺れはじめます。 しかも、上からは泳げない子供の重みもあり、もがきました。 ちょうど、知り合いの人の顔が見えて、なんとかその人のとこまで、 たどり着こうと必死でした。その方もたまったものではありません。 こちらが捕まれば、一緒に溺れてしまう可能性もあります。 その後は記憶にないのですが、幸い3人とも岸にたどり着けたのです。 さながら、天使が運んでくれたような不思議な体験でした。 「ああ〜、生かされている。」深く感謝しました。 しかし、あまりにも無謀でした。川底では、下方向への流れもあるそうです。 土地のおじさんがやって来て、厳しく叱ってくれました。 「川をなめるな〜」ありがたく深く反省しました。 2008年8月1日


格差社会という言葉が広がっています。 格差がない社会は、極端に言えば社会主義社会です。 それは、国に依存する社会とも言えます。 わが国は、個人が自立して責任を負うことが前提の自由主義社会です。 それが、いつのまにか依存心が強くなり、 格差社会という言葉を盾にしているようです。 そう考えると、格差社会の背後には、自立した個人が育っていないように感じます。 戦後の復興期などは、決して良い社会環境だったとは言えないでしょう。 しかし、社会の不満を口にする前に、とにかく汗水流して働いていました。 自分たちで変えて行こう、作って行こうという泥臭さがありました。 それに倣い、今こそ自立した個人を育てて行くことです。 「やってみよう!」と挑戦する人を応援する。その意欲の芽を摘まない。 巣立ちできない小鳥を擁護するだけの発想では不十分です。 自分の力で、大空高く、力強く羽ばたく。そのための手助けです。 彼らを信じて育てる愛情こそ、今問われています。 2008年7月25日


「14歳がバスジャック」 隣町の出来事でもあり、複雑な心境です。 私のごくごく近場でも、14歳が寂しくしています。 時計は午後10時を回っています。 14歳らしき子たちが暗闇の中、携帯を片手にたむろしています。 お巡りさんにお任せするのが一番なのですが、ついつい、「お〜い、何をしているの。」 何もしゃべらない。また、別の日は、とうとうと喋ってくる子もいる。 叱ってしまったり、「早く帰った方がいいよ。」とこちらも対応に苦慮します。 その時、いつも思うのは、彼らの帰るべき家のことです。 その事情を知れば、こちらも何も言えなくなってしまいそうです。 それほど、私の周囲では別れ話が多いこと。 ご本人同士は自己責任ですが、子供たちはどうなるのでしょう。 「それも人生経験」とでも自らを納得させているのでしょうか。 「こらあっ〜!なにを考えてるのお〜」 本当は子供よりも大人の方を叱りたくなります。 14歳の反抗は、「大人たちよ!目を覚ませ!」 というメッセージに思えてなりません。 2008年7月17日


「この花は何っていう名前だろう?」 四十を迎えて、花木の名前を覚えたり、食材の名前を覚えたり、 まだまだ知らない世界があふれています。 どうして、地球は動いているのに、動いていることを感じないのだろうか。 そんな素朴な疑問にも、いまだ正確には答えれません。 「四十にして惑わず」という言葉を考える時に、 悪い意味では、すでに一人前になったのだと誤解してしまい、 人の助言などもうけつけない、惑わない、固まった年とも解釈できるのでしょうか。 仕事も任され、気力も体力も充実してくる時期なだけに、いつのまにか自分の浅い経験や知識を過信しやすい。 その思い上がりに、一番気をつけねばならい年のようにも感じるのです。 その意味では、四十にして未だ何も知らず。 人生の折り返し地点と考えれば、もう一度、原点に返ることでしょうか。 そして、子供のような柔らかい心を、いつまでも持ち続けたいものです。 固まってはならないと、自戒したい今日この頃です。 2008年7月12日


枝豆は、文字通り、枝つきの豆ですが、最近は、 枝のない袋詰めの豆が主流のようです。これが、興ざめです。 枝つきの方が、断然おいしいのですが。 切ると言うほんのひと手間を省力するために、加工された手軽な商品があふれています。 しかし、その陰では、本物のおいしさが失われている。 それは微妙なものもありますが、積み重なると大きなものです。 その意味では、今の時代、どれほど本物の味を知らないでいることでしょうか。 うなぎの偽装事件などは、業者が悪いのは当然ですが、 ごまかされてしまう消費者も、かたや反省すべきではないでしょうか。 本当の味を知らないのを良いことに、業者がつけこんでくるようにも思うのです。 故郷の川でとれた天然の鰻を食べたことがありますが、油ののりが俄然違います。 手軽な商品ばかりに慣れっこになってしまうと、味覚が衰え、大きな罠が待ち構えているようです。 ほんのひと手間にこそ、もっともっと寛容になりたいです。 2008年7月5日


「四十にして惑わず」 このたび四十を迎えて、心に留まった一冊の本があります。 「祈り 美智子皇后」その生き方に魅かれました。 義務という言葉がありますが、正しい務めと漢字で書きます。 その意味では、人生は与えられた義務を果たすことだと思います。 これからの皇室はどうあるべきか。象徴天皇は。 ましてや、皇后に関する憲法の規定はありません。 しかも、民間から皇室に入り、非常に難しい立場に置かれてきたと想像します。 そんな中で、「陛下のおそばにあって、すべてを善かれと祈り続けるものでありたい。」 常に自分のなすべきことを自問し、控えめに、一貫性をもって、ご自分の義務を果たされている。 私も四十路がどうなるのか分かりません。 しかし、皇后の生き方に触れ、惑いが飛んで行くようです。 自分の義務を自覚し、それをきちんと果たして行く。 同時代にこんな皇后をいただき、幸運だったと感謝しています。 2008年6月27日


実店舗の奥には、IH機器のキッチンコーナーがあります。 新店舗オープンから半年あまり。ようやく落ち着いてきまして、 このキッチンで道具を使い始めています。 まずは、ラウンドストッカーで梅干し。 今日は紫蘇(しそ)漬けの日となりました。 ギュッと搾って、容器の中へ・・・おやおやカビがでています。 いや〜結構苦労しますね。そして、この紫蘇、地産なのです。 農家で働いている友人に頼んで、特別に分けていただきました。 すでに、葉はきちんと摘んであり、汚れも少ないです。 通常は、そのまま漬物工場に行ってしまうようです。 紫蘇も緑の大葉と赤いものがあります。 大葉の生産量は、わが故郷が全国ナンバーワン。 梅は和歌山産がブランドになっていますが、 豊橋産の紫蘇もブランドになる日が来るかもしれません。 わが故郷は、控えめですので、フライパン倶楽部が しっかりと宣伝して参りたいです。 2008年6月19日


展示会のシーズンです。 仕事を終え、日の長い夕刻の東京駅周辺をぶらぶら歩きました。 丸の内の気品ある街並みは、緑が多く美しいです。 やがて、大きな噴水の水飛沫、その向こうは、はや皇居。 ずっ〜と広がる芝生は、近くの日比谷公園よりも雄大です。 きっと天皇陛下のご希望で、国民が憩えるように整備されているのだと思いました。 まさに、憩いの場です。 本日は、二重橋まででしたが、皇居周辺だけでも、1日楽しめそうです。 折り返して、今度は八重洲方面へ。マッカーサー司令部もあった由緒ある第一生命ビル、 帝国劇場などを横切りながら、高島屋本店を通過。 めざすは、日本橋にある昔ながらの寿司屋さん。 カウンターに職人さんたちが立ち並び、「いらっしゃい!」と終始活気のある店内で 江戸前寿司を堪能。そして、心地よい夜風を浴びながら、21時30分発のひかり号へ。 丸の内に八重洲に、東京駅界隈は魅力が凝縮されています。 2008年6月12日


日曜の午後に、近くの田園地帯をぶらぶらと歩いていました。 豊橋動物園の南側に位置する風光明媚なところです。 そこで、近所のご年配者と道端で鉢合わせ。 色とりどりの花が咲く畑に、紋白蝶があちこちに舞っていました。 「良い所に、お住まいですね〜」 「ここに来た当時は、本当に良い所だったよ。しかしね、あの畑のむこうがね。」 溜息まじりの声が響きました。 視線をそこに向けると、なるほど、潰れた自動車が山となっています。 そこは、民間の産業廃棄物処理場。 田園風景にゴミ捨て場、実に不釣合いな光景です。 このような現場を見ると、今の生活を考えさせられます。 使うだけ使って、ゴミのことは他人任せ。 知らないところでは、美しい故郷を失っている人たちがいる。 今の社会とは、資源をたくさん使って、たくさん物を作って、 その結果、たくさんゴミがでる仕組みなのでしょうか。 ゴミゼロの街である豊橋から、この循環を変えて行きたいですね。 まずは、自分の生活からです。 2008年6月6日


愛知県の花である「燕子花(カキツバタ)」の季節となりました。 「アヤメかカキツバタか」と美しい人に例えられることもあります。 ハナショウブも含めて、この3つは見分けにくいですね。 アヤメは花びらに網目模様がある。あとの2つはそれがなく、 ハナショウブは花びらの元に黄い筋、カキツバタは白い筋があります。 ココ豊橋でも市北部にある「賀茂しょうぶ園」が本日よりライトアップ開始、 いよいよ見頃を迎えます。大和撫子(やまとなでしこ)と日本の女性を称える言葉がありますが、 撫子ならぬ燕子花こそ、日本女性の美を表現しているようにも思います。 キリッと切り立った端正な葉の中に、控えめであって品のある紫色の花が、 ほのかな芳香とともに静かに微笑んでいる。 衣替えの時期を迎えていますが、最近の女性の服装が気にかかります。 そこで、こんな歌が思い浮かびました。 「慎ましや 美しきかな 燕子花」 2008年5月27日


大阪府の若き知事が改革を進めています。 府職員の給与を引き下げる。 これは、大阪府民にとって本当に良いことなのでしょうか。 財政が厳しければ、まず人件費を下げる。 これは、あまりに短絡的な発想です。 この部分は聖域であり、最終的に手をつけるべきところです。 果たして、人件費を下げて、そのサービスを維持できるのでしょうか。 大阪に限らず、最近の行政の傾向として、正規職員の採用を見送り、 嘱託職員が増えているそうです。 それが、単に経費削減というレベルであれば、サービスの質は落ちて当然です。 これは、小売業にも通じます。 ただ、消費者のためだと、コストを下げることに集中し、 サービスに当たる人たちのことを顧みなければ、 必然的にサービスは低下します。 突き詰めれば、人のかかわる組織は、モノやお金ではなく、人で動いているのです。 そこで働く人たちが喜んでいて、はじめて良質なサービスを提供できます。 人件費は、コストでなく資産なのです。 職員よろこぶ、府民よろこぶ、世界よろこぶ、三方よし!こそ、 天下の大阪がめざすべきものでしょう。 2008年5月23日


四川省の成都と言えば、三国志でお馴染みの劉備玄徳のお膝元。 中学校時代の毎週土曜日、NHKの人形劇が楽しみでした。 蜀の国の都になったのは、紀元3世紀ですから、ざっと1800年前。 悠久の歴史を越えて、今日もなお身近に感じるとともに、 何かできないものか?・・・もどかしいばかりです。 しかし、日の丸緊急援助隊の活動は、 成果が上がらずとも、日中のわだかまりまで解消してくれるようです。 昼夜を問わず精一杯活動している姿には、日本人も中国人も心を打たれます。 その時、関東大震災のことが気にかかりました。 あの時、どこの国が助けてくれたのか? 外務省の情報によると、アメリカ合衆国だったそうです。 それは、大統領の陣頭指揮のもとで、民間人も巻き込んだ圧倒的な規模での支援で、 そこから組織的なボランティア活動が始まったとも言われています。 スケールの大きなアメリカ人の善意には、敬意を覚えます。 何かあった時の救いの手は、国と国はもちろん、人と人の間にも深い絆を与えてくれます。 困った時の友が本当の友というならば、やはり愛こそすべて。愛が一番です。 2008年5月20日


御殿場の渋滞に出会い、今日はアウトレット考です。 こちらも土岐に、桑名にその名のショッピングモールが登場しています。 本来アウトレットとは、ブランド品の傷ものや売れ残りなどを在庫処分する店です。 しかし、いわゆるB級品がそんなに出てくるのでしょうか。 そう考えたくなるほどの店の規模と出店ラッシュです。 あくまで、アウトレットは、在庫処分店であって、正規販売店ではないのです。 本流ではなく、傍流いわばおまけの店なのです。 しかし、おまけどころか、その場での販売が主になっている。 まさに、本末転倒です。これは、百貨店などで常態化している割引セールと重なります。 もともとは、内部社員の特別招待会なるもの。それを一般顧客にまで広げ、もはや有名無実化。 そうなると、顧客の方も正規で買おうとせず、その日を待って安価で購入する。 このような目先の売上頼みの商売は、正規の商品がますます動かなくなり、 利益はなくなり、小売業全体がつぶれてしまいます。同業者への影響も甚大です。 あくまで、アウトレットは、本来のアウトレットでとどまるべきです。 今の規模も華やかさも不釣合いです。 ところが、アウトレットという甘い言葉に踊らされているようです。 それほど、日本の小売業は行き詰まっているのかもしれません。 2008年5月13日


ゴールデンウィークは1泊2日で御殿場に行って参りました。 富士山の奥深い裾野にある国立青少年交流の家。 両隣は自衛隊演習場と米軍キャンプです。 新緑の東海道を二川宿から快走します。 まずは、浜名湖のある三ケ日から東名高速道路へ。 菊川あたりから茶畑が広がります。 整然と段々と並ぶ若葉色が美しいです。 そして、由比のトンネルを越えると、青い大海原が飛び込んで来ます。 そうこうしているうちに御殿場。 アウトレットのお客さんでしょうか。出口は渋滞。 その日は雨で、すぐそこにある富士山が全く見えません。 実際にあるのだけれど、見えない。何かを象徴しているようです。 そんな中で、びしょ濡れになって息子とサッカーに興じました。 しかし、翌朝を迎えると、打って変わって、見事に晴れ上がりました。 空気も洗われ、雄大な富士山のお目見えです。 う〜ん実に美しい。多くの人がこの朝、富士の虜に。 そんな富士のもと、心地良い薫風を受けて広場で若者たちとソフトボール。 すっかり日焼けしてしまいました。 そして、まだ別れ惜しく、帰りの富士川サービスエリアで見納めです。 「日本人よ、胸を張れ!」ひとり富士の声に耳を澄ましていると、 家族連れの方に写真撮影を頼まれました。 やはり、富士は日本一の山なのでしょう。 2008年5月9日


今日は何の日だっけ?そういえば、憲法記念日だな〜。 これが今の日本を象徴している光景ではないでしょうか。 目先の家族サービスに忙しく、改まって考える機会もないのです。 戦後60年を経過して、憲法改正論議が起こっています。 論点は9条でしょう。平和憲法こそ日本の誇りとし護憲を主張する人たち。 主権国家として、自分たちの国を自分たちで守るために改憲を主張する人たち。 どちらも一理あると思います。 私が危惧するのは、今日は何の日だっけ。その感覚の延長に潜む無責任さです。 平和憲法は世界に先駆けて素晴らしい理想をうたう一方で、 それに安住してしまっている面があると感じるのです。 まさに、平和ボケです。 国を守ることをはじめ、すべてが他人任せ。 自分で考え、自分で行動する。独立した個人が育っていない。 そのことの方が問題です。 一人一人が今の憲法で良いのか、じっくり考えるプロセスがまず先決です。 それが護憲であろうが、改憲であろうが結果は後についてくるものです。 緊張感のある平和憲法、責任感のある平和憲法であれば最高です。 やはり、それはまず自分からだと思います。 2008年5月3日


今週PTAの総会があり、お役放免となりました。 この1年、父兄の仲間、先生方や地域の方々とお知り合いになり、心通わせ楽しくお仕事をさせていただきました。 子供の精神科の医者である佐々木正美(まさみ)さんが「親の愛情だけでは、子供は育たない」と言われていました。 家庭はもちろんですが、父兄と先生、父兄と父兄、父兄と地域の間に信頼関係が築かれることこそ、 子供たちへの最高の贈物だと感じました。それは「信頼の空気」です。 その温かな「信頼の空気」に包まれると、子供たちは生き生きと、伸び伸びと、堂々と成長して行きます。 この「信頼の空気」作りこそ、PTAの仕事だったと思います。 しだいに、大人の人間関係が希薄になっている今日、大人本人よりも、 実は子供たちの方が冷たい「不信の空気」に影響されてしまうように感じるのです。 それは、PTAという形態をとらなくても、 要は同じ学校の父兄の仲間たち、お世話になっている先生方や地域の方々との信頼関係が築ければ良いのです。 退任の挨拶を聞いていた家内の第一声は、「お父さん、寂しそうだったね。」 2008年4月26日


最近気になるのが、フリーメール宛のメールが届かないことです。 多くは、迷惑フォルダーに入ってしまい、それこそ迷惑なお話となってしまいます。 しかも、迷惑フォルダーに入っていない事もあるのです。これは、驚きです。 こちらの送信ログは残っているのに、どこに消えてしまったのか? フリーであれば、「しかたないか・・・」と霧の中に入ってしまいがちです。 今後はメールを管理するプロバイダーの質が問われてくるでしょう。 一方で、ユーザーも使い分けてはいるのでしょうが、 安易にフリーメールは、使用すべきではないと思います。 常々疑問に思うのが、携帯電話会社の価格競争です。 ユーザーは安くなって嬉しいかもしれませんが、実は危険が潜んでいます。 安価な経費で、セキュリティや社員のモラルを向上させ、 安全面をきちんと確保できるのでしょうか。 「まだまだ安くなります。」という宣伝広告が続くなら、ユーザーは怪しむべきです。 見えないところで、大切な何かが置き去りにされている。 これからは、安さに踊らされてはなりません。 2008年4月19日


菜の花が潮風で揺れる渥美半島は、気候温暖な全国有数の農業王国です。 しかし、この地域には川がなく、水不足で干ばつに悩まされてきた過去があったのです。 そこで、ある壮大なプロジェクトが始動します。 1927年(昭和2年)田原市出身の政治家であり、後に豊橋市長も務めた近藤寿市郎が「豊川用水」の計画を発表。 それは、豊川上流に大きなダムを作り、渥美半島まで導水する農業水利事業です。 近藤が1921年(大正10年)インドネシアに視察に行った時に着想したと言われています。 その実現にむけて、近藤は人々に熱く夢を語り、国にも精力的に働きかけます。 ところが、金融恐慌、戦争がはじまるなど、思うようには進んで行きません。 しかし、近藤は、あきらめません。ついに、1949年(昭和24年)この計画が、国の事業となり工事が始ります。 そして、1968年(昭和43年)完成の日を迎えたのです。 近藤のしたためた夢は、47年の歳月をへて実現したのです。 この水がなければ、今の農業王国はなかったでしょう。 昔の政治家は、半世紀50年先を見て、壮大な夢とロマンをもって事にあたっていたようです。 この季節、豊橋の道端を勢いよく流れていく用水の音に、 近藤のありし日の息遣いを感じることができるようです。 フライパン倶楽部先代の家がある豊橋郊外の赤岩には、 ステッキをもった近藤の銅像がきりりと今日も遠くを見つめています。 2008年4月12日


当社の社長は、お土産にこだわりがあります。 今週は、群馬の伊香保温泉にバス旅行。 お土産は、温泉饅頭でした。 伊香保では、数多くのお店があるようです。 そこで、バス会社に評判の良い饅頭屋を調査させていました。 そして、バス会社がセレクトした饅頭は、真空パック入りの 割と大きなお店のものでした。そのお店も当地では、名が通っているようです。 しかし、社長は、この真空パックが気に入らないのです。 私も、どちらかと言うとそのたちです。 そこで、以前テレビで観たことのあるお店を自分で探し当て、 そこの饅頭も買って来ました。 こちらは、こじんまりとした家庭的なお店で、朝早くから 手作りで作っていたそうです。もちろん、真空パックではありません。 賞味期限は1日だけ。しかし、その日に帰ってこれるので、すぐに食べれます。 やはり、美味しい。久しぶりに、美味しい饅頭をいただいたなあ〜という気分でした。 さすがに、真空パックのものもそれなりの味のようでしたが、 一味違うのです。これは、宇宙で食べると相応しいかも? どうやら、真空パックに偏見があるかもしれませんが、 パックなしの新鮮な饅頭には、やはり真心のようなものを感じてしまうのです。 これこそ、本物の饅頭だと思い、私たちの店も、 パックに入れない饅頭屋さんに習いたいと思いました。 2008年4月5日


春爛漫。広小路の桜もすでに満開を迎えています。 折りよく、新渡戸稲造(にとべいなぞう)先生の「武士道」を 矢内原忠雄(やないはらただお)先生の訳で読んでいました。 「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花かな」(本居宣長) そして、ヨーロッパの人が愛でる薔薇(ばら)との比較が綴られています。 「薔薇は桜の単純さを欠いている。 さらにまた、薔薇が甘美の下に刺(とげ)を隠せること、 その生命に執着すること強靭(きょうじん)にして、 時ならず散らんよりもむしろ枝上に朽つるを選び、 あたかも死を嫌い恐るるがごとくであること、 その華美なる色彩、濃厚なる香気― すべてこれらは桜と著しく異なる特質である。 我が桜花はその美の下に刃をも毒をも潜めず、 自然の召しのままに何時なりとも生を棄て、 その色は華麗ならず、その香りは淡くして人を飽かしめない。」 見事に桜の美を表現した名文です。 それに共感してしまう自分があり、 ああ、私は日本人なのだと改めて思いました。 そんな時に、桜の花とともに散って逝かれた ミスタークックパルこと吉川正芳さんのことを思い出しました。 2年前、突然の訃報に驚いたのですが、まさしく桜の花が散る時期に逝かれたのは、 本望だったように感じます。 2008年3月28日


こんな場所に、こんな花が咲いていたのか。 いや、この花は、ずっとこの場所にあって、 毎年同じ頃に花を咲かせていたはず。 見えているはずの景色は、何も変わらないのに、 生まれて初めて気がついたような感動が、最近しばしばあります。 これは、私の心境の変化?あるいは年の功??なのだろうかと思ったりします。 そんな時、知り合いの牧師先生から、今度、星野富弘(ほしのとみひろ)さんが通う教会の牧師に 招聘されたとお便りをいただきました。 富弘さんは、中学校の体育教師でしたが、鉄棒から落下して、手足の自由を失います。 しかし、口に絵筆をとり、独特のタッチで花を描き、それに詩を添えます。 その作品は、心に響きます。 きっと、富弘さんも、忙しい教員生活から離れた時に、 そばにあった花の美しさに気づいた一人ではないかと想像しました。 今の自分の心境も富弘さんと同じかも?と結びつけてしまいました。 それは、日常生活の喧騒をひととき離れて、ゆっくりと、じっくりと時を過ごすことに、 手がかりがあるように思います。 その時、わかる事は、私たちのぐるりは素晴らしいもので満ち満ちている。 ただ、慌しくしている私たちが、それに気がつかないだけ。 それは、本当にもったいない、もったいない話だと思いました。 2008年3月22日


人気絶頂の「ゴダイゴ」というロックバンドを 突然脱退したメンバーがいました。 スティーブ・フォックスです。 そのころ、私は高校生で、スティーブが宣教活動で、 豊橋の小さな教会を訪れてくれたことが懐かしいです。 彼らの曲のひとつに「ビューティフル・ネーム」があります。 この年齢になって、この曲の歌詞に目覚めています。 「♪名前それは、燃える命、ひとつの地球に、一人づつ一つ♪」 今日までを振り返ると、この名前によって、私は育てられたのだと感じています。 特に、私のおじいちゃんやおばあちゃんは、私が初孫ということもあり 「よっちゃん、よっちゃん」と何度も名前を呼んでくれました。 その響きは、不思議ですね。今も自分の内に美しく残っています。 この呼びかける名前の中に、いっぱいの愛情が詰まっていたのだと思います。 周りの人たちも「よっちゃん、よっちゃん」と呼んでくれました。 どれほどこの名前を聞いてきたことでしょうか。万は悠々と越えているでしょう。 どんな言葉よりも、どんな教えよりも、私にとっては 「よっちゃん」という響きが、一番美しいのです。 今は子供たちの親となり、何よりも愛情を込めて、その子の名前で呼んであげること。 それは、最高の子育てではないかと感じる今日です。 「♪どの子にもひとつの生命が光っている。 呼びかけよう名前を、素晴らしい名前を♪」 2008年3月15日


私の好きな唱歌「春がきた」。 まさしく、今日はこの歌がふさわしい日です。 「春が来た。春が来た。どこに来た。」 それは、昼休みに散歩をした時でした。 私の現在のコースは、まず駅前にあるオフィスから北上。 豊川という大きな川にぶつかります。 川沿いには整備された遊歩道があり、吉田大橋の下をくぐって、豊橋公園へ。 今度は、南下して、クスノキ並木を通って、駅前大通へ。 ぐるっと豊橋の街中を楽しめる30分程度のコースです。 さて、クスノキ並木を通り過ぎた時でした。 この時期にも、緑の葉をつけている強い木なのですが、 「そよ、そよ、そよ」と実に気持ち良くなびいていました。 その風の音が、耳にも優しく心地良いのです。 これこそ、そよ風と呼ぶのでしょうか。風に春を感じました。 次に、駅前大通に入り、沈丁花(じんちょうげ)の香りが漂ってきました。 「これは、近いぞ!」と思いつつ、習性でぐるりを見渡します。 ありました。郵便局前の喫茶店の入口。淡いピンクの小さな花々。 花の香りに春を感じました。 そして、「北風と太陽」の話のように、オフィスにたどり着く直前には、 今季はじめて上着を脱ぎました。太陽の光に春を感じました。 なにか物足りないなあ。そう、食べて春を感じること。 それは今夕のお楽しみです。 2008年3月10日


ココ豊橋は、卓球がさかんな土地柄です。 私のぐるりも、卓球好きが多いのです。 昔は、卓球の専門店も数軒ありました。 日本初のプロ選手で、オリンピックに4大会連続で出場を果たしてきたカットマン。 松下浩二さんをご存知でしょうか。 豊橋の出身です。青陵中学校、桜丘高校と言えば、当時の卓球エリートコース。 私より一年上で、当時から「松下兄弟」で話題の人でした。 双子の弟である雄二選手と共に活躍していまして、 全国大会では、いつも埼玉県の渋谷選手と競っていたのも懐かしいです。 その後も、オリンピックが来るたびに、「おお、松下さんは、まだ現役か!」と 驚きました。4大会連続と言うのは偉業ですね。 かたや、日本卓球界は、「若手が育たないのかな?」寂しくも思いました。 ところが、とうとう時代が変わりました。 先日の世界卓球では、選手ではなく、TV解説者として松下さんが登場。 ご本人も「待ってました!」というお気持ちではなかったでしょうか。 18才の水谷選手など楽しみですね。 バスケット部であった私は、ご本人にお会いする機会がなかったのですが、 街中でお会いできる日も来るかもしれません。 その時は、日の丸を長年背負ってきた松下さんに 「お疲れさま〜」と声をかけてみたいですね。 2008年3月7日


それは、風も強い、肌寒い日曜の午後でした。 近所の子供たちが部屋の中でカードゲームをしていました。 そこに、変わり者の私が、「山に行く人?」の掛け声に 「は〜い!」とすぐに4人の子がのって来ました。 5歳の子が「よ〜し!クワガタ見つけるぞ!」と張り切っています。 やはり、「子供は風の子」外で遊ぶのが好きなようです。 残念ながら、我が家の子は忙しいようで、その日は欠席。 早速、すぐ近くにある岩屋展望台へ出かけました。 展望台までの里山は、ボランティアの皆さんのご尽力で 見事に整備されています。自然に親しめるお勧めスポットです。 ぶらぶらとおしゃべりしながら、古木や岩の下をのぞきながら、 標高100mあまりの展望台まで登って行きます。子供の足でも20分程度で到着。 「着いたぞ〜」とささやかな達成感を感じつつ、視界には、大空が広がっています。 その下には、新幹線が豊橋の街を走り抜ける美しい眺望が楽しめます。 冬眠中のクワガタは発見できませんでしたが、 みんな口々に「楽しかった!楽しかった!」とこぼしていました。 ふと、親以外の大人たちとの交流って、 この子たちにとっても大切だよなと感じました。 彼らにとって「良いおじさん」でありたいと思った一日でした。 2008年3月1日


団塊世代の牧師がポロッとこぼしておられました。 「男性は弱いですよ。女性の方がよっぽど強い。 先日も奥さんを亡くしたご主人は、後を追いかけるように すぐに逝ってしまった。ひとり残された男性は、本当に寂しそうですね。」 何か実感がこもっていて、今でもその言葉が心に残っています。 ぐるりを振り返ると、いろんな人たちを思い浮かべ、そうかもなあ、なるほどなあと 否定する事ができませんでした。 団塊の人たちは、私の目からみると、仕事に明け暮れ自信満々で、 何か近づきにくい印象がありました。 しかし、今は、定年退職などを迎え、一線を引いている事もあるのでしょうか、 うつむき加減な殿方が多いように感じます。 一方、同じ世代の女性の皆さんは、元気印に見える方が多いのです。 あのエネルギーは何処からと感じることもあります。 そこで、思い出したのが、「レディーファースト」。 イギリス人のジェントルマンたちは賢いかもしれません。 小さなころから女性を大切にしていますので、最後までしっかりと支えてもらえる。 「レディーファースト」とは、男性の自己保身の知恵のようにも感じてしまいました。 そこには、「男性は弱いもの」という正しい認識があり、 女性を大切にすることは、すなわち自分自身を大切にしていることなのでしょう。 2008年2月23日


市営児童クラブの会合に出席しました。 聞きなれない方もおられると思いますが、 小学校低学年児を放課後に預けるところです。 私の小学校時代にはありませんでした。 年々預けられる児童の数が増えているのです。 そこで、「活動するスペースを広くして欲しい。 午後6時までを7時までに延長して欲しい。」 などの意見が飛び交います。 市民の言われるままに、どんどんと いわゆるサービスが向上して行くのでしょうか。 子をもつ親として、歯がゆく感じました。 いろんな事情がありますので一概に言えないのですが。 ただ、現状は、行き過ぎてしまっていないでしょうか。 子供の視点に立てば、学校から帰って来て、 迎えてくれる誰かがいるのは、やはり嬉しいことです。 特に、低学年までは、親と一緒にいたいものです。 それは、決してお金ではかえられません。 近年女性の社会進出が叫ばれ、保育サービスの拡充は、 際限のないものを感じます。それが是とされる風潮もあります。 一方で、子供たちを寂しくさせることに拍車をかけているのなら、 何のためのサービスなのか。 子育ての主体は、あくまで親です。それは、譲れません。 子どもたちは、親がだいだいの大好きなのです。 もう一度、子供にとって何が良いのか。 検討の余地、工夫の余地はあると思います。 2008年2月19日


明るい家庭づくり推進大会に参加しました。 今年で25回目を迎えるそうです。 こんな大会があるのを知ったのも、PTAの役得のひとつです。 主に子供たちの作文や壁新聞の表彰が行なわれます。 行政が主体となっていますので、豊橋市長が来賓で挨拶をされました。 作文は、読書から。 ここまでは順当な話でしたが、その後の話に魅かれました。 それは、速読ならぬ遅読のすすめでした。 世には、速読術のノウハウ本などが氾濫していますが、 スローライフ、スローフードならぬスローブックと言ったところでしょうか。 市長のオリジナルではなく、ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんの発案だそうです。 説得力が増しますね。 生まれてこの方、本は早く沢山読むべしと刷り込まれていましたので、 非常に新鮮に感じました。 また、決して読むのが早い方ではないので、ほっとしました。 そう言えば、熟読吟味という言葉も日本語にはあります。 それは、速読ではなく、遅読からもたらされるものでしょう。 そうなれば、何を読むかもじっくり選びたいところです。 このホームページも遅読していただける内容である事が 問われているのかもしれません。 日々更新のみにとらわれず、味わい深い情報を提供して参りたいですね。 2008年2月14日


田原の街に家内とぶらりと出かけました。 街に入ると「祝甲子園出場 成章高校」の垂れ幕。 藩校上がりの伝統をもつ県立高校が21世紀枠を勝ち取りました。 平日午前中の高校にも足を運ぶと、さすがに物静かでした。 成章高校のまわりは、田原の中心部で、数多くの史跡があり、散策して楽しめます。 おすすめスポットです。お隣の池ノ原公園は、渡辺崋山が自刃した屋敷跡。 その歴史がよくわかるように整備されています。 旺盛に西洋事情を研究し、鎖国の非を唱えたかどで幕府より国元での蟄居を命ぜられます。 田原藩の家老でもあった崋山は、藩にも悪影響が及ぶことを危惧し、 絶筆の書「不忠不孝 渡辺登」を遺して散って行きます。 まさに、板ばさみでした。藩や幕府にも忠実に仕えつつも、 幕府の非にも気づいていた。外国船打払令に対して、時機を慎むべしと 「慎機論」をしたためていたのは、鋭い洞察です。 時同じくして、すでにアヘン戦争が勃発。 崋山の死は、明治維新の夜明けを感じる出来事でした。 この死を機に、日本が物凄い勢いで走り抜けて行きます。 崋山は、今の時代をどのように見ているのだろうか・・・ ともかく、その精神を受け継ぐ、成章球児の活躍を楽しみにしています。 2008年2月9日


最近のマイブームが「アルプスの少女ハイジ」です。 子供たちの枕元で読み聞かせ。 すると、いつの間にか、眠ってしまいます。 翌日の朝には、「どこまで覚えてる?」と聞いたりしています。 日本でハイジと聞くと、多分、宮崎駿さんが関わった あのアニメのハイジをまずイメージするのではないでしょうか。 また、一昨年は実写で映画化されて話題になりました。 ところが、意外とアニメや映画では知っていても原作を知らない。 私もその口でした。 そんな時、ある雑誌で、知人のお母様の記事に目がとまりました。 それは、原作のハイジの魅力を綴っていました。 そこで、早速書店で購入して読んでみました。それが、実に、素晴らしい。 アニメなども、本当によくできていると関心していたのですが、 目から鱗で、ハイジを見直しました。 アニメや映画のみで判断し、知ったつもりになっていた事を反省。 原作に触れることの大切さを知りました。 この作品は、私が子供たちに伝えたいことを 実にわかりやすく、おもしろく、魅力的に描いています。 「お父さん、ハイジ読んで!」と評判も上々。 子守唄のようにすぐ寝てしまうので、 しばらく、枕元での読み聞かせが続きそうです。 2008年2月2日


小学校で「エキスポ」がありました。 万博ではなく、いわゆる学習発表会です。 10才になる4年生たちは、「2分の1成人式」を行ないました。 テーマは「いのち」で、自分が生まれた時のことを母親に聞いて、その様子を発表します。 お母さんには感謝の手紙を渡します。 そして、小さいころの写真がスクリーンに映し出され、 ひとりひとりが、立派な大人になることをめざして、将来の夢を宣言します。 最後に、みんなで「スマイルアゲイン」という歌を合唱。 非常に力強く声がでていて、私も心動かされました。 声がひとつになる。合唱って本当に素晴らしいですね。 多くのお母さんたちが涙を流しておられました。 その「スマイルアゲイン」の歌詞も、曲も素晴らしく、 だれが作った歌なのかなと興味をもちました。 そこで、インターネットで検索。作詞作曲とも都立小学校の先生。 中山真理さんという方でした。子供たちのために歌を作っているようです。 こんな先生がいるのかと、嬉しくなりました。 それにしても、良い企画でした。小学校には感動が待っているようです。 ふと、この歌、卒業式に良いかも〜と思いました。 すでに、次なる感動を予感しています。 2008年1月28日


小さな親切は、いつまでも忘れないものです。 私が小学校低学年の時に、 よく冷たいお茶をもらっていたクラスメイトがいました。 ちょうど、今年の暑い夏に、その方を見かけた瞬間でした。 「ああ、あの子の水筒から冷たいお茶をいただいたなあ。 あのお茶は、おいしかったなあ。」 同じく、商店街の歩道で、補助輪なしの自転車にのる練習をしていました。 ヨロヨロと動かしながら、しだいに調子にのってきました。 ところが、曲がり角にあるお店の前で、バーンと派手に転倒。 すると、その店のおばさんが、私の方にすぐに駆けより 「大丈夫」と親切に介抱してくれました。 今もそのおばさんは、同じお店で働いています。 先日も、おばさんと自転車が同時に目に入りました。 すると、30年以上前の記憶が急によみがえりました。 「ああ、あの時、助けていただいたなあ。おばさん、優しかったなあ。」 改めて、小さな親切の大きな価値を知りました。 そんな隣人の親切を受けて、今の自分がある。 今度は、私の顔とフライパンを見て、すがすがしい思い出がよみがえる。 そんな小さな親切の種を蒔いて行きたい今日この頃です。 2008年1月17日


親子で「大草原の小さな家」を楽しんでいます。 何回となくNHKで放映されていたアメリカのホームドラマです。 昨年ようやく、念願のDVD発売となり、年末から順番に観ています。 西部開拓時代のストーリーですが、扱いっているテーマは 今の時代にも当てはまるものばかりです。 アルコール中毒の父親が一人息子を虐待します。 街の人たちは、教会に集まり、なんとかその子供を助けようと相談をします。 そして、主人公の父さんが、その父親と共同生活をはじめて更生をはかります。 何か問題が生じた時に、街の人が集まって、みんなで助け合う。 例え問題が解決しなくても、ともに悩み、ともに悲しみ、ともに喜びを 分かち合える仲間を持てることは、素晴らしいですね。 「地域力」の価値を改めて思いました。それにしても、「大草原の小さな家」 どの作品も充実したストーリーで多くを教えられます。 NHKがあれほど再放送したのも頷けます。「古き良き」かもしれませんが、それが伝統。 アメリカの底力なるものを感じます。 2008年1月10日


明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 年末年始の挨拶は、堅苦しいように感じることもあります。 しかし、この日本の礼儀作法を「芸術」と感じた人がいます。 その名は「小泉八雲」(こいずみやくも)とラジオで紹介されていました。 イギリス人で後に日本国籍を取得した文豪です。 明治時代のことですから、平成の今とは違っているかもしれません。 それでも、親戚やお取引先などとは 「明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。」と改まる習慣は続いています。 その挨拶の背後にある心を整理してみました。 その心こそが「芸術」の核心でしょう。 「あなた様のお陰もあり、新年を迎えることができましたよ。 本当におめでたく感謝でございます。 どうか、今年も同じようにお力添えをいただき、ますます よろしくお願いいたします。」 人を前にして謙虚になり、感謝できる心。 その時、それが挨拶として表現される。 そんな美しい挨拶をめざして、 この新年にのぞんで参りたいものです。 2008年1月4日


海外在住の日本をこよなく愛する友人から便りがありました。 それは、日曜日の朝の光景をうたっています。 〜百姓が丹誠込めて育てた美味しいお米。 農家が汗水流して作ってくれたみずみずしい旬の野菜と果物。 漁師が遠い海からとって来た新鮮な魚。 味噌職人が丹念に造った味噌。 豆腐屋が今朝作った出来立ての豆腐。 職人が最高の技で作った料理道具のかずかず。 これを使って母親が人一倍早く起きて愛情を込めて料理してくれた朝食。 これも職人が魂を込めて作った手に馴染む食器に盛られる。 おいしい朝食に成るまでに携わった一人一人の人に感謝をし、 全てを恵んで下さる主に祈りを捧げ頂く朝食。 そこには和敬清寂がある。 なんだか今日は良い一日になりそう。 張り切って家を出かける。〜 なんだか、新年は良い一年になりそう。 こんな新年の食卓を迎えたいものです。 いや、気づいて感謝をささげて行きたいです。 皆様、感謝と希望であふれた良いお年を。 2007年12月29日


日曜日に子供クリスマス会がありました。 その夜、家に戻ると、なんだか不穏な空気が流れていました。 タンスの扉が開いたままです。ガラスの破片が、椅子に上に置いてあります。 とっさに、窓ガラスの方に駆けつけると、 鍵のところのみ割られ、誰かが侵入したことが分かりました。 いっしょにいた子供が、「こわいよ〜。こわいよ〜。」と泣き出しました。 そんな時、「お祈りしよう!」と跪きました。 「この部屋に入った人を祝福して下さい。その人の必要が満たされますように。」 すると、私にも、子供にも心に平和がやってきました。 これが、クリスマスの現実でした。 最近のクリスマスは、イルミネーションに飾られ、 現実から逃避するような別世界をつくりがちです。 しかし、この現実に立ち向かって行ける力を与えてくれるのが、 クリスマスの本当の恵みでした。 野宿していた羊飼いが、救い主誕生の知らせを聞いた時、 天使が高らかに賛美したと聖書は教えています。 「地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」 2007年12月27日


娘の習い事で、ハザードランプを灯して迎えに行きました。 そこで、「ゆっくり急げ」という言葉を習い事の先生から教えていただきました。 ラテン語で「フェスティナ・レンテ」 先生の主宰する合奏団の名前でもあります。 きらりと光る魅力のある言葉だなと思いつつ 車に戻りました。すると、エンジンがかかりません。 バッテリーが上がってしまったようです。 そこで、JAF(日本自動車連盟)に、携帯で助けを求めました。 夕方時で、待つこと40分。このような時の待ち時間は、 時間が止まったような、本来はあせりを感じるものです。 しかし、「ゆっくり急げ」の言葉を思い出しました。 心の中でこの言葉を繰り返してみました。 すると、なんだか心安らかになりました。 しばらくして、明るいお兄さんが、駆けつけてくれて、10分程度でものの見事に修理してくれました。 その人は、本当に仕事を楽しんでいる様子で、傍で見ていて気持ちの良いものでした。 働くって、こういうことだよな・・・。 困っている人のために、すぐに駆けつけ、汗をかきつつ助けて、結果として感謝される。 この光景を見れたのは、「ゆっくり急げ」のお土産のようでした。 2007年12月21日


優しい冬の日差しを受けて、小学校の校庭で餅つき大会。 餅つきは、最近リバイバルの兆しですね。 地域のおじいちゃん、おばあちゃんが「餅つき隊」を編成して、 餅つきを子供たちに教えてくれます。 ハソリやお釜に蒸し器、杵も臼もすべて揃っています。しかも3組づつ。 学年ごとに、6回に分けて、子供たちとついて行きます。 その段取りは見事で、まさに地域力を感じました。 見ていると、振り方にも個性がありますね。 私も父親の代表として、久しぶりに杵を振り上げました。 すると、気合が入り過ぎてしまったのか、 餅が臼から飛び出してしまいました。「しまった!」 すぐに、砂をとってくれましたが、幾分小さめのお餅になってしまいました。 「すいません。」お餅をつく時にも、砂糖をまぶしていたのですが、そうすると 堅くならず、カビにくくなるそうです。 餅つきの中にも、先人の知恵が詰まっているのだなあと感じ入りました。 腰に手を当てながら、きなこ餅をおいしくいただきました。 2007年12月14日


日曜日の午後のひととき。 チョコレートフォンデュで、子供たちとクリスマスをお祝いしました。 チーズフォンデュ鍋を使って、ミルクチョコレートを溶かします。 ちょっぴり牛乳を加えました。生クリームを入れてもよかったかも。 具は、フールツ各種。 いちご、りんご、みかん、バナナ、キューイ、パイナップル、柿、マンゴー。 食べやすいサイズに子供たちに切ってもらいます。 一皿に一種づつ。盛り付けも美しく。 これだけのフルーツを一気に楽しめるのも魅力です。香りも漂います。 厚手鍋なので、それほど温度も高くならず、程よい温度加減。 ほんのりチョコをつけて、一口づつ楽しみます。 みんな満足そうでした。 フルーツを楽しむ新しいスタイルかもしれません。 どの具も思いのほか、売れ行きがよく、残ったのは柿でした。 そして、意外にも、マンゴーがチョコレートにあいました。 2007年12月10日


我が家の3人の子供たちが、順番に体調を崩しました。 症状がみんな同じなので、感染するものだったようです。 それは、突然嘔吐をもよおし、1、2日寝込んで、回復する。みんな、このパターンでした。 しかも、一人良くなると、次に。といった感じで一人づつでした。 ようやく、今日は3人揃って登校しました。 風邪やインフルエンザの流行る時期です。 今年は、幸いに手作りの梅酢が常備されていました。 ちょうど、この時期に完成します。素晴らしいタイミング。 この梅エキスで菌を撃退!息子も、酸っぱいのを我慢して、率先して飲んでいました。 体に良いものだと、体も求めるのかもしれません。体の方が知っている。 梅は6月に実がなって、漬けて12月に薬となる。 先人は、すでに体験して、梅の食文化を作りあげてきたようです。 現代医療のみに依存するのではなく、 この風土で生まれ、先人の知恵の詰まった食文化を 改めて見直したいですね。 2007年12月7日


大学時代の友人の結婚式に駆けつけました。 式場は、中央線阿佐ヶ谷駅前の商店街を抜けたキリスト教会。 二人の思い出の場所は「梅の花」とあったのですが、 四十路の峠を越えようとしている彼は、長い風雪に耐えて開いた梅の花のようにも思いました。 彼曰く、「すべてに時あり。神のなさる事は、すべて時にかなって美しい。」 新婦がお父様にエスコートされ、バージンロードを歩き始めました。 ところが、ベールが上がったままの登場。 途中で気がついた花嫁は、花束をもった手で、慌ててベールを下げました。 厳かな会場内は、優しい笑いに包まれ、たちまち打ち解けた雰囲気に。 しかし、「健康の時も、病気の時も・・・」誓いの言葉になると、さすがに変わりました。 「私も証人だ。今の誓い、しかと聞いたぞ。」そんな気持ちでいました。 誓いは重いもの。生涯かけて守り抜くもの。 結婚の先輩として、最近はこの聞き方が、友人への最大のエールです。 2007年11月24日


先週は、一日仕事を休ませていただきました。 喉の痛みからはじまり、熱が出て、鼻がつまり、咳がとまらずといった症状です。 咳が止まらないのは、つらいですね。 そのような体調の中で、あることを悟りました。 「人間は、自分のためには生きられない。人間は、人のためなら生きれる。」 人間は自分中心にできていますが、かといって自分のために生きるというのは、 実はそれほどエネルギーが湧いてきません。 それが、ひとたび「人のため」となれば、ある時は、 命を投げ出すほどの力を秘めていると思うのです。 生まれながら我慢強い人がいるのではありません。 つらい時には、子供のため、家族のため、日本のため、世界のため、 耐え抜いて行きたいです。 だから、そんな生き方を日々していれば、 忍耐力も自ずとついて来るように思うのです。 2007年11月20日


秋の深まりを感じる今日この頃です。 近くの道の駅「潮見坂」では、自然薯(じねんじょ)と「むかご」が 並んでいました。自然薯は1m以上にも根を伸ばすことがあり、 掘り出すのは、かなり大変だと聞きます。 その苦労を思うと、お値段もそれなりです。 これをすり鉢でとろろにして食べるのが、こちらでは一般的です。 子供のころ、口の周りに、とろろがついて、無性に痒くなった事を思い出します。 また、自然薯についてくる種子といったら良いのでしょうか。 豆粒ほどの、小さな芋のような「むかご」は、ご飯にまぶしていただきます。 最近は、このむかごご飯を楽しんでいます。 恥ずかしながら、この年になって、はじめてむかごの存在を知りました。 秋を感じながら、地のものを、自分で作って、家族といただく。 贅沢なひとときです。 2007年11月10日


「絶対」という言葉は、禁句だと思います。 人間のすることで、「絶対」は絶対にありえないからです。 唯一つ絶対なことは、死ぬことです。 この言葉は、全能者の領域です。常に謙虚でありたいです。 しかし、勝負事の世界をはじめ、「絶対」が商売上でも飛び交います。 「絶対」という言葉は、その人の言葉を軽くしてしまうように思うのです。 インターネット社会で、ますます言葉は氾濫していますが、 ますます言葉が軽くなっているようです。 このような時代だからこそ、本物の情報、確かな情報が求められています。 フライパン倶楽部の分岐点も、この言葉の重みのように最近感じます。 フライパン倶楽部の言葉は重い。そのように感じていただけるように、 しっかりと言葉を選んで、しっかりと商品を選んで、 情報を提供して参りたいです。そこにこそ、信頼と安心が生み出されます。 実店舗のオープンで、しばらく情報の更新ができませんでしたが、 来週から少しづつ従来の形に戻って参ります。今後ともよろしくお願いいたします。 2007年11月3日


爽やかな秋風とともに、25日(木)に 実店舗が新装オープンいたしました。 お客様をはじめ、関係者の皆様ありがとうございます。 料理道具を販売する立場で何ができるのか? 中食・外食が蔓延する中で、家庭料理の復権をめざして行くことです。 「お料理上手は、幸せ上手」をかかげ、 引き続き、家庭料理の魅力にせまって参りたいです。 30日(火)までオープン記念セールを実店舗では行っています。 セールは、商品がいつも以上に流れます。 しかし、店はただ商品が流れる場ではありません。 お客様からの情報をいただく場であり、 お客様へ有益な情報をご提供する場だと考えます。 そんな本来の店に近づいて参りたいです。 この機会に、是非愛知県の店舗にもお越し下さい。 そして、お客様のお声をお聞かせ下さい。 良い商品と良い情報をもって、スタッフ一同お待ちいたしています。 2007年10月27日


山に感謝、海に感謝。 我がふるさと豊橋は、山と海に囲まれたのどかなところです。 山の幸、海の幸にも恵まれて、食物も安く新鮮で美味しい。 かといって、田舎臭くはなく、国道1号線や新幹線も通る便の良さ。 ほどほどに都会なので、住み心地は二重マル。 25日オープン予定の新店舗は18階建てビルの1階となります。 上階はマンションとなりますが、スタッフが住む12階からこの豊橋を一望できます。 西に三河湾、南に太平洋、東に石巻山、北に本宮山。 ぐるりと自然に囲まれて、落ち着いた街並みが広がります。 このビルは、ちょうど真ん中。市内電車がゆったりと行き来しています。 秋空がくっきりと広がる今日、この豊橋を満喫できます。 名前のごとく、豊かなところ。視点を変えると、ふるさとを再発見できます。 2007年10月12日


「ニモ」という魚が主人公のアニメを観ました。 魚親子の物語です。広大な海原で、子供と離ればなれになった父親が、子供を探しに出かけます。 臆病だった父親が、サメと闘うなど、子供を助けるために奮闘。 見事に父親が変貌します。そして、劇的な再会。 人は、子供によって男になるものだと思いました。 そんな折、こんな言葉に出会いました。 「自分のためじゃなく、誰かのために、がんばれるようになった時、 強くなれるんだなあ。」 そして、子供の目線で物事を見ると、本質が見えてきます。 子供にとっての最高の幸せ。それは、父親と母親の仲が良いこと。 当然すぎるほど、当然のことです。 子供の幸せを考えれば、夫婦の関係を見つめ直すべきでしょう。 不倫浮気など恐ろしいことです。 やはり、父親は母親を愛すること。それは、感情を越えた意志でもあります。 子供のおかげで父親になれる。子供たちへ感謝、感謝。ありがとう。 2007年10月6日


夏休みの駆け込みで、家族5人で日帰りの旅に出かけました。 青春18切符は、ひとり¥2300でJRのり放題、ちょうど5人分。 ココ豊橋からですと普通電車で京都まで3時間程度。 今回は、京都の手前の近江八幡市を目標に朝7時ごろ出発しました。 近江八幡駅に着くと、雨が降ってきました。 それでも、バスに乗り市立資料館などを廻りました。 途中で土砂降りになり、雷も激しく鳴りはじめました。 近くの民家の軒下でしばらく雨宿り。見知らぬ地では心細いものですね。 心配してくれた方が傘を分けてくれました。 かたや、タクシーで帰ろうともしましたが、手をあげても素通り。 雨の旅となりましたが、旅にはアクシデントがつきもの。 雨だからこそ、良きにも悪しきにも、人の情けが沁みました。 観光というのも、名所というよりも「人」だなと感じつつ、 9時半ごろ無事に帰宅しました。 2007年8月25日


「まな板と包丁があれば」夏を乗り切れます。 この暑い夏に、なにかと食がすすみません。 そこで、おすすめは、果物と野菜を冷やして、そのまま食べること。 「まな板と包丁があれば」こんな簡単なメニューはありません。 要は切るだけです。わが故郷は、特別かもしれませんが、この時期は トマト、なし、すいか、メロンがすぐに手に入ります。 旬のものを旬に食べる。ちょうど暑い夏に、こんな素敵な食物があるんですね。 ジュースやアイスクリームなどよりも、断然かだらにも良い。 先日、冬瓜を作っている農家の方がポツリとこぼしていました。 「まな板がないから、野菜を食べないんだよな〜」 おお、そんな視点があるんだと驚きました。 しかし、本物のまな板の感触や、本物の包丁の切れ味を知っているものは頷けます。 「まな板と包丁があれば」この旬の恵みに預かれるのです。 2007年8月18日


子供たちと「未来少年コナン」をレンタルDVDで見直しています。 私が小学生のころNHKで放映していた宮崎駿さんのアニメ作品です。 当時は、ほぼ無名の宮崎さん。無名時代の作は、良いものが多いようにも思います。 作品の時代背景は、2008年。核兵器による戦争で、人類の大半が死滅。 その20年後に、残された人たちが地球再生に挑むストーリです。 2008年と言えば、来年です。非常に現実感を帯びた設定です。 その20年後と言えば、私は、少年コナンのおじいの世代になるかもしれません。 モンスリーという女性が、コナンのおじいに 「あなたたち大人が、戦争によってこんな地球にしてしまったのよ!」 その台詞にドキリとしました。 僕らの世代は、この地球をしっかりと守って行けるのだろうか・・・ 昨日は、長崎に原爆のおちた日。 同じ過ちを犯さない様に、このアニメのメッセージを心に刻んで行きたい。 非常に奥深い作品でした。 2007年8月10日


休日の夕方ごろ車の中で、なにげなくラジオをかけていました。 講演会の実況の様子で、夏目漱石の話になりました。・・・・ 小説「坊ちゃん」の登場人物で、漱石が自分を投影していた人物は? それは、主人公の坊ちゃんではなく、陰湿な性格の「赤シャツ」。 そんな嫌な自分を大胆にユーモラスに綴ったのが漱石なのです。・・・・ 自分を直視できる。自分の弱さや欠点を素直に認めれる。 しかも、ユーモアを持って。私も是非このようになりたいですね。 その話を聞いて、さすが漱石!もう一度、「坊ちゃん」を読み直して見たくなりました。 とつとつした印象はありましたが、その話は明快で実に魅力的でした。 その話し手とは、脳科学を研究している茂木健一郎さん。 NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の司会者で著名な方だそうです。 そのラジオの話に、私の脳はウキウキ喜んでいたと思います。 早速ネットで検索して著作を読んでいます。その次は、坊ちゃんかな〜。 2007年7月28日


PTAのつながりで農家のおじさんと親しくなりました。 冬は白菜で、この時期は「冬瓜」(とうがん)を作っています。 冬瓜と書くので冬の野菜かなと思っていたのですが、夏の野菜とのこと。 冷暗所に置けば冬まで保存ができるので、この字があてられたとも? 先日、おじさんの大きなお屋敷にお伺いした時に、手作りの尊き冬瓜を2ついただきました。 早速、軽く炒めたり、味噌汁の具としていただいています。 すると、なんだか元気が湧いてきます。それにしても、大きな野菜なのでなかなか食べきれませんが、 随時ラップをかけては、丁寧に扱っています。 また、子供が残しているのを見ると、日焼けしたおじさんの顔が浮かぶので、ついつい口に入れてしまいます。 子供たちも、あのおじさんの作っている光景を見れば、食べ残すこともないのかな〜と思いました。 2007年7月14日


シンプルイズベストだと思う今日この頃です。 昔、数学の証明問題で、ノート2ページに渡って長々と証明して喜んでいると、 回答集には、わずか5行程度で、単純明快に同じ証明をしていました。 愕然としつつも「いや〜お見事!」仕事の中でも、この長々とした証明のように、 複雑にしてしまうことがいかに多いことか。反省の至りです。 文章でも同じです。このホームページでも、あるいはこの日記でも同じでしょう。 その意味で、最近は俳句や短歌に興味を持ち始めました。 伝えたいことを、わずか17文字、31文字で表現してしまう。まさに、シンプル。 この極意を身につけたいですね。しかし、分かったことは、シンプルとは、 本質を突き詰める思考であり、まとわりつく修飾や見栄などを捨てる作業です。 その過程では、かなり労力と時間がかかります。 やはり、原点は、伝えたい意欲、熱意、愛情です。 シンプルイズディフィカルトであり、しかしその向こうには、 シンプルイズビューティフルが待っています。 2007年7月7日


梅雨時に思います。働き盛りの世代で、うつ病が流行っているようです。 周りをみても、忙しい人が本当に多いですね。 自分は大丈夫と思っていた当人が、知らぬ間に病魔につかまってしまう。 心をもっている人間は、みんな弱さを内に秘めています。 気をつけて参りたいです。そこで提案したいのが、「自然に帰れ!」です。 人間は自然と寄り添って生きるようにできている。 土をいじり、花をめで、陽光をあび、山や海にでかける。 夏は夜。月夜をぶらぶら。風を感じ、蛙の音に耳を傾ける。 豊橋はそんな自然に囲まれた素晴らしいロケーションです。 神様は人間が生きやすいように、あえて自然を用意して下さった。 その自然から離れれば、生きにくくなる、つまり心は病んでしまう。 うつ病対策に、輝いて生きていくために「自然に帰れ!」をおすすめします。 2007年7月1日


交通事故の現実には、目を覆うばかりです。 つい先日も、お隣の校区で小学生が車とぶつかって意識不明の重体。 悲惨な現実が身近にありながら、交通事故が依然として減ろうとはしない。 自分も含め、その人間の感覚が恐ろしい。 その感覚をもたらす車も、最近は魔物のように思ってしまいます。 運転を気をつけようと思っても、時の流れとともに、 しだいに慣れの世界に入ってしまい、ハンドルへの緊張感がなくなってしまう。 重大な犯罪行為も、ごくごく普通の市民がおこすのです。 車の街である愛知県から、車社会を見つめなおす時が来ています。 本質的には、交通安全というよりも、車依存の社会を変えていくことではないでしょうか。 いくら経済を支えている車であっても、人の命には代えられない。 毎日毎日どこかで命が失われている。 経済を隠れ蓑にしている魔物に、どのようにのぞんで行くのか。 叡智が結集される時です。 2007年6月7日


先月より小学校PTA役員となり、地域の方と顔合わせの多い毎日です。 もともと私は、豊橋の中心部の出身ですが、 今は、中心部から離れた二川という街に住んでいます。 それでも、世間は狭いものだと感じます。 地域の長老的な存在は、小学校時代にお世話になったミニバスケットの先生。 自治会長さんは、フライパン倶楽部で推奨する竹本油脂の役員の方。 防犯担当さんは、商店街の電線地中化でお世話になった中部電力のOB。 今度は、子供たちを守るために、これらの方々とスクラムを組んでいます。 しかし、以前に良い出会い、良いつながりができると、信頼感も格段に違ってきます。 今日お会いしている人は、明日はいっしょに力をあわせる人かもしれない。 いつその人にお世話になるか分からない。 「一期一会」と言いますが、一回一回の出会いの大切さを身に沁みています。 2007年5月29日


「おはようございます。」通勤途上の朝の道を家内と歩いていました。 後から、軽快に自転車を走らせた、微笑を浮かべたご近所のお母さん。 お子さんが4人いることを伺い、別れた後で家内に 「ご主人は、どんなお仕事だった?」「警察だよ。」 「あ〜」と畏敬の念とともに、私の顔が神妙になってしまいました。 そして、会社に着くと、新聞の大きな見出し。 愛知県警察の痛ましい事件を知りました。 私をいつも震撼させる瞬間があります。それは、特殊部隊の突入! 見ず知らずの人のために命をかけるその瞬間。 突入する人たちの気持ちは、真っ白なのだろうか。 家族のことがよぎるのだろうか。 殉じた人には、生まれたばかりの子供がいたと聞きます。 物心がついた時には、「君のお父さんは、人のために命を捨てたのだよ。立派だったよ。」 それは、「生き様」という子供への最高の贈物のようにも思います。 しかし、「それでも、私にはお父さんが欲しかった・・・」そんな答えが返って来るのかもしれません。 こんな人たちによって、日本の治安が守られている。 いつもわが身を投げて、私たちを守ってくれる人たちがいる。 「ああ、神よ!警察官を、そのご家族を、守りたまえ!」 2007年5月18日


母の日は、お父さん仲間で夕食作りに取組みました。 朝一番、潮見坂(しおみざか)の「道の駅」に買出しに。 テーマは「野菜たっぷり」 献立は、旬を意識しながら「タケノコごはん」「キャベツたっぷりのポトフ」 「茹でスナックエンドウ」「焼きなすのごま油和え」「きゅうりキムチの浅漬け」 「冷やし夏みかんのデザート」子供も含めて30食分にトライ。 段ボール箱2個の野菜は、締めて¥3600也。この価格に驚き!! これは地の利だとも思います。豊橋、田原、湖西、浜松と 太平洋に面したこの地域は自動車産業も活発ですが、野菜生産も断トツの日本一。 道の駅では、生産農家の方から直接購入できます。 ついている価格に、農家の方の善意を感じてしまいました。 自動車のような付加価値の高いものと、野菜を比較してはならない。 自動車が、なくても生きてゆけます。しかし、野菜などの食糧は、必需品なのです。 価格のみで価値を判断してはならない良い例です。 百円と付いている野菜には、百円以上の価値があると思います。 これは、資本主義社会の盲点かもしれません。 改めて、生産農家の方に敬意をもった買出しでした。 ちなみに、想像以上においしく仕上がり、お母さんたちにも喜んでいただきました。 このお料理の価値も、価格では推し量れないでしょう。 2007年5月13日


小学校2年生の息子は、中村俊輔選手にあこがれています。 最近までは、髪型もやや長めにして、俊輔カット?? たまに、出会った人に「君、中村俊輔にそっくり」などと言われると大喜び。 蹴り方から、その助走や仕草まで、本当によく似ているのです。 わずかなビデオでしか本人を見たことがないのですが、すごい観察眼だと感心します。 「大きくなったら、サッカー選手になる」 「10年後には、ワールドカップの日本代表になっている」など 頼もしいことを言ってくれます。 「せいくんは(自分のこと)、有名になることやお金のためじゃなくて、 サッカーが好きだから、サッカー選手になりたいんだ。」そんなことまで口にします。 「そうか〜素晴らしいね。」と私は静かに頷いています。 誕生日には「I LOVE SOCCER」という俊輔のサッカー教室のDVDを買ってもらいました。 そのDVDで中村選手が何度も強調しているのが、パスやドリブルなどの基本徹底。 あの華麗なプレーも、やはり「基本徹底」の開花なんだと妙に納得しました。 「せいくん、何でも基本だよ!」と最近は、息子とパス練習をすることが多くなりました。 2007年5月2日


今月から小学校PTAの役員になり、さすがに会合の多い毎日です。 今まで知らないでいたのですが、学校が運営されるのも、 水面下で多くの方々のご尽力があるのだなと実感しています。 教頭先生などは、あまり授業を持たず、どのような存在なのか 不明だったのですが、本当に水面下でのお仕事が多く、 文字通り「教える頭」なのだとひとり感心しています。 会合の席上で思うのが、だされるお茶です。 会合にもよるのですが、ペットボトルのお茶は、本当に寂しい限りです。 中には、「経費削減で、お茶をだすのは止めましょう!」など声が起こります。 ペットボトルなら、ない方がいいかなと共感もします。 みんな忙しいのは、分かるのですが。このペットボトル会合は、考えものです。 心をこめて入れていただいたお茶は、不思議とその場をホッとさせてくれます。 それは、のどを潤すだけのものでありません。 「お茶くみ」という仕事は、実は会合を左右する重要な役割だとも思います。 会合のそんな風景は、忙しさにまぎれ、心が失われている時代を映し出しているようです。 2007年4月28日


長崎という街に魅力を感じます。 長崎駅前にある西坂丘で、400年前にあった出来事。 12歳の少年を含む26人のキリシタンが喜び輝きながら十字架の上で殉教。 今もその記念碑は、丘の上で燦然と輝いています。 天下を統一した豊臣秀吉による残虐な処刑行為でした。 その後も、多くの人が殉教の死を遂げます。しかし、長崎は負けません。 実に250年の禁教迫害化の江戸時代を乗り越えて、信仰は子々孫々に継承。 そして、原子爆弾のキノコ雲。その惨状は想像を絶します。 さらに、隠れキリシタンの末裔であり、平和市長の呼び声高き、本島等市長が銃撃に。 そして、今週の事件。私の中でなぜか 「ああ〜長崎は今日も雨だった・・・」という曲が響いてしまいました。 その悲しみの中でも、強く逞しく生きている長崎。 決して今日の雨には負けません。そう、長崎は、いつも明日を見つめているのです。 2007年4月21日


山並みの若葉が美しい今日この頃。その緑の色合いが見事です。 じっと目を凝らすと、みんな微妙に違う緑。 今日も、国道一号線の通る豊橋公会堂前の歩道橋に登りました。 真下には市内電車が走ります。 この季節、東の空を仰げば、山並みがくっきりと見えるのです。 歩道橋というと、小学生の通学路をイメージしますが。 大人ももっと楽しむべし。ちょっと高いだけで、眺めが格段に違ってきます。 視点が変わるだけで、「我が街、再発見!」もありです。 最近は、ついつい歩道橋に登ってしまいます。 ココ豊橋は歩道橋が多い地域かもしれません。 安全はなおのこと、階段の上り下り、実に体にも良いですよ! さあ、歩道橋を楽しもう!! 2007年4月17日


「心をこめる」時に、人の心が育って行きます。 心が育つとは、どのような事でしょうか。 それは、信じること、望むこと、愛すること。 この3つが芽生え、豊かになることが、心の育ちだと思います。 それは、「おはよう」というあいさつであったり、 「がんばれ」という励ましであったり。 そこで、買物という行為も、やはり心のこもった人から、心のこもった商品を買いたい。 買物で心が豊かになったり、貧しくなったりする事もあるのです。 だから、商人は、「心をこめて」商売をすべきでしょう。 しかし、なんと言っても食べることです。 真心こめて作られた食材。そして、心をこめて料理する。 それを食べれる人は、最高に豊かで幸せです。 「心をこめる」ところは、どこですか。それは、毎日の台所だと思います。 2007年4月13日


売り買いの現場で思うことです。 売る方は下位で、買う方は上位という変な関係。 士農工商と言われ、売る側の商人は、下位の立場にあるべきなのでしょうか。 福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の教えに返れば、 同じ対等の立場にあるのは基本です。 物の売買の前に、まず人間であることを忘れてはなりません。 売る人にとって、「お客様のため」というのは最重要なことですが、 時にお客様を「わがままにさせた子供」のように 「言いたい放題やりたい放題」させている現場を見かけます。 そこには、本当の意味での良い関係、相互の信頼は生まれてきません。 商人が、自信と愛情をもって商品を提供している。 しっかりとお客様にベネフィットを与えているのなら、 その対価としてお金をいただいているのです。その関係はあくまで、イーブン。 しかし、きちんとベネフィットを与えていないと、 自分を卑下し、媚びへつらってしまう。その姿ほど醜いものはありません。 デフレ化の現場で、自戒を込めて。胸を張れ、商人たちよ! 2007年4月10日


青森県の弘前市を訪れました。 130年の伝統をもつ東奥義塾という学校があります。 その学校の跡地広場には、市立観光館をはじめ 郷土文学館、旧東奥義塾外人教師館など 当時の建物をはじめ、その歴史がわかるように、 きっちりと紹介されていました。 人に自分の街を紹介できるって素晴らしいことですね。 自分の街の歴史を知ることは、自分を知ることではないでしょうか。 そこに、誇りや自信が生まれ、自分の存在意義やアイデンティティ(自分が自分であること)も 秘められているように思います。 最近、わが郷土で興味があるのが「渡辺崋山」(わたなべかざん)です。 日本文化に造詣の深いドナルド・キーン氏が彼の本をだしています。 灯台もと暗しです。わが街には、本当に素晴らしいものが、いっぱいあります。 歴史をたどると、大きな発見と驚きがあります。 2007年4月7日


家内の実家が北海道です。先週は家族で里帰りをしてきました。 まず、家内が勤めていた北広島市のカトリック系養護施設を訪ねました。 そこには、児童向きの図書室があるのですが、大人用の本もきっちり揃っていました。 そのセレクトに唸りました。「素晴らしい!!」 佐藤初女(さとうはつめ)さんの「おむすびの祈り」(PHP研究所)という本に目がとまりました。 この方は、心の病や問題を抱えている人たちを自宅に招き、一緒に食事をするのです。 おむすびをはじめ、その手作りの料理を食べて、人が癒されてゆきます。 そのことが「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第2番」という映画で紹介され話題にもなったそうです。 手作りのおむすびの中に秘められた力。改めて「いのちと食」に開眼。 旅先での貴重な本との出会いでした。 2007年4月2日


「どんな時に、幸せを感じますか。」と問われた事がありました。 意外に答えはでてきません。そこで、ズバリ「おいしいものを、みんなで食べる時」 ちょうど先週、辰巳芳子(たつみよしこ)さんの番組が放映されていて、 なるほどな!と気づいたことでした。 以前、NHKの子供料理番組「ひとりでできるもん!」のエンディングで 「あっちこっちしあわせ」という曲が流れていました。 この曲に、ひと目ぼれ。いや、ひと耳ぼれかもしれません。 食卓の光景を、エンディングという短時間の中で、歌詞に曲に、見事に表現していました。 フィナーレは「ありがと!ありがと!ありがと!ジャジャジャ」明日への希望を感じます。 幸せはぐっと身近なところにある。リニュアルにあたって、 当社の掲げる「お料理上手は、幸せ上手」をいよいよアピールして参りたいです。 「あっちこっちしあわせ」当社のテーマ曲にしたいですね。 2007年3月15日


ある雑誌で「岡野貞一(おかのていいち)」さんのことを知りました。ご存知でしょうか。 日本の唱歌である「故郷(ふるさと)」の作曲者です。 それだけではありません。 この季節にマッチする「春が来た」「春の小川」「おぼろ月夜」など 見事に岡野さんの作曲だと言われています。 あの素晴らしい旋律は、日本の心を表現しているようです。 クリスチャンであった彼は、東京の本郷中央教会でオルガン奏者としても、 忠実に礼拝の奏楽をされていたそうです。 そのオルガンが今も現存しているとのこと。早速、見に行きたくなりました。 しかし、山田耕筰や滝廉太郎に比べるとあまり知られていません。 恥ずかしながら、私もこの年になって初めて知った次第。なぜか。 戦前は、文部省唱歌として、作者がふせられていたこと。 また、ご自身の人柄からでしょうか。身近な家族にも、自身の作であることを知らせなかったようです。 きっと、「イエス様が与えて下さったもの」と信じていたのだと思います。 なおのこと、この自分をださない岡野さんの曲に惚れ込んでしまいました。 世の中、こんな無名の大人物がたくさんいるのでしょうね・・・。娘が只今ヴァイオリンを習っています。 バッハの「G線上のアリア」が弾けると良いなあと、思っていました。 今はそれに加えて、「故郷」をきっちり魂で弾ける様になってほしいですね。 2007年3月3日


春めいた日。昼休みは、ぶらぶらと歩きます。 まず、庭先から漂う沈丁花の香り。私にとって春を感じさせる匂い。 香りだけで懐かしい幸せな気持ちになれます。 そして、吉田城の庭に咲く梅の花。そこのベンチに腰をかけ、玄米弁当を広げます。 平日の昼間は、いつも貸切状態のように静かです。 よく噛みながら、「百花のさきがけ」という梅の花を味わいます。 すると、小鳥たち。春の訪れを楽しんでいるかのように、戯れています。 帰りは、吉田城下を悠久とながれる豊川河川敷を練り歩きます。 鴨がゆったりと気持ちよく泳いでいます。 陽光を浴びると、そのせせらぎがキラキラと宝石のように輝きます。 最近は、この母なる豊川の水が綺麗なのです。 吉田城下でちょうど合流する朝倉川。 「朝倉川育水フォーラム」などの市民運動の賜物でしょう。 橋下から眺めた朝倉川は、実に澄んでいるのです。 こんな地道な努力にこそ、もっともっと春を感じますね。 そして、オフィスのある街中のビルに戻りました。 2007年2月24日


「ポストハーベスト」ってご存知ですか? その名の通り、栽培中ではなく「収穫後」に農作物にかける殺虫剤や防カビ剤等を指します。 国内では禁止されているようですが、輸入農作物には、使用されることがあるようです。 冷静に考えてみれば、遠路はるばる、海外から日本まで大量の農作物を輸送するとなれば、 これはもう大変なことです。飛行機ではなく、多くは船便でしょう。すると、時間がかかります。 虫もつきます。腐敗もあります・・・・その時、気がつくことは、地産地消は一番新鮮で一番安全。 見直されて当然です。食物自給率が40%程度の日本ですが、輸入農作物に依存していると、 後で痛い目に会いそうです。スーパーで見かけるバナナは本当に艶があり綺麗ですね。 しかし、海を越えてやってきたもの。綺麗=良いものとは限りません。 見た目だけで判断せず、その背後にあるものを見つめて行きたいです。 日本は工業製品を作っていれば良い!相互依存のグローバル社会だ! そのようなレベルの問題でもなさそうです。 2007年2月17日


最近、内橋克人さんの書いた「悪夢のサイクル」という本に共感してしまいました。 地方都市の商店街は、見事に寂しくなりました。 正価売りの百貨店ですら、セールが続きます。郊外の量販店も、休みもなく、 営業時間も長くなり、サラリーマン店長さんも四苦八苦です。 しかも、新規の出店は続き、従来のお店は使い捨てのように去ってゆく。 これは、単なる競争ではなく、過当競争の様相です。 日本社会は戦後、競争社会を是とするアメリカ型にならって参りました。 いかに安く、いかに多く売るかで、成長してきたダイエーさんはその象徴でした。 しかし、そのダイエーさんも疲弊しています。この街にも、今はありません。 競争社会が行き着くところは、販売価格は下げ止まらず、 利益は出ず、結局商店は立ち行かなくなってしまう。 それに、インターネットが拍車をかけます。これが「悪夢のサイクル」なのでしょうか。 もはや、商人の努力が足りないという問題ではないようにも感じます。 そして、物を売る現場が疲弊すると、物を作る現場にも影響を与えます。 日本の物づくりの伝統も危うい。質よりもコストばかりが問われる。 物づくりの現場は、これも見事に中国などの国に移行しています。 商店とメーカーが立ち行かなければ、最終的にお客様の利益にはなりません。 さあ、これからです。インターネットも手がける商人として、しっかり考えて参りたいです。 2007年2月10日


常々思っていることは、毎日の食生活と健康です。 「これを食べれば、体に良いです。」そうでしょう。 しかし、何を食べるよりも、どのように食べるかの方が、より重要です。 「納豆が良いよ。」と納豆をたくさん食べれば、良いのではありません。 納豆を食べても、朝食を抜かしたり、間食があったり、夜遅く食べたり、 このような食べ方では、かえって健康を損ないます。 何をの部分は、TVや雑誌等で日々クローズアップされますが、 なぜか、食生活そのものを見直すことがありません。 それは至難の技なのでしょうか。 しかし、病気にかかる事は、ある意味では チャンスなのかもしれません。 病気とは、体が「食生活を見直そうよ!」というサインに 思えることがあります。 そして、時には、現代医療や薬剤よりも治癒効果があるようにも感じます。 食べるとは、漢字で「人を良くする」と書くのは、大いに頷けます。 2007年2月3日


豊橋の天伯(てんぱく)という野菜の産地を、午後4時ごろ車で通り過ぎました。 すでに、西日がまぶしい。夏は西瓜(すいか)の名産地であり、冬は白菜とキャベツ。 農家の方が光をいっぱいに浴びて、ちょうど白菜を刈り取っていました。 その光景が、キラキラと輝いて見えました。いや〜美しいなあ。 ミレーの晩鐘という絵を思い出しました。 農夫婦が仕事を終えて、祈りをささげている。 黄昏時の美しい光景です。農家の人が働く姿。 その中で生まれてくる野菜が、とても尊いものに思えました。 子供たちにも、この姿を見せたいな〜。 それは、最高の食育。そこにこそ、美しい国、JAPANがあるのかもしれません。 2007年1月27日


書店の児童書コーナーで、目に留まった一冊の本がありました。 タイトルは「子供へのまなざし」。私の場合も、タイトルで本を選別してしまう傾向があります。 この言葉に、すぐに反応して、手にとってみました。 ほのぼのとした表紙絵で、なるほどと、共感できる子育ての提言書でした。 しかも、難しい事をわかりやすい言葉で、見事に綴られていました。 かわいい表紙に著者「佐々木正美」とあったので、女性の方かなと思っていましたが、 昭和10年生まれの男性、子供の精神科のお医者さんでした。 最近、佐々木さんの講演会のCDを購入しました。 やはり、これもタイトルに魅かれました。「響きあう心を育てたい」  本も良かったですが、お話も素晴らしかった。 「おはよう!」との挨拶に「おはよう!」と気持ちよく響き合える世界! お互いを信頼し合える、そんな世界が広がって行ってほしい今日この頃です。 2007年1月22日


「どんな牛からでる牛乳がおいしいですか。」との問いに 「幸せな牛からです。」という答えがあります。 その時は、なるほどと思いました。 首相のメールマガジンで、久しぶりに目に留まったのが 「想いやりファーム」牧場主さんの投稿でした。 すなわち、幸せな牛を育てて、牛乳を販売している方です。 幸せな牛からでる牛乳は、加熱殺菌をしなくて良いそうです。 早速、インターネットで注文をして、北海道から無殺菌の牛乳を送っていただきました。 なんとも、あさっりして、飲み心地が良かったです。 「小中学校時代の給食では、いつも鼻から息をしないで、 いっきに牛乳を飲んでいました。これなら大丈夫です。」と 声を送りました。すると、「あの独特な臭い、これは加熱殺菌した時の たんぱく質の焦げ臭なのです。社長曰く、小中学生の時にいやだと感じるということは、 すごく敏感な感覚を持った人」それは、個人的には???マークです。 いろんなやり取りの中で、牛一匹一匹の個性まできっちりと把握している。 現在は80頭だそうですが、100匹以上は増やさないそうです。 「個性が見分けられなくなる」と。その言葉に、なんだか安心いたしました。 2007年1月13日


私の好きなラジオ番組にNHK「ラジオ深夜便」があります。 実際に、その時間に聞くのは少ないのですが、カセットやCDが NHKから購入できるのです。こちらは、大変お勧めです。 このクリスマスに購入したのが、お隣は浜松市の聖隷(せいれい)病院の 創立者である長谷川保(はせがわたもつ)さんご夫妻のインタビューです。 昭和60年ごろの収録で、山根基世アナウンサーがご自宅に伺っています。 長谷川さん夫婦の生の声をはじめて聞きました。 肺結核患者の残飯を食べながら、激しい地域住民の迫害に会う中で、 その働きが行き詰ってしまいました。泣きながら祈ったのが、 昭和14年のクリスマスイブの日。その祈りの後で、駐在所から電話が入ります。 なんと、天皇陛下から直々に金一封が下る。 長谷川さんの働きは間一髪救われます。劇的です。 そして、今日ホスピスを初め、日本の医療現場の最先端に立っています。 昭和天皇も素晴らしい。クリスマスには奇跡が起こる。私は信じます。 2006年12月27日


今日はお弁当休業日で、近くの「さでんかん」でお昼をとりました。 豊橋の「さでんかん」といえば、おかあさんの中村さんが 「いのちのランチ」を振舞ってくれます。 いつも満員で、時間を過ぎると食べれませんので、今日は予約を入れて 出かけました。お店の名物でもある七穀ご飯に、今日は特別 冬の味覚である牡蠣(かき)が入っていました。かぼちゃと小豆の煮物、 そして、柚子味噌の風呂吹き大根。そうです!今日は冬至でした。 旬のものを、びしっとメニューに入れてくれるのは嬉しいですね。 中村さんとは食材の話で盛り上がります。ご飯はおかわり無料で、 今日も山盛り2杯いただいてしまいました。一緒に出かけたスタッフも、 食べ終わった後は、「体がスーッとする。体に良いもの食べた!」と 満足していました。ちなみに、店名の「さでん」は英語で魚の鰯(いわし)のこと。 もともと鰯料理店なのです。豊橋お越しの際、この「いのちのランチ」を味わって下さい。 ちなみに、¥800です。 2006年12月22日


学生時代にお世話になった埼玉県所沢市の教会を訪れました。 東所沢の駅に着くと、まずモスバーガーに入りました。 店内掲示板に「豊橋」!このお店のトマトは、豊橋産でした。 やはり、豊橋の野菜は全国区だなと嬉しく思いました。 教会では、癌と闘っているご婦人の方がいました。 私の周辺だけなのでしょうか。癌になる人をよく聞くこのごろです。 そのたびに心が痛みます。 今は、玄米を柱とした、食事療法をされているそうです。 やはり、基本は食事なのだと改めて思わされました。 帰りがけの夜7時には、お隣の東村山にいる友人を尋ねました。 ふたりで駅前のカレー屋さんに。 人柄の良いご夫婦がもてなしてくれる、こじんまりとしたお店。 じっくりと煮込んだ野菜カレーに癒されました。 そして、東京発10時ちょうどの700系新幹線。 シンデレラ気分で豊橋に向かいました。 2006年12月9日


お昼休みは、ぶらぶらと豊橋公園まで小遠足に出かけます。 園内にある美術館の前には噴水があり、周りは大きな木々で囲まれています。 豊橋の中でも、文化的な香りの漂うお勧めスポットです。 今日、その木々も綺麗に色づいて参りました。 赤に黄に染まる葉に、低い陽光が差し込むと一段と輝きます。 うっとりしながら、ベンチでひとり弁当を食べていると、・・・。 鳩がツカツカと前を通り過ぎて行きます。 「何かくれないかな」という感じで、こちらを気に掛けながら、 かといって、気にしていませんよという態度も見せながら。 それとなく、こちらの様子を伺っている様子です。 「ちょうだい!」と子供のように飛び込んでは来ない。 その姿が、非常に遠慮深いと言うか、奥ゆかしいと言うのか。 もどかしさよりも、なんだか好感を持ちました。 有史以来オリーブの葉をくわえ、鳩が愛される理由は、この性格ゆえかなと思いました。 人も同じなのかもしれません。けど、気疲れしてしまっては大変です。 2006年11月25日


「お父さん会」という集まりで、子供とすごす時間について話題になりました。 子供が一日にテレビを見る時間は、平均4時間。 一方で、父親は何時間ほど子供と交流しているのでしょうか。何分、もしかしたら何秒の世界かも・・・。 今の現状では、父親というよりもTVに育てられているかもしれません。 文芸春秋の最新号で齋藤孝さんがコメントしていました。 「日本のサラリーマン全員が、そんなに遅くまで働くほど、 大変な仕事をしてるのかな。無駄な会議は多いし、時間を浪費 しすぎだと思いますね。」耳に痛いですが、真実を多分に含んでいます。 3人の子供の父親である働き盛りの仲間が、ぽつっと発言しました。 「冷静に考えてみれば、子供と一緒に過ごせる時は、人生でもわずかだよな。 僕も高専だったから、15歳で親元を離れてしまったし・・・」 私も指折りながら、計算してみました。んん〜実に短い。 「お父さん、あそぼ!」と言ってくれるうちは花です。チャンスです。 そう、黄金の時間、ゴールデンタイムです。この時を逃してはならないと思う今日この頃です。 じっくり考え直してみて下さい。子供はTVよりもお父さんの方が大好きです。 組織の中にいても、できることは必ずあるはずです。 2006年11月22日


小学校5年の娘の社会見学が今週ありました。 私の時代は、豊田市にあるトヨタ自動車の工場。 やはり、今日もトヨタ自動車は、同じなのですが、今ではお隣の田原市の工場。 それに加えて、花王の豊橋工場。 2つを渡り歩くコースのようでした。 プリウスというハイブリッド車のプラモデルと 泡の出るハンドソープをお土産にもらってきました。 トヨタはなじみがあるのですが、花王の方は 港の方に工場があるという認識のみで、あまり豊橋と結びつきませんでした。 しかし、このような機会があると、ぐっと近くなります。 改めて、洗面所周りを見ると花王の商品ばかりでした。 物凄い商品開発力だなと改めて思いました。 こんな時代に、新商品を次々に市場にだしてくる。 しかし、油に関しては、竹本さんの胡麻油の方が魅力的です。 2006年11月18日


公立の中学である豊橋中部中学校の出身です。 かれこれ、卒業して20年以上経過しています。 私の世代こそ、校内暴力あり、いじめありと 当時の中学校の雰囲気は重苦しいものでした。 久しぶりに中学校時代の文集「雄飛」を本棚から取り出して、 子供といっしょに見ていました。 当時の自分が、いじめ問題でいかに悩んでいたか、考えていたか。 手に取るようによくわかります。 私の立場は、傍観者です。いじめが傍で行なわれていながらも、 何もできないもどかしさや自分の弱さが一生懸命綴られていました。 今思えば、これも良い経験でした。 受験勉強以上に大切な勉強だったと思います。 受験勉強には、集中できなかったかもしれませんが、それで良かったと思っています。 都会では、いじめのある公立の中学校を避ける傾向があるようですが、 それって一面では考えものではないでしょうか。 異質な集団が集まる中で、悩んだり、考えたりすることこそ、 将来社会では役に立つと思うのです。 生きる力、考える力を持っているはずの子供を、敢えて温室の中に入れてしまい、 もっと厳しい現実のある世の中で、たくましく生きて行けるのでしょうか。 2006年11月10日


豊橋は、柿の産地としても有名です。 故郷再発見で、この柿をお世話になっている方々に、 産地直送で送りたくなりました。 しかし、生産者を知りません。 そこで、ホームページで検索。 キーワードは「石巻、次郎柿」です。 すると、「今川農園」さんがヒット! メールをして、車を20分走らせて、早速農園に伺って来ました。 どんな人が作っているのかなと非常に興味深々。 日焼けをした素朴なおじさんが、柿についていろいろ教えてくれました。 作っている人の顔が見えると、いただく方の思い入れも違って来ますね。 その柿の中に、今川さんの魂が込められているように思いました。 猫のような耳をもった柿。非常に珍しいと言われいてる「五角形の柿」も お土産にいただきました。 きっと、送り先の方も喜んで下さるだろうと確信しました。 2006年11月7日


仲間たちと親子運動会を楽しみました。 その後は、川べりにある教会の広場で夕食会。 それが、本当にご馳走でした。 ご年配のおじさんが釣ってきた鮎を、まるごと揚げて、その場で食べる。 骨も苦にならずそのまま頭から噛りつけます。 バーベキューはもちろん、焼き鳥もあり、焼きイカ、焼き芋、ホイル焼きの鮭も楽しめます。 好評だったのが、アスパラのベーコン巻き。 さらにさらに、お母さんたちが、午前中から大きなお鍋でじっくり煮込んだ、 おでんとミネストローネ。やはり、いい味がでていました。 おにぎり、サラダとお茶ジュースは飲み放題。 そして私は、みたらし団子職人に。これ、デザートでしょうか。 焦げがややつく位での焼き加減も、すぐにマスターしました。 日が沈むと冷え込んで来たのですが、 自然とコンロのまわりにみんなが集まってきます。 運動会というより、メインディッシュはこの夕食会。 これだけのお料理ですと、どんな人も心を開き、会話もはずみます。 仲間が一つになるこの光景に、お料理力を感じた一日でした。 2006年11月4日


夜明け前に、突然亡くなった友人の夢を見ました。 はっと目が覚めたのですが、なんだか重苦しい気持ちになりました。 もう眠りにも入れず、思い切って外にでました。 そこは別世界!澄み切った夜空に、満天の星がキラキラと輝き渡っていました。 はっきりと、くっきりと、北の空には縦型のひしゃく。くるりと振り返れば、オリオン座。 目を凝らすと、さらに星の数が増えてきます。 我が家でも、こんな星空を仰げるのだとやや驚きでした。 この数日は本当に良い日が続いています。 昼の空も青く澄んで美しいのですが、夜の空はまた一段と魅力がありました。 シーンと寝静まっている住宅街の中で、ひとりぼお〜っと星を眺める。 心までも澄み渡り、安らかになりました。 浴びる朝日に心が癒された経験がありますが、浴びる星空にもパワーがありますね。 珍しく缶コーヒーが飲みたくなりました。 2006年10月27日


今日のお昼は、豊橋の駅前が活気づいていました。 商店街を歩行者天国にして 「ええじゃないかダンスコンテスト」。 あっと驚くような仮装した数多のグループが、 オリジナルの振付で「ええじゃないか」と歌い踊っていました。 今日は予選。決勝の明日は、豊橋市出身のマツケンこと松平健さんもやって来て サンバならぬ「ええじゃないか」パフォーマンスも披露されるようです。 この「ええじゃないか」とは、幕末に起こった民衆運動で、 ココ豊橋が発祥地とされているようです。 どのような運動か諸説があるようですが、先行き不透明な時代に、民衆が自ら立ち上げって、 行動したことに価値がありそうです。やはり、自発的に、何か共通の目標に向かって、 力を合わせ、汗を流している姿は美しい。 このスピリットが、豊橋スピリットであってほしいです。 2006年10月21日


今日はやや寝不足です。耳元に迫ってくる高低差ある「ブーン」という音響。 手と腕が何箇所か膨れ上がっています。かゆ〜い!!灯りをつけて、捜索開始。 どこだ!どこだ!どこなんだ!静かにじっと部屋全体をくまなく見回します。 家具に隠れこんだのか。隣の部屋に行ってしまったのか。 そこで、灯りを消して横になります。すると、また、あの不快な音が・・・ 今度はすばやく、灯りをつけます。そして、しばし布団の上ですわり込みます。 なかなか見つかりません。また、横になります。 こんなことが昨晩は4、5回ありました。少ないチャンスが訪れます。 見えた!しかし、この時期のものは、夏物とちがって素早い。 簡単に手で退治できないのです。経験も重ねているのか、学習化されたのか、 頭脳的な動きをしているように感じました。 最後は、暗闇の中、横になったまま、耳元でさっと手を握り締めました。 ナイスキャッチ!手を開くと、かなり赤く染まっていました。 やっと、安眠モードに入れたのが、今度は窓の向こうから聞こえる「ブーン」。 ご苦労様、新聞配達のオートバイでした。 2006年10月17日


体育の日は日本晴れとなり、家族でおでかけ。 めざすは、静岡県磐田市のトンボで有名な桶ヶ谷(おけがや)沼。 磐田というと、サッカーですが、トンボでも有名らしいのです。 トンボは秋をイメージして出かけたのですが、 トンボは夏が最盛期のようであまりお目にかかれませんでした。 しかし、沼を中心に里山があるのですが、秋の野山を満喫できました。 ビジターセンターが沼の入口にあり、博物館のように、いろんなトンボが展示してありました。 やや季節外れでもあったのを幸いに、職員のおじさんが、 ほぼマンツーマンでいろんな話を聞かせてくれました。 子供たちには、竹とんぼをイメージしたストロートンボを 一緒に作ってくれました。休みの日は、自然と人との交流を楽しみたいですね。 2006年10月12日


お昼休みにブラブラ歩いていますと、 金木犀(きんもくせい)の香りが漂ってきます。 どこに木があるのかなと、ぐるりと探します。 あっ、ココからか!と独り頷きます。 そして、たどり着くのは、昼下がりの静かな公園。 木陰のベンチに腰をおろして、青空を仰ぎながら、本を開きます。 陽射しもやわらかで、妨害する虫も少ない。もちろん、風も心地よい。 この青空読書に集中できるのが、この時期なのです。 「読書の秋」というのは、秋の夜長の読書というよりも、 昼間の青空読書をさしているのかもしれません。 その本は、梯久美子さんの「散るぞ悲しき」。 硫黄島の戦いを指揮した軍人の家族愛を描いた実話です。 ポロポロと涙を流しながら、ほんのつかの間の時間を本と過ごす。 読書の秋をしばらく楽しめそうです。 2006年10月3日


北海道の義父から宅急便でジャガイモが送られてきました。 ご近所にお裾分けもして、早速茹でてみました。 ホクホクのお芋を皮ごと、塩だけでいただきました。 おいしかった。これだけで、十分な一品料理です。 そう考えると、料理ってすごく簡単な感じがしました。 要は、良い食材を選ぶだけ。 それをへんに加工するより、できるだけ天然に近い状態でいただく。 ほとんど、手を加える手間はありません。 お料理上手は、食材選び上手なのでしょう。 その目を養って行きたいです。 2006年9月30日


小泉首相の魅力は「自分で考え、自分で語り、自分で行動する」 その点にあったと思います。 歴代の首相は、さまざまなしがらみの中で、あるいは、 陰の力のようなものがあり、自分を消されてしまった。 これは、政治の世界だけではなく、インターネットショップでも言えるかもしれません。 自分がない。のっぺらぼうで、どれも同じ顔をしている。特色がない、個性がない、持ち味がない。 ただ、大きなものや強いと言われるものに流され、なびいている。 そして、責任を持とうとしない。非常に安易です。 その昔、福沢諭吉が「独立自尊」という言葉を提唱しました。 今の日本に求められているのは、「私は私、あなたはあなた」他者も尊重しつつ、 自分自身をしっかり持って生きて行くことではないでしょうか。 小泉さんは、良きにつけ、悪しきにつけ、そのお手本を示してくれたように思います。 小泉さんお疲れ様でした。 2006年9月26日


メーカーの気持ちが、販売店にも伝わってきます。 それは、商品に対する愛情です。 作っている人と営業している人が同じであるか、あるいは近いほど その愛情は強くなるように思います。 メイドインジャパンはその点でも優れています。 個人的には、愛されている商品のみをご提供して参りたいですね。 そして、愛する娘を嫁がせるような気持ちで、お客様のもとにお届けしたい。 これは、メーカーの方も同じではないでしょうか。 その愛情は、目に見えません。しかし、販売価格で見ることもできます。 販売価格が乱れないことは、インターネット上では稀です。 しかし、乱れない商品があるとしたら、是非知って下さい。 その商品は、こよなく、こよなく愛されている商品です。 メーカーの愛情は、販売価格にも反映されているようにも思うのです。 愛する娘のような、可愛い可愛い存在なのですから。 2006年9月15日


団子三兄弟という歌が流行った時に、 「春になったら花見、秋になったら月見・・・」 花見は身近だけど、月見は遠い世界のことのように思いました。 昨日は、夕方頃から晴れ上がり、月が綺麗でした。 しばし、足を止め、見入ってしまいました。 この時節の月は、とりわけ美しい。 この年になって、やっと月の美しさに目覚めました。 月見もイイなあ〜と感じているこの頃です。 日本家屋の縁側で、和服のいでたち。 虫の音とともに、飾ったすすきが夜風になびいている。 月見団子をほおばりながら、月をめでる。 そして、一句・・・。こんな幽玄な世界を体験してみたいですね。 花見より、月見の方が、心豊かになれるかもしれません。 TVを観ているより現代人よりも、月を観ていた人たちの方がよほど豊かだった事でしょう。 中秋の名月は10月6日金曜日。今年は月見をしてみたいです。 2006年9月8日


挨拶は大切だけれども。 こちらから先手必勝で挨拶をしても、 返事がかえって来ないことが、しばしばあります。 自分の声が小さかったのかな。 あるいは、自分のことを快く思っていないのかな。 相手も人間・・・声もかけたくない状態だったのかもしれない。 などなど、いろんな思いがよぎります。 挨拶で空振りするのは、寂しいものですね。 けど、寂しさは自尊心ゆえかもしれません。 空振りでもいいのです。ある意味で、開き直りましょう! 私からの贈物に、どう答えようが相手の自由です。 もちろん、喜んでくくればラッキーですが。 返事をするのが当たり前だとは考えないことです。 「迷ったら先手必勝」「挨拶は私からの贈物」「空振りでも結構」 「返事をもらったら感謝感激」 そこに挨拶の極意があるように思いました。 突詰めると、自分の心がいつもオープンであれば良いのです。 2006年9月5日


「東京の人はよく歩くよね。」 友人のなにげない発言に頷きました。 ココ豊橋でも、車が必需品のような生活が形成されています。 車=歩かないの図式です。 この歩かない現実は、体調不良を招いているとも感じます。 東京は、公共交通機関が整備されていて、しかも低料金で利用できます。 バスと電車で、ほぼどこへでも行けます。 しかし、地方は違います。 このビルの地下には豊橋市のバスターミナルがありますが、今月をもって廃止。 利用する人がめっきり減りました。すると、料金も高くなり悪循環に陥っています。 街作りとは、電車やバスの利便性を高めることだとも思います。 豊橋には路面電車もあります。工夫次第で何かができる。 「豊橋の人はよく歩くよね。」そんな街が理想です。 2006年9月1日


「手」という言葉に魅かれます。 これからの時代のキーワードになるかもしれません。 「手紙」「手縫い」「手織り」「手書き」「手作り」・・・ この「手」が入ると、その言葉は一瞬にして温かいものとなりますね。 「手当」という言葉がありますが、手を当てると病気が癒される。 そこに、愛情が込められているからだと思います。 そして、世界でたった一つのものが創造される。 お料理研究家の辰巳芳子さんが 「手しおにかけた私の料理」と表現していますが、この「手」は 貫禄を感じさせますね。 人々は、この「手」に飢えているのかもしれません。 どうしてか。やはり「手抜き」が氾濫しているのでしょうか。 この「手」から幸せがはじまる。じっ〜と「手」を眺めてみました。 2006年8月29日


「クックからヒートの時代へ」ある本で見かけた言葉です。 家庭では、もはやお料理は作らず、温めるだけ。 「料理する事を労働だと思ってしまうことが怖い」という コメントが出ていました。 スーパーは惣菜の展示場に、商品メーカーはチルドの開発に。 これは、料理道具店への挑戦にも感じます。 生き方の問題にも関わりますが、ただ時代にあわせていくだけでは 考え方が浅いと思います。もっと、先を見通すことが必要です。 ヒートの行き着くところがハッピーであれば問題はないでしょう。 しかし、アンハッピーになった時に、あるいは 「これでよいのか?」と食べているのかもしれません。 クックが見直される。そんな時に、いかに適切なサポートできるか。 「お料理する事はジョイなんだ。ハッピーなんだ。」 それに気づいてもらうことが、フライパン倶楽部の仕事のようにも思います。 2006年8月18日


今年は、桃のあたり年のようです。 山梨のおみやげにいただいた桃からはじまり、 スーパーでもおいしそうな桃に目が良くとまり、 やや高額ですが買ってしまいます。 よく水洗いして皮をつけたまま食べるように教えてもらいました。 実と皮の間に甘みがつまって、皮も苦になりませんね。 冷やした桃を切ってあげると、子供たちは ぺろりと瞬間的に食べてしまいます。 先日カブト虫のえさがなくなってしまった時に、 子供が「カブト、桃が好きだよ。」の言葉に動揺。 なんだか惜しい気がしたものの、桃を入れるとすぐに カブト虫もおいしそうに食らいついていました。 やっぱり、カブトも桃好きだったようです。 2006年8月11日


先月は展示会に出かけました。 お料理道具という地味な業界ですが、新しい商品は結構沢山でてきますね。 ルクルーゼ、バーミックス、シラルガン、オクソ・・・・この秋冬お楽しみに。 しかし、私の中では問題意識があります。 どんどんと新しい商品を提供していくよりも、 お料理を楽しむ人たちの裾野を広げることが先決だと考えます。 その仕事ができているだろうか。単に商品を販売することで終わっていないか。 フライパン倶楽部の方向性として、道具を通じてお料理の魅力に目覚めていただくことです。 買っていただいた道具が、お蔵入りしてしまうことを一番危惧いたします。 「お料理を楽しんでもらう」そのような仕事ができているだろうかと 反省するこのごろです。 2006年8月7日


「チャレンジショップ」商店街の空き店舗を活用して 地元大学生が八百屋さんを開店しています。 ココ豊橋は農業が盛んなところで、地元のすいか、メロン等を販売しています。 今年のお中元は、このチャレンジショップにお願いしました。 大手メーカーの洗剤、ハム、ビールなど 個人的には物寂しい。もちろん、相手にも喜ばれなければなりませんが、 地域ならではのものをお届けできるのは素敵なことではないでしょうか。 豊橋の活性化は、地域の産物を知り、地域の人がそれに誇りをもち、 それを全国いや海外の方にも、広く紹介していくことだとも感じます。 豊橋のスイカ、メロンおいしいですよ!! 2006年8月2日


今日は、家をでると青空に心が惹かれました。 日差しも強かったですが、夏の空を感じました。 学生時代の記憶が蘇りました。 場所は、東横線沿いの多摩川べり。 車窓から眺める多摩川の風景に感じて、途中下車。 これは、学生時代の特権でしょうか。 多摩川の土手で、その空をぼお〜っと眺める午後のひととき。 一日中飽きないなと思いました。 川べりの心地よい風。ゴトゴトと走る電車、ゆっくりと流れる雲。 犬と散歩している人、嬉々と遊んでいる子供たち。 なんだか、時間もゆったりと流れている。 そんな多摩川べりに行って見たくなりました。 今も変わっていないよな。 2006年7月14日