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代表者のエッセイ

2017年1月27日

工場訪問記 中尾アルミ製作所

温かな新年を迎えたものの、ようやく冷え込んできた、冬を感じられる日に旅立ちました。 豊橋から新幹線で品川に出て、そこから特急ひたちに乗り換えて2時間。 上野、水戸を越えて、日立の次の駅で下車。 高萩駅前には、江戸時代の地理学者・長久保赤水(せきすい)の銅像が据えられていて、 現在の日本に近い形の地図を完成したことが顕彰されていました。 そこから車で10分ほど走ると、海あり、山ありののどかなところに、工場団地があり、その一角に中尾さんの茨城工場がありました。 その社屋の壁には「お蔭さまで50周年、心から感謝申し上げます。 お早う 今日も元気で 仕事ができる」と大きく掲げられていました。

1958年に千住の自宅で中尾富美夫氏が創業。日本初の大型ドローイングプレス(鍋の深絞り用加工機)を導入して、 1995年にこちらの茨城工場が開設されました。

ちょうど1年前に、私と同じ年の中尾さんの営業担当が病に倒れてしまいました。 入院および自宅療養を続けて、ようやく職場復帰されて、昨年末当店まで挨拶に来て下さいました。 その1年近くに及ぶ闘病生活を通じて、ご家族をはじめ社員の皆さんの愛情が引き出されたようでした。 久し振りにお会いして、目が澄んでキラキラと輝く穏やかな表情が印象的でした。 お話を伺うと、まず家族のみなさん、とりわけ奥様への感謝を語って下さり、生かされている喜びをたたえていました。 「お早う 今日も元気で 仕事ができる」その幸いを噛みしめておられるようでした。 その営業の方たちが、雪がちらつく高萩駅まで出迎えに来てくれました。

そして、今回は工場見学だけではなく、工場で働く皆さんと懇親する席まで設けていただきました。 その営業の方をはじめ、皆さんそれぞれが、さまざまな人生の荒波に揉まれながら、 あるいは苦楽をともにしながら、今日鍋作りに取り組まれていることが分かりました。 また、そこには、どこかの下請けとして物を作るのではなく、自社工場で作る責任とともに誇りを感じることもできました。 そこにある物作りの自由こそ、中尾さんらしさなのでしょう。 いつもは売り手として商品に触れているのですが、今回は商品の作り手の人に触れて、 また自分の中で商品への思い入れが強くなった、そんな濃密なひとときをいただいたようでした。

専務の中尾富明さんは、私と年頃は同じで、家族構成も似ていて、 私と同じく先代から会社を引き継いでいる立場にありました。 私の口から「士農工商で商が最後に来ることが最近よく分かります。」 私たちの世代が就職活動するころは、バブル全盛期で金融業界は花盛りでした。 ところが、単にお金を動かすだけで莫大に儲ける有様に疑問も感じて来ました。 今日の経済社会の病理は、そんなところにあるのかもしれません。 小売業も大きな産業となっていますが、あくまで作ってくれる人があってこそ。 お金や物を単に動かすのでなく、物を作り出す仕事の堅実さに 最近憧れを感じていることを伝えると、大きく頷いてくれました。

その懇親の席での話題は、今は亡き先代の創業者である中尾富美夫さんでした。 それぞれが先代との色濃い思い出をもっておられたことに、先代の存在感を思いました。 今回工場内に、先代の書いた言葉が掲げられていました。 「本気ですれば、大抵のことができる。本気ですれば、何でも面白い。本気ですれば、誰かが助けてくれる。」 専務に伺うと、この言葉は、誰かの言葉に先代が共感して、それに少し自分で付け加えたものだと教えてくれました。 きっと、先代は、この言葉を生きたのだと想像いたしました。 特に、「誰かが助けてくれる。」というのは、ご自分で実際に体験されたもので、 素直に「お陰様で」という言葉が出てくるのでしょう。

中尾さんの自社の大型トラックです。お鍋の特徴が箇条書きで紹介されています。 素材のこと、厚みのこと、もっと伝えて参りたいです。

先代の物づくりのスタイルは、使い手の声を重視することだったようです。 料理人の厨房に顔を出して、直接使い手の声を集めて、それを物作りに反映させる。 その一環で、料理道具店が集積する東京合羽橋に「お鍋の博物館」を出店します。 そこで商品の販売を行います。 すなわち、使い手の声を集めるところであったのだと思います。 工場で物を作る人たちも、入社後しばらく、こちらのお店で研修する、 また営業担当に同行して使い手のもとに訪れること等が慣例となっているようです。 そこから生み出される商品ですから、使いやすい確かな商品となるのでしょう。 そこには、先代の行動力が光ります。やはり、本気だったのでしょう。

中尾アルミさんは、今まで業務用の世界で知られていましたが、 これまでの業務用で培った知識やノウハウを生かして、家庭用に広げていくことを目指されています。 そこで、当社のフライパン倶楽部を通じても貢献できることがあり、 地道ではありますが、少しづつご提案させていただいている途上にあります。 例えば、パスタのフライパンとしておすすめしている打出アルミフライパン、 日常使いに適した軽くて扱いやすい雪平鍋、 茹でてよし煮てよしの料理鍋など。 使っていただいている方には、かなり評価の高い商品です。 以下の当社の「ユーザーの声」も参考にしてみて下さい。今後もますます日本の台所での活躍が期待されます。

中尾アルミ打出フライパンの声
中尾アルミ雪平鍋の声
中尾アルミ厚手料理鍋の声

中尾さんの社名にもなっている、アルミという素材も改めて見直していただきたいものです。 アルミのお鍋は、熱伝導性に優れ、厚みもあれば蓄熱性にも優れる。 そのため美味しく仕上がるのです。しかも、軽いので扱いやすい。 ところが、20年以上前に沸きおこったアルミの風評により、大きな痛手をアルミ鍋メーカーは受けた過去がありました。 工場のあるお隣の福島県では、放射能の風評で、未だ子供たちまで心を痛めている現実とも重なります。 当社でもアルミの安全性に関しては、こちらのページで、 震災時にも、こちらのページで情報を発信して参りました。 引き続き、丁寧に説明し続けながら、アルミの魅力を伝えて参りたいです。

中尾アルミ雪平鍋の鍋底から側面へのカーブ、打出された槌目模様、そして本体と木柄を接合させている金具の部分は、 職人の真心が込められているようです。

工場の製造責任者が、中尾アルミのお鍋の特徴として、 本体鍋底から側面へのカーブを指摘してくれました。この部分が角ばっているのではなく、 やや丸みをもたせている。それはお湯の対流を作り出して、温度むらをなくすための構造なのです。 温度むらがなくなるばかりか、結果として早く沸き、吹きこぼれを防止することにもつながります。 そして、槌目の打出も魅力です。中尾さんでは、機械で打って行きますが、その模様がお鍋の品格を醸し出しています。 その機械で打ち込む姿を工場で垣間見て、さまざまな作り手の思いまでも打ち込まれているように感じました。 また、比較的強度のないアルミが変形しづらくなります。

仕上げの工程では、サンドペーパーをあてながら、鍋を機械で回して磨いていました。 すると、粉じんが出て来るのですが、作業していた若者は、マスクをはめながらも粉まみれになっていました。 中尾さんの工場は、若手に加えて、女性も数多くいたのが印象的でした。 切削した端材が飛んでこないようにエアーを吹き付けながら作業していたのは女性でした。 危険も伴いますが、やはり工場の製造責任者は、安全第一を強調されていました。 製造現場では、品質だけではなく、働く人たちの安全も求めているのだと気付かされました。 そんな体を張ってくれた仕事があって、私たちは物を売ることができるのだと教えていただいたようでした。

帰りの走る新幹線の車窓から思わず撮影しました。美しくて明るい富士でした。

帰りの新幹線では、澄んだ空に、西日を受けた富士山がどっしりと美しく構えていました。 普段だと東京界隈でぶらぶら時間を過ごすのですが、今回は不思議と3時過ぎに東京を出発しました。 だからこそ、富士山が見えたのだと思います。なぜ、富士山なのか。 先代のお名前は、中尾富美夫さんで、富士山のように美しい男。 専務のお名前・中尾富明さんは、富士山のように明るい男。 そんな、お二人にお似合いの美しく明るい富士に遭遇できたのは、先代が導いてくれたのかもしれません。 「中尾の鍋は、日本一の鍋!」そんな声も響いてくるようです。 汗と涙が詰まったお鍋に思いを新たにして、こだま号は家路を急ぎ走り抜けました。